第0話 始まりは大釜から
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「白鷺さんをお願いします。」
拷問中に突然名前を呼ばれて顔を上げると、戸の前にスラッとした長身の男性が立っていた。黒い真っ直ぐな髪を襟足まで伸ばし、額には凛々しい一本角をこさえている。絹のような綺麗な髪の間からは切れ長の目と筋の通った鼻、特徴的な口元が見えており、端的に表すと容姿端麗な男性である。。
彼の顔は嫌でも知っている。閻魔大王第一補佐官、鬼灯である。
「私ですが。」
隣の獄卒に亡者を大釜の底まで沈める仕事道具の棒を押し付けて、台から飛び降りる。
鬼灯に軽く駆け寄ると彼のガタイの良さがよく目立つ。私よりも軽く一尺は高いと思われる身長と着物越しにわかる厚い胸板が物語る。鍛え上げられた自然で逞しい身体に思わずふと見惚れてしまい、後々恥ずかしくなって目線をそらした。しかし代わって鬼灯は私をジロジロと見つめる。
「…なんでしょうか。」
あまりにも無言でジッと見つめられるので気味が悪くなる。顔に何かついているだろうか、変な顔をしているのだろうか。細い目から繰り出される鋭い視線に狼狽えてしまい、後ろに一歩退いた。
「貴方が噂の方でしたか。もう少し大柄のガタイの良い女性を想像していましたが、なんというか」
言葉の尻を濁す鬼灯。小さいと言いたいのだろう。確かに私はこの年齢の女性にしては小さい方だ。五尺ちょっとあるかないかの身長は、日頃から劣等感を抱いている。その点を指摘された私は、あえて曖昧に微笑んだ。
「ご用件は?」
「あぁ、それなんですが」
鬼灯が言いかけた時、背後の扉がひとりでに開いたかと思うと、あまりここでは見かけない鬼が顔を覗かせた。中の熱気に目を細めている。随分若いと見えるので新卒だろうか。
「こら、まだ入ってはいけませんよ。」
鬼灯が叱ると、扉の向こう側へ姿を隠した。
「新人ですか?」
「はい、研修生です。」
そう言えば私にもあのような時期があったな、と目を細める。右も左もわからない地獄をたくさんの鬼の中に混じって、見学して回った。地獄ともあって、残酷な場面や目を背きたくなる場面が多く、初めて目の当たりにした時は、胃の中がひっくり返りそうになったのを覚えている。あの頃はまだ今以上に若かった、とまだ若い好奇心に取り憑かれる例の鬼をとても愛らしく感じる。
そんな時、鬼灯が私を再びジロジロと見つめているのに気がつき、首を傾げた。
「なんでしょう?」
「いつもそのような格好で?」
鬼灯の目線が胸元に向いていることに気がつき、つられて私も胸元を覗き込む。大釜の激しい動きに形を崩してしまった着物は襟も裾もがっぽり開いており、その内側からは白い胸と脚が露わになっていることに気が付いた。私は指摘されてから気が付き、そそくさと前を合わせた。
「申し訳ございません。動きますので。昼休みと休み時間、仕事終わりに直す程度で。」
お偉い様を前にだらしないところを見せてしまったと非常に申し訳なく思う。
「仕事柄、仕方ありませんが、男には衆合地獄並に辛いですね。」
「はい?」
「いえ、忘れてください。」
私に返事の時間を与えないまま、彼は手元の資料に目を移した。
「要件ですが、研修生たちに少し仕事を見学させては頂けませんか。」
なるほど、大釜は地獄の代表でもある。これを見ずして何を見る、と言ったところだろう。
「構いませんよ。私で良ければ。」
そう言葉を返そうとした瞬間、
「白鷺さぁああぁん!」
一人の獄卒が私の元に駆け寄ってきた。部下だ。身体中ビチャビチャなのはあまりにも急ぎすぎて、濡れた床に倒れこんでしまったのだろう。大きく息を切らして慌てた様子だ。
「なんです?鬼灯様の御前ですよ。」
「至急この仕事お願いします!」
その男に差し出されたのは大量の紙の束。二十は遥かに超える量である。頭がくらりと揺れる。
「今から?」
「至急です!」
「でも、今から大釜の…」
「大切な資料だそうで、今すぐって!」
「上は?」
「上が白鷺さんにさせろって!」
呆れと怒りに目の前がチカチカとして、拳を振り上げそうになって必死に堪える。
あのクソ親父、何考えてるんだ。なんでも都合の悪いことや面倒な仕事はすぐに私に回してくる。
仕事の出来と仕事の量は比例し、またその仕事の重要性も同時に比例してくる。つまり、仕事ができる人ほど面倒な仕事が多く回ってくるという、非常に皮肉な世の中である。そして同時にそういった内容の仕事を私に振ってくるということは、あのハゲ上司は髪の量と同じように頭の中はすっからかんなのである。
「私じゃなきゃ、駄目なの?」
「はい!俺にはさっぱりで…」
「でも…」
チラリと鬼灯を盗み見ると、相変わらずの無表情ではあるが、静かにその瞳を塞ぐように瞬きをすると、ふぅとその口先から細く息を吐き出した。
「構いませんよ。第一なんの予告もなく急に訪問した私が悪いんですから」
「そっそんな!こちらこそ申し訳ありません。」
慌てて謝罪の言葉を述べると、その姿を確認してから鬼灯は何かを考える素振りを見せた。きっと急遽空いてしまった時間の埋め合わせ方法を考えているのだろう。 私はその間に先ほどの資料を受け取ると中をペラペラと見る。割と重要な仕事ではあるが。
「では…」
重い扉を押し上げて出ていこうとした鬼灯の背中を慌てて追うと、袖口を摘んで引き止めた。不思議そうに振り返る鬼灯に私は微笑みかける。
「1時間後、是非もう一度来ては頂けませんか?」
「1時間?」
「はい、1時間で全て終わらせます。」
分厚い紙の束を胸に抱え直すと真っ直ぐに鬼灯を見つめる。きっと出来るはずがないと思われているのだろう。しばらく鬼灯は黙り込んでいた。しかしその後確かに大きく頷いた。
「わかりました。1時間後もう一度伺わせていただきます。」
まるでお手並みを拝見とでも言いたげな表情が少しイタズラに見え、胸が不思議とキュッと鷲掴まれたように高鳴った。
「お手数をお掛けして申し訳ありません。」
律儀に一礼して出ていく鬼灯柄の背中を眺めて、私は自分の腰を打って気合を込めた。
「よし、1時間でやるからね。全員手抜かないで。」
”はい”と威勢のいい返事を聞いて私は急いで職場から出た。
仕事にワクワクしたのは一体いつ頃ぶりであろうか。誰かに期待される気持ちの良さを感じながら慌てて資料室へと足を運んだ。
→
拷問中に突然名前を呼ばれて顔を上げると、戸の前にスラッとした長身の男性が立っていた。黒い真っ直ぐな髪を襟足まで伸ばし、額には凛々しい一本角をこさえている。絹のような綺麗な髪の間からは切れ長の目と筋の通った鼻、特徴的な口元が見えており、端的に表すと容姿端麗な男性である。。
彼の顔は嫌でも知っている。閻魔大王第一補佐官、鬼灯である。
「私ですが。」
隣の獄卒に亡者を大釜の底まで沈める仕事道具の棒を押し付けて、台から飛び降りる。
鬼灯に軽く駆け寄ると彼のガタイの良さがよく目立つ。私よりも軽く一尺は高いと思われる身長と着物越しにわかる厚い胸板が物語る。鍛え上げられた自然で逞しい身体に思わずふと見惚れてしまい、後々恥ずかしくなって目線をそらした。しかし代わって鬼灯は私をジロジロと見つめる。
「…なんでしょうか。」
あまりにも無言でジッと見つめられるので気味が悪くなる。顔に何かついているだろうか、変な顔をしているのだろうか。細い目から繰り出される鋭い視線に狼狽えてしまい、後ろに一歩退いた。
「貴方が噂の方でしたか。もう少し大柄のガタイの良い女性を想像していましたが、なんというか」
言葉の尻を濁す鬼灯。小さいと言いたいのだろう。確かに私はこの年齢の女性にしては小さい方だ。五尺ちょっとあるかないかの身長は、日頃から劣等感を抱いている。その点を指摘された私は、あえて曖昧に微笑んだ。
「ご用件は?」
「あぁ、それなんですが」
鬼灯が言いかけた時、背後の扉がひとりでに開いたかと思うと、あまりここでは見かけない鬼が顔を覗かせた。中の熱気に目を細めている。随分若いと見えるので新卒だろうか。
「こら、まだ入ってはいけませんよ。」
鬼灯が叱ると、扉の向こう側へ姿を隠した。
「新人ですか?」
「はい、研修生です。」
そう言えば私にもあのような時期があったな、と目を細める。右も左もわからない地獄をたくさんの鬼の中に混じって、見学して回った。地獄ともあって、残酷な場面や目を背きたくなる場面が多く、初めて目の当たりにした時は、胃の中がひっくり返りそうになったのを覚えている。あの頃はまだ今以上に若かった、とまだ若い好奇心に取り憑かれる例の鬼をとても愛らしく感じる。
そんな時、鬼灯が私を再びジロジロと見つめているのに気がつき、首を傾げた。
「なんでしょう?」
「いつもそのような格好で?」
鬼灯の目線が胸元に向いていることに気がつき、つられて私も胸元を覗き込む。大釜の激しい動きに形を崩してしまった着物は襟も裾もがっぽり開いており、その内側からは白い胸と脚が露わになっていることに気が付いた。私は指摘されてから気が付き、そそくさと前を合わせた。
「申し訳ございません。動きますので。昼休みと休み時間、仕事終わりに直す程度で。」
お偉い様を前にだらしないところを見せてしまったと非常に申し訳なく思う。
「仕事柄、仕方ありませんが、男には衆合地獄並に辛いですね。」
「はい?」
「いえ、忘れてください。」
私に返事の時間を与えないまま、彼は手元の資料に目を移した。
「要件ですが、研修生たちに少し仕事を見学させては頂けませんか。」
なるほど、大釜は地獄の代表でもある。これを見ずして何を見る、と言ったところだろう。
「構いませんよ。私で良ければ。」
そう言葉を返そうとした瞬間、
「白鷺さぁああぁん!」
一人の獄卒が私の元に駆け寄ってきた。部下だ。身体中ビチャビチャなのはあまりにも急ぎすぎて、濡れた床に倒れこんでしまったのだろう。大きく息を切らして慌てた様子だ。
「なんです?鬼灯様の御前ですよ。」
「至急この仕事お願いします!」
その男に差し出されたのは大量の紙の束。二十は遥かに超える量である。頭がくらりと揺れる。
「今から?」
「至急です!」
「でも、今から大釜の…」
「大切な資料だそうで、今すぐって!」
「上は?」
「上が白鷺さんにさせろって!」
呆れと怒りに目の前がチカチカとして、拳を振り上げそうになって必死に堪える。
あのクソ親父、何考えてるんだ。なんでも都合の悪いことや面倒な仕事はすぐに私に回してくる。
仕事の出来と仕事の量は比例し、またその仕事の重要性も同時に比例してくる。つまり、仕事ができる人ほど面倒な仕事が多く回ってくるという、非常に皮肉な世の中である。そして同時にそういった内容の仕事を私に振ってくるということは、あのハゲ上司は髪の量と同じように頭の中はすっからかんなのである。
「私じゃなきゃ、駄目なの?」
「はい!俺にはさっぱりで…」
「でも…」
チラリと鬼灯を盗み見ると、相変わらずの無表情ではあるが、静かにその瞳を塞ぐように瞬きをすると、ふぅとその口先から細く息を吐き出した。
「構いませんよ。第一なんの予告もなく急に訪問した私が悪いんですから」
「そっそんな!こちらこそ申し訳ありません。」
慌てて謝罪の言葉を述べると、その姿を確認してから鬼灯は何かを考える素振りを見せた。きっと急遽空いてしまった時間の埋め合わせ方法を考えているのだろう。 私はその間に先ほどの資料を受け取ると中をペラペラと見る。割と重要な仕事ではあるが。
「では…」
重い扉を押し上げて出ていこうとした鬼灯の背中を慌てて追うと、袖口を摘んで引き止めた。不思議そうに振り返る鬼灯に私は微笑みかける。
「1時間後、是非もう一度来ては頂けませんか?」
「1時間?」
「はい、1時間で全て終わらせます。」
分厚い紙の束を胸に抱え直すと真っ直ぐに鬼灯を見つめる。きっと出来るはずがないと思われているのだろう。しばらく鬼灯は黙り込んでいた。しかしその後確かに大きく頷いた。
「わかりました。1時間後もう一度伺わせていただきます。」
まるでお手並みを拝見とでも言いたげな表情が少しイタズラに見え、胸が不思議とキュッと鷲掴まれたように高鳴った。
「お手数をお掛けして申し訳ありません。」
律儀に一礼して出ていく鬼灯柄の背中を眺めて、私は自分の腰を打って気合を込めた。
「よし、1時間でやるからね。全員手抜かないで。」
”はい”と威勢のいい返事を聞いて私は急いで職場から出た。
仕事にワクワクしたのは一体いつ頃ぶりであろうか。誰かに期待される気持ちの良さを感じながら慌てて資料室へと足を運んだ。
→