軌憶の旅 II
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「みんな困ってんだ。オレらが退治しねぇでどうする!」
近頃、チョコボを襲う大型の魔物が出没する───ミヘン街道の中程にある旅行公司にてそんな噂を聞いたジェクトは、わずかな躊躇もなくそう言い放った。
敵の詳細も分からない現状、とんだ安請け合いであることに違いない。しかし、ブラスカもアーロンも彼を嗜めることなく、むしろどこか誇らしげに頷いて応えた。
『みんなが困っているから』。それを行動原理に出来る人間などそう多くはない。誰かの力になりたい……内心ではそんな風に願いながらも、いざ自分の身に危険が及ぶと他人など構っていられないものである。それは卑怯でも臆病でもなく、誰もに備わっている自己防衛の本能だ。
けれど彼らは、その身を危険に晒すことを厭わない。たとえ何の関係もない、見ず知らずの人間のためであろうと、臆することなく敵に立ち向かっていく。
困難に打ち勝てるだけの実力を備えているというのもあるが、きっとそれが生来の性分なのだろう。ここにはいない、あの正義感に溢れた少女と同じように。
視界に鮮烈な赤が翻る。
重厚な刃が一閃し、その厚くふてぶてしい上皮を斬り裂いた。大きく仰け反りながら咆哮するチョコボイーターから目を逸らすことなく、アーロンは短く叫ぶ。
「ジェクト!」
「おうよ!」
呼び掛けに応え、ジェクトはその大きな体に眠っているのが不思議なほどの瞬発性をもって躍り出た。敵が身悶えている隙を見計らい、素早い斬撃を与える。
「クソっ、硬ェな!」
手の痺れに顔を顰めつつも、地道にダメージは与えているようだ。自称「ザナルカンド・エイブス」のスター選手である彼は、その天性の才ゆえかアーロンの指導の甲斐あってか、近頃は見違えるほどの成長を見せている。
一方キルヒェは、未だ彼らの戦闘のリズムを掴み切れずにいた。
先の旅では状況を観察しつつ味方の補助や回復に徹していたが、その役目は今やほぼブラスカが担っている。
前衛二人の攻撃の合間を縫って、付かず離れずの戦法を取るのが正解なのだろう。しかし両者とも巨大な刀剣を得物としており、少しでも位置取りを間違えれば怪我をしかねない。
このチョコボイーターのように硬い敵に対しては剣撃が通りにくいこともあり、今は黒魔法を中心に立ち回っている。しかしその黒魔法も、胸を張って専門分野だと言えるほどではない。オールラウンダーと言えば聞こえはいいが、要するに器用貧乏だ。
それでも少しずつ敵の体力を削ってはいるのか、発達した両腕を使った攻撃に苦戦しながらも、じりじりと巨体を崖の淵へと追い詰めていく。あと少し───そう思った時、チョコボイーターの周囲が淡く発光した。
「く……ッ!」
「うわっ!」
大気を漂う水分が急速に冷気をまとい、鋭利な氷のつぶてとなって襲いかかる。
「コイツ、魔法も使うのかよ!」
「みんな、耐えてくれ……!」
ブラスカの声と共に柔らかな光が降り注ぎ、仲間たちの傷を癒す。
「ありがとよブラスカ! おい口デカ野郎! いい加減大人しくしやがれ!」
「ジェクト、そろそろ畳み掛けるぞ」
「おっし、任せろ!」
アーロンとジェクトは頷き合うと、それぞれ左右に分かれて散った。重心を低く構え、敵を挟み込むように真っ直ぐに向かって行く。
彼らを迎え討つべく、チョコボイーターが長い両腕を広げ、助走をつけるためわずかに体を後ろに引いた。その瞬間を見計らって、キルヒェは虚空に片手を突き出した。放たれた魔力がチョコボイーターの周囲の空間を捻じ曲げ、時間の流れを緩やかに変える。
どんな剛腕も、動きが鈍ればただの丸太と変わりない。それをひらりと飛び越え、アーロンは逆手に構えた太刀を関節に突き刺した。苦痛に悲鳴をあげたチョコボイーターは、バランスを崩してその場に転倒する。
「これでも……くらえぇっ!」
ジェクトは大きく跳躍し、空中で回転し加速をつけながら醜悪な顔に足底をめり込ませた。
強い衝撃に激しくもんどりを打ちながら、チョコボイーターは断崖を転がり落ちていく。地面に叩きつけられた岩のような体は、一度大きく痙攣したきり動かなくなった。
「っしゃあ!」
ジェクトのガッツポーズに、アーロンが自らの拳を軽くぶつける。
「お前もなかなかやるようになったじゃないか」
「へっ、まあな! これぞジェクト様シュート特別版、ってなもんよ!」
彼らの姿を少し離れた場所から眺めていると、ふいに肩をポンと叩かれた。はっとして振り向くと、どこかほっとしたような表情のブラスカが微笑んでいた。
「キルヒェも、お疲れ様」
その声に、アーロンとジェクトが振り返った。三人とも、達成感と連帯感に満ちた笑みを浮かべてこちらを見ている。
まるで明るい輪の中に招かれているように思えて、キルヒェは何も言えなかった。ただ彼らと自分の間に引かれた線の存在を、よりはっきりと認識するだけだった。
結局、崖下に転落したチョコボイーターは一命を取り留めたらしい。討伐に至らなかったのは悔しいが、かなりの深手を負わせたため、当面の間は被害に悩まされることはないはずだ。
撃退の礼にと、旅行公司のスタッフが一宿を提供してくれることになった。今夜も野宿を覚悟していただけに、この申し出は非常にありがたい。
最近は眠りが浅く、途中で目が覚めてしまうことも多かった。しかし、やはり疲れが溜まっていたのだろう。ほとんど気絶同然に眠りに落ち、次に意識を取り戻した時には空が白み初めていた。
久々のさっぱりとした目覚めに、足は自ずと宿の外へ向かう。人影はなく、眼前には早朝の薄青い空を映した海が広がっていた。
それを視界に入れつつ、適当な場所に腰を下ろす。やわらかな光を帯びたさざ波は、この海のどこかに『シン』がいるのが信じられないほどに穏やかだ。
潮風に誘われるまま、小さく息を吸い込む。唇を伝って流れ出す、哀愁を帯びた旋律。
それは子守唄だった。言いようのない不安や悲しみに押し潰されそうになって寝付けない夜に、シーモアの母が歌ってくれた歌。キルヒェが日常的に歌っていたため、いつしかフィオも覚えてしまい、時折二人で一緒に口ずさむこともあった。
かつて、歌は癒しであり励ましだった。幸せな時は更に喜びを広げ、辛い時は孤独にそっと寄り添う。
けれど今のキルヒェにとって、それは優しいばかりではなかった。耳に馴染んだ調べに付随する様々な記憶が、心の表面をそっと撫でたその手で内側を無慈悲に掻き乱していく。
当然ではあるが、召喚士の旅に同行するということは、自らの軌跡を辿ることと同義であった。
キルヒェの行く先々に、フィオとの思い出が残っている。その場所で彼女が何を言い、どんな風に笑っていたか。幸せな記憶はキルヒェの胸を締め付けるが、恐ろしいのはそれが色褪せていくことだった。
人はゆるやかに忘却する生き物だ。あらゆる出来事を永久に留めておけるわけではない。だが、記憶の代謝に伴って彼女が生きていた事実まで消えてしまうように思えた。
ふと、背後で物音がしたため慌てて口を閉じる。歌なんて歌っていると知れたら、話のネタにされるに違いない。相手がブラスカならまだいいが、これがジェクトだったりした日には……考えただけで恐ろしいので、振り返るのはやめておく。
「……お前か」
後ろから放たれたのはそのどちらでもない、低く毅然とした声だった。持ち主である、赤い服を着たガードの姿がすぐさま脳裏に浮かぶ。
「この間もずいぶんと早かったが、あまり眠れていないのか?」
その声からは、これといって何の感情も感じられない。この調子なら、恐らく歌は聞かれていないだろう。動揺を抑えつつ、しかし視線は向けずに答える。
「別に……たまたま、目が覚めちゃって。なんとなく」
「そうか、ならいいんだが。それにしても、お前が歌を歌うなんて意外だったな」
…………終わった。
キルヒェの周囲の空気がぴしりと凍りつく。
「……どうせ、変だと思ったんでしょ」
「何を言ってるんだ?」
やっと絞り出した言葉に、アーロンは揶揄うわけでもなく本気で理解出来ないといった様子で訊き返す。
一体何を考えているのか分からないが、ゆっくりと歩み寄りキルヒェの隣に立つのでちらりと見上げれば、彼も先ほどのキルヒェと同じように海を眺めていた。その目があまりに真っ直ぐだったので、妙にこそばゆくなって視線を逸らす。
「聴いたことのない歌だったが、ジョゼで流行っているのか? 知らないはずなのに、どこか懐かしく感じる。……良い歌だな」
突然そんなことを言い出すので、いたたまれなくなって抱えた膝を引き寄せた。笑い者にされるのは御免だと思っていたが、むしろそうしてもらえたほうが良かったかもしれない。
「む……むかし、母が、よく歌ってくれて……それで。詳しくは私もよく知らない、けど、なんとなく好きな歌………だから」
耳が熱い。完全にペースを乱されて、ぎこちない口調で言わなくて良いことを口走ってしまう。アーロンもさすがにおかしいと思ったのか、キルヒェへと視線を向けた。……かどうかは見ていないので分からないが、そんな気配がした。
「キルヒェ? さっきから妙だぞ。一体何をそわそわと……」
「だって……恥ずかしかった、から」
「は?」
「だから……っ、恥ずかしかったの! 歌を聞かれて!」
半ばヤケになって叫べば、アーロンはきょとんと目を丸くした。しばし、時が止まる。
「ふっ……ははは!」
そうして、弾けたように彼は笑った。
そう、笑ったのだ。こんな風に笑顔を向けられたのは、これが初めてだった。
「まさかお前に恥ずかしいなんて感情があるとはな……ふふ、くくくっ……」
「……笑いすぎ、最悪。それ以上何か言ったら刺すから」
このやり取りのどこに笑える要素があったのか。普段は仏頂面の癖に案外ツボの浅い男だ。いや、浅いのではなく単純にズレているだけかもしれない。
「まあ……良いじゃないか。ジェクトのように下手ではなかったしな」
ジェクトのあれはそもそも上手く歌おうなどという気が全くないように思えるが……などと考えていたその時、背後で建物のドアが開く音が聞こえた。
「なんだおめぇら、朝から元気じゃねぇか」
「おはようアーロン、キルヒェ。なにやら楽しそうだけど、何を話してたんだい?」
ジェクトは大きく伸びをして、ブラスカはにこにこと微笑みながら、キルヒェとアーロンの方に歩いて来る。その表情はどこかすっきりとしていて、彼らもよく休めたのであろうことが伺える。
「いえ……なんでもありません。キルヒェに、良いものを聞かせてもらいました」
「良いもの? 良いことではなく?」
歌のことを話題に出されるのではと不安だったが、アーロンは未だ笑いを滲ませながらも黙っているつもりらしい。確かに、軽々しく言いふらすタイプではないことは分かっているけれど。
「なんでえ、アーロン。ずいぶん持って回ったような言い方するじゃねえか」
「どうやら、詳しく教えてはくれなそうだね」
「ええ、秘密です」
眦に浮かんだ涙を拭いながら、行きましょう、とだけ言ってアーロンは歩き始めた。ブラスカとジェクトは頭に疑問符を浮かべながらアーロンとキルヒェと交互に見比べるが、分からないものは分からないので、仕方なくアーロンに続くことにしたらしい。
彼らが背を向けたのを確認して、やっとキルヒェも立ち上がり、南方に向けて足を踏み出した。爽やかな海風が、熱を帯びた頬を一刻も早く冷ましてくれることを祈りながら。