軌憶の旅 II
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あたたかな土地に別れを告げ、ふたたび連絡船に乗って北上する。
キーリカからルカ、ジョゼ、そしてグアドサラムを経てマカラーニャの森まで戻って来たが、その間もブラスカがジェクトに真実を打ち明ける気配はない。
ここまで来たら、ベベルは目前だ。しかしブラスカの自宅には立ち寄らず、その足でナギ平原に向かうらしい。
『シン』は待ってはくれないから、と彼は言う。だが、本当にそれだけが理由なのだろうか。娘に会うことで、決意が鈍ることを恐れているのではないか───キルヒェには、そんな風に思えてならなかった。
ブラスカだけではない。ジェクトも、アーロンも、そしてキルヒェ自身も。ザナルカンドが近付くにつれ、それぞれの胸に口には出せない葛藤が増えていく。誰もそのことに触れぬまま、表向きは何事もないかのように日々が過ぎていった。
マカラーニャの森、野営地にて。すっかり日が暮れ、あとは休息を迎えるのみという時間を静かに過ごしていた。
目の前で焚火が爆ぜ、冷えた指先を温める。しばらくは他愛のない雑談をぽつりぽつりと交わしていたが、ふとした瞬間、空間をぽっかりと切り取ったような沈黙が訪れた。
「みんな……少し、良いかな」
まるでそれを予期していたかのように、ブラスカが神妙な面持ちで口を開く。
「どうしたんだよ、急に改まって」
「ジェクト。君にも、ちゃんと話しておきたいんだ。この旅の……本当の意味を」
なんとなく、今日がその日なのではないかと思っていた。ナギ平原以降は道のりも険しくなる。こうしてゆっくり話をする機会など、この先ないかもしれない。
「本当の意味? 『シン』を倒すんじゃねえのか?」
事情が分からないなりに、察するところがあったのだろう。ジェクトもわずかに緊張を滲ませる。
「ああ、倒すさ。そのために、究極召喚が必要だという話は覚えているね?」
「おう。そいつを手に入れるために、ザナルカンドに行かなきゃならねえんだろ」
真実を伝えるべきだと言っておきながら、その先を聞くことを、そしてジェクトの反応を目の当たりにすることを恐れている。けれど、それこそ逃避に他ならない。然るべき時が、このタイミングで来たというだけだ。
泰然と───少なくとも傍目には落ち着き払った様子で、ブラスカは真実を告げた。
「究極召喚を使って『シン』を倒したら……召喚士は、死ぬ」
「は……?」
薄闇の中、ジェクトが目を見開く。
「なんだよ、それ……。それじゃあ、『シン』を倒したらおめえは……っ、」
赤みを帯びた瞳が、火花の瞬光を受けて大きく揺れた。
「冗談、だよな? ……なあ、ブラスカ!」
ジェクトの叫びはほとんど怒声に近い。だが、彼の心を揺さぶっているものが単なる怒りでないことは明白だった。
「おめえら、知ってたのかよ……なんで黙ってた!? ……おいアーロン! おめえ、ブラスカのこと慕ってたよな!? 必死で護ってきたのは、こいつを死なせるためだってのかよ!」
「それが……ブラスカ様の決意だ」
悲痛な視線を一身に受け、アーロンは苦渋に満ちた声を絞り出す。おそらく、自分自身にも言い聞かせているのだろう。かろうじてそれだけを告げて、彼は迷いを振り切るように目を伏せた。
「なんだよ決意って……それがスピラの、世界のためだからって、たった一人犠牲になるってのかよ……!」
「なにも召喚士だけが特別なわけじゃない。たとえば討伐隊の人々も、死を覚悟の上で『シン』に立ち向かうだろう? 君たちガードだってそうだ。危険な旅と知りながら、こうして同行してくれている。召喚士の場合、その先にある死が確実というだけで、賭ける想いは同じのはずだ」
ブラスカの声は、諭すように穏やかだった。
遣り場のない感情に、ジェクトの表情が泣き笑いのような形に歪む。その姿に、先ほどまでの燃えるような勢いはない。立てた片膝に凭れるように項垂れ、彼は長い髪をバンダナごとぐしゃりと掻き乱した。
「けどよ……そこまでして倒したとしても、『シン』は復活しちまうんだろ。……それを分かってて」
「ああ。だが、決して無駄ではないさ。たとえ一年や二年……いや、たった数ヶ月だったとしても、ナギ節は人々にとってかけがえのないものだ。『シン』は、ほんの一瞬ですべてを奪ってしまうからね」
クソ、と苦々しく呟いて、ジェクトは押し黙る。しかし、その肌の下には激流のような感情が渦巻いているのだろう。
───『家族や故郷をめちゃくちゃにされて……出来ることならなんとかしてえよな』。
ジョゼでの夜、彼はそう語った。人々が『覚悟』と呼ぶものの本質を、すでに理解しているのだ。だからこそ、この不条理な痛みを、悲しみを、誰にぶつけることも出来ずに藻搔いている。
「……たとえ誰かの命と引き換えだとしても、何も手段がないよりはずっといい。私は、そう思ってる」
それまで黙って成り行きを見守っていたキルヒェが、おもむろに切り出した。
「『シン』と戦っても、戦わなくても、死ぬかもしれないことに変わりはない。それなら、選択肢は一つしかない」
ともすれば熱くなりそうな呼吸を宥めて、キルヒェは拳を握り締める。この時を待っていた。ずっと。
「だけど……ブラスカさんは死なせない」
俯いていたジェクトが、弾かれたように顔を上げる。
「『シン』は、私が倒します」
「お前、まさか……」
息を詰めたようなアーロンの呟きが聞こえたが、キルヒェはブラスカただ一人を見据えた。ガードにして欲しいと懇願した、あの日と同じように。
「あなたはここで死んでいい人間じゃない。ユウナちゃんの為にも生きなきゃ。アーロンも……それを望んでる」
「キルヒェ!」
反射的に身を乗り出したアーロンが、キルヒェの肩を掴む。
「確かに、ブラスカ様に死んで欲しくはない! しかし、だからといってお前に代わりをさせようなどとは……!」
「じゃあどうする? 誰も死なずに『シン』を倒す……そんな都合のいい方法なんてない。誰かがやるしかないんだよ」
キルヒェは両膝を揃えて座り直し、あらためてブラスカの目を真っ直ぐに見つめる。
「私は、過去に一度死んだようなものです。家族だっていません。命がけで守ってくれた人も、もう……」
「君にも、ジョゼの子供たちがいるだろう」
「あの子たちには、親や親戚がいますから。でも、あなたは違う。ユウナちゃんにとっての、たった一人の父親です。お母さんを失った時と同じ……いや、それ以上の悲しみを、またユウナちゃんに味わわせるんですか……!?」
利刃のような声が空気を震わせた。感情的にならないよう努めてはいたが、思わず語尾に熱がこもってしまう。それだけ必死だった。これを逃せば、もう後がない。
「お願いです、もう一度よく考えて。ザナルカンドまで、まだ時間はある」
しかし、そんなキルヒェの望みは、たった一言で打ち砕かれた。
「───いい加減にしてくれ」
押し殺したような響きがピリリと皮膚を撫でる。それは今まで聞いたどんな声より冷静で、理性的な怒りに満ちていた。
「甘く見てもらっては困る。君も召喚士だったのなら分かるだろう? 誰かに身代わりになって貰うなどという考えがあったら、今頃こうして旅などしていないよ。私の覚悟は、そんなに簡単に揺らぐようなものではないんだ」
「ブラスカさん……っ」
「少し、頭を冷やしてきなさい。それでもその馬鹿げた考えを捨てられないというのなら……残念だけれど、ここでガードを降りて貰うよ」
「っ……」
視線に促されるまま、キルヒェは立ち上がる。しかし、足は縫い止められたようにその場を動こうとしなかった。
易々と引き下がるわけにはいかない。ここで諦めたら、自分は今まで何のために───。
「……あなたが『シン』を倒したら、いつかユウナちゃんも召喚士になるかもしれない。父の背中を追って、いずれ自分もと」
「それがユウナの意思ならば、私に止める権利はない」
「それが絶対に本人の意思だって、証明出来ますか? 大召喚士の娘という重圧、周りの期待……義務感と使命感を履き違えてしまったら? そんなもの、ユウナちゃんに背負わせる覚悟はあるんですか?」
「アーロンにユウナのことを頼んだのは、そのためだ」
娘の名を口にするたびに、ブラスカの瞳がわずかに揺れることに気付いてはいた。しかし、キルヒェがどんなに懸命に訴えようと、彼は決して取り合おうとしない。
「でも……っ」
「もう一度だけ言う。ガードを辞めるか、続けるか。君にそれ以外の選択肢はない。明日の朝までに、よく考えて決めなさい」
それだけ告げると、ブラスカはキルヒェから外した視線を残火へと向ける。それはこの論議の終わりを意味していた。これ以上の言及を許さぬ頑なな態度に、キルヒェは黙ってその場を去るしかなかった。
木々が放つ青い光の中、キルヒェはひとり佇む。
結界を張れる範囲には限りがあるため、それほど野営地から離れてはいないはずだ。けれど、気持ちは世界から遠く切り離されたようだった。
ここで旅を辞めるか、ガードとして旅を続けるか。その二択なら、答えはもう決まっている。
共に旅をする中で、特別な感情を抱かぬように過ごしてきたつもりだった。それでもキルヒェにとって、彼らはもはや他人とは言いがたい存在になっている。
自分の目的が果たされないからといって、ここであっさり別れようとは思わない。自らガードを志願したからには、最後まで───ブラスカが『シン』を倒すその日まで、責務を全うするつもりだ。
けれど……その後は?
体が芯からじわじわと凍りついていくような、言いようのない不安が迫り上がってくる。指先が痺れて震え、思わず自分自身の手を握り締めた。
ふと、背後でかすかな葉擦れの音を聞く。咄嗟に剣の柄に手を掛け、振り向こうとするが、それが仲間の男の足音だと気付いて思い留まる。
「……あは、怒られちゃった」
言うべき言葉が見つからず、キルヒェは苦し紛れに乾いた笑いを漏らした。
アーロンは応えず、ただ背後に佇んでいる。沈黙が続けばいずれ弱音のひとつでもこぼしてしまいそうで、キルヒェはもう一人のガードの名を口にする。
「ジェクトは……」
「少し、一人で考えたいと……。かなり堪えている様子ではあったが」
こうなると分かっていながら、黙っていた。だから、胸を痛める資格なんてない。ただ、気になった。スピラに迷い込んだあの男が、何を思い、選択し、どのように旅の終わりを迎えるのか。
「……最初から、そのつもりだったのか。ガードとして振る舞いながら、ずっと機を伺い続けて……」
答えは是だが、キルヒェは頷くことをしなかった。いや、出来なかったのだ。誰かの前で認めてしまったら、余計に無力感に襲われそうで。
「お前がそこまでして『シン』を倒そうとするのは、フィオというガードのことがあったからか」
訊ねておきながら、アーロンはすぐに「いや」と発言を訂する。
「すまない……愚問だった」
どこまで踏み込んでよいものか測りかねているのだろう。必要以上にキルヒェを傷付けないよう、慎重に言葉を選んでくれているのが分かる。
そんな彼に対して、自分も誠実でありたいと思った。そもそも、何かを必死に取り繕う理由なんて今更ないのだけれど。
「……妹が、いたんだよね」
言葉を探しながら、振り返らずにキルヒェは話し始める。隠すこともなくなったが、それゆえ何から語ればいいのかも分からない。それでも、アーロンは静かにキルヒェの言葉を待っている。
「ごめん。異界で会いたい人はいないって、あの時言ったけど……本当は、現実と向き合う勇気がなかっただけ。私には父さんがいて、母さんがいて、あの子がいた。だけど、ある日『シン』が……」
襲い来る波濤、凍えるような飛沫、硬く握ったちいさな手───今でも時々夢に見る。
「自分だけが生き残った、その理由が欲しかったんだと思う。そうしないと、あの子が死んだこと……納得できなかった。だから、私の命が誰かの役に立つなら、それ以上に嬉しいことはないの」
シーモアと約束を交わした時はまだ幼く、召喚士の使命が命と引き換えだということも知らなかった。けれどあの頃から、誰かの───せめて自分の大切な人たちの役に立ちたいという気持ちはずっとあった。
「それが、お前の生き方だったんだな」
確かめるように、アーロンはゆっくりとそう言った。まるで慰撫するような口調に、喉の奥がつんと痛む。
───もしかしたら。死に救いを求めていたのではなく、生を全うしたかったのかもしれない。傍目には、死に場所を探し続けるような自罰的な生き方だったとしても。
シーモア親子やジョゼの人々、そしてフィオと過ごした日々の中に、確かに生きる喜びを見出していた。ただ、愛する人たちとの離別を受け入れて前向きに未来を見据えるより、この命がいつか誰かを幸せにするのだと思って生きるほうが、ずっと楽だったのだと思う。
けれど、キルヒェの召喚士としての道は完全に断たれた。これからは、大義を持たぬひとりの人間として人生を歩んでいかなければならない。
「ブラスカさんが『シン』を倒したとして……そのあと、どんな風に生きていけばいいか分からない。どんなに長く穏やかなナギ節が来ても、そこにフィオはいない。そう考えたら、私………」
思わず漏れそうになった嗚咽を、奥歯を噛み締めて堪える。けれども、口をついて溢れ出した告白を止めることは出来なかった。
「…………怖いよ」
肩に、何か温かいものが触れる。
驚きに振り返った瞬間、ふわりと引き寄せられた。
自分が置かれている状況を、すぐに理解することが出来なかった。しかし、頬に触れる布地の質感と背中に感じるぬくもりに、抱き寄せられているのだと気付く。
一体どんな感情が彼を突き動かしたのだろう。けれどそれが何であれ、同情だけはされたくないと思った。混乱と羞恥が綯い交ぜになりながらも、拒むように厚い胸を押し返そうと試みる。
「かわい、そうって……思わないで」
か細く震えた情けない声だったが、それがキルヒェに残された、最後の矜持だった。
「思うものか」
アーロンは腕の力を弱めるどころか、反対にキルヒェをしっかりと胸に抱き寄せる。
「俺も同じだ。ブラスカ様のいないナギ節を過ごす自分など、微塵も想像出来ない。その時が来て、現実を受け入れられるのか……自信がないんだ」
いつもより少しくぐもった低い声が、胸板越しにやさしく耳朶に触れる。大きな体にすっぽりと抱き込まれ、まるで世界から包み隠されるようだった。
誰にも甘えたくなんかないのに。どこまでも、自分の足で立っていたいのに───そんな気持ちとは裏腹に、瞳から熱い雫が一粒、溢れる。
「っ……、ふ、うぅ……ッ」
決壊して機能しなくなった堤防のように、次から次へと溢れ出す涙を止めることが出来ない。
「お前が……ちゃんと泣けて良かった」
何度もしゃくり上げて震える背を、あやすように撫でながらアーロンが言う。その胸に縋り付き、あたたかな手に心の覆いを少しずつ取り払われて、キルヒェは幼い子供のように声を上げて泣いた。
「───なあ、キルヒェ」
どのくらい、そうしていたのだろうか。
泣き疲れ、微睡みに片足を取られかけていたキルヒェの意識を、アーロンの小さな呼び掛けが揺さぶった。
「本当に究極召喚だけが、『シン』を倒し得る唯一の方法なのだろうか」
「え……?」
「仮にそれしかないとして、復活させないことは不可能なのか? 『シン』という存在が我々への罰ならば、一時的にでも倒すことが出来るのはなぜだ?」
「それは……分からないよ。でも、」
そんな方法があるなら、とっくに知れ渡っているはずだ。そんなキルヒェの思考を読み取っているかのように、アーロンはゆっくりと頷く。
「どんなことでも、誰かが成し遂げるまでは前例のないことだ。その期間は十年かもしれないし、百年かもしれない。この千年の間、誰も見つけ出せなかったからといって、他に方法がないと言い切れるだろうか?」
まさか、と一蹴しようとするが、出来なかった。彼が根拠のない気休めを軽々しく口にする男ではないことは、キルヒェもよく分かっている。
「端から諦めている奴が、何かを成し遂げられるはずがない。理想論だと笑われてもいい。ほんの僅かな望みだとしても……俺はその可能性に賭けたい」
「究極召喚なしで『シン』を倒す方法……『シン』を復活させない方法……」
それを見つけ出したとしても、失ったものは返って来ない。だが少なくとも、あの穏やかで慈悲深い召喚士を死なせずに済む。父親を失って悲しむ少女を、ひとり救うことが出来る。そして、ジョゼの子供たちや……今もひっそりと寄り添い暮らしているかもしれない親子に、光を与えることが出来る。
「探して……みたい。本当に、そんなものがあるなら……」
暗示のように呟けば、燃えさし同然だった心に小さな光が灯るような気がした。
これは遺される者同士の傷の舐め合いか、はたまた現実からの逃避か。いや……何だろうと構わない。もう、他に希望なんてないのだから。
自分を抱き締める男のたくましい背に、そっと腕をまわす。
陶器の破片同士を組み合わせたところで、元々が別の器である限り、ぴったりと合致することはあり得ない。だが、決して満たされないと分かっていても、欠けたままでいるよりはずっと良かった。きっと、彼もそうなのだと思う。
月影も届かぬ深い森の中、次第に夜は更けていく。
身を寄せ合い、ひたすら互いの温度と息遣いだけを感じながら、二人は刹那の慰めに浸っていた。