軌憶の旅 I
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グアドの民が住まう里、グアドサラム。招かれたシーモアの屋敷で見せられたのは、千年前のザナルカンドの姿だった。
煌々と輝くのは満天の星ではなく、競うように乱立した巨大な建造物群の放つ人工の光。真夜中にもかかわらず、街は人々で溢れかえっている。機械による繁栄を極めた、眠らない街。すべてが触れそうなほどに近く、はっきりとした現実感を伴って目の前に展開され、思わず感嘆の声を漏らす。
場面が変わり、ベッドに腰掛ける一人の女性が映し出された。ユウナレスカ─── ユウナの名の由来である、史上初めて『シン』を倒したとされる召喚士。
しかしそんな偉業も、決して一人で成し遂げたわけではないとシーモアは語る。固く結ばれた愛の力こそが『シン』を打ち破ったのだと。
黄金の鎧をまとった男が現れ、ユウナレスカとあたたかな抱擁を交わす。その時、ユウナに近付いたシーモアが何かを囁いたことに気付いてはいた。けれどまさか、そこまで突飛な内容だとは思ってもみなかったのだ。
「……結婚を、申し込まれました」
顔を真っ赤に染めたユウナが発した言葉に、キルヒェ達はどよめいた。一方のシーモアは相変わらずの涼やかな佇まいで、それが余計にガードたちの厳しい視線を誘う。
「ユウナの使命を知っているはずだが」
「苦しむ民の心を少しでも晴れやかに……それもまた、民を導く者のつとめ」
アーロンの鋭利な視線に射られても、シーモアはその微笑を微塵たりとも崩さない。
グアドとヒトの混血であるエボンの老師と大召喚士ブラスカの娘。確かに、そんな二人が結婚となればスピラは祝福の声に満ちるだろう。しかし『シン』がいる限り、その喜びも長くは続かない。それはユウナも分かっているはずだ。痛いほどに。
「スピラは劇場ではない。ひとときの夢で観客を酔わせても現実は変わらん」
「それでも、舞台に立つのが役者のつとめ」
双方譲らず。張り詰めた空気が広間を支配したが、とにかく現段階では返事は保留とすることになった。
「出るぞ」
アーロンの言葉を合図に、仲間たちは次々と退出し始める。
「そうだ……キルヒェ殿」
彼らに続いて部屋を出ようとしたその時、唐突にシーモアに名前を呼ばれた。
「少し、お話したいことが」
「キルヒェ!」
「……アーロン殿」
アーロンは鋭い声でキルヒェを引き戻そうとする。そんな彼を一瞥し、シーモアはこう問い掛けた。
「何のために留まっているのです?」
それが何を意味するのか分からない。けれど、アーロンが反応したのは確かだ。
「……これは失礼、我々グアドは異界の匂いに敏感なもので」
───異界の、匂い?
なぜか胸騒ぎを覚えてアーロンに目を向ける。その言葉が意味する『何か』を、ただ否定して欲しくて。
しかしそんな思いとは裏腹に、彼は匂いを嗅いで確かめようとするティーダを払い除け、何も言わずに屋敷を後にした。
「トワメル」
「はっ、シーモア様」
シーモアは側近を呼び付けると、あろうことか使用人らを引き連れて下がるよう指示する。必然的にシーモアと二人残される形となったキルヒェは、それとなく警戒しつつ、慎重に相手の出方を窺う。
「キルヒェ殿。ユウナ殿の件、驚かせてしまったようで申し訳ない。しかし私もエボンの老師。常に民への最善を尽くしたいのですよ」
「いえ……あの、さっきのってどういう意味ですか」
「アーロン殿の事ですか? 特に深い意味はありませんよ。お気になさらず」
キルヒェに向けるシーモアの微笑みは、普段の取ってつけたようなそれよりも幾分か柔らかく見える。けれど澄んだ色の瞳は同時に底知れぬ奥行きを内包しているようでもあり、その真意を伺い知ることはできない。
「それより、本題に入りましょう。実は、あなたに折り入ってお願いがあるのです」
「私に、ですか?」
「難しい事ではありませんから、どうかそんなに構えずに。私はもうすぐグラドサラムを発ちます。その間、あなたにこの屋敷を任せたいのです。早い話が、留守番ですよ」
「るすば…………え?」
理解を超えた単語に、ポカンと口を開けて固まる。正確には意味自体は理解できるのだが、その意図するところがさっぱり分からない。しかしそんなキルヒェの困惑をよそに、シーモアは少し笑みを深めて続ける。
「最近、使用人の中に、私に反感を持つ者がいると仄聞したのです。単なる噂なら構わないのですが……それが事実ならば、留守をいいことに不義を働こうとするやもしれません。本来であればトワメルに任せるところですが、あいにく彼も同行する事になっておりまして」
「あー……、はあ……」
正直、気になるポイントはそこではない。そして困ったことに、話が想定外すぎてこれっぽっちも頭に入ってこない。
そもそも、いくら『キルヒェ様』と親しかったからといって、似ているだけの他人に自宅を任せようとするだろうか。半端な身内よりは内情を知らない一般人のほうが安心、という事もあるのかもしれないが、それにしても。
「えーと、話は理解したんですけど、私に頼む理由が全く分からなくて……『キルヒェ様』に似ているからですか? それだけで?」
失礼は承知だが、気になるものは気になるのだから仕方ない。当のシーモアに気を悪くした様子はなく、むしろもっともだとばかりにゆったりと頷いた。
「失礼、話が唐突すぎましたね。戸惑われるのも無理はありません。なにせ、屋敷を任せたいというのは単なる口実に過ぎませんから」
本来の目的は別にある、ということだろうか。警戒に身を固くするキルヒェとは対照的に、シーモアは緩慢な仕草で顎に手を当てる。
「何と説明すればよいか分かりませんが……私は、私の知るキルヒェとあなたの間に、何かしらの関係があるのではと考えているのです」
「え?」
「先日お会いした時から不思議に思っていました。これほどまでに良く似た二人が同じ名前を持っている……そんな偶然は、果たしてあり得るのか、と」
「それは……あの人と私が同一人物じゃないかってことですか?」
キルヒェとて、もしやと思わなかったわけではない。しかしそれを肯定することは、自分の人生に対する否定に直結する。
「初めはそう思いました。ですが、それだと整合性が取れない理由があるのでしょう? あなたと彼女を結びつける理由が、何か他にあるはずだ」
「理由……」
「例えばですが……キルヒェ殿、あなたのご出身はどちらですか?」
「えっと……確か、ここよりずっと西の方です。あれ、南だったかな……? とにかく何にもない、小さな島にあった集落で、今はもう『シン』に……」
キルヒェの言葉に耳を傾けていたシーモアが、驚きに目を見開く。けれどすぐに、どこか納得した様子で数度頷いた。
「それは興味深い。『キルヒェ』の生まれも小さな島なのです。場所は……おそらくミヘン街道を少し西へ行ったあたりかと」
「え? ジョゼじゃないんですか?」
「彼女の故郷も『シン』によって壊滅しました。私たちが出会ったのは、彼女が故郷からジョゼに向かうわずかな間の出来事です。あの頃は、辛い事も多くありましたが……彼女と笑い合えた時間は本当に楽しかった」
懐かしさに目を細めるシーモア。しかしキルヒェはどこか腑に落ちない気分だった。
『キルヒェ様』にまつわる話は幾度となく耳にしてきたが、誰もがジョゼの出身だと言っていたはずだ。彼女と旧知の仲であるアーロンやネルケでさえも。
そもそも、彼女と同郷だということはあり得ない。ほぼ全員が顔見知りのような、田舎の小さな島なのだから。
彼女の故郷の名を問おうとして、はたと気付く。自分の故郷である、あの島は何という名だった?
───どうしても思い出せない。昔の記憶など曖昧なものだ。それこそ『シン』の毒気という可能性もある。そう自分に言い聞かせてみても、不安が完全に消えることはない。
「……あなたの事情も考えず、混乱させてしまいましたね。ただ、こうして二人で記憶を擦り合わせていけば、いつか真実が見えてくるのではと思ったのです」
動揺を滲ませるキルヒェを気遣ってか、シーモアは子に言い聞かせるかのごとく穏やかな声で語りかける。
「老師ともあろう者が公私を混同するなどいとわしい事ではありますが、このような身分だからこそ、心から友と呼べる者も今はおりません。グアドサラムへ帰って来た暁には、一度あなたとゆっくり話がしたい。この屋敷には書物といくばくかのスフィアしか娯楽はありませんが、自由に過ごしていただいて構いません。どうか、人助けと思って頼まれてはくれませんか」
真摯な視線を受け、言葉に詰まる。彼の言う通り、こうして記憶の突合を行っていけば、いずれ隠された真実に辿り着けるかもしれない。
だが、あいにく返事は最初から決まっている。意思を強く持たなければ。断らなければいけない理由が、キルヒェにはあるのだから。
「……真実を知りたいという気持ちはあります。でも、今はユウナのことを一番に考えたいんです。私自身のことは、旅のついで……いえ、旅が終わってからでもいい。焦らずに、ゆっくり探せたらと思っています」
この屋敷に残るとなると、その間はガードを降りることになる。今のキルヒェにとって、最も優先すべきはユウナのことだ。彼女と離れてまで知りたいことなど存在しない。
そんな意思を込めて答えたキルヒェは、しかしあることに気付いてあっと声をあげる。
「ていうかこれ、そもそも拒否権ないやつだったりします!? えっどうしよう、捕まっちゃったりとかしないですよね……!?」
老師直々の依頼など、もしや命令同然だったのではないか。それを断ったとなれば、ガードを降りるどころの騒ぎではない。
あたふたするキルヒェを前にしばし目を瞬かせていたシーモアだったが、ある時ふいにその口元を緩ませる。
「ふっ……ふふ、あははは!」
堰を切ったように笑い始めたシーモアに、今度はキルヒェが呆気に取られる番だった。
「し、シーモア老師?」
「いえ……すみません、なんだか懐かしくなってしまって。キルヒェも、とても正直な人でした。彼女が同じ立場だったら、きっと似たような事を言ったでしょうね」
その端麗なまなじりに涙すら滲ませ、肩を震わせて笑う。ミヘン・セッションでの発言といいユウナの件といい、どの程度信用に値するかは判断しかねるが、これも彼の持つ顔の内の一つなのかもしれない。
そんな飾らない一面があることがなんだか微笑ましく思えて、キルヒェも小さく吹き出してしまった。
「……あなたの決意を、単なるわがままでお引き留めするわけにはいきません。ですがキルヒェ殿、どうか……お気をつけて」
ひとしきり笑った後、シーモアはそう言ってキルヒェを見送った。その表情が、どこか寂しげに見えたのは気のせいではないだろう。
そのことに心が痛まないわけではないが、彼が求めているのもまたキルヒェ自身ではない。自分は、自分の物語を進めなければ───そう胸に決めて深く一礼し、キルヒェもまた広間を後にするのだった。