「
名前!」
「志乃ちゃん!」
隊舎の中庭を掃き掃除していると、友達の斑目志乃ちゃんが十番隊へやって来た。志乃ちゃんは紙束を抱えている。
「こっちに帰って来てたんだね!」
「そうなの。久しぶり!」
「うん! 久しぶりだね! 元気だった?」
「元気、元気。
名前、見てこれ!」
何の脈絡も無く、話題を変えた志乃ちゃん。
「なぁに、どうしたの?」
志乃ちゃんは抱えていた紙束を縁側に置くと、一枚紙を持って両手でわたしの眼前で広げて見せた。
「ほたる祭り?」
そこには夜空にたくさんの蛍が飛んでおり、とても幻想的で綺麗な絵が描かれていた。その絵の真ん中に『第一回 ほたる祭り』と書かれてある。
「そう!」
志乃ちゃんは誇らしげに頷いた。
そして、『ほたる祭り』について色々教えてくれた。
滅却師との戦いで多くの人々が命を失われ、残された人たちも傷付いた。多くの建物も崩壊し、あれから一年経った今も尚修繕中の建物が多い。心も体も疲弊してしまっている尸魂界の全ての人々へ向けて、開催されるお祭り。
一番隊が企画し、十二番隊が技術提供を行い、実現したらしい。あの戦いで絶滅の危機に瀕してしまった蛍を保護し、適切な環境で十二番隊が育てた。その蛍をわたしたちの癒しと慰霊、復興の願いを込めて、一斉に解き放つ。
「それで、この裏面が瀞霊廷通信になっているんだけど」
志乃ちゃんは『ほたる祭り』の説明を終えると紙を裏返し、またわたしの眼前で広げた。志乃ちゃんの言った通り、裏面には『瀞霊廷通信〜出張版〜』と書いてある。志乃ちゃんが先程教えてくれた『ほたる祭り』を開催する理由や総隊長と阿近副隊長のインタビューが書いてある。涅隊長ではなくて阿近副隊長なのは、何だか十二番隊らしかった。
「色んな人の想いが詰まったイベントなんだね」
「うん、そうなんだよ。そこも大事なんだけど、
名前に一番読んで欲しいのは、ここ」
志乃ちゃんが指差したのは下段の左隅。そこには檜佐木副隊長のコラムが書いてあった。
「憧れや恋心の強い想いは、時として体の外に抜け出しちゃうっていう昔の人の考え方があるんだって。蛍はそういう心が具現化したものとして、恋の和歌によく使われてたんだって。それで、この『ほたる祭り』を好きな人と見ると想いが結ばれるとかって!」
志乃ちゃんは檜佐木副隊長のコラムを簡単に分かりやすく、わたしへ伝えてくれた。
「へえ……ロマンチックだね」
「他人事みたいな事を言わないでよ。あたしは弓親さんと
名前が一緒に行くのはどうかな?と思って提案しに来たんだから」
「……」
「……」
「……え! わたしがちかちゃんと!? 志乃ちゃんとじゃなくて?」
「反応おっそ! 話の流れ的に
名前と弓親さん以外いないでしょ」
てっきり志乃ちゃんに一緒に行こうと誘われると思っていたわたしは、一瞬思考が止まってしまった。
ちかちゃんと想いが結ばれる、と言うのならばそれはわたしはとてもとても嬉しい。それでも、わたしとちかちゃんは一角さんと志乃ちゃんのように血縁関係がある。実の兄妹なのだ。想いが結ばれるなんて、そんなことはあってはならないこと。
それに、ちかちゃんにはずっと想い焦がれている好きな人がいるのだから。
「でも……ちかちゃん、一緒に行ってくれるかな……」
きっとちかちゃんは、わたしが何も言わなくても『ほたる祭り』のことも、このコラムのことも知っているだろう。それなのに、妹のわたしに誘われて嫌な気持ちにならないだろうか。
「もう! ウジウジしないの! 早くしないと可愛くて綺麗なお姉さんに誘われちゃうんだから!」
志乃ちゃんの言葉で、頭の中でちかちゃんが知らない女の人と並んで歩いているところを想像してしまう。不快な表情を浮かべてしまっていたのか、志乃ちゃんはわたしを見て笑った。
「妹からの可愛い誘いを簡単に断るお兄ちゃんなんていないわよ」
同じように兄を持つ、志乃ちゃんの言葉はわたしに勇気を与えてくれる。
「妹っていうことが
名前は嫌かもしれないけど、こういう時は自分が持ってるものしっかり使わないとね! それに、おまじないでも何でも夢ぐらい見たって誰も怒らないわよ」
志乃ちゃんは白い歯を見せて笑った。晴れやかなこの笑顔がいつもわたしを元気にしてくれる。
「うん。ありがとう、志乃ちゃん」
わたしも笑顔を返して、志乃ちゃんから受け取った紙に目を落とした。夜空に飛び交う蛍の絵は、不思議と先程よりも美しく見えた。
「志乃ちゃんは竜ノ介くんと行くの?」
「はあ!? 何でそうなるのよ! 竜ノ介はそんなんじゃないってば!」
「そうなの?」
「そうなの!!
名前、もしかしてあたしのこと揶揄ってるの!?」
「ち、違うよ! 揶揄ってないよ!」
志乃ちゃんの大声を聞いたのか日番谷隊長の霊圧がこちらの方に近づいて来て、慌てて二人で霊圧と息を顰めて物陰に隠れた。
「志乃ちゃんが大きな声出すからだよ……!」
「
名前があんなこと言うからでしょ……!」
わたしたちは少しだけ小さな言い合いをした後に、顔を見合わせて笑った。
*
あの日、仕事が終わりに志乃ちゃんから貰った『ほたる祭り』のチラシを手に十一番隊へと向かい、ちかちゃんをお祭りに誘ってみると「うん。いいよ」とすぐに返事をくれた。そして「僕も
名前を誘おうと思ってた」という嬉しすぎる言葉もくれた。ちかちゃんのそういうところが好き。でも、ずるい。何でもお見通しのちかちゃんに自分の想いを隠せているはずがなく。それなのにちかちゃんは拒むことも、否定することも無く、何も言わない。強く拒んでくれたら、わたしだって諦めがつくのに。でも、拒んでくれないことがわたしは嬉しい。ちかちゃんと一緒にいて良いんだ、と思える。わたしのことを好きになって欲しいなんて我儘は言わないから、これからもちかちゃんの近くにいたい。
数週間前のことを思い出しながら、「当日は
名前の家に迎えに行くから待っててね」とちかちゃんに言われた通り家の前で待つ。
(ちかちゃん、あの戦いが終わってから何だか元気ないから少しでも気分転換になれば良いな……)
聞いても何も教えてくれないから、わたしがそれを晴らしてあげるこもはできない。わたしも蛍になって、ちかちゃんを癒してあげられたら良いのに。
「……!」
そんなことを考えていると遠くからこちらに近付いてくるちかちゃんの霊圧を感じた。そわそわと落ち着かなくなってきてしまい、巾着から手鏡を取り出して髪の毛が乱れてないから、お化粧も崩れてないかを確認する。
(よし……大丈夫……)
一つ大きく深呼吸をして、ちかちゃんを待つ。
「お待たせ」
「ううん! 待ってないよ」
ちかちゃんは青みがかった鈍い紫色の浴衣に身を包んでいた。普段は下ろしている髪の毛を片方だけ耳にかけている。ちかちゃんは普段、死覇装を格好良く着こなしており、その格好は肌の大部分が隠れている。その肌が軽装の浴衣を着ていることで、見えてしまっている。何だか見ては行けないものを見ている気分になって、いつもと違う雰囲気にドキドキしてしまう。
(わたし、変態かもしれない……)
でもやっぱり格好良いなあ、なんて思いながら見惚れているとちかちゃんはにこりと笑った。
「浴衣、似合ってるよ。髪型もアップにしたんだね。とっても可愛いよ」
そんなことを言われてしまうと余計にドキドキと鼓動が早くなる。
「ち、ちかちゃんも浴衣にしたんだね!」
「
名前が浴衣着るって言ってたからね」
自分に合わせてくれたことがこんなにも嬉しい。わたしが蛍ならぴかぴか光っちゃってたかも。
「ちかちゃんも、とっても、とっても格好良いよ……!」
「うん、ありがとう」
ちかちゃんは綺麗に微笑んだ。顔を真っ赤にして心臓がドキドキと早鐘を打っているわたしとは全くの正反対。わたしだけこんなにドキドキしているのかと思うと、何だか更に恥ずかしくなってしまう。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
「手、繋ぐ?」
「え!?」
驚いて大きな声をあげてしまうとちかちゃんは声出して笑った。ああ、恥ずかしい。
「ずっと僕の手を見てたから、手繋ぎたいのかな?って思って」
目を細めて笑うちかちゃんの笑顔に少しだけ悪戯っぽさを感じてしまった。
「手、繋ぎたい……かも、です」
「かも?」
観念して、ぽつぽつと呟く言葉にちかちゃんは笑いながら首を傾げた。
「つ、繋ぎたい!」
ちかちゃんはまた笑うと、わたしに手を差し出した。本当に良いのかな、と後ろ向きな思いを振り払って、わたしはちかちゃんの手に自分の手を重ねた。少しひんやりとしているちかちゃんの手が、恥ずかしさから体が熱ってしまっている今のわたしには丁度良かった。
*
ちかちゃんと手を繋いで、隣を並んで歩いた。もう一生会場に辿り着かなくて良い、なんて子供みたいなことを思ってしまった。それでも歩いていれば当たり前に会場には到着する。
会場の入り口には浴衣ではなく、着流しを着た一角さんが立っていた。ちかちゃんを見つけると足早に近づいて来る。手を離した方が良いかな、とちかちゃんの表情をちらりと伺うと強く手を握り込まれた。
「やあ、一角」
「弓親、あいつ知らねェか?」
「さあ。僕は見てないよ」
「そうか」
二人は会話を短く交わすと、一角さんは会場とは反対の方へと歩いて行った。
「一角さん、蛍見ないのかな?」
「見ると思うよ」
全部を知っていると言うような顔でちかちゃんは笑った。
「僕たちも行こうか」
「うん」
会場には屋台も出ていて、とても賑わっていた。漂ってくる食べ物の良い香りに、お腹が鳴るが辺りの喧騒が上手く掻き消してくれた。ちかちゃんには届いていないみたいで、ほっと胸を撫で下ろした。
後で何か食べたいって伝えてみよう。何がいいかな。お祭りといえば、焼きそばかな。それともかき氷とか綿飴かな。
「
名前、こっちおいで?」
「うん?」
ちかちゃんに手を引かれて人混みを避けて、屋台とは別のところへ連れて行かれる。行燈だけで照らされる道を歩く。
(……ちかちゃん、どこに行くんだろ)
少しだけ不安になっていると、またぎゅっと手を握り込まれる。同じようにわたしの胸もきゅーっと誰かに握り込まれているかのような感覚になった。
「ちかちゃん、こっちの方に何かあるの?」
「教えて貰ったんだ。蛍がたくさん放たれて、一番美しく見える場所」
ちかちゃんは蛍のことを考えてくれているのに、わたしはまず食べ物のことを考えてしまった。花より団子っていうのはきっとこのことだ。
「時間的にもうそろそろだよ」
誰に教えてもらったのだろうか。この企画を纏めていたのは京楽総隊長と阿近副隊長。そして広報は檜佐木副隊長。三人とも、ちかちゃんの飲み友達だ。
(みんなでお酒飲んでいる時に話題に上がったのかな?)
呑気に頭の中で推測を立てていると、人気のない静かな河辺でちかちゃんは足を止めた。屋台がある場所からも離れ、人工的な光が届かないここはちかちゃんの言う通り蛍がよく見えそうだった。
《それではこれより、蛍の一斉放流を行います》
河辺の原っぱに腰を下ろして、談笑しているとアナウンスが辺りに響き渡った。ちかちゃんは声を発さず、『始まったね』と口だけを動かしてわたしへ伝えた。それに頷いて返事をする。
《先の戦いから約一年。今も尚、尸魂界には戦いの傷跡が大きく残っています。我々は忘れてはなりません。しかし! 我々には楽しくて幸せな思い出も必要です! そんな護廷十三隊・京楽総隊長の想いも込められています。皆様の心が癒されること、戦いで失われてしまった尊い魂魄の安らぎと一日でも早い尸魂界の復興を祈って──》
アナウンスが終わると、ぶわっと辺りが急に淡く光る。十二番隊の技術でどこかに隠されていたのか、どこからとも無く辺りに現れた蛍たち。光を発しながら、ゆらゆらと空へ登っていく。
「わあ……!」
あの絵よりも、自分の頭の中で思い浮かべていた光景よりも、とてもとても幻想的だった。まるで星々が輝く夜空の中にいるようだった。美しい、という言葉は今この瞬間のためにあるんだと思った。
ふわふわと泳ぐように飛び交っている蛍を見渡していると、ちかちゃんの横顔が目に入った。自分のように蛍に目を奪われている。
「……」
ちかちゃんは、この蛍を見て誰を思い浮かべているのだろうか。
何を願っているのだろうか。
きっと、それはわたしではない。
でも一番最後で良いから、ほんの少しだけでも良いから、わたしのことも思い浮かべて欲しい。
わたしの視線に気付いたちかちゃんが、こちらへ顔を向ける。今の夜空のような色をしたちかちゃんの瞳にわたしがしっかりと映った。
「綺麗だね」
少し眉と目元を下げて、優しくちかちゃんはゆっくり微笑んだ。
「──うん。とっても綺麗」
今、この笑顔だけは自分のものだけにしたかった。わたしは縋るようにちかちゃんの手を握り締める。ちかちゃんは優しく微笑んだままだった。
終