軌憶の旅 II
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いくつかの小さな危機や苦難を乗り越えながらも、旅は順調だった。
ジョゼを出発し、南の果てのビサイド島へ。ヴァルファーレとの交感を終えたのち折り返し、再びジョゼを越えて、更に北へと向かう。
元々ビサイドに住んでいたら楽だったのに……などと思うも、こればかりは仕方がない。
「えーと、次の予定を発表しまーす! これからマカラーニャ寺院で祈り子様にご挨拶。その足でベベルまで行くのは難しいから、途中でどっかに泊まろうね」
青く輝くマカラーニャの森を抜け、白銀の大地へと足を踏み入れたキルヒェは、地図を片手に右手を高く上げ次の旅程を発表する。フィオはその大雑把な説明に、小さな頭をこてんと傾げた。
「どっかって?」
「ベベルへの参拝者なんていっぱいいるんだから、どこかしら泊まるとこはあるでしょ」
「いつも思うけど、キルヒェの計画って雑過ぎないか……?」
「あはは! こないだもそんな調子でどこも空いてなくって、結局野宿になったよねえ。私はどこでも寝られるからいいけど、キルヒェはまた寝違えないでよ?」
呆れ顔のジァンと対照的に、フィオは快活に笑う。
そういえば、幻光河でも似たようなことがあった。観光地だからと高を括っていたところ、空いているのはぼったくり同然の宿ばかり。困惑している間にそれすらも埋まってしまい、結果野宿を強いられたのだ。
旅の厳しさを思い知る良い機会となったが、おかしな姿勢で寝ていたのか派手に首を寝違え、観光客に声を掛けられる度に妙な角度で笑顔を向けてガードの二人に笑われる羽目になった。
ともあれ、「せっかく旅するなら楽しく!」というモットーを掲げるキルヒェの願いは今のところ叶っている。
雑談を交わしながらも長い参道を越え、辿り着いたのは氷に覆われた湖の上に鎮座する荘厳な寺院。
入り口で挨拶を済ませ、試練───という名の知力と忍耐力テスト───の間へと向かおうとしたその時、広間の奥の方から何やら話し声が聞こえてきた。
「そう言われましても、今は召喚士がおりませんゆえ……」
「ご無理は承知の上です。しかし、このままでは妻の家族が……!」
「お気持ちは分かりますが、さしあたってはベベルを頼るしか……」
事情は分からないが、どうやら召喚士を探しているようだ。何度も頭を下げる中年の男性とそれを宥めようとしている僧官を中心に、数人が深刻な面持ちで話し込んでいる。
「あの、どうされました?」
「ああ、召喚士様……!」
必死に頭を下げていた男性は、振り返るなり一条の光を見出したかのように目を細めた。事態はかなり緊迫しているのかもしれない。咄嗟に言葉が出ない彼の代わりに僧官が事情を説明する。
「実は、東の海岸沿いにある村が『シン』に襲われたようなのです。ルカ発の定期船の乗組員より連絡が入ったのですが、あいにく今は召喚士がおらず……」
報告によると、定期船が着いた時にはすでに壊滅状態にあり、引き返さざるを得なかったという。生存者は発見次第船に乗せたが、その数もごくわずかで、途中で息を引き取った者もいたらしい。
最寄りのマカラーニャを頼るも召喚士がおらず、ベベルの返答を待つしかないという時にキルヒェたちが現れた、というわけだ。
「……個人的な話で恐縮なのですが、そこは私の妻の故郷でもあるのです。彼女の家族が魔物になってしまうと思うと、私は……。召喚士様、お願いします。どうかお力を貸していただけませんか」
しばし呆然としていた男性が、僧官の言葉を受けて口を開く。彼はトマという名の旅の行商人で、仕事のためマカラーニャを訪れたところ偶然『シン』襲撃の話を耳にしたらしい。
キルヒェに向かって再び深々と頭を下げる彼の肩に手を置き、顔を上げさせる。
「トマさん、どうかそんなに頭を下げないで。私たちがすぐに向かいますから」
「待ってくれ、キルヒェ」
二つ返事で了承しようとするキルヒェを引き留める声が上がる。ジァンだった。
「定期船の本数なんてたかが知れているだろう。『シン』の襲撃があったのは一体いつだ? 言いにくいことだが、俺達が着く頃にはひょっとしたら……」
「だとしても、このまま見捨てるわけにはいかないよ。私たちの役目は『シン』を倒すことだけじゃないから」
ジァンの言いたいことは分かる。しかし、仮に魔物に成り果ててしまっていたとしても徒労だとは思わない。せめて安らかに眠れるよう、この手で弔うことも大切な使命だ。それがひいては周辺地域の保安にも繋がる。
「ジァン、私もキルヒェに賛成だよ。大切な人が魔物になって人を襲う……それがどれだけ辛いことか、私たちも知ってるはずだよ」
フィオも、そしてジァンも孤児だ。フィオに関しては幼い頃の記憶はほとんどないようだが、『シン』が原因だとは聞いている。
キルヒェ自身もそうだ。両親や妹の最期をこの目で確かめたわけではないが、丁重に弔われた可能性は低いだろう。肉親が魔物となり、生への未練を抱えながら彷徨い続ける……それは遺族にとって、名状し難い悲しみだ。
最終的にはジァンも納得し、早急に現地へ赴くこととなった。そこへすかさずトマが同行を申し出る。
「こちらからお願いしておきながら、自分だけ安全な場所で待っているわけにはいきません。私も多少の心得はありますから、少しはお役に立てるはずです」
危険と分かっているだけに気が引けるが、彼としてはここで待機している方が不安なのだろう。決して無理はしないという条件で同行を依頼する。
船の手配や港までの移動を考えると陸路の方が早いということで、交通手段はチョコボに決まった。トマが元々使っていたものに加え寺院からもう一羽借り、トマの方にはフィオが、もう一方にはキルヒェとジァンが乗り合わせる。
先ほどよりはいくらか気を取り直したようだが、トマは依然として心労に顔を青くしていた。詳しく話を聞けば、ベベルにいる彼の妻は近ごろ体調が芳しくなく、行商を辞めて自宅へ戻ろうかと考えていたらしい。持病のある妻を置いて仕事をしなければならなかったこと。そんな彼女に家族の訃報を伝えなければならないこと。さまざまな苦悩が彼を追い詰めているようだった。
同乗するフィオは、そんなトマを終始気遣い続けた。取り留めのない、それでいて気が紛れるような旅の話などを続けているのが背後から聞こえてくる。
出会った頃から変わらない優しさを垣間見て、心にあたたかいものが広がるのを感じた。けれど同時に、その優しさがフィオを疲弊させるのではと心配になる瞬間がある。
だが、その点においては彼女の恋人を頼っていいのかもしれない。トマに話しかけるフィオを気遣うように、ジァンも時折歩みを緩めては彼らに声を掛けている。責務こそしっかり果たしてくれているが、本心ではフィオを優先したいのだろう。ガードと召喚士の関係上好ましいとは言えないが、彼の存在に救われていることも確かだった。
日没までにはまだ時間があるが、皆の表情に疲れが見えてきた頃。
目的地へ急ぎたい気持ちは山々だが、焦慮に駆られるあまり負傷でもしたら本末転倒だ。というわけで、中間地点にある野営地にて早めに休息を取ることになった。
携帯食料だけでは味気ないという理由で、なけなしの米を掻き集めて粥を作る。これはフィオの提案だ。どんなに質素でも、あたたかい食事を摂れば気分も明るくなってくる……それが彼女の持論だった。
「トマさん」
目の前の焚火を見つめながら粥をちびちびと口元へ運ぶトマに、キルヒェは声を掛ける。
「召喚士とかなんとかって言われてますけど、私はただの人間です。だから、起きてしまったことをなかったことには出来ない。でも……せめて奥さんのご家族が安らかに眠れるように、心を込めてしっかりお見送りします。約束します」
「キルヒェ様……」
キルヒェ越しに身を乗り出すようにして、フィオも力強く頷いた。
「うん。キルヒェ、治癒魔法はちょっぴり下手くそだけど、異界送りは僧正さまのお墨付きなんですよ。ね、ジァン?」
「ああ、そうだな。……キルヒェの治癒、効き目はあるんだが若干痛いというか、妙にビリっとくるんだよな」
「伊達に雷キノコ岩の洗礼を受けてませんから? ……ていうか二人とも、褒めるか貶すかどっちかにしてくれない?」
キルヒェたちが交わす軽口の応酬に、トマが小さな笑いを溢した。マカラーニャを発った時に比べると、彼の表情も幾分和らいできたように見える。粥を作った甲斐があったのかもしれない。
口元に笑みを湛えたまま、トマはわずかに視線を落とす。その仕草が、何か言うべき言葉を探しているように思えて、キルヒェは彼が口を開くのを待った。
「……スピラに光を齎す召喚士様の存在は、すべてのエボンの民にとっての希望です。当然、私も例外ではございません。しかし、こうして皆様と共に行動し、食卓を囲んで感じました。どんなに崇高な使命を背負われた方でも、私たちと同じように心があり、命があるのだと」
キルヒェたちとの関わりがきっかけで、これまで偶像的だった召喚士という存在を血の通った人間として見られるようになった、ということなのだろう。
こんなことを言っては罰が当たるかもしれませんが、と眉を下げながらも少し笑って、トマは続ける。
「『シン』を倒すことがこの上ない名誉であると存じております。ですが……キルヒェ様。どうか、お心のままに生きてください。それがたとえ使命に反することであっても、私はキルヒェ様の味方でございます」
「そう言ってもらえるだけで充分です。ありがとう……トマさん」
トマに微笑み返しながら、人と人との縁はこのように生まれるのだと感じた。
肩書きや種族といった枠を取り払い、ありのままの姿で対話して初めて互いを理解し合える。そうして得た絆は、例えそれを結んだ相手と離れようと、キルヒェを支え励ます糧となってゆくのだ。
気付けば日もだいぶ落ちかけてきた。空を見上げれば、夕日に染まった雲がいくつもの流線を描きながら流れている。今日という日も、キルヒェにとって無くてはならない一日だった。