第6話 鬼のパンツとカニ
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「白鷺!来てんなら挨拶しに来な!」
奪衣婆が今更私に気がついたのか、橋のたもとから声を張り上げて、手招きする。昔からやけに「若い頃の奪衣婆に似てる」とかなんとか言って、すごく悪い意味で世話を焼いてくる。いい迷惑だし、絶対に似ていない、あんな図々しい婆さん。
「うわ、奪衣婆…白鷺様をやけに気に入ってるからなぁ…。」
「はぁ…いってきます。」
鬼灯に頭を下げると早足で奪衣婆の元へと急いだ。亡者どもが三途の川を渡る渡場にボロボロの布切れを身にまとったみすぼらしい老婆がすわっている。
「なんですか。」
「特に用事はないよ。ただ、見て見ぬ振りをいるのが癇に障っただけだよ。」
見て見ぬ振りというか、鬼灯に鼻の下伸ばしてたからそっとしておいただけなんだけど、とは言えずに素直に頭を下げた。
「それにしてもなんだい、あんた、鬼灯のしたで働くようになってから変わったね。」
「は…?」
「色気が増したね。」
色気なんて私とは無縁の世界で、「何言ってんだ、この婆さんは」と、目鼻口を全て顔の中心に集めるかのように思いっきり顔をしかめた。
「まぁ、私の色気には負けるけどね。」
似合わないウインク一つよこしながら彼女はふふんと鼻をならした。いつまでも湧き水のように止まらず湧き続ける自信はどこからきているのか、色気の出し方よりもそちらの方がよっぽど気になってしまう。
「わけのわからないこと言ってないで、仕事をしてください。」
手でウインクを払い落とすと奪衣婆に背を向けた。
「でもまぁ、嘘じゃないよ。確かにあんたは綺麗になったよ。」
あの奪衣婆が素直に褒めるのは、地獄に大嵐が来るのではないかと疑ってしまう。
「ありがとうございます。」
ただ滅多にないことだ。ありがたく受け取っておこう。
「あんた…もうこっちに来て長いんだろう。新しい恋を探しても良いんじゃないかい?」
「わかってますよ。」
秦広王の第一裁判を受けた亡者は奪衣婆に出会うこととなる。そこでこの老婆に衣服を渡し、亡者がみんな身にまとう白装束へと変わる。そして三途の川を渡っていくのだ。
私も漏れなく秦広王の裁判を受け、この奪衣婆のもとへと訪れた。あの時奪衣婆が妙に私に話しかけて来たのを覚えている。生まれはどこか、歳はいくつか、どうして死んだのか。奪衣婆が知る必要はないのにも関わらず、しつこいほど追求してきたのだった。奪衣婆はあれ以来、私が獄卒になってからも妙に世話を焼いてくるのだ。今もこんな風に。
「鬼灯…あの男は確かにあんたのこと好いてるよ。」
「ええ、存じています。」
遠くで子鬼と頭を突き合わせて話をしている鬼灯を見つめる。頷くたびに揺れる髪が彼の美しさを一層際立たせる。奪衣婆のいうことはわからないでもない。しかし彼の心を受け入れる余裕が私にはまだない。
「奪衣婆、貴方は何故、亡者だった私に話しかけて来たんですか。」
会話が途切れた時、ふと以前から気になっていたことを問いかけてみる。何故、あの時涙を流す私に川を渡らせなかったのだろう。何故、あの時私を呼び止めたのだろう。
奪衣婆はしばらく黙り込んでいたが、深いため息をついてしわがれた声で小さく囁いた。
「さてね、あんたが私に似てたからかね。」
どことなく寂し気な奪衣婆の声に、そっと頭を下げて速足で、三人の元へ戻る。少し息を切らしながら帰ってきた私に鬼灯が少し首を傾げる。
そんな鬼灯の整った顔を見ながら私はふと物思いにふける。
私がいまだに持つ現世のしがらみは、自分の現世での罪はもちろんのことだけれど、現世で一度だけ愛した男がいたことだと思う。不遇な人生の中で、唯一太陽のような存在であった彼を私は忘れられないのだと思う。
しかし、この地獄での生活を経て、私の中で新しい太陽が頭をもたげ始めている。まぶしくって目を逸らしたくなる。でも、まだ彼の愛を受け入れられない。まだ彼の愛を受け止めるだけの隙間など今の心にはない。
もうこちらに来て、百何十年と経つ。奪衣婆の言う通り、もうそろそろである。
「白鷺さん?どうしましたか?」
鬼灯の声にハッと我に返って、慌てて笑みを浮かべる。額の汗が隠せず、急いで袖で拭った。
「いえ、考え事をしていました。今、何のお話をされていたんですか?」
「鬼のパンツの起源だよ。」
茄子が先ほどまでと同じように鼻歌を歌いながら腰を振って踊る。
「え、鬼のパンツ販促ソングなんじゃないんですか?」
「あんたもか。」
話が明るい内容でよかった。ちゃんと私は笑えている、と卑屈になってしまう自分を戒めるように、着物の上から自分の腕をキュッとつまみ上げる。
「いいから、この先賽の河原までしっかり大掃除してください。帰りますよ、白鷺さん。」
鬼灯が私の腕を掴んで引くので、バランスを崩して彼の方に二・三歩歩み寄る。そんな彼に抵抗して、私も掴まれた腕を引く。
「え、私も手伝います。」
「ダメです。帰りますよ。」
あまりにも彼が強く引くので諦めて、彼になされるがままに手を引かれていく。まるで母親の手を引く子どものようである。
「茄子さん唐瓜さん。途中までしか手伝えなくてごめんなさい。掃除頑張ってくださいね。」
わがままな上司のわがままを聞いてあげるのも部下の務めである。彼の気が済むまでどこまでも引かれて行こう。
「でも、もう仕事終わっちゃいましたよ。」
「では、少し手伝ってください。」
「わかりました。その代わり早く帰りましょうね。」
今はしばらく、このままで良い。もうしばらくこのままでいさせてもらおう。
→
奪衣婆が今更私に気がついたのか、橋のたもとから声を張り上げて、手招きする。昔からやけに「若い頃の奪衣婆に似てる」とかなんとか言って、すごく悪い意味で世話を焼いてくる。いい迷惑だし、絶対に似ていない、あんな図々しい婆さん。
「うわ、奪衣婆…白鷺様をやけに気に入ってるからなぁ…。」
「はぁ…いってきます。」
鬼灯に頭を下げると早足で奪衣婆の元へと急いだ。亡者どもが三途の川を渡る渡場にボロボロの布切れを身にまとったみすぼらしい老婆がすわっている。
「なんですか。」
「特に用事はないよ。ただ、見て見ぬ振りをいるのが癇に障っただけだよ。」
見て見ぬ振りというか、鬼灯に鼻の下伸ばしてたからそっとしておいただけなんだけど、とは言えずに素直に頭を下げた。
「それにしてもなんだい、あんた、鬼灯のしたで働くようになってから変わったね。」
「は…?」
「色気が増したね。」
色気なんて私とは無縁の世界で、「何言ってんだ、この婆さんは」と、目鼻口を全て顔の中心に集めるかのように思いっきり顔をしかめた。
「まぁ、私の色気には負けるけどね。」
似合わないウインク一つよこしながら彼女はふふんと鼻をならした。いつまでも湧き水のように止まらず湧き続ける自信はどこからきているのか、色気の出し方よりもそちらの方がよっぽど気になってしまう。
「わけのわからないこと言ってないで、仕事をしてください。」
手でウインクを払い落とすと奪衣婆に背を向けた。
「でもまぁ、嘘じゃないよ。確かにあんたは綺麗になったよ。」
あの奪衣婆が素直に褒めるのは、地獄に大嵐が来るのではないかと疑ってしまう。
「ありがとうございます。」
ただ滅多にないことだ。ありがたく受け取っておこう。
「あんた…もうこっちに来て長いんだろう。新しい恋を探しても良いんじゃないかい?」
「わかってますよ。」
秦広王の第一裁判を受けた亡者は奪衣婆に出会うこととなる。そこでこの老婆に衣服を渡し、亡者がみんな身にまとう白装束へと変わる。そして三途の川を渡っていくのだ。
私も漏れなく秦広王の裁判を受け、この奪衣婆のもとへと訪れた。あの時奪衣婆が妙に私に話しかけて来たのを覚えている。生まれはどこか、歳はいくつか、どうして死んだのか。奪衣婆が知る必要はないのにも関わらず、しつこいほど追求してきたのだった。奪衣婆はあれ以来、私が獄卒になってからも妙に世話を焼いてくるのだ。今もこんな風に。
「鬼灯…あの男は確かにあんたのこと好いてるよ。」
「ええ、存じています。」
遠くで子鬼と頭を突き合わせて話をしている鬼灯を見つめる。頷くたびに揺れる髪が彼の美しさを一層際立たせる。奪衣婆のいうことはわからないでもない。しかし彼の心を受け入れる余裕が私にはまだない。
「奪衣婆、貴方は何故、亡者だった私に話しかけて来たんですか。」
会話が途切れた時、ふと以前から気になっていたことを問いかけてみる。何故、あの時涙を流す私に川を渡らせなかったのだろう。何故、あの時私を呼び止めたのだろう。
奪衣婆はしばらく黙り込んでいたが、深いため息をついてしわがれた声で小さく囁いた。
「さてね、あんたが私に似てたからかね。」
どことなく寂し気な奪衣婆の声に、そっと頭を下げて速足で、三人の元へ戻る。少し息を切らしながら帰ってきた私に鬼灯が少し首を傾げる。
そんな鬼灯の整った顔を見ながら私はふと物思いにふける。
私がいまだに持つ現世のしがらみは、自分の現世での罪はもちろんのことだけれど、現世で一度だけ愛した男がいたことだと思う。不遇な人生の中で、唯一太陽のような存在であった彼を私は忘れられないのだと思う。
しかし、この地獄での生活を経て、私の中で新しい太陽が頭をもたげ始めている。まぶしくって目を逸らしたくなる。でも、まだ彼の愛を受け入れられない。まだ彼の愛を受け止めるだけの隙間など今の心にはない。
もうこちらに来て、百何十年と経つ。奪衣婆の言う通り、もうそろそろである。
「白鷺さん?どうしましたか?」
鬼灯の声にハッと我に返って、慌てて笑みを浮かべる。額の汗が隠せず、急いで袖で拭った。
「いえ、考え事をしていました。今、何のお話をされていたんですか?」
「鬼のパンツの起源だよ。」
茄子が先ほどまでと同じように鼻歌を歌いながら腰を振って踊る。
「え、鬼のパンツ販促ソングなんじゃないんですか?」
「あんたもか。」
話が明るい内容でよかった。ちゃんと私は笑えている、と卑屈になってしまう自分を戒めるように、着物の上から自分の腕をキュッとつまみ上げる。
「いいから、この先賽の河原までしっかり大掃除してください。帰りますよ、白鷺さん。」
鬼灯が私の腕を掴んで引くので、バランスを崩して彼の方に二・三歩歩み寄る。そんな彼に抵抗して、私も掴まれた腕を引く。
「え、私も手伝います。」
「ダメです。帰りますよ。」
あまりにも彼が強く引くので諦めて、彼になされるがままに手を引かれていく。まるで母親の手を引く子どものようである。
「茄子さん唐瓜さん。途中までしか手伝えなくてごめんなさい。掃除頑張ってくださいね。」
わがままな上司のわがままを聞いてあげるのも部下の務めである。彼の気が済むまでどこまでも引かれて行こう。
「でも、もう仕事終わっちゃいましたよ。」
「では、少し手伝ってください。」
「わかりました。その代わり早く帰りましょうね。」
今はしばらく、このままで良い。もうしばらくこのままでいさせてもらおう。
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