軌憶の旅 I
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祈り子の歌声響く湖の底。追っ手から逃れはしたものの、地表ははるか遠く、やむを得ず膠着状態を強いられていた。
幸いにも、全員無事だった。ユウナは落下の衝撃で未だ気を失っているため、足場になるような場所に寝かせている。
手近な遺跡の残骸に腰掛け手元に視線を落とすと、握られたままの剣が目に入った。剣身にも、こわばって開かない指にも、乾いた血液がどす黒くこびりついている。それから……肉を刺し貫いた時の感触も。
ふと、誰かが近付いてくる気配を感じた。顔を上げずとも、足音だけでそれが誰なのか分かるようになっていることに気付く。
「あはは……見て。手、まだ震えてる」
視線を手元に落としたまま笑う。虚勢に掠れた声が、冷えた大気に虚しく響いた。
「……ごめん。ちょっと、ひとりにして欲しいかも。アーロンといると、なんか……余計なこと言っちゃいそうだから」
起きてしまったことは変えられない。泣き言など言うだけ無駄だろう。けれど、こうして側にいられると、ついそんなことばかりを口にしてしまいそうだった。それはおそらく、彼に対する甘えなのだと思う。
一人になりたいと告げてもアーロンは去らなかった。変わらず、静かにキルヒェを見下ろしている。
「お前はよくやった」
「……うん」
「ガードとして出来ることをしたまでだ。何も間違ったことはしていない」
「うん……私も、そう思う」
戦闘は避けられなかった。ユウナを、自分たちを守るためにはああするしかなかった。キルヒェがやらなければ、今頃誰かが命を落としていたかもしれない。
頭では理解していても、現実に追いつかない心が、なぜと問い続けている。
「もし……過去を振り返ることに囚われて前へ進めないのなら、いつでも後ろに俺がいると思え。責任はすべて俺が持つ。お前は、お前がすべきと思ったことをすれば良い」
「ふふ……アーロンがいつも後ろにいるとか、地味に怖いんですけど」
背後から謎のプレッシャーをかけられ続ける光景を想像し、思わず口角を緩める。
「でも……それは確かに、心強いね」
こうして不器用な励ましを受けるのは初めてではない。他人に興味のないように見えて、その実よく観察しており、厳しくも必要な言葉を掛けてくれる。あくまでも、慰めではないのが彼らしい。
「あのね、アーロンは、どっちかっていうと私たちの前にいるんだよ。すごく歩くのが早くて、たまに見失いそうになるけど……あなたの背中が見えるから、なんとか前に進めてるの。だから……アーロンが突っ走っててくれる限り、大丈夫」
今は少し、歩みを緩めているだけだ。気付けば、手の震えはいくらか収まっていた。
「アーロン! キルヒェ!」
ティーダに名前を呼ばれる。どうやら、ユウナが目を覚ましたらしい。目立った外傷もなく、体調に問題はなさそうだ。
ただ、精神的にはかなり消耗しているようだった。結婚と引き換えにシーモアを問い詰めるつもりだったと打ち明ける彼女の肩が震えているのは、決して冷気のせいだけではないだろう。
「結局、わたしのやったことってなんだったんだろうな。もし、最初からみんなに相談していたら……」
仲間に迷惑をかけまいと取った行動が、反逆者という汚名を着せられる事態にまで発展しまった。ユウナの口からはとめどない後悔が溢れる。
「もういい! しなかった事の話など時間の無駄だ」
「ちょっと、何もそこまで……」
アーロンが鋭い口調で遮る。これまでも、彼がティーダやユウナ達に対してあえて突き放したような言動を見せる事は何度かあった。だが、ここまで辛辣ではなかったはずだ。咄嗟に止めに入ろうとして、そんな小さな違和感に口を噤む。
「そんな言い方しなくてもいいのに!」
振り返ったリュックが強く反論する。しかし、アーロンがその姿勢を崩す事はない。
「ユウナの後悔を聞けば満足するのか」
「そんな言い方、しなくてもいいのに……」
気勢を削がれたリュックの呟きが、祈り子の歌に紛れてか細く吸い込まれていく。彼女の気持ちはよく分かる。憔悴し切った少女に掛けるには、いささか強すぎる言葉だった。けれど、アーロンが理由もなくそんな言い方をするだろうか。
彼をスピラに留める未練。その根源となるものは、ひょっとしたら───。
「……何にせよ、これからどうするか考えないとね……」
あれこれと考えを巡らせるのはあとだ。まずはここを脱出し、苦境を打ち破るすべを見出さなければ。
「ああ」
キルヒェの呟きを受け、アーロンは頷いた。そしてユウナに向き直り、今一度その意思を確認する。
「決めねばならんのは今後の身の振り方だ。旅は続けるんだな?」
「はい。でも……寺院の許可が得られるでしょうか?」
「召喚士を育てるのは祈り子との接触だ。寺院の許可や教えではない。お前に覚悟があるなら……俺は寺院に敵対しても構わんぞ」
「アーロンさん!」
仲間たちが驚きの声をあげる中、ワッカとルールーは強い反対の意思を見せる。事情がどうであれ、罪は罪。罰は受けるべきだと。
そんな状況の中、最終的にユウナが出した結論は『聖ベベル宮のマイカ総老師に事情を説明する』というものだった。
圧倒的な権力を前にこちらの主張がどれだけ通用するかは不明だ。しかし、このままではシーモアの罪を揉み消すため、一方的に悪役に仕立て上げられかねない。せめて、弁解の余地くらいは欲しい。
「アーロンさん……一緒に来てくれますか?」
「事を荒立てたのは俺だからな」
わずかに肩を竦めるアーロンに、自覚があったのかと思ったのはキルヒェだけではなかったらしい。ティーダとリュックがすかさず軽い口調で揶揄う。
「そうそう! 大抵はアーロンが話をやこしくするんだよな」
「だよねえ。キマリがガーッて吠えて、おっちゃんが突っ走ってさ~。ね、キルヒェ?」
突然話を振られ、そうだねと微笑む。聡いこの子達は、キルヒェの心情などとうにお見通しなのだ。キルヒェだけではない。ユウナの気持ちも、ワッカやルールーの気持ちも、すべて察知した上で場の空気を持ち直そうと明るく振る舞っている。
「ついて来いと言った覚えはない」
「仲間が行ったらほっとけるかっつうの! な?」
「……うん!」
ティーダに顔を向けられたリュックは、弾かれたように頷く。
「へへへ、仲間かあ……アルベド族以外に言われたの、初めてだよ」
少し照れ臭そうに、けれど満更でもない様子で頬を掻きながら笑う。それを静かに見守っていたユウナが進み出て、微笑んだ。
「……ありがとう」
笑いながら旅がしたい───そんな願いは、もはやユウナだけのものではない。逆境にあっても笑顔を絶やさない彼らを見ていると、無性に救われたような気分になって、やっと少しだけ、心から笑うことが出来た。
それにしても……と、キルヒェは上空を見上げる。正確には、先ほどまで地表であったはずの場所を。
いくら魔法で冷気を緩和できるとはいえ、長居に不向きな場所である事は間違いない。しかし足場になるような場所も見当たらず、相当な浮力がなければ登る事は出来なそうだ。
どうしたものかと考えを巡らせていた時、絶えず聞こえていた祈り子の歌声がふと途切れた。
「あれ?」
「歌が終わったみたいね」
リュックやルールーも、突然の変化に気付き首を捻る。
「なあ……なんかよ、少し前からザワザワっちゅうか、ゾクゾクっちゅうか……そんな気しないか?」
ワッカが体の変調を訴えた次の瞬間、足元が大きく揺れ始めた。
「あっ……!」
「なんかいるんじゃねえか!?」
「下だ!」
アーロンの声に、一斉に足元を見る。
湖底だと思っていた場所は、水面に張られた氷の上だったらしい。その更に下、黒く巨大な影がゆっくりと浮上してくるのが見えた。『シン』だ。
「毒気に気を付けて!」
揺れが次第に大きくなる。ルールーの忠告がかろうじて聞こえたが、すでに前後の判断すら付かなくなりそうだ。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるような感覚の中───誰かの意識に、そっと触れたような気がした。