軌憶の旅 II

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主人公
ガードの少女


多少の無理をしているという自覚はあった。
早朝に起床し、日中はほとんど徒歩での移動。道中魔物が出るたびに戦闘をこなし、空き時間にはアーロンから剣の指南を受ける。そうして溜まった一日の疲れを、あたたかく清潔な宿で癒せるとも限らない……そんな日々が続いていた。

だが、辛いのはキルヒェだけではない。野営時の見張りも、女であることを理由に免除しないで欲しいと頼んだのは他ならぬ自分自身だ。
しかし、どんなに虚勢を張ったところで性差による体力の違いはどうしようもなく、それが彼らの心配を招いていることにも気付いていた。その上で、あえて何も言わずにいてくれていることにも。



キーリカの森に凶暴化した魔物が出没し、島民の通行に支障が出ているとの情報を得たキルヒェたちは、寺院に向かうついでに討伐を請け負うことにした。
幻光濃度の影響だろうか。確かに、魔物は以前より活性化しているように思える。それでも単体で見ればさほど厄介というわけでもなく、討伐自体は順調に進んだ。しかし、積み重なった疲労は判断力を鈍らせ、一瞬の油断を生む。

キルヒェ!」

誰かに名前を呼ばれると同時、強い衝撃が走る。頬や体に触れる草葉の感触。遅れてきた痛みに、やっと自分が突き飛ばされたことに気付いた。
状況を確認すべく、すぐさま身を起こす。魔物はすでに幻光虫と化していた。しかしほっとしたのも束の間、地に蹲る赤い何かを視界が捉える。

瞬間、喉が小さく喘鳴した。機能しない思考を追い越して、身体の方が先に現実を拒否しようとしている。
数秒遅れて、やっと脳が視覚情報を処理し始めた。大木の傍に膝を折るガードの男。彼の衣服は、右肩から胸に向かって……ざっくりと、切り裂かれている。

「無事……か……?」

アーロンはキルヒェを見上げ、その無事を確かめる。自らも苦痛に顔を歪め、額に汗を浮かべているというのに。

「アー、ロン……?」

駆け寄りたいのに、足が戦慄いて立ち上がることが出来ない。そうしている間にも、真紅の布地は血液を吸って、その色を深く濃く変えていく。

「う、嘘……」
「だい、じょうぶだ……たいした傷じゃない」
「っは……はあっ……、なん、で……っ」

呼吸の仕方が分からない。酸素を取り込もうとすればするほど、肺が膨らむのを拒むようだった。息苦しさに視界が霞む中、誰かが背後からその肩をしっかりと支える。

「落ち着けキルヒェ! アーロンは大丈夫だ!」
「───静謐なる癒しを」

アーロンの体に降り注ぐ、清らかな光。苦しげに寄せられていた眉が少し和らいだが、そのことにキルヒェが気付く余裕はない。
回復を施したブラスカがアーロンの前に跪き、手早く傷の具合を診ている。本来ならば、一番近くにいたキルヒェが真っ先に行動を起こすべきだった。それなのに、目の前に展開される光景を、ただ呆然と眺めていることしか出来なかった。




キーリカ寺院、客間の一室。キルヒェとジェクトは、テーブルを挟んで斜めに向かい合う形で座っていた。そこに会話はなく、ただ重い沈黙だけが空間を満たしている。

「気分はどうだい、キルヒェ

ドアが開き、別室で休むアーロンの様子を見に行っていたブラスカが顔を出した。その姿は一見いつもと変わりないが、うっすらと影のような疲労が浮かんでいた。

「もう、大丈夫です。ご迷惑お掛けしました。……あの、アーロンは……」
「少し眠っていたようだが、先ほど目を覚ましたよ。傷口も塞がっている。あとは熱さえ下がれば、元通りだ。大丈夫、君が心配するようなことは何もない」

穏やかな口調で諭すように説明しながら、ブラスカはジェクトの隣、キルヒェの真正面へと腰を落ち着ける。
アーロンの容態を聞いてひとまず胸を撫で下ろすも、前途には暗雲が立ち込めていた。仲間が傷を、それも命に別状のない程度の軽傷を負っただけで取り乱すガードなど、役立たず以外の何物でもない。

「すみません、私……」

自分があんな風になるなんて、思ってもみなかった。心の外側を堅固な鎧で覆いさえしていれば、脆く柔らかい部分は誰にも見せずに済むのだと。
だが実際はどうだ。木々の生い茂る森、自分を庇い傷付く仲間、傷口を染め上げる血。そんなシチュエーションが重なっただけで、見せかけの強さなどいとも容易く崩れ去ってしまう。

キルヒェ……そろそろ、何があったのか教えてもらえないだろうか? この先も、私たちと旅を続けるつもりがあるのならね」

キルヒェは何もないテーブルの上に視線を落とす。
この期に及んで隠し通せるとは思わない。けれど、言葉にすることに抵抗がないわけではなかった。膝の上で固く手を握り締め、震えそうになる体を鎮めるべく呼吸を整える。

「……私のガードは、旅の途中で命を落としました。私が、死なせました」

顔を上げずとも、ジェクトが小さく息を呑むのが分かった。

「やはり……か」
「ブラスカ、おめえ……知ってたのか」
「ああ、確信を持っていたわけじゃないけれどね。ガードのいない召喚士が一人。それも自分の意思で旅を諦めたわけではなさそうだ。考えられることは限られている」

落ち着いた様子のブラスカに比べ、ジェクトは些か堪えているようだった。自らも戦いに身を置くようになったとはいえ、それまでは魔物の存在すら珍しい土地にいたのだから無理もない。

「なあ、キルヒェ……もしかして、オレたちと関わろうとしないのもそれが理由だったのか?」

キルヒェは答えない。沈黙をどう捉えたかは分からないが、ジェクトは嘆息と共にテーブルに肘を着き、頭を抱える。ブラスカは、そんな彼の肩にそっと手を置いた。

「右も左も分からない君を旅に連れ出してすまなかった。しかし、私たちが歩んでいるのはそれほど険しい道なんだ。君には待っている人が……帰るべき場所がある。旅を続けるか否か、これを機に今一度考えてみて欲しい。それから……キルヒェ
「……はい」
「アーロンに、きちんと説明しておいで。今なら少し、話が出来るから」

異論はなかった。キルヒェは頷き、言われるがままに席を立つ。部屋を出る瞬間、ふと振り返ると、未だ俯いたままのジェクトの姿が目に入った。その佇まいは、まるでスピラという世界から取り残されたように見えた。




扉の前で立ち止まったキルヒェは、わずかな逡巡を振り切って拳を上げた。控えめなノックの音が、人気のない廊下に響く。

「アーロン、その……私、だけど。入ってもいい?」
「……キルヒェ?」

キルヒェの来訪を意外に思ったのか、その声はどこか戸惑うような響きを含んでいた。しかし、すぐに「入ってくれ」と返事が返ってきた。意を決し、ドアの握りへと手を掛ける。

アーロンは枕に凭れるように半身を起こしていた。防具を取り払った剥き出しの上半身には、白い包帯が幾重にも巻かれている。血こそ滲んでいないものの、その姿はキルヒェの目に痛々しく映った。

「ごめん。具合……どう?」
「言っただろう、たいした傷ではないと。神経にも差し障りない。この調子なら、すぐに武器も握れるようになるだろう」

ブラスカ様の足を止めてしまうのは心苦しいが、と言って、小さく笑う。その表情は決して無理をしているようには見えないが、だからといってキルヒェの罪悪感が和らぐことはない。

「お前こそ、もう大丈夫なのか?」
「うん……あのね、少し話せる?」 

アーロンは頷き、寝台の脇にある椅子を勧める。キルヒェは、入り口に立ち尽くしたまま動こうとしない。しかし「見上げていると首が痛む」と怪我人に言われては、大人しく着席せざるを得なかった。

「あの時……アーロンが傷付くのを見て、怖かった。私を庇ったせいで、何かあったらどうしようって、そんな思考で頭がいっぱいになって……。冷静に考えたら、そこまでの傷じゃないって分かるはずなのに」
「気にしなくていい。お前があんなに取り乱すなんて、正直意外ではあったが」

普段感情を出さない人間が、あれほどの狼狽を見せたのだ。困惑させてしまったに違いない。
彼にも話さなければ───そう思いながらも、キルヒェは口籠る。今しがたブラスカたちに打ち明けたばかりだが、それによって気持ちが軽くなることはなかった。むしろ、フィオの死を知る人間が多ければ多いほど、変えようのない事実がその輪郭をより鮮明にしていくような恐怖すら覚えた。

「……私のガード、旅の途中で死んだの。私が未熟だったから」

放たれた言葉は自らの耳にも返って、容赦なく心に傷を付ける。それを分かっていながら、あえて直接的な表現を選んだ。彼女の死を誤魔化すことも、自らの行いを正当化することもしたくなかった。

「その時の状況と重なって……だからあんな風になったんだと、思う」
「……そうか」

アーロンはただ一言、そう呟いた。その声はいたって冷静だったが、上掛けの上に置かれた手にわずかに力が籠るのが見て取れた。

「そのような形で旅を終えるのは、さぞ無念だったろう。正直、掛けるに相応しい言葉も見つからん。しかし旅に出る以上、常に危険は付きまとう。お前のガードも、少なからず覚悟はしていたはずだ」

ガードたるもの、召喚士を守って死ぬ覚悟は出来ている。だからキルヒェが必要以上に自分を責める必要はないのだと、彼は言いたいのだろう。

「たぶん、覚悟出来てなかったのは私のほう。だけど、今更どんなに悔やんでも、あの子が戻ってくるわけじゃない。それは自分でも、よく分かってる」

自責の念がないといえば嘘になる。けれど、そんなものを抱えていたところで、過去は変えられない。この部屋に来たのも慰めの言葉を貰うためではなく、アーロンに自らの意思を伝えるためだ。

「自分があんなに取り乱すなんて、思ってなかった。もしまた同じ状況になった時、ちゃんと冷静でいられるのか……自分でも分からない」

だけど、と前置きして、キルヒェは真っ直ぐにアーロンを見つめる。その時初めて、彼の瞳が髪と同じ漆黒ではなく、琥珀のように澄んだ色素を持っていることを知った。

「どうか、旅を続けさせて欲しい。自分がこれまでやってきたこと、あの子が成し遂げられなかったこと……無駄にするわけにはいかないから」

お願いします、と深く頭を下げる。しかしいつまで経っても、アーロンからの返答はない。いよいよ不安になって顔を上げると、彼は先程と同じ姿勢のまま静かにキルヒェを見下ろしていた。その眼差しには憐憫や、あるいは同情に似た、けれどそのどちらとも異なる感情が宿っていた。

「お前は……泣くことも出来ないんだな」

アーロンの左手が、涙を拭うような仕草で差し伸べられる。あと少しで頬に触れる───そんな気配に身を強張らせた瞬間、その手は呆気なく下ろされた。
彼の言う通り、キルヒェの頬は乾いていた。思えばあの日以来、涙を流したことは一度もなかった。

「お前は危うい。今にも崩れてしまいそうなのに、己を奮い立たせて必死に立っている。正直……このまま旅を続けるのは無謀だと、俺は思う」

谷底へ落とされたような感覚に、目の前が暗くなる。自分の道はここで断たれるのか、と。しかしキルヒェの不安に反して、アーロンはふと目を細めた。

「だが、それは同時に強さでもある。お前の心情をすべて理解出来たわけではないが、少なくともお前が努力していることは知っている。なんとしても『シン』を倒したいという、その想いも」

マカラーニャからの短い付き合いではあるが、すぐ側で共に戦ってきたからこそ分かるのだとアーロンは言う。単なる気休めではなく、彼がその目で見てきた事実なのだと。

「だからキルヒェ、お前さえ良ければ……これからも、共に戦ってくれ」

喉の奥がつかえて、すぐには言葉が出なかった。様々な感情がせめぎ合い、熱い奔流となって胸の内に渦巻いている。
せめて感謝の言葉だけでも伝えようと口を開く。しかしその瞬間、アーロンが人差し指を立ててキルヒェの発言を阻止した。

「ただし、条件がある。……もう少し、自分を大切にしろ」

真意が読み取れず、眉根を寄せる。察しの悪さに呆れてか、彼はやれやれと溜め息をついた。

「すぐには難しいであろうことも分かっている。ひとまず、心掛けてくれるだけでいい。お前は自分の危なっかしさをもっと自覚しろ。さもないとこちらの身が持たん」
「……善処、します」

キルヒェが渋々ながらも譲歩の姿勢を見せると、アーロンはわざと作っていたであろう厳しい表情を緩めた。

「私からも……ひとついいかな。もし今日みたいなことがあっても、どうか今後は、自分の身を呈して私を守るような真似はしないで欲しい。あなたがそうであるように、私も覚悟は出来てるつもりだから」
「あれは不可抗力というか、反射的に体が動いてしまっただけなのだが……」
「だとしても、次は気合いでどうにかして。ブラスカさんならまだしも、私を守って死なれたら寝覚め悪すぎ」

何がおかしいのか、アーロンは小さく肩を震わせる。が、不満げに口を尖らせるキルヒェを見かねてか、最終的には「分かったよ」と承諾してくれた。

「ひとつ聞いておきたいのだが……ガードの名はなんと?」
「え?」
「お前を守ったガードだ。なんという名だった?」
「なんで……そんなこと」
「何故だろうな。ただ、知りたいと思ったんだ」

自分でも上手く理由を説明出来ないのか、アーロンはどこか困ったように肩を竦めた。その気になれば無視することも、適当に誤魔化すことも出来る。けれど、不思議とそうしようとは思わなかった。

「……フィオ

その名前を最後に聞いたのは遠い昔のようで、声に出してみるまで正しく発言出来るか確信が持てなかった。実際、震える喉が紡いだ音は緊張に掠れ、情けなく歪んでいた。
しかしそれは紛れもなく、キルヒェが心から愛おしんだ人物の名だった。ブリッツが大好きな、誰よりも優しく、正義感に溢れた少女。

「覚えておこう」

アーロンは心に留めるかのように、しっかりと頷く。それだけで、枯れたはずの涙がわずかに滲むような気がした。

彼らは善い人間だ。どんな時も真っ直ぐで、情に厚く、誠実だった。
もしキルヒェが純粋なガード志望であったなら、ブラスカを守り、アーロンやジェクトと肩を並べて戦えることを誇りに思っただろう。
しかしキルヒェには、彼らにまだ隠していることがあった。
ガードとして召喚士を守り、『シン』を倒す───それはあくまで表向きの意図でしかない。キルヒェの真の目的、それはザナルカンドへと到達し、召喚士として自らが究極召喚を得ることだった。

自分を大切にしろというアーロンの言葉にかろうじて頷きはしたが、その約束が果たされることはないだろう。
あいにく、この命の使い道はとうの昔に決まっている。妹を失い、自分だけが生きながらえたあの日から、ずっと。
いずれ来たるその時まで、誰かに心を開け渡してはならない。誰かにとっての特別になど、なってはならない。出会った時よりも柔らかい表情を見せるようになった双眸を見つめながら、キルヒェは改めて胸に刻み込んだ。
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