軌憶の旅 I
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シーモアの屋敷から出ると、そこにはアーロンが一人で佇んでいた。どうやら待っていてくれたらしい。
「話は済んだようだな」
「うん。お待たせ」
「奴に何を言われた?」
「なんかね、留守番? 頼まれてくれないかって」
「もう少しましな嘘をつくんだな」
「本当だって! あ、もちろん断ったよ。ユウナの側、離れたくないもん」
「当然だ。何を企んでいるのか知らんが、どうせ碌でもない事だ。あの男には気を付けろ」
そう言うなり身を翻しどこかへ向かおうとするので、キルヒェも慌てて後を追う。当然、行くあてなど知らぬまま。
「そういえば、みんなは?」
「異界だ。ユウナが、ブラスカに会って例の件の返事を考えたいと」
「そっか。ユウナ、あの性格だから……スピラのために結婚するって言い出しそうで怖いよ」
「ああ見えて頑固だからな。一度決めたら、誰がなんと言おうと曲げはしないだろう」
「そこなんだよねぇ……」
自分たちも、仲間と合流するために異界へ向かうのだろう。そう考えて、ふと、アーロンに向けたシーモアの言葉を思い出す。
「あのさ、私も異界に行こうと思うんだけど、アーロンは……」
「俺は遠慮させてもらう。異界は……性に合わん」
胸の中の疑念が、波紋のように広がっていく。
強い未練や後悔のある人間は、死後もこの世に留まり続ける……そんな話を聞いたことがある。そんなお伽話のようなことがあるものかとその時は思ったが───まさか、彼が?
不安を打ち消すように小さく首を振る。考えても答えが出るわけではない。
その後はたいした会話もなく、気付けば異界の入り口へと辿り着いていた。階段の下、設けられた手すりの淵にリュックがひとり腰掛けている。その手に握られているのは、シーモア邸からちゃっかりくすねた珍しい果物だ。
「あれ? リュック、行かないの?」
「うん。異界ってさ、死んだ人がホントに出てくるわけじゃないじゃん? 幻光虫が人の想いに反応してるだけなんだよ」
思い出は心のなかに、というのがリュックの持論らしい。それも一理あるが、今は何より確かめたいことがある。
「そんなワケで、行ってらっしゃい」
もぐもぐと果物に齧り付きながら手を振る少女に、キルヒェは頷いて応えた。
異界───死者の魂が集まるとされている場所。
昼とも夜ともつかぬ空の下、断崖から流れ落ちる滝が幾筋もの白銀の帯を描き、眼下には極彩色の花園が遙か彼方まで広がっている。
美しいけれど、空恐ろしい。不穏だけれど、安心する。そんな相反する感情を抱かせる場所だと感じた。
ワッカの前に浮かび上がる少年は、おそらく弟のチャップだろう。ルールーが遠巻きに二人を見守っている。ユウナは両親を前に、奥の方でティーダと何やら話し込んでいるようだった。キマリは……いつも通りだ。
キルヒェも空いている場所を選んで立ち止まり、深呼吸をして目を閉じる。そして記憶の中、僅かに残る『あの人』のイメージを手繰り寄せると、緊張しつつも再びゆっくりと目を開けた。そこには───。
「やっぱり出てこない……か」
先ほどまでと同じ、何もない、ただの空間。
元より確信があるわけではなかった。どういった原理かは知らないが、やはり顔も名前も分からない人物を呼び出すのは難しそうだ。そう冷静に考えつつも、少なからず安堵している自分がいる。
誰も現れないことが確認出来ただけでも充分だ。折角来たのだから、ついでに両親に挨拶でもしていくか……と思った矢先、異変を感じた。本来なら死者の姿を形取るはずの幻光虫は、相変わらず虹色の発光体のままふわふわと浮遊しているのだ。
「え……?」
両親と同じく『シン』に襲われた幼なじみや近所のおじさんおばさん、犬や猫、その他思いつく限りの人物を想像するが、誰一人として姿を現す者はいない。
「キルヒェ、どうしたんだ?」
「あ……ティーダ」
声をかけられ、動揺のあまり気配に気付けなかったキルヒェは慌てて平静を装う。おそらく無心に虚空を見つめる姿が異様だったのだろう、ティーダは不思議そうに首を傾げている。
「誰かに会いに来たんじゃないのか?」
「ああ……いいの。親の顔でも見ていこうかなって思ったんだけど、やっぱりやめとくわ。こんなちゃらんぽらんな娘じゃ、会わせる顔ないもんね」
「? そんなもんッスかね……あ、そうだ! ユウナ、結婚しないことにしたって」
「そっか……そう聞いてほっとしたよ」
ユウナの決断に胸を撫で下ろす。幸せになって欲しい、などと言う権利はないが、それでもスピラのために身を捧げるような結婚などして欲しくはない。
しかし、同じ気持ちであるはずのティーダの顔はどこか晴れない様子だ。
「ティーダ、何かあった?」
「何か、ってワケじゃないけど……なんつーか、異界ってこういう場所だろ? だから、ちょっとしんみりしただけ」
「うん。そうだね、しんみりしちゃうね」
深く追及することはせず、肯定する。普段明るく饒舌な彼は、父親のことになると途端に口を濁すことが多い。異界では会えなかったのだろうか。本当に『シン』になってしまったのだとして、果たしてそれを生きていると言えるのかは分からないけれど。
「おーい、そろそろ行くぞー」
気付けばそれなりに時間が経過していたらしい。ワッカに呼ばれ、ティーダと共に異界を後にする。
「お待たせしました。シーモア老師に返事をしに行きます」
結婚の話を断ることを告げたユウナの表情は、先ほどよりも幾分晴れやかに見えた。それを聞いた仲間たちも、心なしかほっとしているようだ。
「ああ……!」
突如背後から聞こえたどよめきに振り返り、驚きに目を見張る。異界とグアドサラムの間に張られた結界を、人の姿をした何かが破って来ようとしていたのだ。
「ジスカル様!?」
誰かがその名を叫ぶ。
先代の族長であり、エボンの老師であったジスカル───シーモアの父。あれがいわゆる死人という存在なのだろうか。姿こそ生前のものであるようだが、人の言葉は無くしてしまっているようだった。それでもなお、その顔は必死に何かを伝えんとばかりに歪められている。
「ユウナ、送ってやれ」
アーロンの言葉に頷いたユウナが進み出て、ロッドを掲げる。
屋敷でのシーモアの言葉、そして、異界へ足を踏み入れようとしなかった彼。一抹の不安を覚えたキルヒェが振り向くと、そこには苦しそうに幻光虫を振り払い膝をつくアーロンの姿があった。
「………!」
仲間たちの視線はジスカルとそれを送るユウナに注がれているため、誰も気付いてはいない。咄嗟に駆け寄り背を支えるが、自分より遥かに広く逞しいはずのそれが、今までになく弱々しく思えた。
一刻も早くこの場を去りたい。このまま彼という存在が希薄になって、消えてしまったら……そう思うと、無性に怖かった。わずかに顔を上げたアーロンが、こちらに向かって小さく頷く。行ける、ということだろうか。それを確認したキルヒェは、消えゆくジスカルを唖然と見つめる仲間たちに声を掛けた。
「……行こう!」
その声を皮切りに、異界を後にする。
ユウナのこと、アーロンのこと、ジスカルのこと、それからキルヒェ自身のこと。短い時間に起こった様々な出来事が、街へと続く参拝道を余計に暗く物々しい雰囲気にさせていた。
「さっきの、どういうことだ? なんでジスカル様が……」
「異界送りされなくて魔物になったんだろ?」
すっかり困惑した様子のワッカに、知った顔をするティーダ。ルールーはそんな二人に、強い思いに縛られた者は異界送りされてもスピラに留まることがあるらしい、と説明する。
「まともな死に方をしなかったということだな」
そんなアーロンの呟きが、やけに耳についた。その言葉に含まれているのが、どうか自嘲の笑みでありませんよう───そう願いながら、薄暗い小路を無言で歩いた。