軌憶の旅 II
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その土地を、「懐かしい」と思った。
旅立ちの日からそれほど月日が経ったわけではない。にも関わらず郷愁を覚えてしまうのは、きっと心の中で、優しい思い出に別れを告げたからなのだろう。
断崖に向けて架かる橋を越えた先、固く閉ざされた雷キノコ岩が毅然とそびえ立つ。そんな見慣れた景色を前に、キルヒェは深く息を吸い込んだ。
「ただいまー!」
広場で遊ぶ子供たちを遠巻きに見守っていた女性が振り返り、あら、と首を傾げながら歩み寄ってくる。
「……キルヒェ?」
背後から、アーロンの訝しげな声が聞こえた。心の中で、お願いだから何も聞いてくれるなと祈る。しかし彼らにどう思われようと、子供たちに心配を掛けるような真似だけは絶対にしたくない。
「誰かと思ったらキルヒェちゃんじゃないの! 格好が全然違うから分からなかったわ。こちらの方々は……ひょっとして、召喚士様?」
「まあ、色々ありまして……長くなるから、また後で説明するね」
朗らかに言葉を掛ける女性───スーラに微笑み返せば、彼女はやれやれと腰に手を当てながらも、面倒見の良い姉のような笑顔を見せる。
「そう? いいけど、あんまり無茶しないようにね。折角だからチビっ子たちにも顔見せていきなさいな。みんな! キルヒェちゃん帰ってきたわよー!」
スーラが広場に向かって女性が叫ぶと、遊びに夢中になっていた子供たちが一斉に振り向いた。
「キルヒェ姉!?」
「キルヒェ姉だ!」
次々と駆け寄ってくる子供たちを受け止め、順に頭を撫でてやる。
「みんな、いい子にしてた?」
「してたー! 僧官さまのおはなし、眠かったけどがんばってきいたもん!」
「おっ、えらいぞ」
「あたま切った!」
「あたまじゃなくて、かみ! どう、似合ってる?」
「かわいい!」
「前のほうがいい〜」
「みてみて! これたくさん集めたの! きれいな石!」
「どれどれ? わっすごい、キラキラ光ってるじゃん。いいの見つけたね」
「キルヒェ! おれのも見て!」
我先にと話しかけてくる彼らを愛おしく思いながらも、心の底では沢山の笑顔を向けられることに後ろめたさを覚える。
「ねえねえ、フィオ姉は?」
「フィオは……」
その問いを想定していなかったわけではない。血に濡れたフィオの姿が、今も脳裏に焼き付いている。しかし、彼女の死を偽ることになろうと、この子たちを不安にさせたくなかった。
「……あのね、フィオは、ジァンと結婚することになったの。だから、今はこのおじちゃんたちと旅してるんだ」
「えー、つまんなーい」
上手く笑えているだろうか。声は震えていないだろうか。そんなキルヒェの心配をよそに、子供たちはこれといって疑問を持つような様子もなく唇を尖らせる。
「みんなごめん、先に祈り子さまにご挨拶してこないといけないの。また後で来るから、ちょっと待っててくれる?」
「え〜」
「いい子で待ってたら、お土産あげるよん」
「やったー!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる子供らと別れ、少し離れた所で待機していたブラスカたちと合流する。
「……すみません、お待たせしました」
「おいキルヒェ。おめえ、いつもと随分キャラが違うじゃねぇか」
「ここ、私の地元だから。家族同然の人たちと他人とじゃ、対応が違って当然でしょ」
皆一様に困惑した表情を見せている。特にジェクトは釈然としない様子だが、ともあれ寺院へと向かう。
大広間に足を踏み入れた瞬間、いかめしい顔付きをした痩身の老女と鉢合わせた。彼女はキルヒェの姿を見るなり、細い眉を吊り上げてつかつかと詰め寄ってくる。
「キルヒェ! おぬし、よくもぬけぬけと……!」
「あ、ネルケのおばあちゃん。久しぶり」
「久しぶり、ではないわ! 話は聞いておるぞ。召喚士をやめたというではないか。神聖な使命を投げ出すとは何事!」
「まあまあ、方法は違うにせよ『シン』を倒してあげるって言ってるんだからいいじゃない。ナギ節、楽しみに待っててよね」
「そういう問題ではない!」
「そんなこと言って、なんだかんだ心配してるの知ってるんだからね。私の出発の日、徹夜で必死にお祈りしてたの誰だっけ?」
「そ、それはおぬしのためでは……コラ、待ちなさい! 話は終わっとらん!」
まだ言い足りない様子の老女を残し、試練の間へと足を進める。ブラスカは途中で振り返り、彼女に気遣わしげな視線を向けた。
「彼女は……」
「娘さんご夫婦を亡くしてから、ずっとあんな調子なんです。気にしないで」
元々変わり者ではあったものの、昔はキルヒェたちの面倒もよく見てくれていた。変わってしまったのは、あの痛ましい『シン』の襲撃があってからだ。
ネルケも彼女にはよく懐いていたが、両親を失ったこともあり、以前より寂しそうな顔を見せることが増えた。幼いながらに気丈に振る舞っているのが余計に痛々しい。
『シン』がもたらすのは、物理的な破壊だけではない。そのことを、改めて思い知らされる。厄災の元凶を取り除かない限り、悲しみの連鎖はどこまでも続いていくのだ。
その後何事もなく試練を突破し、ブラスカはイクシオンより新たな力を授かった。
交感の疲れを癒すため、今日のところはジョゼに宿泊することにしたようだ。キルヒェの故郷とあって気遣ったのだろう、『今夜はあの子たちと一緒にいてあげなさい』───そうブラスカに言われ、以降彼らとは別行動を取っている。
旅の話をあれこれとせがむ子供たちをどうにか落ち着かせ、寝かし付けた。今はただ、幼気な寝息だけが部屋に満ちている。
愛おしいはずの、この穏やかなゆりかごのような空間。今はその優しさが、真綿のようにゆるやかに罪悪感を煽る。身の置き場のない思いに背を押され、いつかそうしたように、キルヒェは物音を立てぬよう部屋を抜け出した。
寺院の脇道を、月明かりを頼りに歩く。あの日と違って宴の気配はなく、ただ自然の奏でる音だけが静謐な夜の空気を震わせていた。
……いや、それだけではない。
葉擦れの音に紛れ、かすかな声が風に乗って耳に運ばれてくる。それは祈りの歌だった。しかし、聴き慣れたものより幾分調子が外れている。
道なりに足を進め、声の持ち主が判明した。
ジェクトだ。月影の中、ベンチに───あの夜フィオが座っていたのと全く同じ場所に腰掛け、夜空を見上げながら鼻歌を歌っている。
お世辞にも美声とは言えないが、体の中から自然に発せられるような飾らない歌声が妙に心地良くもあった。
なぜかあまり見てはいけないような気がして踵を返そうとしたその瞬間、砂利を踏む音が思いがけず大きく響いてしまった。
ジェクトは歌を止め、キルヒェの方に顔を向ける。
「ん……? なんだ、ひょっとしてキルヒェじゃねえか?」
人違いということにして去ろうとするも、キルヒェの反応など端からお構いなしのジェクトは、わずかに尻をずらしてベンチの空いた場所をべしべしと叩く。
「眠れねえのか? だったら、ちいとばかし付き合ってくれや」
オレもなんだか目が冴えちまってよ、と続ける彼は、シパーフの騒動をきっかけに禁酒を決意していた。
とはいえ長く続かないだろうとあまり期待はしていなかったのだが、予想に反してあれ以来アルコールの類を一滴も口にしていないらしい。有言実行を貫く姿に感心したのか、アーロンの彼への態度は日増しに軟化しているように思える。
しかし、こうして眠れぬ夜を過ごしているということは、酒は彼にとって異郷における数少ない拠り所だったのかもしれない。……ただの飲んだくれという可能性も否めないが。
結局ジェクトの強引さに負けて、仕方なく隣に腰を落ち着けることにした。どうせ放っておいても勝手に喋ってくれるだろうから、適当なところで切り上げればいい。
「ここは星がよく見えるな……ザナルカンドじゃこうはいかねえ。なんせ、夜でも街は眠らねえからな。でけえ建物がひしめき合ってビカビカ光って、空に浮かぶちっせえ光の粒なんて全部飛ばしちまう」
背もたれに体を預け、空を仰ぎながらジェクトは呟く。しかし、彼の目はスピラを覆う無数の星々を通り越し、故郷の煌びやかなネオン群に注がれているのだろう。
「シンボルタワーにフリーウェイ……色々あるが、なんといっても一番は街の中心地にあるスタジアムだな。こんな真夜中でも試合しててよ、たくさんの声援に包まれて……あの高揚感は、他の何にも代えられやしねえ」
ジェクトの声に誘われるまま、キルヒェは摩天の都市へと想いを馳せる。
低い声で紡がれるおとぎ話のような言葉の数々が、不思議と耳に優しく馴染む。機械の街など想像すらままならないが、返答を求められることもなく、ただ空想に身を浸すこの時間は、何者でもない自分を許されているようだった。
自分が所属するチームのことや、息子がブリッツを始めたこと……キルヒェが聞かずとも、ジェクトは自ら色々な話をした。
もしかしたら彼自身、誰かに話すことで故郷の思い出に触れていたかったのかもしれない。
「あー、早く帰ってブリッツがしてえ。女房とガキの顔が見てえよ。けどまあ、ガードになった以上は、こっちの仕事も疎かには出来ねえよな。しっかりブラスカを守ってやらねえと」
───今の私には、こっちのほうが大事なの。
ジェクトの横顔に、フィオの面影が重なる。夢だったブリッツ選手としての道よりも、ガードとしての使命を選んだ少女。彼女はその選択の末、旅の途中で命を落とした。
「……スピラの問題はスピラの人間が解決する。あなたが気にすることじゃない」
本来であれば、彼は無関係なはずの人間だ。召喚士の旅に深入りして、その身を危険に晒すようなことなどあってはならない。
しかしジェクトは、珍しく煮え切らない態度を見せる。わずかな間を置いて彼が放ったのは、キルヒェにとって予想外の言葉だった。
「さっきの歌……な。オレのザナルカンドにもあったんだよ」
「え……?」
「みんながよくやってる……エボンのお祈り? アレだってそうだ。オレらにとっちゃ、ブリッツの勝利を願うまじないだけどな」
エボンの教えすら知らないジェクトが、その歌を、祈りを知っている……それが何を意味するのか、キルヒェには分からない。けれど、二つの土地を繋ぐ糸は確かに存在しているのだ。
「ザナルカンドにゃ、魔物もめったに出やしねえ。『シン』なんて、当然見たことも聞いたこともなかった。けどよ……スピラに来る直前、オレは海ん中で馬鹿みたいにでけえ何かを見たんだ」
「……『シン』?」
「たぶんな。そん時は大人しく眠ってるみてえだったが、いつ目覚めて街を破壊しねえとも限らねえ。もしあいつが『シン』なら、こっちで倒しゃあザナルカンドの平和も守れるかもしれねえだろ?」
キルヒェは閉口する。彼が見たものが『シン』だという根拠はない。ただし、違うという根拠もないけれど。
「苦労してでも『シン』を倒そうとするブラスカの気持ち、少しだけ分かった気がするぜ。周りは使命だの何だのって仰々しく言うけどよ、家族や故郷をめちゃくちゃにされて……出来ることならなんとかしてえよな」
ジェクトは召喚士の真実を知らない。だから、その想いを本当の意味で理解したとは言い難いだろう。
けれどそんなもの、これっぽっちも分からなくていい。何も知らぬまま妻子の待つあたたかな家庭に帰って、『シン』の脅威もこの旅の記憶も忘れ、さっさと日常に戻るべきなのだ。
「……たぶん、ジェクトが見たのは『シン』じゃない」
「んぁ? なんで分かんだよ?」
「そんなに栄えた文明があるのに、一度も襲いに来ないなんてあり得ないでしょ。だからそれは『シン』じゃない。あなたの街に『シン』はいない」
ゆっくりと言い聞かせるように話し終えたキルヒェは、おもむろに席を立つ。
「ん? もう寝んのか?」
「明日に響くから」
それもそうだな、と相槌を打ちながらも、ジェクトの態度はどこか煮え切らない。何か言いたいことでもあるのかと、キルヒェは一応彼の言葉を待ってみる。
「……なあキルヒェ。オレにはどうも、おめえがあえて人を突き放すような態度を取ってる気がしてならねえんだ。今だってよ、まるでオレを『シン』を倒すことから遠ざけるみてえに……」
「生意気で無愛想な女が、本当は思い遣り深い……そんな感動的なドラマがあれば満足? あることないこと勝手に想像して、自分は分かってますみたいな顔しないで」
ジェクトの言葉に被せるように早口で畳み掛けたのは、それ以上触れられたくなかったからに他ならない。これではまるで痛い所を突かれてムキになっているようだと気付くも、既に遅い。
「わぁるかったって! そんなつもりで言ったんじゃねえよ。別に、何もねえならそれに越したことはねえ。なんにせよ、あんま気い張り過ぎんなっつーだけだ」
辛辣な言葉を受けても、これといって気にした様子もなく、ジェクトはどっかりと腰を据えたまま動じない。わざと棘のある物言いをしておきながら、そのことにどこか安堵している自分に気付く。
「……ジェクトはむしろ気を抜きすぎ。迷子の癖に」
「はっはっは! 間違いねえ!」
今度こそ背を向けて歩き出し───ふいに立ち止まる。
「どうした、キルヒェ?」
わざわざ足を止め、振り返ってまで、自分は何を言おうとしたのだろう。「帰れるといいね」? 「死なないで」? そんな言葉、伝えたところで現実は変えられないというのに。
「……夜更かしするのは勝手だけど、寝不足で足引っ張らないでよね」
「おうよ、オメーもな」
ジェクトの表情は闇に紛れ、朧げにしか窺い知ることが出来ない。しかしその声から、ニッと口の端を上げて不敵に笑っている姿が想像出来た。
キルヒェが立ち去ると、背後から再びあの調子外れな歌が聞こえてきた。この優しいジョゼの夜風も、ジェクトの孤独を癒しはしないだろう。この先、彼がどんな運命を辿るのか……キルヒェに出来るのは、それを見届けることだけだ。