軌憶の旅 I
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翌朝。
昨夜はユウナ達と共に夜通し負傷した討伐隊の手当てに追われていたキルヒェだったが、それ以前に───不本意ではあるが───たっぷり休んだためか、誰よりも早く起きてしまった。折角なのでまだ人気の少ない通りを散策しようと、寺院の外へ出る。
「……キルヒェ姉?」
突然かわいらしい声に呼び止められ、振り返る。声の主は見知らぬ少女だった。ティーダやユウナより少し歳下に見えるが、深い海のような瞳は利発さを宿している。
「あ、ええと……『キルヒェ様』のお知り合い、かな?」
「あ……ごめんなさい、そうなんです。とても似ていらしたので、つい。私、ネルケっていいます。ユウナ様のガードの方、ですよね。お話は伺ってます」
穏やかながらもはきはきとした口調でそう言うと、ネルケはエボンの祈りを捧げた。
「昨日は、遅くまでありがとうございました。あの……ひょっとして、うちのおばあちゃんに失礼なこととか言われたりしませんでしたか?」
「おばあちゃん?」
「召喚士がどうとか、使命がどうとか」
「あー……」
記憶を辿り、ユウナが庇ってくれた、あの時の老婆を思い出す。
「やっぱり! 昨日おばあちゃんが変なこと言ってたから、もしかしてと思ったんですけど……すみませんでしたっ」
あの老婆は彼女の祖母だったようだ。地面に着かんばかりに深々と頭を下げるネルケの肩に手を添え、キルヒェは強く首を振る。
「私なら全然大丈夫! ちっとも気にしてないから。それに、あなたが謝ることじゃないよ」
ね? と微笑むキルヒェを見て、ネルケは少し安心したように頷く。
「ありがとうございます。……おばあちゃん、いつまでもあの人が召喚士だったことにこだわってるみたいで。キルヒェ姉は……あ、そう呼んでたんですけど、久々にジョゼから出た召喚士で、すごく期待されてて。だから余計、気に入らないんだと思います」
期待されていただけに……ということか。確かにジョゼから大召喚士が出れば、この近辺は大いに盛り上がっただろう。
「でも私たち、誰が『シン』を倒すとか、どうでも良かったんです。ナギ節は楽しみだったけど、それよりキルヒェ姉にここにいて欲しかった。旅に出るって聞いたとき、すごく泣いて困らせたのを覚えています。ブラスカ様との旅が終わったら帰ってきてくれると思ったけど……それっきり」
「そっか……どんな人だったの?」
「明るくて、お日様みたいな人……本当の姉さんみたいでした。キルヒェ姉が修行で忙しいときはガードのお姉さんが遊んでくれたりして……楽しかったなあ」
遠い日の記憶に思いを馳せるように、ネルケは空を見上げる。その表情はとても幸せそうで、キルヒェは彼女にこんな風に愛されているもう一人の『キルヒェ』を羨ましいとすら思った。
「キルヒェ姉ね、よく歌を歌ってくれたんですよ」
「歌……?」
なぜだか胸がざわつく。太陽のように明るくて、姉のようにに優しくて、よく歌を歌ってくれた人。キルヒェがガードを務めた召喚士の印象とよく似ている。
「はい、替え歌とかも色々レパートリーがあって、それがおかしくって。いつも私たちを楽しませてくれたんですよ。たまにふざけすぎて、僧官さまに怒られたりもしてましたけど。……お菓子盗み食いしたりする召喚士様、キルヒェ姉くらいじゃないかなぁ」
くすくすと笑うネルケを見ながら、内心は複雑だった。もし……もし自分の召喚士が『キルヒェ様』なのだとしたら、自分は一体何者なのだろう。
「生き別れになった双子の姉妹……とか? なワケないか……」
「え?」
「ねえ、ガードのお姉さんって……」
「おーい!」
寺院の方から誰かが呼んでいる。振り向けば、ティーダが大きく手を振っていた。
「あ……もう、行かなきゃ」
「出発、されるんですね」
「うん。……あのさ。私には、故郷がないんだ。『シン』にやられて、なくなっちゃった。だから、ってわけじゃないんだけど……この旅が終わったら、ここへ戻ってきてもいいかな」
なぜこんなことを言ったのか、自分でも分からない。けれどこの少女に対して、言いようのない縁、あるいは情のようなものを感じている。
ネルケはわずかに目を潤ませて、けれど笑顔で頷いた。
「もちろんです。嬉しい」
「ありがとう……それじゃあ、行くね」
そんな彼女に頷き返すと、キルヒェは背を向けた。名残惜しいが、旅を続けなければならない。
「あ、待って! あの……お名前、聞いてもいいですか?」
「キルヒェで、いいよ」
「え?」
「帰ってきたら、本当の名前……聞いてくれる?」
はい、と小さくもしっかりとした声で、ネルケは応えた。その目には、もう涙の気配はない。
強かに生きる彼女らの未来が、どうか明るいものであって欲しい。そう願いながら、その場を後にした。
寺院の出口には、もうすっかり目覚めた旅の仲間たちが集まっていた。皆、思い思いに朝のひと時を過ごしているが、ユウナの姿だけが見当たらない。
「早いわねキルヒェ、朝からどこに行ってたの?」
「おはよーさん」
「おはよう! ごめんごめん、早朝の徘徊をね、してたのよ」
「年寄りか」
アーロンがぼそりと呟く。誰かさんよりは若いですよ、と言い返そうとして、ふと気付く。
「ぷっ……!」
キルヒェは思わず吹き出した。アーロンの足元に、数匹の小さなサルがじゃれついていたのだ。当の本人はいつにも増して不機嫌そうな顔をしたが、追い払わないあたり不快なわけではないのだろう。
「なあキルヒェ、あの女の子、知り合いか?」
ティーダの視線を追うと、先ほどの場所にまだネルケが立っていた。どうやら見送りをしてくれるらしい。キルヒェが手を振ると、彼女もまたそれに応えた。
「さっき、友達になったんだ。ところでユウナは?」
ルールー曰く、まだ眠っているとのことだった。昨晩は異界送りや怪我人の手当てに散々追われていたのだ、無理もない。
「昨日はずいぶん働いたからね」
「オレ、起こしてくる!」
ティーダが寺院に向かってから数分後、慌ただしい足音が近づいてきた。召喚士様のお目覚めだ。
「よーお、ねぼすけ」
ワッカに声を掛けられ、ぺこぺこと何度も頭を下げる。ユウナは慌てているが、からかいながらも見守るガード達の瞳は優しい。
「ごめんなさーい!」
「そんなに急がなくていいのに。ほら、寝癖」
「ええっ」
ルールーに指摘され、必死に手櫛で髪を撫で付けるも、整えたそばからぴょこんと可愛らしい癖が出現してしまう。
「寝癖の召喚士なんて、みんなガッカリだぞ」
起こしてくれたら良かったのにと反論するも、口を開けて寝ていて起きなかったのだとルールーに言われ、ユウナは頬を赤くした。
「今日はなんだか、みんなイジワルっすね」
愉快な会話に、全員が笑った。ミヘン・セッションの残した傷痕が癒えたわけでも、ユウナの使命を忘れたわけでもない。けれど、こうして笑顔でいることがユウナの、そしてここにいる全員の願いでもあるから。
「さて……召喚士様の寝癖がとれたら出発だ」
アーロンの声に、笑みを浮かべたまま頷く。どんな夜でも、明けない夜などない。キルヒェたちは再び歩き出す。いずれ来るであろう、「その時」へと向かって。