Children in Time
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
高く、高く。
鎮魂の歌声といくつもの想いを乗せた煙が、薄青い空に吸い込まれていく。燃え盛る炎は次第にその烈度を増し、焼べた薪が切り裂かれるような音と共に崩れ落ちた。それはどこか、痛切な悲鳴に似ている。
───幾人もの、命が散った。
慰霊のために建てられた石碑を見上げる。刻まれた名前のいくつかは馴染みの深いものだった。持ち主の顔がうっすらと浮かぶ程度のものを含めれば、大半の名に見覚えがある。
背後で誰かが慟哭した。隣では、別の誰かが耐えきれずにくずおれる。友や、あるいは恋人の名を叫んで。
胸の底から込み上げる悲しみに、何度も、何度も喉がつかえそうになりながら、ニカはそっと目を閉じる。まだ、泣くわけにはいかない。自分もまた、同じように何かを奪ったのだから。どんなに辛くても、せめてこの戦いがが終わるまでは自分の足で立っていたい。
いっそう鮮やかさを増した炎が大きく爆ぜて、激しく火の粉が舞う。
この煙に乗った魂は、一体どこへ向かうのだろう。死後の世界というものが本当にあるのだとしたら、どうか争いのない、穏やかな場所であって欲しい。自分たちがそこへ行けるのか分からない。けれど……せめてこの瞬間だけでも、彼らの魂の安寧を願わずにはいられなかった。
ガルバディア軍との戦いは終わった。
スコールをはじめとするSeeD部隊は無事に敵地へと乗り込み、激闘の末、宿敵を打ち破ることに成功した。悪しき魔女イデアは心身の呪縛を解かれ、心優しい一人の女性へと戻ったのだ。
一見して美しく終わりを迎えたと思われた物語は、しかしその幕を閉じたわけではなかった。
イデアを操っていたのは、アルティミシアという遥か未来に生きる魔女。彼女はニカたちの時代より更に過去へと自らの思念を送り、時間魔法の一種である『時間圧縮』を行おうとしている。
そうして出来上がるのは、すべての時間がひとつになり、個々の存在が希薄になった世界だという。つまりアルティミシアを止めない限り、危機的状況は免れないのだ。
なんて途方のない話だろう。時さえ超えるほどの強大な力を持った存在と対峙しようとしているなんて。
勝ち目など、初めからないのかもしれない。すべてを放棄して、逃げ出してしまったほうがずっと楽なのかもしれない。でも、そうしてすべてを失うのは、戦って傷付くことよりもずっと辛い。
訳も分からないまま一方的に蹂躙されるのではなく、自らの意思で抗う道を選ぶことが出来る。それはきっと、とても幸運なことだ。
指先の感覚だけで解除できるほど押し慣れたパスコードを入力し、ドアを開ければ、閑散とした自室がニカを出迎えた。正確に言えば閑散としているのは右半分だけで、左半分は見慣れた自身のテリトリーである。
そのちょうど境界線に立ったケリーがゆっくりと振り返り、ブラウンのキャリーケース片手におかえりと微笑んだ。
「そっか……今日、だっけ。なんだか寂しくなるね……」
あの戦いの後、多くの生徒がガーデンを去るという決断をした。ケリーもその一人だ。
家族と折り合いがつかす、半ば家出同然に入学を決めた彼女だったが、情勢を鑑みていよいよ家に戻るようにとお達しがあったらしい。
「やだなぁ、そんな顔しないでよ。一生会えなくなるわけじゃあるまいし」
「そうだけど……私、まだケーキだっておごってないのに」
そういえばそんな約束したっけ、とケリーは笑った。学園長派とマスター派の対立から始まった一連の騒動も、随分と昔のことのように思える。
「……ねえ、私、ケリーと一緒で良かったよ。嫌なこともたくさんあったけど、他の誰かじゃなくてケリーとだったから、毎日こんなに楽しく過ごせたんだって」
「だーかーら、湿っぽいのはやめやめ! ほら、手紙いっぱい書くからさ。あーあ、電波障害なんてなければメールですぐなのに」
「ふふ……そうだね。でも、届くのを待つのも楽しいかもしれないよ」
その手紙の交換は、いつかどこかで止まってしまうかもしれない。お互いが元気ならそれでもいい。けれど……そんな想像をしてしまいそうになって、笑みの形に上げたニカの唇は小さく戦慄く。
「……本当は、心残りがないって言ったら嘘になるんだ」
「ケリー?」
いつも強気な友人の不安げな声に戸惑い、思わず名前を呼んだその瞬間、鼻先にビシッと人差し指を向けられた。
「何が一番心配かって、あんたのことよ! まったく、すぐに無茶して……あんたってば、おとなしそうに見えてありえないくらい大胆な時あるから」
「そうかなあ……でも、カドワキ先生は無茶できるのは素晴らしいことだって言ってたよ」
「それにしたって、時と場合と限度があるでしょうよ。こんなことなら、ゼル・ディンにあんたのこともっとちゃんと頼んでおくべきだったわ。いい? あの男と何か進展があったら私に逐一報告すること。これは任務よ!」
「ええっ?」
「ええっ? じゃないわよ、本っ当に鈍感なんだから……好きでもない男とのツーショット飾ってにやにやしたりしないからね普通」
ちょっぴり恥ずかしい事を掘り起こされて赤面する。そんなニカを見てケリーは笑った。ひとしきり笑って……ふと訪れた静寂に、無性に胸が張り裂けそうになる。
「……本当は、残って一緒に戦いたかったよ」
「うん」
「ここは、私のガーデンでもあるから。ウザい教官とか、くそみたいな課題とか演習とか数えきれないほどいーっぱいあったけど……それでも、私にとっては実家なんかよりずっと家らしい家なんだから」
「うん」
湿っぽいのは嫌だと自分から言ったのに、ケリーの両目はみるみるうちに透明な液体で満たされていく。
大きな雫が一粒こぼれたのを皮切りに、ぽろぽろととめどない涙を流しながら、ケリーは手を伸ばした。ニカの背に両腕を回し、頬に顔を押し付け、ついには肩を大きく震わせながら泣きはじめる。こんな彼女の姿を見るのは初めてだった。
「お願い、ニカ……絶対に死なないで。もし死んだら許さないから。いつかあの世で呪ってやるんだからね」
「うん……ケリーも、とうか元気で」
これから先、この部屋に別の誰かがやって来ることはあるのだろうか。それはまだ分からない。けれど、この頬に触れた涙のあたたかさ、抱きしめる手のやさしさを、いつまでも大切に胸にしまっておこうと誓った。
激しい戦いの影響で再び修復が必要となったガーデンは、現在F.H.に停泊している。当然ながらすべてを技術者たちに丸投げするわけにはいかず、加えて怪我人の手当てや組織構成の組み直しなど、仕事は山積みだ。
しかし、まだ再起に向けて歩き出す気にはなれないという生徒も少なくなかった。彼らの負った傷はそれほどまでに深いのだ。体だけでなく、心も。
「ニカ!」
未だ戦闘の痕跡が残る中庭を歩いていたその時、前方からゼルが駆けてくるのが見えた。
「良かった……会えて」
ニカの前で立ち止まるなり上体を折り曲げ、膝に両手をついた彼の呼吸は大きく弾んでいて、ニカを探すために校内を走り回ったのであろうことが窺える。緊急の事態だろうか。
「スコールとリノアがいなくなったんだ」
リノアというのは、ティンバーでの任務におけるクライアントだった少女だ。スコールに想いを寄せる彼女のために、お揃いの指輪を造ってあげるのだとゼルが意気込んでいたことは記憶に新しい。
ニカはリノアのことを詳しく知らないが、友人らと談笑したり、図書室で本を読む姿を見かけたことがある。誰に対しても分け隔てなく友好的に接する、快活な少女という印象だった。
しかしそんな彼女が、原因不明の昏睡状態に陥った。魔女との戦いのあと、唐突に。
「リノアさん、意識が戻ったの……?」
「いや……スコールが意識のないリノアを連れて行ったんだと思う。たぶん、エスタに向かったんだ」
「エスタ、って……」
エスタ───通称、『沈黙の国』。その名を聞いて真っ先に思い浮かぶのは魔女戦争のことだ。
悪しき魔女アデルによって各国を相手に引き起こされた大戦は、一方的な終結宣言により突如終わりを告げた。以来エスタは表舞台から姿を消し、長い鎖国状態を保っている。
「エルオーネに会えば、リノアのこと、何か分かるかもしれない……そう考えたんだと思う」
ティンバーの任務に就いた頃からゼル達が見るようになった、不思議な『夢』。それは過去への接続、つまりはジャンクションだった。
それはエルオーネという一人の女性によって引き起こされていたという。その力をアルティミシアに悪用されるのを防ぐため保護を計画していた矢先、彼女はエスタの手に渡ってしまった。
過去と未来を繋ぐ力……スコールはその望みに賭け、旅立ったのだろうか。誰にも言わず、たった一人で。
「何で頼ってくれなかったのかとか、言いたいことはたくさんある。けど……」
「うん。スコール君のあと、追うんだね」
ゼルは頷いた。しかし、その表情は硬い。
「エスタが今どんな状況か、誰にも分からねえ。もしママ先生の言う通りアデルが生きてるとしたら、戦闘になる可能性だってある」
かつて世界中を恐怖に陥れた魔女と、時間圧縮を企む未来の魔女。その二つの力が合わさったら……考えただけで、鳩尾に氷のような恐怖が湧き上がる。
「なあニカ、オレはニカに会えて、ニカと居られて……その、なんつーか……。……くそっ、言いたいことは山ほどあるってのに、肝心な言葉がちっとも出てきやしねえ」
ゼルは焦れたように自らの髪を掻き乱す。
もしかしたら、これが最後かもしれない。自分の想いを、伝えられるうちに言葉にしておきたい……きっと、彼も同じ気持ちなのだと思う。
スコールのことを考えると時間的な猶予はない。ゼルに伝えるべき、一番大切な言葉は何だろう? いっそ今ここで、好きだと伝えようか?
……いや、優しいゼルのことだ。伝えればきっと悩ませてしまう。更なる戦いに身を投じようとする彼に、余計な気を遣わせたくない。
「あのね……」
迷いの末、ニカは小さく口を開く。
「私も一緒に行けたらって、思うよ。離れるのは、不安だし、怖い。もしかしたら、もう会えないんじゃないかって……そんなことも、どうても考えちゃう」
これまで、いくつもの危機を乗り越えてきた。しかし、だからと言ってこの先も上手くいくとは限らない。
「でもね、離れているからこそ出来ることもあるんだって分かった。私はここに残って、ガーデンを守りたい。私だけじゃない。ゼルや、残って戦い続けるみんなや……いなくなってしまった誰かの大切な場所を」
「ニカ……」
大切なものを人に預ける。それは誰にでも頼めることではないはずだ。けれど、ゼルはニカを信じて任せてくれる。自惚れではなく、そう確信している。
ゼルが自分の戦いに集中できるよう、ガーデンを守る。それが今のニカにとっての、心からの望みだ。
「……戦いに身を置く限り、こんな思いをし続けなきゃいけねえんだよな。きっとこの先も……何度も、何度も」
わずかに瞳を潤ませて、ゼルはニカを見つめる。しかし、その表情に迷いは感じられない。
「それでもオレは、この道を選ぶ。大義も名分も関係ねえ。オレ自身がそうしたいと思うからだ。身勝手なことだって分かってる。だけど、それでも良ければ……ニカ。待っててくれ。オレは必ず、ここへ帰って来る」
その言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷いて、ニカは誓う。
ニルスも、ケリーも、そしてゼルも。『絶対に』死ぬな。『必ず』帰ってくる……そう言った。確実な未来など存在しないことを、彼らは理解している。運命の理不尽さを誰よりも知っていながら、あえてその言葉を選んでいるのだ。
そんな彼らの想いに、応えたい。
「スコール君に会ったら、伝えて。あなたの言葉があったから私たちは戦えたんだって。自分で思っているほど、あなたは孤独じゃないんだよって」
ありがとう、と、まるで自分のことのようにゼルは言った。その声は穏やかで、それだけで彼にとってスコールが大切な仲間なのだということが伝わってくる。
「ねえ、ゼル」
ニカは慎重に言葉を紡ぐ。別れの時間が、すぐそこに迫っている。
「私、強くなるから。ゼルの相棒だって、いつか胸を張って言えるように。だからこっちのことは心配しないで。思う存分、戦ってきて」
「……バカだなあ」
言葉とは裏腹に、ゼルの表情は柔らかい。彼がこんな笑い方をすることを、以前の自分は知らなかった。
「ニカはとっくに、オレの大事な相棒だよ」
そう言ってゼルはニカの手を取り、強く握った。その手は以前より少しだけ逞しくなったけれど、初めて握手をした日と変わらずあたたかい。
梢の合間から降り注ぐ日差しが、頬のタトゥーと繊細な睫毛に柔らかな光を散らしている。この美しい光景を忘れたくない。何があっても。
「それじゃ……ニカ。行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい、ゼル」
振り切るように踵を返して、ゼルは走り去る。
その向こうに、彼の仲間たちの姿が見えた。ゼルとニカのために、この時間を作ってくれたのだろう。
あの日、この場所でゼルとぶつかった瞬間から、ニカの世界は形を変えた。彼との出会いなくして、今の自分は存在しないと思えるほどに。
ゼルとの思い出はすべて、ニカの中に息づいている。G.F.の副作用にも負けることなく、鮮やかに。その記憶がニカを生かしている限り、どんな障害にも屈することはない。
そして彼が無事に帰ってきたその時は、必ず笑顔で迎えるのだ。───『おかえり』、と。
19/19ページ