軌憶の旅 番外編


Cradle Song

※ シーモア夢
※ Ⅲ章4話『Lullaby』読了後推奨
※ あったかもしれない未来のお話
※ なんでも大丈夫な方向け



控えめなノックを2回。我ながら、珍しくも緊張しているのだと思う。返事はすぐに返ってきた。いつもと変わらぬ声。朗らかで、快活な。

「あ、はーい! 入って入って」

ドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開ける。部屋の奥に置かれた姿見の前に、彼女は立っていた。
鏡越しに目が合う。微笑んでこそいるが、その表情はいつになく自信なさげで、困ったように眉尻を下げていた。けれど───。

女性らしく華奢な、それでいて躍動的な生気を感じさせる剥き出しの背中。腰から肩甲骨にかけて、繊細な模様のレースに覆われている。ぴったりと張り付いたそれは、やわらかな白龍の鱗のように見えた。
光沢のある、まっさらな絹の布地が、流麗なラインを描きながら床へと滑り落ちていく。裾はゆったりと長く、大窓から差し込む光をたっぷりと浴びて汀のごとく輝いていた。

そのどれもが、今まで目にした何よりも美しかった。彼女のいるこの空間が、この世界のどんな災いからも守られた神聖な場所のように思えた。

「ちょ、ちょっと、まだ早いって!」

鏡の中で目を丸くした彼女が振り返った。慣れない衣装にもたつきながらもこちらに歩み寄り、手を伸ばす。

「何が───」

問いかけようとした矢先、頬を拭われる。そうされて初めて、私は自分が涙を流していることに気付いた。
少しだけ強引な手つきに、片側だけ上げた口角。場を和ませようとするそのやり方が、いかにも彼女らしい。しかし思ったようにいかなかったのか、わずかに眉を寄せた。そしてそれを誤魔化すように、くしゃりと笑った。

「あは、ダメだあ……つられて私まで泣けてきちゃった」

頬を流れる透明な雫を掬い上げる。一度溢れたら止まらなくなってしまったのか、先に落ちた涙を追うように次々と零れ出す。そっと唇を寄せれば、くすぐったいだとか、メイクが落ちるだとか、そんな照れ隠しで抵抗する振りをしながら彼女は笑った。

かつて一度、##name1##はイクシオンに拒まれたことがある。それは彼女にとっては大きな挫折であったが、私にとっては幸運に他ならなかった。そうでなければ、今ごろ寺院の堂を飾る聖像の一つに彼女の姿があったことだろう。
その出来事からほどなくして、大召喚士ブラスカのナギ節が訪れ、私は僧官としてマカラーニャへと呼ばれた。慰問で寺院を訪れた##name1##と再会したのはその頃だ。
共に過ごせなかった分の時間を埋めるように、魂が互いを求めていた。会える日はさほど多くなかったが、彼女と結ばれるのにそう時間はかからなかった。

夫婦になることを望んだのはいたって自然なことだ。しかし、世間がそれを許さなかった。家柄も肩書きも持たない、どこの馬の骨とも分からぬ女。そんな風評は気にするなと、何度も言い聞かせた。けれど、##name1##はもう一度祈り子との対話に挑むことを選んだ。
その結果、彼女は晴れて正式に召喚士として認められたのだ。

「ねえ、このままいけば、シーモアはいずれ老師様になるかもしれないんだよね」

やっと涙を止めたらしい##name1##がこちらを見上げる。睫毛に絡んだ涙の粒が、瞬きと同時に小さく弾けた。

「どうだろうな、そうでありたいとは願うが」
「何言ってるの、有望株のくせして。……それでね、そんな人の奥さんになるのは、私としてはとても不安なわけです」
「それは……すまない。私が優秀なばかりに」

自分で言うかなあ、と、彼女は片眉を上げていたずらっぽく笑った。そんな子供のような顔が見たくてつい揶揄ってしまうことも少なくないのだが、それはまだ本人には伝えていない。

「……でもね、不安なりに頑張りたい。私たちだから出来ること、きっとあると思うから」

##name1##を批判していた人々は、召喚士になったと分かった途端、手のひらを返したように彼女を賞賛し始めた。『グアドとヒトを繋ぐ、希望の架け橋』。私は##name1##を、召喚士だから、ヒトだから愛したわけではない───そう、何度も声を大にして言いたかった。
けれど彼女はそれでいいのだと言う。グアドの他種族に対する態度が以前に比べて軟化したとはいえ、問題は未だ山積みだ。私たちの力で何かを変えられるのなら、喜んで民のための象徵になろうと。

「私たちが子供の頃に味わったような苦しみを、もう誰にも感じて欲しくない。グアドも、ヒトも……アルベドや、ロンゾや、他のどんな人たちにだって」
「##name1##……」

ずっと憎み続けていた。不条理な離別の苦しみも、そんな苦しみにあえぐ弱者を見捨てる人の心の醜さも、何もかもを。
この先もきっと、幾度となく人に裏切られ、絶望し、守り導くのに値する存在なのかと苦悩するだろう。だがその度に、彼女が思い出させてくれる。手を握り合い、共に描いた世界の夢を。

込み上げる愛しさに誘われるまま、微笑みを浮かべる唇に口付けた。
燦々と降り注ぐ陽光は祝福の光。沢山の民と自身のガード達に見守られながら、彼女は今日、スピラで最も美しい笑顔をこの陽のもとに晒すだろう。
その隣に立てることを、何よりの幸福だと思う。





夢を見ていた気がする。

とても……とても幸せな夢。

何かが少しずつ違っていれば、あり得たかもしれない未来。歩んでいたかもしれない道。そんなくだらない幻想を抱くということは、私は自らの選択を少なからず後悔しているのだろうか。

けれど、きっと。
この魂の記憶を抱えたまま、たとえ過去に戻れたとしても。私はまた、同じ道を選ぶのだろう。すべての結果は、己の理想と信念に起因しているのだから。

……歌がきこえる。なつかしい歌だ。

ゆっくりと、意識が沈んでいくのを感じる。
何も見えない。何も聞こえない。けれども、ふしぎと不快ではなかった。
深い海のような闇が全身をつつみ、呑みこんでいく。

ああ……そうか、これが本当の。

まどろみのような安らぎに身をゆだねる。五感はとうに消滅し、思考すらもほどけて消えていくのを感じた。

恐怖はなかった。
ただ、あのやさしい歌声だけが、くらやみのなかで星のようにまたたいていた。

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