第0話 始まりは大釜から
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あれから数日後。今日もいつもと変わらず火をつけ、亡者を押し込むという動作を続けている。
「最近はスイッチ一つでお風呂が沸かせられるんだから、この釜もスイッチ一つで沸けばいいのに。」
などと雑談を交えながら次々と仕事をこなしていく私にあの男が訪ねてきた。
「白鷺さん」
「鬼灯様」
私は着物の乱れを直して彼に駆け寄った。
「ご無沙汰しています」
「そのままでよかったのに」
「はい?」
「いえ、別に。」
言葉を濁した彼は私と釜の方を何度か見比べると妙に真剣な面持ちで、
「一度外に出ましょう。大切な話があります」
と言う。急にそんなことを言われたなら、私も驚きを隠せないし、知らんぷりしているように見せて聞き耳を立てている周りの同僚たちも動揺する様子を見せている。
躊躇する私をほぼ強引に彼は外へと連れ出した。熱気が立ち込める仕事場から一歩外へ出ると冷房機がついていないにもかかわらずひどく涼しく感じた。汗をぬぐい襟元を開けてパタパタと手で仰ぐ私に鬼灯は唐突に話を切り出した。
「貴方、今の仕事よりも大きな仕事してみませんか?」
「大きな…仕事?」
私は首を傾げた。それは大きな場所で働かないか、と言う事だろうか。大きなところと言えば血の池地獄は膨大な面積を誇っている。針山もまた大きい。
しかし大釜からわざわざ血の池や針山への異動する目的も理解できない上に、お偉い様のこの男がただの獄卒のために出向いてくるというのもわからない。そういうのは人事部の仕事だろうに。
「わかっておられませんね」
鬼灯は小さく肩をすくめた。
「貴方は先日私に”1時間待つように”と言ってあの大量の仕事をやってのけた。」
判子を押すという単純な仕事を1時間でやってのけるくらい簡単なことだ。
「それも後日見てみれば、ただ乱雑に判子を押すだけではなく、しっかり全てに目を通し、押せないものは全てに押せない理由も書いてあった。たった1時間でです。」
褒められているのか不安になる。微動だにしない顔が怖くてそんな気には一切慣れない。
「その上講習はしっかりと説明を行いながら、一切の手を抜かない素晴らしいもの。ほとんどの研修生の心を射止めました。ほとんどの研修生が貴方について語りました。」
男は私の肩をその逞しい両腕でつかむと、その切れ長の瞳でジッと私を見つめた。歪みのない真っすぐな視線に息をのむ。
「そしてその容姿。部下や上司からの信頼。ストイックな仕事姿。たまに無防備な仕草。拷問への熱い執念。全てが私の心を掴みました。」
「…はい?」
「結婚してください。」
少しの間の沈黙。
鬼灯は表情を一切変えず、
「あ、間違えました。一緒に働きませんか?」
「何がどうなって間違える?」
「本音が出ました。」
男は私の体から手を離すと腕を組んだ。鬼灯の意外な一面を見たような気がする。
「閻魔大王の第二補佐官…つまり私の直属の部下になって働いていただけませんか?」
つまり一獄卒からの大出世と言う事だ。閻魔大王には私も一度会ったことがあった。日頃はニコニコと穏やかな人であるが、判決をくだすその顔はまさに王であった。その人の下で働くというのだ。
「悪い話ではないでしょう?」
「申し訳ありませんがお断りします。」
私は間髪を入れずに言った。鬼灯の細い釣り目が少し見開かれる。
「私にはそんな大層な仕事はできません。」
毎日朝起きて身支度をして、仕事先に出かけて、釜に火をつけて、亡者を押し込んで、火を消して、家に帰って、寝る。たったそれだけの毎日を過ごしていて、またそれで満足で。
そんな"人間"が閻魔の犬として働くことの大きさに耐えられないと思う。
「私は今で充分です。」
ここで働けていることがどれだけ幸せなことか。あんな劣悪な環境で育ったあの頃に比べたら、どれだけ幸せか。
「二兎追うものは一兎も得ないのです。」
だから、私はこれで良い。
これで良いのだ。
「いやです。」
「はぁ?」
鬼灯の駄々っ子のような言葉に思わず耳を疑ってしまった。
「私はもう貴方を部下にしたくて仕方がないんです。」
「そんな…今日はカレーの口だからカレーが良いみたいなこと言われても困ります!」
からあげを作ってしまったお母さんの気持ちだ。
「私行きませんよ!ここを離れる訳にはいかないんです。」
置いて行く部下はどうなる?誰が抜けた穴を埋める?
「こちらに来ても大釜の様子はいつでも見に行けます。抜けた穴はいつでも埋められます。人事も全て私たちが統括しています。どんな手を使ってでも、この職場に貴方と同じだけの仕事量ができる人材を配置します。」
冷静に論を述べられて私はタジタジ。最も怖いのはそう言う彼の表情が一切変わらないのだ。
「でもッ!」
ここで積み上げたキャリアを全て崩してしまいそうで。ここで積み上げた信頼を全て失ってしまいそうで。
私にはいけない。ここを離れることなんて出来ない。多くを望むと後悔するなんてしっかり理解している。
しかし鬼灯は言葉を続けようとする私の手を無理矢理つかむと、なんの躊躇なく唇を耳元に寄せた。
手が彼の胸に触れる。厚くて逞しい胸に。背筋がぞっとする。
「二兎追うのなら私も一緒に追いましょう。必ずあなたに二兎とも差し上げます。」
そう言って離れた彼は何も変わらない冷徹な顔をしていた。
「いかがでしょうか?」
まだ残る彼の息遣いが胸を高鳴らせる。子宮にズンとくる低く重みのある声が体を熱くする。
「う…ずッ…ずるいです…」
女に対して男を使って揺るがそうとするなんて。今だけはそのバリトンボイスが憎い。
「どうですか?」
「何度言われても私は…」
「そうですか」
では、と彼は言葉を切って私の肩を押した。壁に背中が打ち付けられたと同時に彼の整った顔が目の前にあった。息が、止まる。
「人気のないところに行きましょう。その美しい華奢な体に"はい"と言わせましょう。体の全てをまさぐって、貴方自身の知らない部分を全て拝見して、その小さな体の奥の奥まで突き上げて、喘がせて、憎しみや快感に歪むその可愛らしいお口から"あなたに尽くします"と言わせ…」
「あぁあああああ!!わかりました!分かりましたからその御下品な言葉をやめなさい!黙りなさい!御昼間ですよ!"笑ってよきかな"の時間ですからね、貴方全然よくありませんよ!」
憎らしく口元が緩む彼を睨みつけて私はムッと唇を尖らせた。
思った以上に乱暴である。流石鬼の中の鬼。
「…と言ったものの、嫌々連れて行くのは腑に落ちませんね。」
彼は私から体を離すと彼の顎に手をあててから首を傾げた。
「まぁ、ぶっちゃけ言うと今すぐにでも私に従わせたいんですが、仕事的にも、性的にも。」
「ぶっちゃけ過ぎだろうが。」
「今日はひとまず引き上げます。」
彼はさっと踵を返した。
黒い着物によく映える鬼灯の絵柄。
「また来ます」と彼は薄く笑ったような気がした。
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「最近はスイッチ一つでお風呂が沸かせられるんだから、この釜もスイッチ一つで沸けばいいのに。」
などと雑談を交えながら次々と仕事をこなしていく私にあの男が訪ねてきた。
「白鷺さん」
「鬼灯様」
私は着物の乱れを直して彼に駆け寄った。
「ご無沙汰しています」
「そのままでよかったのに」
「はい?」
「いえ、別に。」
言葉を濁した彼は私と釜の方を何度か見比べると妙に真剣な面持ちで、
「一度外に出ましょう。大切な話があります」
と言う。急にそんなことを言われたなら、私も驚きを隠せないし、知らんぷりしているように見せて聞き耳を立てている周りの同僚たちも動揺する様子を見せている。
躊躇する私をほぼ強引に彼は外へと連れ出した。熱気が立ち込める仕事場から一歩外へ出ると冷房機がついていないにもかかわらずひどく涼しく感じた。汗をぬぐい襟元を開けてパタパタと手で仰ぐ私に鬼灯は唐突に話を切り出した。
「貴方、今の仕事よりも大きな仕事してみませんか?」
「大きな…仕事?」
私は首を傾げた。それは大きな場所で働かないか、と言う事だろうか。大きなところと言えば血の池地獄は膨大な面積を誇っている。針山もまた大きい。
しかし大釜からわざわざ血の池や針山への異動する目的も理解できない上に、お偉い様のこの男がただの獄卒のために出向いてくるというのもわからない。そういうのは人事部の仕事だろうに。
「わかっておられませんね」
鬼灯は小さく肩をすくめた。
「貴方は先日私に”1時間待つように”と言ってあの大量の仕事をやってのけた。」
判子を押すという単純な仕事を1時間でやってのけるくらい簡単なことだ。
「それも後日見てみれば、ただ乱雑に判子を押すだけではなく、しっかり全てに目を通し、押せないものは全てに押せない理由も書いてあった。たった1時間でです。」
褒められているのか不安になる。微動だにしない顔が怖くてそんな気には一切慣れない。
「その上講習はしっかりと説明を行いながら、一切の手を抜かない素晴らしいもの。ほとんどの研修生の心を射止めました。ほとんどの研修生が貴方について語りました。」
男は私の肩をその逞しい両腕でつかむと、その切れ長の瞳でジッと私を見つめた。歪みのない真っすぐな視線に息をのむ。
「そしてその容姿。部下や上司からの信頼。ストイックな仕事姿。たまに無防備な仕草。拷問への熱い執念。全てが私の心を掴みました。」
「…はい?」
「結婚してください。」
少しの間の沈黙。
鬼灯は表情を一切変えず、
「あ、間違えました。一緒に働きませんか?」
「何がどうなって間違える?」
「本音が出ました。」
男は私の体から手を離すと腕を組んだ。鬼灯の意外な一面を見たような気がする。
「閻魔大王の第二補佐官…つまり私の直属の部下になって働いていただけませんか?」
つまり一獄卒からの大出世と言う事だ。閻魔大王には私も一度会ったことがあった。日頃はニコニコと穏やかな人であるが、判決をくだすその顔はまさに王であった。その人の下で働くというのだ。
「悪い話ではないでしょう?」
「申し訳ありませんがお断りします。」
私は間髪を入れずに言った。鬼灯の細い釣り目が少し見開かれる。
「私にはそんな大層な仕事はできません。」
毎日朝起きて身支度をして、仕事先に出かけて、釜に火をつけて、亡者を押し込んで、火を消して、家に帰って、寝る。たったそれだけの毎日を過ごしていて、またそれで満足で。
そんな"人間"が閻魔の犬として働くことの大きさに耐えられないと思う。
「私は今で充分です。」
ここで働けていることがどれだけ幸せなことか。あんな劣悪な環境で育ったあの頃に比べたら、どれだけ幸せか。
「二兎追うものは一兎も得ないのです。」
だから、私はこれで良い。
これで良いのだ。
「いやです。」
「はぁ?」
鬼灯の駄々っ子のような言葉に思わず耳を疑ってしまった。
「私はもう貴方を部下にしたくて仕方がないんです。」
「そんな…今日はカレーの口だからカレーが良いみたいなこと言われても困ります!」
からあげを作ってしまったお母さんの気持ちだ。
「私行きませんよ!ここを離れる訳にはいかないんです。」
置いて行く部下はどうなる?誰が抜けた穴を埋める?
「こちらに来ても大釜の様子はいつでも見に行けます。抜けた穴はいつでも埋められます。人事も全て私たちが統括しています。どんな手を使ってでも、この職場に貴方と同じだけの仕事量ができる人材を配置します。」
冷静に論を述べられて私はタジタジ。最も怖いのはそう言う彼の表情が一切変わらないのだ。
「でもッ!」
ここで積み上げたキャリアを全て崩してしまいそうで。ここで積み上げた信頼を全て失ってしまいそうで。
私にはいけない。ここを離れることなんて出来ない。多くを望むと後悔するなんてしっかり理解している。
しかし鬼灯は言葉を続けようとする私の手を無理矢理つかむと、なんの躊躇なく唇を耳元に寄せた。
手が彼の胸に触れる。厚くて逞しい胸に。背筋がぞっとする。
「二兎追うのなら私も一緒に追いましょう。必ずあなたに二兎とも差し上げます。」
そう言って離れた彼は何も変わらない冷徹な顔をしていた。
「いかがでしょうか?」
まだ残る彼の息遣いが胸を高鳴らせる。子宮にズンとくる低く重みのある声が体を熱くする。
「う…ずッ…ずるいです…」
女に対して男を使って揺るがそうとするなんて。今だけはそのバリトンボイスが憎い。
「どうですか?」
「何度言われても私は…」
「そうですか」
では、と彼は言葉を切って私の肩を押した。壁に背中が打ち付けられたと同時に彼の整った顔が目の前にあった。息が、止まる。
「人気のないところに行きましょう。その美しい華奢な体に"はい"と言わせましょう。体の全てをまさぐって、貴方自身の知らない部分を全て拝見して、その小さな体の奥の奥まで突き上げて、喘がせて、憎しみや快感に歪むその可愛らしいお口から"あなたに尽くします"と言わせ…」
「あぁあああああ!!わかりました!分かりましたからその御下品な言葉をやめなさい!黙りなさい!御昼間ですよ!"笑ってよきかな"の時間ですからね、貴方全然よくありませんよ!」
憎らしく口元が緩む彼を睨みつけて私はムッと唇を尖らせた。
思った以上に乱暴である。流石鬼の中の鬼。
「…と言ったものの、嫌々連れて行くのは腑に落ちませんね。」
彼は私から体を離すと彼の顎に手をあててから首を傾げた。
「まぁ、ぶっちゃけ言うと今すぐにでも私に従わせたいんですが、仕事的にも、性的にも。」
「ぶっちゃけ過ぎだろうが。」
「今日はひとまず引き上げます。」
彼はさっと踵を返した。
黒い着物によく映える鬼灯の絵柄。
「また来ます」と彼は薄く笑ったような気がした。
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