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たった一目見ただけで、誰かに特別な感情を抱く。そんな現象に名があることを知ってはいたが、到底自分には縁のない言葉だと思っていた。
事実、初めて彼女を見た時に感じたのは、純粋な疑念と警戒心だけだった。
けれど、振り返ってみると。
その手に持った小刀の刃に似つかわしい、鋭敏な眼差し。黄昏に彩られた湖面に舞い散る、細くたおやかな髪。
あの光景は、確かに「美しい」と形容するに相応しかったのだと思う。
「エボンは、機械を使用している」
低い声にわずかな逡巡を滲ませて、アーロンは告げた。
ベベルの内情を知らぬ者に、この事実を打ち明けたのは初めてだった。案の定、キルヒェは今しがた聞いた言葉をどう解釈してよいものか戸惑っているようだ。
余計な心配事を増やしてしまっただろうか……そんな一抹の不安が首をもたげる。だが、彼女には多少の荷では折れぬ強さがあった。それはある日、なんの前触れもなく崩れてしまうような脆さと紙一重ではあったけれど。
現にキルヒェは、その事実を自分なりに受け止めるべく向き合っていた。召喚士だったからか、はたまた生来の気質かは分からないが、彼女には本質を見定め、真実を知ろうとする気概がある。
究極召喚なしで『シン』を倒す方法にしてもそうだ。大抵の人間は、そんなもの夢物語にすぎないと一蹴するだろう。あるいは、現実から逃避するための束の間の拠り所とするか。
キルヒェはそのどちらでもなかった。アーロンも知らぬ間に、彼女は夢に現実性を持たせる方法を懸命に編み出そうとしていた。自分の身の安全を顧みない、いささか荒削りな案ではあったが、それすらもアーロン一人では思い付かなかったはずだ。
立ち止まることなく思考し続ける力を、彼女は持っている。それは世界に立ち向かう力だ。権力や世間の声に絆されることなく、自分を保ち続ける力。
年下の少女に対して抱く感情として相応しいものではないかもしれないが、それでもアーロンは彼女の存在を心強く感じていた。もし一人でこの運命に直面していたなら、今ごろは更なる無力感に苛まれ、ザナルカンドに近付くごとに重くなる足取りに苦しんでいたことだろう。
誰かと思考を共有できるというのは、特別なことなのだと実感する。まさかその相手が、この皮肉屋でひねくれ者の少女だとは思ってもみなかったが。
それを率直に伝えれば、彼女はその目を驚きの形に見開いて硬直した。
「あ……あはは。なにそれ、愛の告白?」
あえて作った軽薄な口調と、そこへ滲むわずかな緊張が、この話を冗談ということにしたいと暗に告げていた。
彼女が望むようにしてやれたら良かったのだろう。けれどその時アーロンが感じていたのは、妙に腑に落ちたような、溜飲が下がる思いだった。
「そうだと言ったら?」
何を偉そうに、と内心で自嘲する。自分だって、その気持ちに今しがた気付いたばかりだというのに。
キルヒェは視線を落として、趣味が悪いと揶揄した。アーロンも口先では肯定したが、それは本心ではない。
初めて会った時は、単純に信用ならない女だと思った。目的は不明だが、だからこそブラスカが彼女をガードに迎えると言った時は───想定していなかったわけではないが───正直、頭痛を覚えた。
ある意味では、何も知らないジェクトよりも厄介な存在だ。もしも悪意があった場合、自分がブラスカを守らなければならないと、いっそう気を引き締めなければならなかった。
その上、キルヒェの態度は一貫して厭人的、かつ傲慢だった。こんな人間と、同じガードとして信頼関係を築いていくことは不可能だとさえ思った。
ただ……初めて剣を交えた時の眼差しが、妙に脳裏にこびりついていた。鮮烈な決意をたずさえた瞳がぞっとするほど高潔で、同時にひどく危うくて。
いつからだろう。針をびっしりと植え込んだような鎧の内側に、柔らかくて繊細なものを隠していることに気付いたのは。そして、その華奢な体に余るほどの苦悩を抱え込んでいることにも。
共にいる時間を重ねるごとに、少しずつ色々な面が見えてきた。子供たちに向ける笑顔が思いのほか穏やかで、けれどどこか翳りがあったこと。歌声を聴かれただけで、妙に恥ずかしがって耳を赤くしていたこと。ブラスカへの侮辱に憤り、降りかかる暴力も恐れずに立ち向かったこと───。
しかし、決定打となったのはマカラーニャの森での出来事だろう。
───「『シン』は、私が倒します」
その発言を聞いた瞬間、頬を打たれたような気がした。なぜ気付かなかったのだろう。彼女は初めからそのつもりで、善意や好意といった、自分に向けられるすべての温かな感情を跳ね除けていたのに。
だが、澱みなく告げるその姿に惹かれたのも事実だった。熾火の揺らめきにも惑わぬその瞳を、その横顔を、今までに見た何より美しいと思った。しかし思い返してみると、彼女が自身の手で長い髪を断ったあの瞬間から、その眼差しは何ひとつ変わっていなかったのだ。
あの日、初めて彼女の泣き顔を見た。
とめどなく溢れる雫を見て、ようやく感情を表すことが出来たのだと安堵した。そしてそれが他の誰でもない、自分の前であったことに、言い得ぬ高揚感を覚えた。
……くだらない優越感だ。たとえあの場にいたのがジェクトであっても、彼女はそうしただろうに。
「……ねえ、もしみんなで一緒にナギを迎えられたらさ、ブラスカさんのこと、ぎゅってしてあげなよ」
そんなキルヒェの台詞に思考を引き戻される。自分の人生を歩めと言ったアーロンへの、ちょっとした仕返しのつもりかもしれない。
いや……きっと彼女なりに、新たな一歩を踏み出そうとしているのだろう。『フィオのいないナギ節が怖い』───そう言って泣いた彼女が未来を語るには、想像を絶する勇気を要するはずだ。
「何を言ってるんだ。そんな失礼な真似、出来るわけないだろう」
「そう? 対等に接して欲しいって思ってる気がするけどな、ブラスカさんは」
痛いところを突かれ、思わず眉を顰めたアーロンに、キルヒェは小さく肩を揺らして笑う。
不器用でぎこちない笑みだったが、それでも彼女が見せた中でもっとも柔らかく、自然な表情だった。
これから先、キルヒェが少しでも本当の笑顔を取り戻せたらと思う。たとえその隣に、自分がいなかったとしても。……そう考えるのは意気地のないことだろうか?
ずるいと言われるのも頷ける。だが、差し迫った使命から目を逸らしてまで将来を約束出来るほど無責任でもないつもりだ。
けれどもし、彼女からが言うように四人でナギ節を迎えられたら、その時は───。
……いや、それは過ぎた望みだ。手に入る見込みのない夢など、いくら思い描いても虚しいだけなのだから。
平原の先にそびえる霊峰に視線を向ける。
背筋を伸ばせ、顔を上げよ。今はただ、目の前の課題にだけ向き合えばよい。大切なものを失って、あとで悔やむのは自分なのだ。
湧き上がる想いを心の内に押し留めるように、アーロンはゆっくりと瞬いた。決断の時は、刻々と迫っている。
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