軌憶の旅 Ⅲ
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やわらかな緑色に少しずつ淡雪が混じり始め、視界は次第に白く染まっていく。眼前に聳えるのは、人の歴史とは比べ物にならないほど長い時をかけて築かれた、大いなる自然の産物───霊峰ガガゼト。
荒く削られた断崖に、年間を通して溶けることのない積雪。その尾根は立ち入る者の覚悟を問うように隆々と張り出している。
麓の山門を訪れた一行の前に立ちはだかったのは、この地に住まうロンゾ族の長、ケルク=ロンゾだった。
つい先日まで四老師の一人であった彼に反逆の罪を問われても、ユウナが毅然とした態度を崩すことはなかった。スピラが好きです───寺院に追われる身となっても旅を続ける理由を、彼女はどこまでも素朴で純粋な言葉で語った。
そしてガードであるキマリもまた、誇りのために槍を振るい、因縁の相手を打ち負かした。しかし、彼は単に同族の戦士に勝利したわけではない。自分自身、すなわち長らく恥辱として付き纏っていた己の過去に打ち勝ったのだ。
ロンゾの一族はそんな彼らを認め、歌声と共に見送った。幾重にも重なり合って響く低い声は、真白い雪に覆われた岩肌だけでなく、キルヒェたちの心までもを震わせる。
それは歓迎であり、激励だ。反逆の汚名を科せられていると知ってなおユウナの覚悟を尊重するという、一族共通の意思だった。ともすれば不義に加担していると捉えられかねない行為であり、寺院が知れば糾弾されるだろう。
それを承知の上で送り出してくれた彼らに報いる唯一の方法は『シン』を倒すことだ。この重みを、忘れてはならない。勇ましい声に奮い立たされるように、キルヒェたちは白銀の地へと足を踏み入れた。
今まで以上に強力な魔物に険しい地形、そして何より、体力と気力を奪う雪。過酷な環境に消耗は禁じ得ないが、途中何度か休息を挟みつつ、中腹までの道のりを進む。
片側が崖になっている平場を通り過ぎ、薄暗い岩屋に差し掛かろうとした、その時だった。
「おっちゃん! キルヒェ!」
背後から響く、リュックの切迫した声。何があったのか問い返すより早く、彼女は続ける。
「あいつがっ……シーモアが!」
その一言で事情を察し、即座に踵を返す。
駆け付けた先でティーダが対峙していたのは、まさしくベベルで退けたはずのシーモアだった。
ナギ平原の北端で出くわしたグアドの言葉が脳裏に蘇る。ユウナを取り戻すためにシーモアが放った刺客である彼らは、自らに下された令についてこう語っていた。『死体でも構わぬ』と。
前へ進み出たユウナが、彼を異界へ送るべく杖を掲げる。しかし、それを薄い笑みで一蹴し、シーモアはその端正な唇を開いた。
「異界送りか。……その前に、ロンゾの生き残りに伝えたいことがある」
『生き残り』───そんな言葉に、キマリは表向きには動じなかった。が、それでも彼の纏う空気に緊張が走るのが分かった。頭の奥で警鐘が鳴り響く。シーモアがここにいるということは……つまり。
「実に……実に勇敢な一族だった。私の行く手を 阻もうと捨て身で挑みかかり……ひとり、またひとり」
「ばかな……」
言葉を失うキマリに唇の弧を深め、シーモアは再びユウナへと視線を戻す。
「そのロンゾの悲しみ、癒してやりたくはないか?」
「何を言いたいのです」
「彼を死なせてやればいい、悲しみは露と消える。スピラ……死の螺旋に囚われた、悲しみと苦しみの大地。すべて滅ぼして癒すために、私は『シン』に……そう、あなたの力によって」
そう言って、彼は手を差し伸べた。以前にも同じような光景を見たが、その目の奥はあの時とは比べ物にならないほど暗い。まるで視線の先にあるものを映していないような深淵に、彼がすでに人智を超えた力に呑まれつつあることを感じた。
「私が新たな『シン』となれば、お前の父も救われるのだ」
ユウナを庇うように立ち塞がったティーダに、シーモアは目を細めながら告げる。
「お前に何が分かるってんだ!」
「シーモア……」
吼えかかるティーダの背後から、キルヒェは静かに歩み寄る。
目が合った瞬間、シーモアの顔から笑みが消え去った。驚きとも、悲しみとも、恐れとも異なる表情。何かを悟ったような、揺れることのない眼差しで、こちらを見つめている。
「ああ、キルヒェ……そうか、あるいは君こそが……」
熱に浮かされたような、どこか恍惚とした声がざらりと胸の内側を撫でていく。湧き上がる感傷には見て見ぬふりをして、キルヒェはシーモアを見上げた。
「憶えているだろう? 幼い頃に交わした約束を。嘆かわしいことに、あれからスピラは何ひとつ変わっていない。だが、今の私たちには力がある。死をもって、この悲しみの螺旋を断ち切るだけの力が」
そう言って、彼は顔を綻ばせる。その表情は先ほどまでの冷徹な笑みとは異なり、子供の頃に見せた純真さが垣間見えた。
「君の手で、私は最後の『シン』となる。あの約束はそのためにあったのだ。すべての民の、真の安息のために……共に悲願を果たす日が、ついにやって来たのだ、キルヒェ……!」
せめて君にだけは、生きていて欲しいと思っていた───そう語ったシーモアはもう、いない。今になって思えば、あれはきっと彼に残った最後の良心だったのだろう。
「……あなたがどんな罪を重ねようと、私にとって大切な人であることに変わりないよ。だけど……ううん、だからこそ」
鞘から剣を引き抜き、キルヒェはその切先をシーモアへと向けた。
「シーモア、あなたは私が倒す。あなたが運命を受け入れるその時まで、何度でも」
その言葉を皮切りに、仲間たちも次々と臨戦体制へと移る。
「生への執着から解き放たれれば、君も理解するはずだ。せめて私の手で……死の安息を贈ろう」
シーモアの足元から光が立ち昇った。それは彼の体を包み込み、巨大な鎧を纏った異形の姿へと変貌させる。
シーモアの攻撃は、以前とは段違いに苛烈になっていた。元より彼自身が優秀な術者であることに加え、屈強な戦士である一族を吸収したことで、未知数の力が渦巻いているようだ。
失意のままに取り込まれたロンゾの痛み、悲しみ、怒り。そんな無念の感情が、生者を異界へと葬る槍となって襲いかかる。
嵐のような猛攻の前に、何度膝を着きそうになったことか。ユウナの召喚獣でどうにか持ち堪えているが、彼女の体力、精神力ともに限界が近い。キルヒェが召喚を代わったところで、今度は回復が手薄になるだろう。
なんとか体制を整え、反撃に移ろうとしたその矢先、シーモアの体全体が淡く発光し始めた。
白い電流のようなエネルギーが収縮し、一気に弾ける。複雑に絡み合った外殻から放たれた無数の光弾が、疲弊した体に無慈悲に降り注いだ。
灼け付くような熱に、仲間たちが次々と倒れ込む。ここで終わるわけにはいかない───奥歯を強く噛み締めた、その瞬間。
上空に、高く澄んだ声が響き渡る。
体を引き裂くような痛みが和らぎ、内側からあたたかな活力が湧き上がってくるのを感じた。
この力の正体を、知っている。他者を気遣い励ます快活な声。陽だまりのような、あの笑顔。
「フィオ……」
キルヒェの呟きに応えるようにもう一度高らかに鳴き、それは雪空の彼方から姿を現した。
燃え盛る炎を身に纏った、真紅の鳥獣。再生と希望の象徴。どんな状況においても誰かを支えようと気丈に振る舞うあの頃のままに、今、もう一度立ち上がる力を与えんとしてくれている。
シーモアの体を業火の渦で包み込むと、美しく舞い散る羽根だけを残して彼女は飛び去った。全身を浄化の炎に焼かれたシーモアは空気を引き裂くような叫びを上げながら身悶え、やがて氷雪の上に崩れ落ちた。
動かなくなった巨大な体に歩み寄り、その無機質な面差しを見つめる。
彼が今にも消滅しようとしているのを感じる。だが、その心がこの世界に縛られ続けている限りは何度でも復活するだろう。一刻も早く、解放してやりたかった。これ以上の犠牲を出さないために、そして何より、彼自身のために。
「……私には、まだやるべきことがある。だから、あなたと一緒に行くことは出来ない。だけど約束する。あなたを永久に、ひとりになんてさせない。いつか必ず、私も同じところへ行く。母さまだってそう……あの人を出口のない呪縛から解放する方法を、探すから……。お願い、私を信じて……」
肉体を失っても完全な死者になることは出来ず、世界の理に縛られながら悠久の時を過ごす祈り子。異界へ行っても会うことの出来ないひと。種族間の軋轢に追い詰められ、子を守るためにその身を捧げてしまったひと。シーモアとキルヒェの、かけがえのない母親。
「生ある限り、苦痛は免れ得ぬ……ならば死が……死こそが、唯一の……」
焦点の合わない瞳、うわごとのように呟かれる言葉に、キルヒェは両手を握り締める。もう、声は届かないのだろうか。
「シーモア……」
手を伸ばし、その頬に触れる。異形の肌は金属に似てどこまでも冷たく、生気は感じられない。けれどその仮面の奥には、まだ人としての心が息づいているような気がした。
祈るような思いで小さく息を吸い込む。こわばった唇から流れ出す、懐かしい旋律。涙を堪えているせいで、途切れ途切れで拙い。だけど、どうかほんの少しだけでも、思い出して欲しくて。
「キルヒェ……」
シーモアの姿が元の様相に重なり、彼を形作っていた鋼の輪郭がふわりと解ける。
「かあ、さま……」
一つ、二つ、柔らかな光が立ち昇った。それは虹のように少しずつ色を変えながら、灰白色の空を埋め尽くしていく。
美しい光景だった。どんなに底深い闇を抱え、人ならざるものに成り果てようと、彼の魂はどこまでもヒトであり、グアドであり、無垢な少年だった頃となんら変わりないのだと知った。
最後の一つが消えるまで見送ると、わずかに残った涙を払い除け、キルヒェは仲間たちを振り返る。
真っ先に目が合ったのは、青い色彩を纏ったロンゾの青年だった。理知的な瞳の奥が、同族を失った怒りと悲しみに燃えている。
「キマリ……」
何か言おうと口を開く。けれど、出来なかった。
シーモアの罪は、シーモア本人の罪でしかないのだ。キルヒェが謝ったところで、過去には戻れない。現実は……何も変わらない。
せめて、ロンゾ達を丁重に弔いたかった。だが、吸収された彼らには肉体すら残っておらず、魂もすでにシーモアと共に異界へと還った。何も出来ない歯痒さに、キルヒェは静かに目を伏せる。
「わたしの力で『シン』になる……」
「戯言だ、忘れろ」
先へ進むべく足を踏み出そうとしたその時、ユウナの小さな呟きが聞こえた。続く声はアーロンのものだ。
「彼が『シン』になれば、ジェクトさんが救われる……?」
究極召喚となったガードは、召喚士の力を媒体に新たな『シン』へと成り代わる。そんなサイクルがなぜ起こり得るのか、キルヒェにも分からない。唯一思い当たる節があるとすれば、十年前に一度触れた、あの黒いもやのような存在くらいか。
「何か知ってるなら教えてください!」
アーロンは答えなかった。実際に彼女たちが真実をその目にするまでは、彼の口から何かを話すことはないのだろう。
「教えて」
ユウナは視線をティーダに移し、なおも問いかける。わずかな逡巡ののち、彼はどこか決心したように口を開いた。
『シン』は自分の父親なのだ、と。
「『シン』はオレのオヤジだ。オヤジが『シン』になったんだ。理屈とか……そういうの、よくわからない。でも、オレ……感じた。『シン』の中にはオヤジがいる。オヤジがスピラを苦しめてるんだ」
ユウナの戸惑いは和らぐことなく、むしろ深まってさえいるように見えた。しかし、その瞳の奥には未だ揺らぐことのない決意の火が灯っている。
「……ごめん。たとえ『シン』がジェクトさんでも、『シン』が『シン』である限り、わたし……」
「分かってる、倒そう。オヤジもそれを望んでる」
キルヒェは静かに歩み寄ると、胸の前で固く手を握るユウナの肩にそっと触れた。
「私も、何もかも知ってるわけじゃないの。まだ、分からないこともたくさんあって……」
記憶を取り戻したからといって、すべてを理解したわけではない。けれど、誰かの口から聞いたのでは意味がないと思うから。自分の目で、肌で確かめたい。その結果、どんな痛みが伴うとしても。
「だから、ユウナ。一緒に行こう。ザナルカンドに行って、私たち自身の目で確かめよう」
ガガゼトを越えれば、ついにザナルカンドへと辿り着く。そこには胸を抉るような記憶の残像と、螺旋の中で悠久の時を過ごすあの女性が今なお待ち受けていることだろう。
すべてを知ったその時、仲間達は何を思い、選択するのだろう。けれど、彼らならきっと……。
後悔や悲しみは歩んだ道のりに残して。今はただ、小さな希望だけを胸に進むしかない。
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