軌憶の旅 Ⅲ
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最後かもしれないだろ?
だから、全部話しておきたいんだ。
呟いた少年の声を、乾いた風が攫っていく。
仲間たちは彼の追想に耳を傾け、時に所感などを挟みながら、束の間の休息に身を委ねる。
すべてが黄昏の色に染まる中、それはとても美しく、同時にひどく胸を締め付けられるような光景だった。
きっと、誰もが心のどこかで感じていたのだと思う。いくら過去を探っても、そこに手がかりなど存在しないことを。どんな思い出を語ったところで、運命を先延ばしにしているに過ぎないということを。
「……なあ、もっといろいろあったよな? そういえば、あの時とか……誰か、なんかない?」
少年がもどかしげに問いかける。しかし、答える者はいない。
「あのね」
静寂に満ちた空気に、柔らかくも凛とした声が響いた。
「思い出話は、もう……おしまいっ」
その言葉に、仲間たちは立ち上がる。
「行こう」
この旅の目的地、最果ての地へ。
ただ一つの真実を知り、自らの手で歩むべき未来を選び取るために。
日はすっかり落ちて、辺りは夜の帳に包まれていた。
廃墟と化したザナルカンドの街を目の当たりにして、少年は何を思うだろう。かつて栄華を極めた巨大な建造物も、空を横切る天空の道も朽ちて崩れ、今はただ、歴史を物語るためだけに累々と積み重なっている。その姿に、自らが歩んだ景色の面影を見出しただろうか?
十年前と同じように突如現れた老人───ユウナレスカの従者である僧官に認められ、一行はエボン=ドームの中に足を踏み入れた。
ドーム内は外より更に幻光濃度が高い。空間全体がまるで巨大なスフィアのように機能し、この地に留まる様々な人々の想いを映し出す。かつて『シン』を倒した大召喚士とそのガード達。そして……。
『いやだ! やだよ、かあさま! かあさまが祈り子になるなんて!』
泣きながら母に縋る幼い少年。
十年前にも同じ光景を見て、その時初めて、自分だけがジョゼに残されれた理由を知った。
『こうするしかないの。私を召喚して『シン』を倒しなさい。そうすれば、みんなあなたを受け入れてくれる……』
『みんななんてどうでもいいよ! かあさまがいてくれたら、なんにもいらないよ!』
『私には、もう時間がないのよ……』
『シン』を倒せば、みんなが認めてくれる。同じことを、かつての自分も未来への希望としてシーモアに語った。違うのは、召喚士の命がその代償であると知らなかったことだけだ。
もしかしたら、あの時母は起きていて、キルヒェ達の会話を聞いていたのだろうか。幼い自分の言葉が、瀬戸際で耐え続けていた彼女の背を押してしまったのだとしたら……。
そんな儚い追想に手を伸ばしかけていたキルヒェの背を、また別の幻影が追い抜いていく。
「あ……」
見覚えのある男たちの姿に、ただの記憶と分かっていても声を掛けて引き止めたくなった。
ブラスカ、ジェクト、アーロン。そして殿を走る、髪の短い自分。
『なあ、ブラスカ。やめてもいいんだぞ』
『気持ちだけ受け取っておこう』
『……わーったよ、もう言わねえよ』
真実を知った時あれだけ狼狽えていたジェクトは、この頃には半ば運命を受け入れているようだった。少なくとも表面上は、抱えている苦悩や葛藤を上手く隠しているように見えた。
大人だと言えば聞こえはいいが、ブラスカの覚悟の一端をも背負おうとしているようなその姿が、ずっと気掛かりだったのを覚えている。
『いや、俺は何度でも言います! ブラスカ様、帰りましょう! あなたが死ぬのは……嫌だ……』
アーロンは諦めずに、何度も説得を試みていた。
何か方法はないかと必死に考えて考えて、けれどわずかな糸口すらも見つけられないまま無常に時間だけが過ぎて。無意味と分かっていても、ひたすら引き止めるしかなかったのだと思う。
しかし案の定、ブラスカが首を縦に振ることはない。
『君も、覚悟していたはずじゃないか』
『あの時は……どうかしていました』
『私のために悲しんでくれるのは嬉しいが……私は悲しみを消しに行くのだ。『シン』を倒し、スピラを覆う悲しみを消しにね』
分かってくれ、アーロン。
その言葉を区切りとして、彼らは再びドームの奥へと駆けていく。
あの頃は、感情を上手く飼い慣らしているつもりだった。けれど目の前を通り過ぎた自分の横顔は、何かを必死で耐えるように張り詰めていた。
最後の試練を終え、召喚士の力を試すための刺客、魔天のガーディアンを退ける。すると六つの紋が刻まれた部屋の中央に、地下へと続く昇降機が現れた。
アーロンに一礼し、ユウナは一人、祈り子の間へと向かう。しかし予想通り、彼女はすぐにガード達の元へ戻ってきた。
「アーロンさん! みんな、来て!」
全員で駆け付けると、そこにあったのは祈り子像の形だけを遺した抜け殻だった。
十年前と寸分違わぬシナリオ。おそらく千年もの間、変わることなく続いているのだろう。
「……その像は、すでに祈り子としての力を失っておる」
光の門から、エボン=ドームの入り口で会った僧官が再び現れた。
「史上初めて、究極召喚の祈り子となったゼイオン様……そのお姿をとどめる像にすぎぬ。ゼイオン様は、もう……消えてしまわれた」
「消えたぁ!?」
「てことは 究極召喚もなくなっちゃったの!?」
「ご安心なされい」
動揺する仲間たちに、僧官はゆったりと頷いてみせる。
「ユウナレスカ様が、新たな究極召喚を授けてくださる。召喚士と一心同体に結びつく、大いなる力を……奥に進むがよい。ユウナレスカ様の身許へ」
そう言って、彼は再び姿を消した。仰々しい物言いに思わず拳を握る。が、彼自身もこの地に囚われた哀れな死者でしかない。
ユウナは踵を返し、門の中へと進もうとする。しかし、ティーダがそれを引き止めた。
「ちょっと待てよ。……アーロン、あんた最初っから知ってたんだよな?」
「ああ」
「どーして黙ってたの!?」
畳み掛けるようにリュックが叫ぶ。
記憶を取り戻した以上、彼らに事実を明かさなかった点においてはキルヒェも同罪だ。けれど、この決断が間違っていたとは思わない。どんなに残酷なことだとしても。
「お前たち自身に、真実の姿を見せるためだ」
この子らも分かってはいるのだろう。無力感を噛み締めながらも、どうにか現実と向き合おうと必死に足掻いている。
「ユウナ」
キマリが振り返り、ユウナに声を掛ける。ここまで来ても、彼女の決意が揺らぐことはない。
「もう戻れないよ」
「分かっている。キマリが先に行く。ユウナの前はキマリが守る」
先陣を切るキマリに続き、ユウナ、そしてキルヒェ達も光の門をくぐる。
これまでの廃墟然とした景観から一変、大広間は豪奢な絨毯が敷かれ、相も変わらず不自然なまでに整っていた。主の顔が浮かびかけたまさにその瞬間、部屋の奥にある階段の上から彼女は悠然と姿を現した。
「ようこそザナルカンドへ。長い旅路を越え、よくぞ辿り着きました。大いなる祝福を、今こそ授けましょう。わが究極の秘儀……究極召喚を」
ユウナレスカ。千年前、史上初めて『シン』を倒した伝説の召喚士である彼女は、今もこの地に留まりながら、スピラに偽りの希望を与え続けている。
「さあ……選ぶのです」
「え?」
「あなたが選んだ勇士をひとり、私の力で変えましょう。そう……あなたの究極召喚の祈り子に」
ゆっくりと階段を降りながら、彼女は語る。召喚士とガードの絆こそが、究極召喚の力の源であること。そして千年前、自らも夫であるゼイオンを祈り子に変え、その力をもって『シン』を打ち倒したこと。
仲間たちの間に動揺が走る。しかしユウナレスカは、その不安を拭おうとするかの如くたおやかに微笑んだ。
「恐れることはありません。あなたの悲しみは、すべて解き放たれるでしょう。究極召喚を発動すれば、あなたの命も散るのです。命が消えるその時に、悲しみは消え去ります。あなたの父、ブラスカもまた、同じ道を選びました」
そう言い残し、彼女は再び踵を返して去っていった。静寂に包まれたホールに、またしても十年前の残像が現れる。
『まだ間に合う、帰りましょう!』
青年のアーロンが叫ぶ。今のユウナやティーダたちと同じように、究極召喚の真実を明かされ、戸惑い揺れたあの時。
『私が帰ったら誰が『シン』を倒す。他の召喚士とガードに同じ思いを味わわせろと?』
『それは……しかし、何か方法があるはずです!』
『でも、今は何もねぇんだろ。……決めた。祈り子にはオレがなる』
旅の終着点でジェクトが見せた決意を前に、キルヒェは、自分がひどく緊張していることに気付いた。ここでどんな会話が交わされたか、はっきりと覚えているというのに。
『ずっと考えてたんだけどよ……オレの夢は、ザナルカンドにいるあのチビを、一流の選手に育て上げて……てっぺんからの眺めってやつを見せてやりたくてよ。でもな……どうやらオレ、ザナルカンドにゃ帰れねぇらしい。アイツには……もう会えねえよ。となりゃ、オレの夢はお終いだ』
寂しげに、けれどどこか踏ん切りをつけたのような表情で、ジェクトは語る。
この瞬間を、ずっと恐れていた。『シン』の恐怖と縁遠い世界から来たこの男が、ブラスカの覚悟に触れ、使命のためにその身を差し出してしまう日を。
『だからよ、オレは祈り子ってやつになってみるぜ。ブラスカと一緒に『シン』と戦ってやらあ。そうすればオレの人生にも意味ができるってもんよ』
『ヤケになるな! 生きていれば……生きていれば、無限の可能性があんたを待っているんだ!』
『ヤケじゃねぇ! オレなりに考えたんだ。それによ、アーロン。無限の可能性なんて信じるトシでもねぇんだ、オレは』
『待って!』
それまで沈黙を貫いていたキルヒェが、唐突に口を開く。
『私が祈り子になります。子供の頃からずっと、召喚士になって『シン』を倒すんだって決めてました。でも、ジェクトは違う。いつかザナルカンドに帰ったら、家族にまた会えたらって、ずっと未来を夢見て……そうでしょう、ジェクト!』
『キルヒェ!』
アーロンがキルヒェの肩を強く引く。けれど、溢れ出した言葉を止めることは出来なかった。
『誰も犠牲にならずに済む方法……本当にあるなら探したいよ。でも、その間に『シン』が町や村を襲ったら? その時私は……自分を許せないと思う』
奥歯を噛み締めるアーロンの手を振り切って、キルヒェはジェクトに掴み掛かる。
『ねえジェクト、私言ったよね、スピラの問題はスピラの人間が解決するって』
『ああ、あの日のことはよく覚えてる。こんなこと言ったらおめえは怒るかもしれねえが……口は悪くても根はいいヤツだって、あん時から分かってたぜ。オレのこと、そんな風に想ってくれるだけで充分だ。ありがとな』
『なんでそんな、最後みたいに……っ、ティーダくんにお土産だって買ったんでしょう!? ここが自分のザナルカンドじゃないからって、どうして帰る方法がないって決めつけるの!? そんなの、旅が終わってからまた探せばいい……!』
胸倉を掴む手に力を籠めるキルヒェを宥めながら、ジェクトはその肩をしっかりと抱き寄せた。大きな手が、少女の頼りない背の上を何度も上下する。
『なあキルヒェ……確か、こうも言ってたよな。『子供は未来だ』って。オレにとっちゃ、おめえも同じなんだ。ここでみすみす死なせたら、それこそ家族に合わせる顔がねえよ。だから最後くらい……エースに花持たせてくれや、な?』
『こんな時ばっかり、格好つけて……っ、ジェクトの分からず屋……!』
涙声で叫びながら、握った拳で胸板を打つ。それを受け止めたジェクトは今一度キルヒェを強く抱き締めると、何度か軽く背中を叩いてからゆっくりと体を離した。
その様子を黙って見ていたブラスカが、静かに口を開く。
『ジェクト』
『なんだ、止めても無駄だぞ』
『すまん……いや、ありがとう』
その一言ですべての折り合いが付いてしまったのだと、その時強く感じた。ブラスカとジェクトの間に何か、他者が介入することの出来ない契りが結ばれて、それが揺るぎないものとなってしまったような。
きっとブラスカは、キルヒェを祈り子に選ぶ気など毛頭なかったのだろう。この時ほど、自分が彼らよりもずっと子供だということが悔しかったことはない。
『ブラスカにゃ、まだ『シン』を倒すって大仕事が待ってる。二人とも、オレの分までブラスカを守れよ。……んじゃ、行くか!』
『ブラスカ様! ジェクト!』
いつものように不敵な笑顔を見せながら、ジェクトは歩き出す。が、アーロンは引き下がることなく、なおも二人を呼び止めた。
『『シン』は何度でも蘇る! 短いナギ節の後でまた復活してしまうんだ! この流れを変えないと、二人とも無駄死にだぞ!』
『だが、今度こそ復活しないかもしれない。賭けてみるさ』
冷静さを欠くことなく、やんわりと微笑むブラスカ。対してジェクトは、わずかに思案する素振りを見せる。
『ま、アーロンの言うことももっともだ。……よし、オレがなんとかしてやる』
『何か、策があるというのか?』
『無限の可能性にでも期待すっか!』
豪快な高笑いが広間に響く。
その場には、仲間を止められなかった無念に膝をつくアーロンと、二人が去った方向を見つめたまま立ち竦むキルヒェの姿だけが残った。
『……ねえ、おかしいかな、アーロン』
重く冷たい静寂の中、ぽつりと響いた少女の声のなんと心許ないことか。それでもかつての自分は、無力な体で精一杯の虚勢を張って振り返る。
そして。
『私……まだ、諦めたくないんだ』
涙でぐしゃぐしゃに泣き濡れた顔に不恰好な笑みを貼り付けて、そう言った。
現実のアーロンが太刀を振りかぶり、過去の自分の幻影を何度も斬り付ける。籠められた力から伝わってくる、痛いほどの後悔。彼が死人になってスピラに留まる、その理由。
「そして……何も変わらなかった」
引き絞るようなアーロンの言葉を受けて、ティーダが一歩進み出る。
「オレたちが変えてやる」
「どうやって! 作戦なんて何もねえんだろ?」
「誰かが祈り子になる必要があるなら……私、いいよ」
「オレもだ、ユウナ!」
ルールーとワッカが名乗りを上げる。二人共、ユウナを本当の妹のように大切に思ってきた。ガードになると決めた時点で、彼女のために命を捨てる覚悟はしていたのだろう。
だが、それでは意味がないのだとティーダは声を張る。
「それじゃあオヤジたちと一緒だろ! ナギ節つくって……そんだけだ! また復活しちゃうだろ!」
「あのな……『シン』を倒してユウナも死なせねえ、そんで『シン』の復活も止めたいってか? 全部叶えれば最高だけどよ!」
「欲張りすぎたら……全部失敗するわ」
彼らの懸念はもっともだ。十年前の自分もそうだった。理想のために何かを犠牲にすることを恐れて、未知の可能性に踏み出すことが出来なかった。
けれどティーダは、その運命を頑なに拒んだ。
「イヤだ、欲張る」
「青くさいこと言うなよ!」
「青くてもいい! オトナぶって、カッコつけてさ。言いたいことも言えないなんて絶対イヤだ! そんなんじゃ、何も変えられない! オレ……この青さは、なくさない」
キルヒェは思わず目を細めた。少年の瞳があまりに純粋で、眩しくて。あの頃の自分たちが成し遂げられなかったことを、彼はこんなにも真っ直ぐに言い放ち、全力で叶えようとしている。
「どうしたらいいかなんて分かんないよ。でも、十年前のアーロンが言ってたこと……オレも信じるッス」
「無限の……可能性?」
リュックの瞳にも、わずかに希望の光が戻っている。
「うん。オレ、行ってくる。ユウナレスカに話聞く」
「聞いたら、なんとかなるのかなあ?」
「さあな、分かんないけど……オレの物語、くだらない物語だったら、ここで終わらせてやる!」
「待って」
一連の会話を黙って聞いていたユウナが口を開く。
「ねえ……わたしにとっては、わたしの物語なんだよ。振り回されてちゃ、ダメ。ゆらゆら揺られて、流されちゃダメ。どんな結末だってきっと後悔する。そんなの……いやだ。わたし……決める。自分で決める!」
確固たる意思を持って、ユウナが踏み出す。その一歩をきっかけに、仲間たちは駆け出した。階段の先、ユウナレスカの待つ魔天へ。
どこまでが現実で、どこからが幻想なのか。星々に手が触れそうなほど近くに感じる夜空。漆黒の海に、まばゆいほどの銀河がきらめく。瓦礫は無数の幻光中とともにふわりと浮き上がり、ゆるやかな曲線を描きながら宙を舞っている───そんな美しくも異質な風景を背に、彼女は再度問う。
「祈り子となる者は決まりましたか? 誰を選ぶのです?」
「その前に、教えてください。究極召喚で倒しても、『シン』は絶対に蘇るのでしょうか」
ユウナの質問に、ユウナレスカは頷いた。
「『シン』は不滅です。『シン』を倒した究極召喚獣が新たな『シン』と成り変わり……必ずや復活を遂げます」
「そんでオヤジが『シン』かよ……」
『シン』とはスピラが背負った運命であり、永遠に変えられぬ宿命なのだと、彼女は説く。
けれどエボンは、人々の行い次第でその悪夢に終わりが来ると啓蒙していた。民はその教えだけを心の拠り所に、苦しい生活の中にも一縷の望みを抱き続けていたというのに。
「永遠にって……でもよ! 人間が罪を全部償えば、『シン』の復活は止まるんだろ? いつかはきっと、なんとかなんだろ!?」
ワッカが縋るように叫ぶ。機械を使った作戦で弟を失った彼にとって、寺院の教えは自分自身を納得させるためのよすがでもあった。
しかしユウナレスカは、その希望を無慈悲に切り捨てた。
「人の罪が消えることなどありますか?」
「答えになってません!」
ルールーの悲痛な声が響く。彼女がこれほどまでに感情を露わにすることは初めてだった。
「罪が消えれば『シン』も消える……エボンはそう教えてきたのです! その教えだけが……スピラの希望だった!」
「希望は……慰め。悲しいさだめも諦めて、受け入れるための力となる」
「……ふざけんな!」
強い怒りを帯びたティーダの叫びに、もう一つの声が重なる。召喚士を失い、戦友を失い、ただ一人残された、あの男の。
『ただの気休めではないか! ブラスカは教えを信じて命を捨てた! ジェクトは、ブラスカを信じて犠牲になった! そしてキルヒェも……そんなブラスカを救おうと、最後まで……!』
『信じていたから、自ら死んでゆけたのですよ』
グアドサラムでの夜、アーロンは言っていた。どうやっても勝ち目のない相手に立ち向かったのだと。あの時は少し意外に感じたけれど、そんな無謀な男には到底思えなかったから、何か理由があるのだろうとは思っていた。
だけど……今なら分かる。これが、彼の死の真相なのだろうと。
目を背けたかった。
耳を塞いで、蹲って、この場所で巻き起こるすべての現実を遠ざけてしまいたかった。
でも、それは出来ない。
彼を愛しているから。
あの人の命を奪うに至ったその瞬間を、他でもないこの目に、記憶に焼き付けておくべきだと思うから。
太刀を構えたアーロンが、咆哮とともにユウナレスカに飛び掛かる。しかし彼女が手を翳した瞬間、その体は軽々と宙を舞い、無惨に叩きつけられた。
鮮やかに散る血飛沫。地面に突き立つ太刀。力なく横たわったままの体。今すぐ駆け寄りたい衝動を抑えて、瞬きひとつ落とさずすべてを見届ける。やがて幻影は、空気に溶けて静かに消えた。
「究極召喚とエボンの教えは、スピラを照らす希望の光。希望を否定するのなら、生きても悲しいだけでしょう。さあ……選ぶのです。あなたの祈り子は誰? 希望のために捧げる犠牲を」
現実のユウナレスカが、アーロンを屠った時と寸分違わぬ涼しげな顔で偽りの希望へといざなう。
「……いやです」
普段のユウナと変わらない、静かな声だった。けれど、そこには断固とした意思が感じられた。変わることを拒み、かりそめの救済で民の目をくらまし続ける世界への拒絶。
「死んでもいいと思ってました。わたしの命が役に立つなら……死ぬのも怖くないって。でも……究極召喚は……何ひとつ変えられないまやかしなのですね」
「いいえ、希望の光です。あなたの父も……希望のため犠牲となりました。悲しみを忘れるために」
「違う、父さんは……父さんの願いは! 悲しみを消すことだった。忘れたり、ごまかすことじゃない……」
彼女の声が、横顔が、いつかのブラスカの面影と重なる。最後まで……たとえ今際の際にあっても、希望を手放すことのなかったあの人。
「父さんのこと……大好きだった! だから……父さんにできなかったこと、わたしの手で叶えたい! 悲しくても……生きます。生きて、戦って、いつか! 今は変えられない運命でもいつか……必ず変える!」
ユウナはそう言って、揺るぎない瞳を向けた。ユウナレスカ───自身の名の由来となった、かの偉大な召喚士へと。
「まやかしの希望なんか、いらない……!」
「哀れな……自ら希望を捨てるとは。ならば……あなたが絶望に沈む前に、せめてもの救いを与えましょう。悲しい闇に生きるより、希望の光に満ちた死を。すべての悲しみを忘れるのです」
ユウナレスカの周りに禍々しい気が集い、みるみる内にその姿を変貌させていく。相変わらず美しい女性の容姿をしているが、魔物としか形容し難い風貌と彼女が放つ圧倒的なプレッシャーに、背筋を冷や汗が伝う。しかし同時に、抗いようのない高揚感が身を包んでいた。
「───さあ、どうする!」
変わり果てた聖女を前に、アーロンが叫ぶ。
「今こそ決断する時だ。死んで楽になるか、生きて悲しみと戦うか! 自分の心で感じたままに、物語を動かす時だ!」
その言葉に突き動かされるように、皆がそれぞれの想いを、決意を表明していく。
そのひとつひとつに耳を傾けながら、キルヒェは自分の胸にそっと手を当てた。
ユウナレスカの真意は分からない。民を螺旋の存続のための贄としか見ていなかったのか、それとも心から究極召喚を唯一の希望と信じて授けていたのか。あるいは、夫を捧げたその方法を否定したくなかっただけなのかもしれない。
いずれにせよ、千年もの間留まり続けるほどの強い念を抱いていたのは確かだ。けれどそれが相容れないものである限り、剣を向けねばならない。こちらにも、絶対に譲れない想いがあるから。
「……個人的な事情で申し訳ないけど、これは敵討ちでもあるんだよね」
アーロンだけじゃない。ブラスカ、ジェクト、両親やフィオ、シーモアと母……そして自分自身。真実を覆い隠され、『シン』に踏み躙られ、それでも小さな希望を胸に懸命に生きた、すべての者達の。
「私は自分と、自分が信じるもののために……ユウナレスカ、あなたと戦う!」
白刃を構え、強く地を蹴り、真っ直ぐに駆け出す。
「アーロン!」
「ああ」
宿敵から目線を逸らさずに名前を呼べば、彼もまた眼前を見据えたまま答える。それ以上、言葉は要らなかった。
断ち切るは、世界を縛める鎖。
スピラの命運を賭けた戦いが、今、始まろうとしている。
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