軌憶の旅 II
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天気は快晴。青空に負けじとそびえるスフィアプールの上を、数羽のカモメが連れ立って飛んでいく。各チームのシンボルを模った気球や飾り旗が彩る街並みは目にも鮮やかで、行き交う人々も楽しげに会話を弾ませていた。
そんな賑わいも、きっとザナルカンドには遠く及ばないだろう。しかしジェクトは、久々に見る華やかな街の姿に目を輝かせる。
「ルカの街はどうだい? ジェクト」
「活気があって、なかなかいい所じゃねえか! 街自体はベベルのがデカかったが、あそこはもっとゲンシュクっつーか、堅苦しい雰囲気だったからな」
ザナルカンドから来たと言い張っていたジェクトは、その身を怪しまれて投獄されていたらしい。当時を思い出したのか、彼はバンダナの下の眉を寄せて苦い顔をしてみせる。
「ところでよ、ここでブリッツの試合観たりとか……って、出来るわけねえか。先を急ぐ旅、だもんな」
「いや……せっかくだし、観ていこうか。こんな機会もそうあるものではないからね」
「ブラスカ様、良いのですか?」
「キーリカ行きの便までは時間がある。手持ちにも余裕があるとは言い難いが、一時期に比べれば……ね。少しくらい息抜きしても、バチは当たらないだろう」
「……そうですね」
わずかに戸惑いを残しながらも、アーロンは頷いた。以前の彼なら、遊んでいる場合ではないと頭ごなしに一蹴していただろう。
一見正反対に見えるジェクトとの出会いが、少しずつ彼を変えたのかもしれない。この旅を通して、ジェクトに責任感と覚悟が芽生え始めているように。
近頃、ジェクトは本当に努力していた。禁酒も順調に続いており、コツを掴み始めたこともあって鍛錬にも積極的に取り組んでいる。
だが同時に、以前に比べ故郷の話題を口にする回数が減っているのが気になった。ブラスカとアーロンも、そんな彼の気を晴らしてやりたかったのかもしれない。
その甲斐あってか、ジェクトの表情は明るい。見慣れない露店や亜人の楽団などに興味津々といった様子で視線を巡らせている。しかし、そのせいで歩く速度が落ち、次第に前を行く二人との間に距離が空いてしまっていた。
「ジェクト。色々見たいのは分かるけど、このままじゃブラスカさん達と逸れちゃう」
「んあ? おお、悪りぃ悪りぃ」
背後から見かねて声を掛けると、ジェクトはやっと気付いたように歩調を早める。
その時だった。喧騒に紛れ、男女数人の声が耳に届いたのは。
「───おい、ブラスカだってよ。知ってるか? アルベドと結婚したっていう召喚士」
「え……何それ、アルベドと?」
「エボンを信奉する身でありながら異端の者と? 信じられないな」
「寺院がよく認めたよな。反エボンのナギ節なんて縁起でもねえ。ま、そんな奴に『シン』が倒せるとは思えないけどな」
鼻で笑いながら、まるでゴミでも捨てるように吐かれた台詞に腹の底が沸き立つ。少し先にいるジェクトには聞こえていないようで、彼は振り返ることなく歩いていく。
キルヒェは辺りを見回し、人波の切れ間に覗く視線を探り当てた。男が二人に女が一人、いずれもこちらに軽蔑の眼差しを向けている。声の主は彼らで間違いないだろう。往来に逆らって足早に歩み寄り、三人組と真っ向から対峙する。
「さっきの発言、撤回して」
「は? 誰だよあんた」
中心人物であるらしい大柄な男は、大袈裟に片目を眇めてキルヒェを見下ろした。その口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。
「キルヒェ。召喚士ブラスカのガード」
「ふっ……あははは! お前ら聞いたか? いい歳こいた男のガードが、こんな小娘だってよ!」
明らかに扇動する意思を持った男の言葉にも、キルヒェは眉一つ動かさなかった。
年齢を理由に貶されるのは構わない。数字という物差しでしか判断出来ない、その価値観を哀れだと思うだけだ。だが、命を賭してまで『シン』を倒そうとする召喚士やガードの想いを、その恩恵を黙って享受するだけの人間が貶めるなど許せるはずがない。
「私のことはどうでもいい。とにかく、さっきの発言を訂正して。種族が何だろうが誰と結婚しようが、ブラスカさんが命懸けで旅をしていることに変わりない。誰であろうと、あの人を侮辱することは許さない」
「結局はお前も騙されてるんだよ。考えてもみろ、反エボンの息がかかってる奴が寺院の名のもとに旅をしてるなんて、おかしな話だろうが。どうせ金か名声目当てに決まってる」
「……こんな救いようのない人間にも、等しくナギ節は訪れる。召喚士が気の毒ね」
「なんだと、このクソガキ……!」
男が拳を振り上げる。キルヒェは動かなかった。殴りたいならそうすればいい。無抵抗の人間に危害を加え、そして然るべき罰を受けるべきだ。
しかし、その拳がキルヒェに届くことはなかった。
「くっ……!」
「ジェクトっ!」
寸でのところで間に入ったジェクトが、代わりに顎を打たれる。しかし彼は動じることなく腕を伸ばし、暴れる男を軽々と捩じ伏せて俯せに拘束した。
すぐさま駆け寄ろうとした他の二人を、キルヒェが睨み付けて牽制する。周囲の人々が何事かとざわつき始めたその時、辺りに怒声が轟いた。
「貴様ら、何をしている!」
突如現れた二名の討伐隊員により、あっという間にジェクトと男は引き剥がされ、取り押さえられた。
「ジェクト! キルヒェ!」
凛とした声が響き、野次馬を掻き分けながらブラスカとアーロンが駆け付ける。
「これは……一体、何の騒ぎだ」
にわかには状況が飲み込めず、アーロンは視線を巡らせる。ジェクトが説明しようと口を開くも、抵抗と見なされたのか、討伐隊員に関節を強く抑え込まれて小さく呻いた。
「話は向こうでゆっくり聞かせてもらう。いいな」
低い声で念を押され、黙って頷く。この騒ぎを収束させるためにも、ひとまずは大人しく連行されるしかなかった。
警備用に設けられた仮設テントの中、小さな椅子に腰掛けるキルヒェとジェクトを、ブラスカとアーロンがどことなく硬い面持ちで見下ろしている。
結論から言うと、キルヒェたちはすぐに釈放されることになった。ジェクトや通行人の証言から、先に殴り掛かってきたのは相手方であり、ジェクトはあくまで止めに入っただけだと分かったからだ。
しかし彼らも事の発端までは把握しておらず、唯一の当事者であるキルヒェも『不名誉なことを言われたので撤回を求めた』と証言したきり口を割ろうとしない。
別のテントで取り調べを受けていた三人組の話との整合性は確認出来たため、晴れて無罪放免となったのだが───。
「名誉を傷付けられたと言っていたが……一体、何があったんだい?」
「………」
キルヒェは俯いたまま押し黙る。小さく息をついたブラスカは、まるで子供にするように目の前にしゃがみ込み、視線を合わせるべくキルヒェの顔を覗き込んだ。
「何か、言いづらい事情があることは分かったよ。けどねキルヒェ、私たちにも聞く権利がある……そう思わないか?」
自分が間違っていたとは思わない。彼らの発言は、咎めを受けるに値するものだった。しかし一方で、ブラスカたちを巻き込んでしまったのも事実だ。何よりジェクトは、キルヒェの代わりに打たれて傷を負った。
「……あいつらが、」
「うん」
「あいつらが……ブラスカさんのこと、アルベドと結婚した召喚士だって。どうせ金か、名声目当てに決まってるって」
視線の端、アーロンが握った拳に力を籠めるのが見て取れた。ブラスカは少し意外そうに数度瞬くと、小首を傾げてキルヒェを見上げる。
「それで、怒ってくれたのかい? 君が?」
「"くれた"って……勝手に好意的に受け取られても困ります。私はただ、あんな奴らのために『シン』を倒すのが癪だと思っただけで、だから別に、ブラスカさんのためとかじゃ………っ! ちょっと、なんで笑ってるんですか!」
何がおかしいのか、ブラスカは口元を手で押さえてぷるぷると肩を震わせる。助けを求めるように隣のジェクトに視線を向けると、彼は犬歯を見せて目を細め、ニシシと笑っていた。……なんだその顔は。
「いや……何でもないんだ、すまない」
はあ、と深く息を吐いて呼吸を整え、ブラスカは再び立ち上がる。その顔にもう笑いの気配はないが、代わりにわざとらしく真面目な表情を作っているようにも見えた。
「だが、今後はどうか謹んでくれ。妻のことで陰口を言われるのは日常茶飯事さ。その度にガードが殴られていては、心臓がいくらあっても持ちそうにない」
「……はい」
「では、ジェクトの傷も良くなったことだし、そろそろ行こうか」
そう言い残し、ブラスカは一足先にテントを後にする。それまで沈黙を貫いていたアーロンが、一歩前に進み出た。見上げれば、彼はその鍛え抜かれた腕を組み、厳しい表情でキルヒェを見下ろしていた。
「ブラスカ様のおっしゃる通りだ。余計な揉め事を起こすな。最悪、旅に差し支える可能性もある」
そこまで言い切って、彼はふと力が抜けたように笑う。優しい、表情だった。
「だが……その場にいたら、俺も同じことをしていたかもな」
「はっはっは! そりゃあ言えてるな。むしろ、アーロンの方がコトを大きくしてたかもしれねぇ」
「あんたには言われたくないな……」
やれやれと肩を竦め、アーロンもまたブラスカに続く。それを見届けたジェクトが、苦笑い半分の、けれどどこか子供のように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ま、そういうこった。俺だって、最初から話聞いてりゃあのクソ野郎のことブン殴っちまってたかもしんねえしな」
「ごめん……ジェクト」
小さな声で詫びながら、ちらりとジェクトに目を向ける。口元にまで広がっていた赤黒い痣は、ブラスカの手によってすっかり元通りになっていた。
「あんなの怪我の内に入らねえよ、気にすんな」
席を立ったジェクトの大きな手が、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、離れていった。息子にも同じようにしてやっていたのだろうか。そんなことを考えながら、キルヒェも立ち上がる。
外からは、気を取り直してブリッツ観戦だとジェクトがはしゃぐ声が聞こえてくる。
……例えば。そのチケット代を自分が負担するというのはどうだろう。彼らは驚くだろうか。所持金の存在を隠していたことを怒るだろうか。それとも───。
はっと我に返り、そんな自分の思考に頭を殴られたような衝撃を受ける。
これから観ようとしているのは、あの子が出られるはずだった試合かもしれない。それなのに、自分は。
一歩外に出れば、燦々と降り注ぐ日差しの中、三人の男がこちらを見つめていた。馬鹿が付くほどお人好しで、正直で……そんな彼らのことを、純粋に好ましいと思ってしまう自分がいる。
しかし、だからこそ目的を忘れてはならない。大切なものを容易に増やして、あとで後悔するのは自分であり、彼らだ。
今、この胸を占めるのは、あの子が果たせなかった想いと、かつて友と交わした約束だけでいい。召喚士の旅が死という結末で締め括られることは、誰にも変えようのない事実なのだから。