軌憶の旅 I
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一夜明け、例の件の返事をしようとシーモア邸に向かうも、彼は一足先にマカラーニャ寺院へ出立したとのことで面会は叶わなかった。
しばらく留守にするとは聞いているが、さすがに早すぎはしないだろうか。結論が先延ばしになれば、それだけ悩む時間も増える。異界での一件以来ユウナの様子が不安定なこともあり、心配の種は尽きないが……とにかく今は歩みを進めるほかない。
昼も夜も、季節さえも問わず、永久に止むことのない雷鳴轟く不遇の地。
そんな雷平原もそろそろ中盤に差し掛かった頃、リュックの切実すぎる訴えにより旅行公司で休憩を取ることになった。大の雷嫌いだという彼女は、建物の中に逃げ込んでもなお小さく縮こまって震えている。
「まったく、大げさだよなあ」
ワッカが呆れたように笑う。しかし、その表情は天真爛漫な妹を見守る兄のように温かい。
「でもまあ、ああいう奴がいると見てて飽きないし、楽しいよな。なんつーか……こういう旅、だしよ」
キルヒェは強く同意した。
リュックには容易に話せない事情があるようだが、彼女がユウナのために努力していることは分かる。その明るさに救われているのは、決してユウナだけではないということも。
ワッカがアルベドに嫌悪感を抱いている事は理解しているが、せめてリュックという個人とは打ち解けて欲しいと願うばかりだ。
「少し……疲れました」
背後から聞こえてきたのは心労に沈んだ声。宿に入るなりそう呟いて、まっすぐ部屋へと向かうユウナを視線だけで追う。ミヘン・セッションの惨劇の後ですら気丈に振る舞っていた彼女が、あからさまに疲れた顔を見せるなど滅多にないことだ。事態は予想以上に深刻なのかもしれない。
ユウナが自ら仲間を頼って来るまでは、なるべく余計な口を出さずに見守ってやりたい。だが、もしもユウナに危険が及ぶようなことがあれば、彼女の意思を多少無視してでも介入するつもりだ。その見極めを、見誤らないようにしなければ。
入口付近に突っ立ってそんな事を考えていた時、突然ドアが内側に開いた。入ってきた小柄な人物とぶつかりそうになり、咄嗟に身を引く。
「わ……っと、ごめんなさい!」
「おお……いえ、こちらこそ申し訳ございません」
ゆっくりと会釈をするその人物には見覚えがある。ミヘン街道やグアドサラムでも出会った、歴史に詳しいメイチェンという老人だ。
すぐに道を譲ろうとしたのだが、彼はキルヒェを見つめて、はて、と首を傾げる。
「あの、どうかされました?」
「ああ、いえ……失礼いたしました。あなた様を見ておりましたら、唐突に、昔のことを思い出しまして」
「昔のこと?」
「ええ。あれは……そう、おそらく十年ほど前のことです。ちょうどこの雷平原で、ひとりのお嬢さんにお会いしたのですが……その方に、どことなく似ていらっしゃるような気がしたのですよ」
もしかしたら、自身の記憶に関わることかもしれない。そう思い、メイチェンの話に耳を傾ける。
「不思議な方でした。死人は祈り子になれるのか、と、そんなことをおっしゃったのです」
「死人が? ……なれるんですか?」
「人はエボンの秘術によって祈り子へと変えられます。詳しい仕組みは存じ上げませんが……祈り子とは肉体を持たぬ魂のみの存在。そう考えると、死人であったとしても不可能ではないやもしれません。かつてのあたしも、そのようにお答えしました」
死人が、祈り子に。その天則を超えた不吉さに、ぞわりと肌が粟立つ。
「その人……死人だったんでしょうか」
「さあ……死人といえど、一目には普通の人間と変わらないと言いますゆえ。ただ、そのお嬢さんから強い決意のようなものを感じましてな。ひょっとしたら、と思わずにはいられませんでした。その後どうされたのか気になってはいるのですが……結局分からず終いなのですわ」
軽い目眩を覚えて目元に手を当てる。少し……気分が悪い。
「顔色が優れないようですが、どうかなさいましたか?」
「あ……いえ! 大丈夫です。お話してくれてありがとう、メイチェンさん」
気遣わしげな声を掛けるメイチェンに礼を述べると、彼はこちらこそ、と微笑んでフロントへと向かう。その背中を見つめながら、こっそりと小さく息を吐いた。
メイチェンが出会ったという、キルヒェに似た人物。キルヒェ本人か、『キルヒェ様』か、あるいはそのどちらでもないのか。真相は分からないが、妙な胸騒ぎを感じる。
しかしそんな出口の見えない思考は、突如響いた声によって中断された。
「アーロンさん!」
視線を上げ、声の主を確認して……またしても見知った顔であることに気付く。日に焼けた肌にゴーグル、肩まで伸ばした金髪といった出立ちの男性───この旅行公司の経営者、リンだ。
「ご記憶にないでしょうか? あれは10年前…ブラスカ様のナギ節のはじめです」
「ああ、世話になったな」
珍しい取り合わせだが、まさか知り合いだったとは。しかし、久々の再会を喜ぶリンに対し、アーロンはどこか気乗りしない様子だ。……まあ、朗らかに対応されても、それはそれで不気味なのだけれど。
「いえいえ。重傷を負われた方を放ってはおけません。それにしても、翌朝あなたの姿が消えていた時は驚かされました。常人ならば歩けないほどの傷でしたのに……」
会話は何やら不穏な方向へと進む。わずかに眉を潜めるアーロンを見て、やはり触れて欲しくない話題なのだと確信したキルヒェは、つい今しがた気付いたような風体を装い二人へと近付いた。
「あれ……ねえ、ひょっとしてリンさんじゃない?」
声を掛けられ振り向いたリンは、キルヒェの顔を見るなり意外だとばかりに軽く両手を広げる。
「おや……キルヒェさん? お久しぶりですね。まさか、あなたもユウナ様のガードになられたのですか?」
「まあ、色々ありまして」
ガードになったことがよほど意外だったのか、リンは目を丸くして驚く。ともあれ、彼の関心はすっかりキルヒェに向いたようだ。仰々しく頷き返しながら、内心密かに安堵する。
「それはまた、どういった心境の変化で? 以前は当店のカウンターで酔い潰れたあげく、『私はキルヒェ様じゃない!』と泣き喚いていらっしゃいましたのに」
「確かに酔ってたけど潰れてないし泣いても喚いてもなーい。ていうかリンさん、面白がってるでしょ」
「いえいえ。ただ、世の中には不思議なこともあるものだと思いまして」
くすくすと笑い声を上げるリンを見て、本当に食えない男だと思う。シーモアとアーロンの舌戦もなかなかに壮絶だったが、もしあれがアーロンでなくリンだったなら……考えただけで身の毛がよだつ。
「それはそうとキルヒェさん、なんだかお疲れのようにお見受けしますが?」
それに加えて鋭い観察力、やはり抜け目がない。そしてこのパターンは身に覚えがある。確実に、商売の話に繋げるつもりだ。
「そりゃあもうすっごい雷に晒されてきたんだもん、もうヘトヘトよ〜」
「確かに、この平原の雷はいつ来ても過酷ですからね。そうだ、お勧めの滋養剤がありますよ。あまりの人気ゆえ欠品続きだったのですが、ちょうど昨日再入荷しまして……」
案の定、カウンターの中から小瓶を取り出してきたリンに苦笑いを浮かべる。まあ、今日のところは再会と、その他のあれこれに免じて乗ってやらなくもないと、健康的に色づいた手の平に硬貨を乗せる。
ちらりとアーロンを盗み見れば、彼は普段と変わらぬ仏頂面だった。お節介が過ぎたか、などと思いながら流し込んだ小瓶の中身は、人工的に清涼感を持たされた苦い薬品の味がした。
「みんな……いいかな」
旅行公司を出発してしばらく経った頃、ユウナが突然足を止めた。何やら話したいことがあるらしい。せめてこの平原を抜けてからと説得しても、どうしても今ここで、と彼女は譲らない。
何もない場所で立ち止まるのも危険なので、屋根の付いた避雷塔の下に移動して話を聞くことになった。
「わたし……結婚する」
戸惑いや驚き、あるいは予想通りといった反応を、それぞれが返す。ユウナが主張を覆したのは、やはりジスカルの件が原因なのだろう。
「あ……あのスフィア!」
ティーダは何か心当たりがあるらしい。それを聞いたアーロンがスフィアを見せるよう詰め寄るが、ユウナは個人的な問題だと頑なに拒む。
これほどまでに彼女を悩ませるものは、一体何なのか。力になりたいが、無理に手を差し伸べればきっと余計に彼女を追い詰めてしまう。何も出来ないことが、ただひたすらにもどかしい。
「だが、今一度聞く」
「あ……旅は、やめません」
「ならば……よかろう」
たったそれだけで話を済ませようとするアーロンに、ティーダが噛み付く。
「ちょっと待てよアーロン! 旅さえしてれば 後はどうでもいいのかよ!」
「その通りだ。『シン』と戦う覚悟さえ捨てなければ……何をしようと召喚士の自由だ。それは召喚士の権利だ。覚悟と引き換えのな」
ユウナがやりたいと思うことなら、もちろん何でも応援したい。けれどそれは、彼女が心から望んでいれば、の話であって。
「権利……なのかな、これって」
やりきれない思いのまま、思わず呟く。ユウナがしようとしていることは分からない。おそらくジスカルの件で何かを知り、シーモアを説得、あるいは彼と交渉しようとしているのだろう。結婚はその代償と考えているのかもしれない。
それは確かにユウナの意思ではあるが、望みではない。あくまでも「自分がやらなければいけないこと」だと思っている。そんな義務感に駆られた選択を、果たして権利と呼べるのだろうか。
「ユウナ」
名前を呼べば、二つの色を持った瞳がこちらを見返す。まっすぐで、揺るぎない瞳。
「話せないことは無理に話さなくていい。でも……約束して。自分の力だけじゃどうにもならないって思ったら、必ず私たちを頼るって」
控えめにだが、ユウナは頷いた。それだけで充分だ。少なくとも、今は。
リュックがユウナの肩に手を置き、覚悟ばかりさせてごめんねと───轟く雷にも負けずに、強く言った。