軌憶の旅 II
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見た目に違わず、ジェクトは豪快な男だ。
よく食べ、よく飲み、よく笑う。
他人とのコミュニケーションも積極的に楽しむタイプのようで、特にブラスカとは対照的な性格でありながらも、同じ歳の子供がいるとあってしばしば話に花を咲かせていた。
ジェクトの息子は7歳で、ティーダという名前らしい。
口先ではあいつは泣き虫だなんだと馬鹿にしながらも、本心では可愛くて仕方ないのだろう。子供の話をする時はいつも頬が緩んで、隠しきれない愛しさが滲んでいる。
青く輝く森や、雷の止まぬ荒野。そんな目新しい景色に出会うたびに、彼は嬉々としてスフィアに映像を収めていた。無事に帰還を果たしたその時は、ザナルカンドにいるあいつに見せるのだと。
───そう、ザナルカンド。
召喚士が目指す極北の聖地ではない。無数の人工的な光に彩られた、眠らない街。
千年の時を超えてやって来たのか、あるいはこの世界のどこかにもう一つのザナルカンドが存在するのか……いずれにせよ、現実性に欠ける話だ。
おそらく『シン』の毒気か何かにあてられて、記憶に異常をきたしているのだろう。そう考えるのが自然だが、それにしては妙に信憑性がある。実際に、どこか遠い世界から来たのだと信じてしまいたくなるような。
スピラの人間は、誰しも影を背負っている。
どれだけ見て見ぬふりをしようとも、逸らした視界の隅まで追いかけてくる影を。それは、ありふれているあまりに日常と化した『死』への恐怖だった。
しかし、見知らぬスピラの景色に純粋な驚きを見せるジェクトの瞳は、そんな仄暗さを一才感じさせない無垢な子供のようだ。記憶がないというだけでは説明の出来ない、根本的な違い───それこそが、『シン』のない世界から来たことを裏付けているようで、時折彼がひどく眩しい存在に思えた。
「うおりゃああ!」
闇雲に───本人にとってはそうではないのだろうが、少なくとも他者からすれば配慮に欠けた勢いで、ジェクトは大剣を振り回した。
重厚な刃に押し潰された魔物は幻光虫と化したが、危うく横で戦っていたアーロンを掠めそうになり、絶え間ない雷鳴を凌ぐほどの怒号が轟いた。
「ジェクト! 何をしているんだ!」
手早く残りの魔物を仕留めたアーロンが、眉を吊り上げてジェクトに詰め寄る。
「わぁるかったって! ま、結果的に当たらなかったんだから大目に見てくれや」
「今当たらなかったからといって、次も同じとは限るまい。もっと周りをよく見て戦え。こんな調子では、そのうちお前のせいで異界行きだ」
背を向けており表情は窺えないが、頭をがしがしと掻いているジェクトの姿が目の端に映った。
「キルヒェ、お前もだぞ。いい加減その無茶な戦法を改めろ」
我関せずを貫こうとしていたキルヒェだったが、予期せず自分に矛先が向き、密かに小さく息を吐く。
「慣れない内は無理に前に出ず、上手く距離を取りながら戦え。それでは命がいくらあっても足りんぞ」
アーロンの言う通り、些か防御を顧みない立ち回りをしている自覚はある。しかし、慣れない間合いに対する戸惑いや、実力不足から来る焦りがキルヒェを駆り立てていた。
「あなた達が苦戦してたエレメントを仕留めたのは私だけど。そんなに言うなら魔法のひとつくらい覚えたら?」
「魔法での支援は純粋に助かる。だが、何もお前だけで戦っているわけではない。すべて一人でこなそうとすると堪えるぞ。そんなに傷をこしらえて……アイテムやブラスカ様の魔力にだって限りがあるんだ」
「自分の傷くらい自分で治す。どうぞご心配なく」
大したことはないと放っておいた浅傷に手を翳し、手早く魔法を発動する。治癒に伴う、ピリッとした痛みがわずかに走った。
「……私たちはまだ出会ったばかりなんだ、そんなにすぐに連携が取れるはずがないさ。しかし、確かにキルヒェやジェクトの動きには少々ぎこちなさを感じるね」
それまで静かにやり取りを見守っていたブラスカが歩み寄り、ジェクトからキルヒェ、そしてアーロンへと順に視線を巡らす。
「そうだ、アーロン。彼らに稽古を付けてやってくれないか。手が空いている時でいい、旅に支障がない範囲で指南してやって欲しい」
んああ? とも、んええ? ともつかない、けれどいかにも不服そうな呻き声がジェクトから漏れる。一方アーロンは黙しているものの、眉間にはくっきりと皺を寄せている。
「なぜ俺が……第一、フォローしなければまともに戦えないような人間など連れ歩くだけ無駄でしょう」
「そう言わずに、頼むよ。今は難しくとも、いずれ仲間の存在が助けとなる時が来るだろうから」
ぐう、と低く唸って、それきりアーロンは口を噤んだ。この青年は、敬愛する召喚士の頼みにはめっぽう弱いのだ。
それにしても……自分の力不足が招いた結果とはいえ、面倒なことになった。出来れば彼らとは、必要以上に関わり合いたくないのだが。
雷平原を抜け、再びグアドサラムに到着する。異界へと続く別れ道に差し掛かり、参拝するか否かという話題になった時、ブラスカは普段と変わらぬ表情で告げた。
「妻に、会ってくるよ」
その一言で、彼の配偶者が故人であることを知る。他の二人はすでに聞かされているのだろう。驚く様子もなく、ただ神妙な面持ちで立っている。
「故郷に戻る途中で……『シン』に、ね」
無言のキルヒェが先の言葉を待っているように思えたのか、ブラスカはそう付け加えた。しかし、キルヒェが考えているのはブラスカのことでも、彼の妻のことでもない。二人の娘、ユウナ。ジェクトの息子と同じ、7歳の女の子。
「……ユウナちゃん、いま一人なんですか」
「キルヒェ」
口をついて出た問いに咎めるようなニュアンスを感じ取ってか、アーロンがキルヒェを牽制する。
「ユウナのことは、信頼出来る同僚とその家族に任せている」
「私、てっきり奥さんが一緒だとばかり」
キルヒェの言葉を受けて、ブラスカは何かを思案するように俯く。しかし、再び顔を上げた彼は、その瞳に強い光を宿していた。
「ユウナには、辛い思いをさせている。だが、それでも私は召喚士としての道を選ぶよ。『シン』を倒し、彼女の未来を照らす道を」
キルヒェは密かにはっとする。「アルベドと結婚した召喚士」に対する批判的な風評はキルヒェ自身も感じた。
エボンの総本山であるベベルにおいては、その風当たりは更に強いものとなるだろう。ヒトとアルベドのハーフであるユウナも、不当な扱いに晒されることになる。
───もし私たちが『シン』を倒したら、みんな喜ぶよね? そしたら誰も、シーモアや母さまにひどいことしようなんて思わなくなるよね?
それは幼いキルヒェにとっての一筋の光だった。究極召喚の真実も碌に知らない子供の、幼稚な思い付きでしかなかったけれど。それでも理不尽な差別に対抗するせめてもの手段であり、希望だった。
ブラスカの真意は分からない。しかし、愛する娘の未来を覆う影が『シン』だけでなく、その境遇をも意味するのだとしたら。
「……ユウナちゃんを悲しませないためにも、俺たちがブラスカをしっかり守ってやらねえとな」
何も知らないジェクトが、重い空気を変えようと明るい声を出した。彼は、ブラスカが召喚士の務めを終えれば家族の元ヘ帰れるのだと信じている。
ブラスカが晴れて『シン』を倒した暁に、ユウナにはどんな未来が待ち受けるのだろう。おだやかなナギ節、偉業を成し遂げた父への賛美、差別からの解放……。
キルヒェは何の接点もない、会ったことすらもない少女の元へ駆けつけたい衝動に駆られた。ベベルで一人、父のナギ節を待つユウナの側で、その小さな手を握り締めたい。
けれど、同時に思うのだ。彼女が感じている孤独は、キルヒェがフィオに強いていた我慢と同じなのだと。
天に続くように伸びる階段の先に開かれた異界への入り口は、来訪者を歓迎しているようにも、拒絶しているようにも見えた。
生者の想いに応え、姿を現す幻影。そんな姿かたちだけのものに縋ることは弱さに他ならないと嗤う者もいるが、必ずしもそうではないとキルヒェは思う。
異界で死者に会うことは、その者の死と向き合うことだ。誰がそこに現れても、あるいは現れなくても、突き付けられた事実を受け入れなければならない。
だから、先の旅でもこの結界の向こうへは行っていない。フィオもジァンも孤児だ。両親の顔すらもあまり記憶にないようだから、異界の話題すら出なかった。
「なんだあ? 行かねぇのか?」
目的地を前に足を止めたキルヒェを、ジェクトが振り返る。
「会いたい人、いないから」
嘘だ。たとえ幻だとしても、彼らの姿を一目見たいと願わないはずがない。
しかし、ここで会えるのは死者だけだ。もし、両親や妹が現れたら? あるいはシーモアや、彼の母が。そして、フィオが……。
異界へと向かうブラスカ達を見送って、キルヒェはその場に残った。やっと一人になって肩の力を抜けるかと思いきや、留まった人間がもう一人。階段の上に向けていた視線をキルヒェへと移し、訝しげに目を眇める。
「お前……誰かを探しているのか? この街に来てから妙に落ち着きがないように見えるが」
人を探しているのは事実だった。望みは薄いが、もしかしたらと思わずにはいられない。
以前訪れた際は、街の人々に聞き込みもした。ほとんどのグアド族は閉鎖的ゆえに多くを語ろうとしなかったが、話の端々にある親子の存在が垣間見えた。族長ジスカル=グアドと、彼が婚姻を結んだヒトの女性。そして、彼らの間に生まれた子供。
異なる種族の架け橋として友好の証となり得た存在は、一部の純血を重んじる者達にとっては忌々しき不浄の象徴でしかなかった。そうして尊い希望は、母親と共に孤島の廃墟へと流されたのだ。
それにしても、このアーロンという男の観察眼には感心する。ジェクトは彼の小言に辟易しているようだが、口を出したくなるのも細部に気付いてしまうがゆえなのだろう。
「……関係ないでしょ。ていうかなんでいるの。監視?」
階段の縁に腰掛けながら、キルヒェは溜息混じりに素っ気なく答える。
「それもあるが……俺もお前と同じだ。あいにく、両親の顔も覚えていない」
「ブラスカさんを放っといていいわけ?」
アーロンの性格上、ブラスカがどこへ行こうとすぐ駆け付けられるよう、常に側に控えていると思ったのだが。
「ブラスカ様も、一人で考えたい時くらいあるだろうからな」
彼なりに気を遣ったのだろうか。ジェクトとは違い、アーロンとブラスカの関係は数日で築かれたものではないことは分かる。しかし、この生真面目な青年がアルベド族と結婚したブラスカを慕うのが、少々意外にも思えた。
「……アルベドのこと、何とも思わないの。僧兵なんでしょ」
「正確には"元"だがな」
キルヒェの言葉を訂正しながらも、答える気はあるらしい。片手を顎に当て、少し思案する。
「彼らの、機械を使った暴挙には正直手を焼いている。規制しようにも、こちらのルールや常識が通用しない」
実際に苦労させられた経験があるのか、やれやれと肩を竦める。
「しかし厄介なのはヒトとて同じ、結局は個人による部分が大きい。既存の掟に縛られないのも、裏を返せば我々とは違う物の見方が出来るということだ。ブラスカ様も、異種族との交流を通して多角的な知見に触れていらっしゃった」
興味のない振りを通すつもりが、つい真面目な顔で耳を傾けてしまった。ブラスカの影響が大きいのだろうが、彼もただの四角四面というわけではないのかもしれない。
「……グアドも」
グアドも、そうなら良かったのに。
異種族であっても分け隔てなく手を差し伸べるフィオや婚姻まで結んだブラスカほど肯定的でなくてもいい。異質な存在を受け入れてくれる人物が周りにもっといたならば、彼らは苦しまずに済んだのに。
「グアド? ああ……確かに排他的すぎる傾向があるとは思うがな。そうならざるを得なかった背景があるのだろう。年代によっても差があるように見える。個人差はあれど、彼らも少しずつ変わっていこうとしているのかもしれないな」
思わずこぼれ落ちたキルヒェの呟きを、アーロンは自分への問いと受け取ったらしい。
彼からすれば、単に自分の意見を述べただけに過ぎない。それなのに、キルヒェは無性に救われたような、同時にやるせないような、複雑な感情が込み上げてくるのを感じた。
目の奥がツンと痛む。悟られたくなくて、不自然に思われないようさりげなく顔を背けた。元より、視線すらもアーロンに向けてはいなかったけれど。
「……まあ、どんな種族であれ、人の顔くらい見て話すのが最低限の礼儀だと思うがな」
自ら話を振っておきながら無関心な素振りを見せるキルヒェに呆れたのだろう。アーロンは面白くなさそうに、フン、と小さく鼻を鳴らす。
「じゃあ、もう話さない。それでいいでしょ」
こんな話、最初からすべきではなかったのだ。アーロンも異議はないようで、腕を組んだまま黙り込む。
それからしばらくして、ブラスカとジェクトが戻ってきた。故人を前に思うことがあったのか、二人ともどこか腹を据えているような面持ちに見える。しかしキルヒェも、そしてアーロンも、その理由を問うことはなかった。