軌憶の旅 II
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どのようにしてマカラーニャに戻り、トマと別れたのだろう。あれから一人、亡霊のように彷徨っている。すべてが朧げで、ずっと醒めない悪夢の中にいるようだ。
しかし、頭の一部分だけは異常に鋭く冴えて、その領域をただ一つの思考が占めていた。何としてでも『シン』を倒す───それはむしろ今までよりも深く、より堅固に深層へと根付き、キルヒェを突き動かす原動力となっていた。
通行人への聞き込みや、噂話に耳を傾けること数日、やっと有益な情報を仕入れることが出来た。ベベルにいるブラスカという従召喚士が近々祈り子との交感を終え、巡礼の旅に出るのではないか、という話だ。
その召喚士の話題に触れる時、なぜか眉を顰める者も少なくなかった。だが、その理由に興味はない。『シン』に近付けるのであれば、手段は何だって構わないのだから。
早速、マカラーニャの旅行公司に部屋を取る。ベベルから南下するのであれば、宿泊の有無に関わらず、確実にこの建物の前を通るはずだ。
それまで資金が保てば良いが……いや、それ以前に噂そのものがデマという可能性もある。別の手立てを考えておくべきなのだろうが、今はそれ以上のことを考える余裕などなかった。
白銀の地にて召喚士を待ち始め、一週間が経とうとしていたある日の夕暮れ前。
広大なマカラーニャ湖の湖面が、西日を受けて輝いていた。冷えて澄んだ空気は斜光を余すことなく通し、辺り一面を金色に染め上げる。
その光の中、寺院の方角から歩いてくる複数の人影が見えた。愉しげな、というには少し棘のある声色を含んだ会話と共に、汚れひとつない金の水盆のようだった湖面に三つの影を落として、彼らはキルヒェの方へ向かってくる。
近付くにつれ、少しずつその容貌が明確になってきた。体格の良い半裸の男と、赤い着物を着た男。そしてもう一人は、重たそうなエボン風の僧衣に身を包んでいる。あれは……召喚士か。
はやる気持ちを抑え、キルヒェはゆっくりと歩みを進めた。
「───ジョゼから参りました、キルヒェと申します」
突如進路を阻むように立ち塞がった少女に、彼らは訝しげな表情で足を止める。
「召喚士ブラスカとは、あなたのことですね」
警戒、あるいは疑問を滲ませる男たちの中、僧衣の彼はただ一人、わずかな笑みを浮かべて鷹揚に頷く。
「いかにも。私がブラスカだ」
見た目通りの柔和な、けれど芯の通った声。やはり、彼が噂の召喚士だ。
あちらは大の男が三人。対するキルヒェはまだ子供と思われてもおかしくない小娘だ。場合によってはまともに取り合ってすらもらえないかもしれない。
思わず両の手に力が籠る。だが、下手な小細工など弄したところで通用しないだろう。キルヒェは眼前にいるブラスカをひたと見据えた。
「私を、あなたのガードにしてください」
彼はキルヒェの真意を推し量るように黙している。代わりに、側に控えていた赤い服の男が一歩進み出た。
「その格好……お前も召喚士ではないのか?」
おそらくガードだろう。生真面目そうな青年は不信感を隠そうともせず、キルヒェに鋭い視線を向ける。
「ガードはどうした? 一体、何が目的だ」
「まあ待て、アーロン」
矢継ぎ早に問いを浴びせようとする彼を、ブラスカがやんわりと諌めた。
「ガードになりたいと言ったね。理由を訊かせてもらえるかな」
「私は旅を辞めました。それは……私に力がなかったからです。でも、『シン』を倒したいという気持ちに変わりありません。召喚士でも、ガードであっても、『シン』を倒せるならなんだっていい」
フィオのことで同情を引くような真似だけは絶対にしたくない。だから敢えて伏せた。しかし、言ったことはすべて本心だ。
「私はアルベド族と結婚した召喚士だ。それでも?」
噂の中で人々が示していた嫌悪感の理由を、図らずしも本人の口から聞かされる。だが、キルヒェにとっては些細な事実に過ぎない。
「関係ありません。たとえ、あなた自身がアルベドだったとしても」
キルヒェは氷上に跪いた。衣服の裾が濡れ、手脚がかじかむのもいとわず、地に着かんばかりに頭を深々と下げる。体裁など、もはや気にしていられない。
「出来るなら、一人でも旅を続けたい。でも、単身ザナルカンドを目指すのが無謀なことくらい分かる。だから……どうか、お願いします」
わずかな衣擦れの音で、ブラスカが膝を折ったのだと気付く。キルヒェの前にしゃがみ込んだ彼は、肩に手を置き顔を上げさせるとその顔を真正面から見つめた。
「目を……君が歩んできた道を、見せてくれ」
深い海のように凪いだ召喚士の瞳は、視線を合わせているだけで心の内を見透かされそうな力を持っていた。
目を見ることが、果たしてどんな意味を成すのかは分からない。しかし、そこには確かに理屈を超えた魂の対話があるような気がした。それはどこか、祈り子との交感に似ている。
「決めたよ。彼女を私のガードとして迎える」
「ブラスカ様!」
立ち上がるなり宣言したブラスカに、アーロンと呼ばれた青年が目を見開く。
「お考え直しください! このような得体の知れぬ者、何を企んでいるか分かったものでは……」
「まあまあ、良いじゃねぇか……と言いてえとこだが、こんなむさ苦しいオッサン達の中に女の子がひとりっつーのも心配だよなあ」
それまで傍観に徹していた半裸の男が、頭を傾け首筋を伸ばしながらぼやいた。心配と言いつつどこか間の抜けた話し振りに、アーロンは容赦なく睨みを効かせる。
「自分の身くらい自分で守ります。足手纏いだと判断したら、その時点で置いて行ってもらっても構わない」
「そこまで言うんなら止めはしねえが……」
半裸は不安を残しつつも受け入れたようだが、アーロンは依然として納得出来ないらしい。
ごく稀にではあるが、金銭目的や権力への反発から、召喚士に危害を加えようとする輩も存在する。配偶者がアルベドであるならば、なおさら警戒するのも無理はないだろう。
当然ながら彼らを加害するつもりは毛頭ない。しかし問題は、今のキルヒェにそれを証明する手立てがないということだ。
「俺は反対だ。誰かさんの御守でただでさえ手一杯だというのに、これ以上面倒事が増えてはかなわん」
「面倒だあ? おめえはたいそう自信があるみてえだが、一人で出来ることにゃ限りがあるってもんだ。キツい旅なんだろ? 仲間が多いに越したことはねえだろうがよ」
「その旅に観光気分で着いて来ているのはどこのどいつだ」
「どうせ旅すんなら楽しいほうが良いに決まってるだろうが。そんなんだからおめえはカタブツなんだよカ・タ・ブ・ツ!」
論点であったはずの自分そっちのけで始まった口論に頭痛を起こしそうになる。実際、ブラスカは頭を抱えていた。
一刻も早くこの無意味な問答を終わらせたい。どんな方法でもいい、目に見える形で意思を示すことが出来たら───。
キルヒェは自らの長い髪へと手を伸ばした。手櫛で掻き上げ、首の後ろでひとつに纏め上げる。それを片手で押さえたまま、もう一方の手で小刀を引き抜いた。
冴えた白刃を握り込んだ髪に宛てがう。さして力を掛けずとも、少し滑らせてやるだけで細い毛髪はいとも容易く断ち切れてゆく。戒めを解かれた髪がふわりと広がり、握り締めた毛束は祈り子の放つ冷気をまとった風にさらわれて、金色の空へと舞い上がった。
どちらともなく口を噤み、呆気に取られたようにその光景を眺める男たちの中、ふ、と場に似つかわしくない笑いがひとつ溢れ落ちる。
声の主を見遣れば、ブラスカがその口元に耐えきれない笑みを浮かべていた。ガードたちですらその理由を理解しかねるらしく、困惑の表情と共に怪訝な視線を向けている。
「……ブラスカ様?」
「いや……すまない。なかなか豪胆だと思ってね。気に入ったよ」
初めは小さく肩を震わせるだけだったが、やがて耐えきれなくなったのか、あはは、と快活に声を上げてブラスカは笑った。
「アルベドと結婚した召喚士に出世の道から外れた僧兵、ザナルカンドから来た男……そこに旅をやめた召喚士が加わるなんて、なかなか型破りな取り合わせだろう? 倒してみせようじゃないか。私たちの手で……『シン』を」
ザナルカンドがどうとか聞こえた気がするが、気のせいだろうか。ともあれ、受け入れてもらえたのであればこちらのものだ。最後まで反対していた青年も、もう何を言っても主人が聞かないと悟ったのか、釈然としない顔のまま押し黙っている。
「───改めて紹介しよう。私は召喚士ブラスカ。こちらはガードのアーロンとジェクトだ」
「おう。これからは同じガード、って奴だ。よろしく頼むぜ」
ブラスカの紹介を受け、ジェクトと呼ばれた男が日に焼けた大きな手を差し出した。その無骨な外見に似合わぬ、人好きのしそうな笑顔と共に。
「……どうも」
その手を握り返すことなくただ見下ろしながら、キルヒェは事務的に答える。結果的に握手を無視される形となったジェクトは、短い溜め息と共にやれやれと肩を竦めた。
純粋な好意を無碍にするのは心が痛む。だが、これで良い。今のキルヒェに必要なのは、単なる協力者だ。
ガードとの強い絆が、召喚士をザナルカンドへと導く───そう言い伝えられているが、果たして本当にそうだろうか。その方が英雄譚として美しいというだけで、本当はザナルカンドに辿り着けるだけの力さえあれば問題ないのではないか。信頼、愛情……そんなもの、初めから存在しないほうがいい。どうせ、最後は失う旅なのだから。
マカラーニャ湖に背を向け、ゆっくりと歩き始める。落ちかけた日が、四人の影を長く映し出していた。