軌憶の旅 II
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悠々と流れる大河と、岸辺に咲く淡い桃色の花々。その可憐な花弁に戯れるように、たくさんの幻光虫がふわふわと舞う。
そんな趣のある光景をバックに、未だ酒の抜け切らない大男が背中を丸めて座っている。そして更に、それを取り囲むように見下ろす男が二人。
ジェクトが酒浸りなのはいつものことだが、今回ばかりは調子に乗り過ぎた。泥酔したあげく、魔物だと思い込んでシパーフに斬り掛かったのだ。
幸いシパーフの命に別状はなかったものの、治療費および迷惑料として有り金をすべて差し出す羽目になってしまった。
自信家のジェクトもさすがに反省しているらしい。しょぼくれて項垂れているせいで、普段よりもずっと小さく見える。だが、旅費をそっくりそのまま失ったとあって、お説教タイムはしばらく続きそうだ。
少し離れてその様子を眺めていてたキルヒェは、視線の更に先にある売店の裏手に消えていく小さな人影に気付いた。
まだ幼い子供がひとり、一体どこへ行くのだろう。周りを見渡せど、保護者らしき姿は見当たらない。
観光地である幻光河は人目も多い。しかし、それだけに物騒な事件もしばしば起こる。心配になったキルヒェは、ブラスカに少し席を外すと伝え、静かにその場を離れた。
売店の建物の影、草むらに蹲るように幼い少女が座り込んでいた。泣いているのか、小さな背中が時折震えている。
ひとまずの無事を確認したキルヒェは一旦店に戻り、売っている中で一番小さいモーグリのぬいぐるみを購入する。誰かさんのせいで金欠だが、このくらいは許されるだろう。財布分けしておいて本当に良かった。この隠し金の存在は、彼らには伝えていない。
もう一度店の裏に戻り、小さな背に歩み寄る。少女は気付かない。キルヒェが悪人であったなら、簡単に連れ去られてしまうだろう。
「どうしたクポ?」
モーグリ片手に声を掛ける。きょろきょろと辺りを見回した少女は、振り返るなり、あっと声を上げた。
「これ、なーんだ?」
「モーグリ!」
人見知りしない性格なのか、あるいはよほどモーグリが好きなのか、自らキルヒェに走り寄ってきた。
「正解! はい、どーぞ」
ぬいぐるみを手渡すと、先ほどまで泣いていたのが嘘のような笑顔を見せた。手の中を見つめ、きらきらと目を輝かせる彼女の前にしゃがみ込み、キルヒェはそのまるい瞳と視線を合わせる。
「お名前は? 年、いくつ?」
「レェレ。んと……うんとね、これ」
少し考えて、ちんまりとした手をキルヒェの前に差し出す。まだ上手くは出来ないようだが、親指と人差し指、中指がちょこんと立っていることから、おそらく3歳なのだろう。
「レェレ! かわいいお名前ね。ねえ、レェレはもうシパーフ乗った? すっごい大きかったねぇ」
「のった! あのねレェレ、お魚さんいるかなってね、見たらね、おっこちそうになって、そんで、ママにおこられた」
「そっか、ママと一緒に来たんだね」
「うん。でも……ママ、どっかいっちゃった……」
楽しそうにお喋りしていたレェレは、母親とはぐれたことを思い出してまた俯いてしまった。しかし、キルヒェはひとまず安堵する。
スピラには孤児が多い。大抵は親戚や寺院に預けられるのだが、そこで折り合いが悪かったり、もっと酷いと虐待を受けていたりして、逃げ出す子供が稀にいる。少なくとも、レェレはそういった『訳あり』ではなさそうだ。
「レェレのママ、迷子になっちゃったんだ。早く探してあげないとね」
「うん……ママ、泣いてるかも……」
シパーフに乗ったということは、おそらく南岸に着いてはいるのだろう。決して広い場所ではないが、行き違ってしまったのかもしれない。となると、乗り場の方に戻っているか、討伐隊の詰所か……。どちらにせよ、人目につかない建物の裏にいるよりは良いはずだ。
「一緒にママ、探しに行く?」
「いく!」
キルヒェの問い掛けに、レェレはぴょこんと飛び跳ねる。不安は完全に消えないものの、一人ではないという安心感が彼女を行動的にしているようだった。
「それじゃ、しゅっぱ〜つ!」
「しゅっぱ〜つ!」
大きさの違う、二つの拳が晴れ空に突き上がる。キルヒェは幼い手をしっかりと握り、一歩踏み出した。
遠目にジェクトたちの様子を伺う。まだ取り込み中のようで、幸いこちらには気付いていない。
討伐隊の詰所があるのは、もう少しジョゼ寄りに進んだところだ。となると、まずは乗り場に向かうのが良いだろう。
その予想は的中した。乗り場に戻ると、待合所の手前、レェレに似た赤毛の女性が、シパーフ使いに何かを必死で訴えているのが見えた。キルヒェがそれを伝えるより早く、レェレが彼女に向かって真っ直ぐに駆け出す。
「ママー!」
「レェレ……!」
ひしと抱き合う母娘を見て、キルヒェは胸を撫で下ろす。
再会を無事に見届け、そっと立ち去ろうとしたその時、レェレがこちらを振り返った。その視線を追った彼女の母親がキルヒェの存在に気付き、軽く会釈をする。
「あの……ひょっとして、あなたが……?」
「モーグリのおねえちゃんだよ!」
「モーグリ……? あら、レェレ! そのぬいぐるみ、一体どうしたの!」
レェレの持つモーグリを見て目を丸くする母親に、事情をかい摘んで説明する。彼女は大変恐縮し、ぺこぺこと頭を下げた。
「すみません、うちの子が……! 本当に、なんとお礼を申し上げたらよいか……。あの、良かったらこれ、召し上がってください。大したものじゃありませんけど……」
差し出された両手には、麻の袋が乗っている。膨らみ方からして、中身はおそらく野菜か果物の類だろう。
レェレがいた店の裏手からこの場所までは、本当にわずかな距離だ。ぬいぐるみについてもキルヒェが勝手に渡しただけで、それこそ大したものではない。だから気にしないで欲しいと伝えたが、それでは気が収まらないという。
せっかくの好意を無碍にするのも気が引けるため、ここはありがたく頂戴することにした。
「本当にありがとうございました。道中、どうかお気をつけて」
「モーグリのおねえちゃん! またねー!」
何度も頭を下げる母親に手を引かれ、レェレは去っていく。小さな手を広げ、懸命に振りながら。
そんな彼女らと入れ替わりに、見覚えのある三人の男が歩いてきた。ブラスカも、ジェクトも、そしてアーロンまでもが、その顔に何か言いたげな笑みを浮かべている。
「モーグリのおねえちゃん……か」
「全く、意外な一面もあったものだな」
「……いつから」
見ていたのだろうか。キルヒェは恨めしそうな視線を送るが、ブラスカはにこやかに微笑み返す。
「私たちは、今しがた来たばかりだよ。君も見ていただろう?」
そうは言うが、彼らの表情を見るに、少し前からこちらの様子を伺っていたのだろう。居た堪れなくなって目を逸らすキルヒェに、ブラスカはなおも問い掛ける。
「キルヒェは子供が好きなんだね。どうしてだい?」
「……そんなこと、知ってどうするんですか」
「理由なんかないさ。ただ、知りたい……そう思うのは、そんなに不自然なことだろうか」
力でこじ開けようとすれば頑なになる。しかし、ブラスカはその逆だった。彼には嘘やごまかしが効かない。
適当にあしらうことも出来るはずなのに、キルヒェは自らの意思に反して真剣に考え込んでしまった。
子供といえど、当然ながら無邪気なばかりではない。中には驚くほど性格の捻じ曲がった子もいる。幼いからといって侮っていると、大人顔負けの気遣いや演技を見せることだってある。
それでも、キルヒェは彼らと触れ合うのが好きだった。
「別に……生意気な子もいるけど、なんだかんだかわいいし……見てて面白いし」
それに……なんだろう。自分でも、なぜなのか分からなくなって口を噤む。しかしブラスカはそれを許さなかった。
「他には?」
問い掛ける瞳には、無理に追求しようという厳しさは感じられない。彼の言う通り、純粋な興味から来る発言なのだろう。しかし、その興味というのは決してこの場限りのものではなく、どこか希望が込められているように思えた。例えば、真心を知れば、人と人は真に分かり合えると信じているかのような。
「……子供は、未来だから」
消え入りそうな声で、キルヒェは呟いた。ブラスカたちはじっと耳を澄ませ、次の言葉を待っている。
「子供はいつかの大人で、未来を作ってくれる人だから」
───もしかしたら。
彼らとの触れ合いを通して、あの頃救えなかった子供たちを間接的に慰め、癒したいだけなのかもしれないけれど。姉と引き離され荒波に飲まれた少女や、廃墟同然の寺院で母と暮らす少年、そして……かつての自分自身を。
未来であるということは、同時に、過去でもあるということだから。
「……話すんじゃなかった。野営地まで少し距離がある。日が暮れる前に行きましょう」
三人の間を通り抜け、足早に歩を進める。
「……悪い子では、ないんだろうね」
「ったく、なーにが『子供は未来』だ。自分だってガキんちょのくせしてよ」
そんなブラスカとジェクトの会話が聞こえてきたが、気付かない振りをした。
歩くたびに抱えた麻袋が揺れ、どこかやさしい重みを腕に伝える。遠慮しておきながら都合の良い話だが、宿泊すらままならない現状、食べ物の存在は純粋にありがたい。
この道を進めば、再びジョゼに辿り着く。第二の故郷であるはずのその場所が、今はとても遠い存在に感じられた。