軌憶の旅 I
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
飛空艇は高度を上げながら、雲の上を優雅に飛行している。初めは地に足のつかない感覚に落ち着かない気持ちだったが、慣れてしまえば上空からの景色というのも悪くない。
興味の向くままに船内を散策していると、通路に力なく座り込む人物を見つけた。ドナだった。
「よっ、お疲れ。……大丈夫?」
隣にしゃがみ込むと、ドナは一瞬だけ顔を上げた。やはり元気がない。疲れているなら部屋を借りれば良いものを、負傷者に譲るためこうして一人で休んでいるのだろう。人目に付かない場所を選んだのは彼女なりの矜恃か。
「ああ……なんだ、あんただったの」
「なんだって何よ。なんだか思い詰めてるみたいだったから? 心配して来てみたんだけどなあ」
「疲れてるのよ……放っておいて」
もちろん疲労もあるだろうが、なんとなく、それだけではないような気がした。相変わらず隣に居座り続けるキルヒェに、ドナは観念したように深い溜め息をつく。
「……旅、やめちゃおうかな……なんて、思ってね」
「ふーん……ま、いいんじゃない? やめちゃっても」
「人事だと思って……。そんなに簡単に決められることじゃないのよ。その後の人生ずっと、使命から逃げたってレッテルを貼られて生きなきゃならない」
「使命を捨てた召喚士! でしょ。勝手に言わせておけばいいよ。そういうこと言う人ほど自分じゃ何もやろうとしないんだよねぇ」
ジョゼでの、ネルケの祖母の言葉を思い出す。歳を取れば取るほど、『シン』に大切なものを奪われ続けてきたという者は多い。何もかも失って、自分だけが残り続ける───その悲しみは計り知れないだろう。だが、だからと言って彼らに批難される筋合いなどないはずだ。
「あのね……『途中で旅をやめる召喚士もいるけど、その人たちだって絶対に半端な気持ちで召喚士になったわけじゃないんだよ』」
「………」
「あ、ちなみにこれ、ユウナの受け売りね」
真面目に聞いて損した、とドナは心底嫌そうに眉間にしわを寄せる。どうやら、ユウナへのライバル心は健在らしい。しかしそこには以前のような刺々しさも勢いもなく、どこか萎びた自嘲が含まれていた。
「ねえ、ドナ。今まで頑張ってきた自分のこと、それを諦めようとしている自分のこと……どっちもちゃんと、認めてあげてね」
「え……?」
「的外れなこと言ってたらごめん。でも、そんな風に見えたから。覚悟を持って進んだ道のりは、絶対に無駄になんかならない。召喚士じゃなくたって、『シン』を倒さなくったって、あなたはかけがえのない、立派な人だよ」
あなたを必要としてくれる、心強い味方もいるでしょ? そう微笑んで、ドナの顔を覗き込む。
「同情なら、やめてちょうだい」
キルヒェの視線を避けるように顔を背け、ぐい、と音がしそうな勢いで、彼女は目元を拭った。
「そもそもあんた何様? あの子のガードだか何だか知らないけど、知ったような口利いて……なんだか悔しいわね。……よし、決めた」
ぐ、と足に力を込め、ドナは立ち上がる。
「もう一度、頑張ってやるわ。こんな中途半端なとこじゃ終われないっての」
ふらつきながらも背筋はしゃんと伸び、眼差しは傲慢なほど堂々としている。それは紛うことなき召喚士の姿だった。不敵に口の端を上げてみせる彼女に、キルヒェは目を細めた。
ドナと別れ甲板に戻る途中、アーロンと鉢合わせた。巨大な窓に挟まれた通路の両側を、一面の青色が流れていく。そんな中、彼の纏う赤だけが異質で、だからこそ美しく映えていた。
「……まさか、ホームにいたとはな」
「へ?」
何の話か分からず、首を捻る。
「てっきり、お前だけ別の場所に飛ばされでもしたのかと」
「え、あ……私?」
確かに、仲間の一人が見つからないとなれば、それが召喚士でなくとも探しはするだろう。内心では申し訳なく思いながらも、喉はすでに軽口を叩く用意をしている。自分の悪い癖だ。
「なになに、もしかして心配してくれた感じ?」
「砂漠の真ん中に置き去りにしたのでは、さすがに寝覚めが悪いからな」
「うわー。干からびた姿で感動の再会とか、考えただけで嫌すぎるー……」
自分で自分の肩を抱きしめるようにして、ひゃーっと悲鳴をあげる。
無事に再会できた今でこそ冗談で済ませられるが、一歩間違えば現実となっていたのだから恐ろしい。本当に、運が良かった。
ユウナは今……どこにいるだろうか。
シド───あの時のスキンヘッドの男性はなんとリュックの父親だ───から聞いた話だが、飛空艇の装置を使って彼女の居場所を特定できるか試しているらしい。仲間たちは全員ビーカネルに飛ばされていた。にもかかわらず姿が見当たらなかったということは、すでにエボンの手中に落ちている可能性もある。
脳裏に浮かぶユウナはどこか思い詰めたような表情で、彼女の笑った顔を久しく見ていないことに気付く。
どうか、無事であって欲しい。決意を胸に燃やす、あの少年のためにも。
「……ティーダ、知ったんだね。召喚士のこと」
ホームで見せた、彼の強い眼差しを思い出す。
「ああ。いつまでも泣いてばかりかと思っていたが……あいつも、少しは成長したか」
呟いたアーロンの表情が、どこかほっとしているように見えたのはおそらく気のせいではない。口では厳しいことを言いつつ、心配しているのだろう。それこそ、子を見守る父親のような気持ちで。
「アーロン、前に言ってたよね。そうと知った上で立ち向かって貰わないとって。ティーダのこと、信じてたんだね」
アーロンは何も答えず、フンと鼻を鳴らすだけだった。やっぱり素直でない彼に、少し笑ってしまう。
「……不思議な子、だよね」
ザナルカンドから来た少年は、キルヒェたちの常識など当然のように飛び越えてしまう。彼の言動を見ていると、自分が見てきた世界の小ささを実感させられるようだ。
「ティーダが決意した時にね、自分が召喚士と旅してた時の気持ち、少し思い出したような気がしたんだ。いつかの私もあんな風にもがいて、葛藤して……そうこうしている間も北に向かって進むしかなくて。ただ運命に流されるしかない自分を、『覚悟』って言葉でごまかしてた」
あの時流れ込んできた、後悔や無力感の中にある、諦めたくないという気持ち。以前の旅がどんな結末だったかは分からないが、抗いもせずに終わるなんて嫌だ。それだけ自分の中で、ユウナという少女がかけがえのない存在になっている。
「召喚士の運命は変えられないって思ってた。けど私、やっぱり諦めたくない。ユウナを救う方法……たとえ存在しなかったとしても、このまま黙って受け入れるなんて嫌。ティーダを見てたら、そんな風に思ったんだ」
たとえ夢物語だったとしても、夢を現実に変える方法がどこかにあるのではないか。それを端から諦めて、与えられた運命に身を任せることなどしたくない。
現実から目を逸らすなと一蹴されるだろうか。……それでもいい。これが、今の自分の正直な気持ちだ。
予想に反して、アーロンはわずかに目を細めていた。滅多に見せることのない、柔らかい表情で。
それを見た時、胸の内に何かが芽生えた。いや、もしかしたら、ずっとそこにあったのかもしれない。けれど……その気持ちは、きっと。
「ああ……そっか、そうだったんだ……」
「何?」
「私、アーロンのことが好き」
その言葉は、いたって自然にこぼれ落ちた。アーロンは驚きに隻眼を見開いている。
「ちょっと顔、顔! あははは、びっくりした? 残念だけど、冗談じゃないよん」
そういえば、初めて会った時は今と反対に冗談だよと笑ったことを思い出す。あの時は、まさかユウナのガードになるとは思ってもいなかった。この男に対して、こんな想いを抱く日が来るなんてことも。
「キルヒェ、俺は……」
「うん……分かってる。色んな想いを抱えて、ここにいるんだよね」
彼が死人であること、強い想いに縛られて存在していることを知っている。そしていつか、その時が来たら自分から去るつもりだということも。だから、キルヒェから何かを求めようとは思わない。
「応えて欲しいわけじゃないの。もちろん困らせたいわけでもない。だから、今まで通りでいてね。ほら……アーロンって、いつも輪の外側から私たちのこと見てくれてるでしょ。でも、そんなあなたを見てる人もいるんだよってこと、伝えたかった……それだけ」
言いたいことだけとりあえず言い切って、以上です! と胸を張る。アーロンは、どこか焦った様子で一歩、踏み出した。
「キルヒェ、」
その時、船体が大きく揺れた。次いで、階下からシドの声が響く。
「魔物だ! 手ェ貸せ!」
どうやらグアドが使役していた魔物が船内に潜り込んでいたようだ。急いで仲間の援護に向かう。珍しく焦れた様子で、アーロンは一体何を言いかけたのだろうか。戦闘中に気になり始めたが、結局それを聞くことは叶わなかった。