Children in Time
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山々に囲まれた、雪の降り積もる土地。ガルバディアのミサイル攻撃を受けたトラビアガーデンは、かろうじてその原型を保っていた。
酷い有様だった。大破した建物に、生々しい怪我や火傷を負った人々、そして、ぽつぽつと佇む簡易的な墓地。
一歩間違えば同じ目に遭っていただけに、それらの光景はニカたちの心に深く突き刺さった。
失意の底にあると思われたトラビアの生徒たちだが、生まれ持った気質もあるのか、復興に向けて着実に作業に取り組んでいた。年少クラスの生徒までが、泣きべそをかきながらも自分の足でしっかりと立っている。
昼間はバラムの生徒であるニカたちも作業の手伝いをしたのだが、苦境に立たされてなお前を向く彼らの強かさに、ただただ頭の下がる思いだ。
トラビアの気候は厳しい。バラムガーデンは、しばらくは物資や人員、共用のスペースなどを提供するそうだ。傷ついた彼らが、せめて暖かい夜を過ごせればと、見慣れない雪を眺めながらニカは思った。
ゼルがガーデンに戻ってきたのは、日没からしばらく経った頃だった。物思いに耽っているのか、どこかぼんやりと歩いている彼を珍しく思いながらも、ニカはそっと声をかける。
「ゼル?」
「あ、ニカ……お疲れ」
「ゼルもお疲れさま。セルフィ、どうしてる……?」
「見た感じは元気にしてるけど、たぶん、相当堪えてると思う。こんな有様じゃあな……」
そう言って、ゼルは少し俯いた。やはり様子がおかしいようだ。答える声にも、どことなく元気がない。
「ゼル……大丈夫? 具合でも悪い?」
「ん? ああ……別にそういう訳じゃねぇんだけどよ。なんつーか、色々と考えちまって。……だめだな! オレ、元気が取り柄みたいな奴なのにさっ。セルフィのこと、ちっとは見習わねぇと」
ちらりと白い歯を見せて笑うが、それが虚勢であることはすぐに分かった。
トラビアの惨状を見て、思うことがあったのだろうか。無理に話してくれなくてもいい。けれど。
「……ねえ。良かったら久々に訓練所、付き合ってくれない?」
「へ? 今からか?」
「もちろん疲れてるだろうし、無理にとは言わないんだけど……軽く運動したいなって。どうかな?」
何を言っているのやら、と自分でも思う。しかし、他に良い方法などひとつも浮かんでこなかった。ニカはどことなく緊張した面持ちでゼルを見上げる。
「悪りぃけど、今は……」
言い淀み、しばらく考えたあと、ゼルはゆっくりと頷いた。
「……いや、やっぱ行くわ。なんかオレも体動かしたい気分、かもしんねぇ」
眉尻を下げ、困ったように笑うゼルに、ニカは強く頷き返した。彼の悩みを解決することはできないかもしれないけれど、少しでも気晴らしになるように、と。
トラビアの気候とは対照的な、ジャングルを模した空間を、ひたすらモンスターを蹴散らしながら進む。
一緒に闘うのは、随分と久々に感じた。ゼルは以前より格段に力を付けており、身をもって経験の差を思い知らされる。
そのことに焦りを感じないわけではなかったが、それを自覚出来ないほど、ニカの胸の内は満ち足りていた。
落ち込んでいる様子のゼルが少しでも余計なことを考えずに済めばと誘ったのだが、気付けば自分が夢中になっていたようだ。
必要最低限の会話しか交さなかったが、もはやそれすらも必要ないと感じていた。
もっと奥へ。見えない何かに導かれるように、二人の足は自ずと進んだ。やがて最深部にたどり着いた時、ひとつの影がその巨体を揺らし、現れた。
───アルケオダイノス。
高ランクのSeeDでも一人で倒すことは困難。一般生徒は決して縄張りに立ち入らず、万が一エンカウントした場合は全力を尽くして逃げること。
そんなお触れが出されている訓練所の主は、深く息を吸い込み、咆哮した。鼓膜が、皮膚がびりびりと震える。大地の裂け目のような口の中に、鋭い牙がびっしりと並んでいるのが見えた。
ゼルは臆することなく、一直線に飛び込んでいく。その背中を追って、ニカもまた標的へと照準を合わせた。
どのくらい、戦っていたのだろうか。
ゼルの放った蹴り技が決定打となり、目の前の巨体がゆっくりと傾いだ。そのまま周囲の木々を薙ぎ倒し、地響きをたてて地にひれ伏すのを、ニカはどこか呆然と見つめていた。
「やったか……?」
息を詰めて、じっと見守る。アルケオダイノスは、何度か大きく痙攣したあと、ぴくりとも動かなくなった。
「あ……あははっ、本当に、倒したんだ……!」
突然緊張の糸が切れたように、ニカはへなへなとその場に座り込む。前衛を担っていたゼルが駆け寄り、目の前に膝を着いた。
「ニカ! やっぱお前、最高だなっ!」
笑顔で差し出された手に、自らの手を打ち付けた。パン、と小気味いい音が鳴ったのと同時、どちらともなく訳のわからない笑いが込み上げてくる。
目尻にうっすらと涙さえ浮かべて、あははは、と声をあげる。こんな風に笑い合ったことが、以前にもあった。それを思い出して、胸の内に温かいものが広がる。
「ん……? 待てよ、あんなとこに扉なんてあったっけか」
ひとしきり笑って、はーっと大きく息をついたゼルが、顔を上げるなりそんなことを呟いた。視線の先には、ぽつんと佇む無機質なドア。
非常ドアかと思いきや、その上にあるはずの誘導灯が見当たらない。
おもむろに立ち上がったゼルに続き、ドアに近づく。周囲の形跡からは、定期的に人の出入りがあることが伺えた。
ゼルがゆっくりと体重をかけ、扉を押し開ける。外へ通じているらしく、途端に刺すような冷気が滑りこんできた。戦闘を終えたばかりの火照った体でなければ、凍えて引き返していたかもしれない。
「ここって……」
そこはテラスだった。ガーデンから放たれる光で、一面が薄青く照らされている。寒さのせいか、人の気配はなくしんと静まり返っている。
「も、もしかして『秘密の場所』……ってやつか?」
「訓練施設の奥にあるとは聞いてたけど……ここだったんだ」
消灯時間を過ぎてから、カップルが逢瀬のために利用する場所が、訓練施設のどこかにある───そんな噂を、友人同士の会話の中で聞いたことがある。
まさかこんな形で、しかも想いを寄せる相手と訪れることになるとは思ってもみなかったけれど。
「すげえ……バラムより、ずいぶん星が良く見えるんだな」
隣に立つゼルが、はぁと白い息を吐きながら夜空を見上げ、その明瞭さに目を細める。そんな単純な仕草にも胸が高鳴ってしまったのは、きっと場所が場所だからなのだと、心の中で言い聞かせる。
彼から無理矢理視線を外せば、確かにそこには満天の星が輝いていた。キンと冷えて澄んだ空気が、どんな小さな光も余すことなく地上へと届けてくれるようだ。
「ありがとな、ニカ」
ぼうっと見惚れていたニカは、突然の礼に慌てて視線を戻す。
「え?」
「気ぃ、遣ってくれたんだろ? あのまま考え込んでても仕方ねぇし、来てよかったぜ」
「そ、そういうわけじゃ……私がただ、訓練したかっただけでっ」
あのタイミングで訓練に行こうだなんて、自分でも不自然だったとは思う。思うが、改めて言葉にされるとむず痒く、ニカは誤魔化すように顔を逸らした。
しかし、なおも柔らかな笑みを浮かべる少年の前ではそれも無意味だろう。そうと気付き、ニカはどこか観念したように、ふ、と笑みをこぼした。
「……ゼル、あの試験の後、言ってくれたでしょ。私に元気出して欲しいだけだって。また一緒に訓練行ったり、ご飯食べたりしたいだけだって」
あの言葉が、嬉しかった。
けれど今なら分かる。きっと、彼もこんな気持ちだったのだと。
「たぶん、それと同じ。だから……気にしないで」
静かに笑みを湛えていたゼルが、くしゃり、と顔を歪めた。唇は弧を描いていたが、笑うというには幾分苦しげな……まるで泣きそうな表情に見えた。
「あのさ……ニカは、昔のことって覚えてるか?」
ややあって、小さく息をついたゼルが唐突にそう問うので、ニカは思わず首を傾げる。
「昔のこと?」
「子供の頃……ガーデンに来る前のこととか」
言われて、少し考える。もちろん鮮明に思い出せるというわけではないが、かといって全て忘れているわけでもない。
母がいつも焼いてくれたパンケーキの香りや、抱き上げてくれた父の腕の逞しさ、古いカメラがたくさん並んだ祖父の店のショーウインドー。
普段は心の奥のほうに眠っているけれど、ニカが望めば、おぼろげながらも蘇らせることができる。
「忘れてることの方が多いかな……だけど印象的なことは覚えてるよ。もう、かなり曖昧になっちゃってるけど」
「そうか……」
ゼルは手摺りに片肘を凭れさせ、再び視線を空へと投げかけた。無数の星を映した瞳は、今はどこか遠く、別の場所を見ているように見えた。
「オレさ。バラムに来る前、小さな孤児院にいたんだ。セントラの、海のそばにある……白い石の家」
孤児院、とニカは小さく繰り返す。その単語が、すんなりと自分の中に入って来なかった。目の前の彼には、とても縁遠い言葉に思えたからだ。
「でも、バラムにはご両親が……」
「ああ、本当の親じゃねぇ。……オレも今日まで、忘れてたことなんだけどな」
「そんな……」
自分のことではないが、彼の母親の優しい笑顔を思い出し、少なからずショックを受ける。
ゼルはそんなニカに心配ないとでも言うように微笑み、話を続けた。
「そこでは、みんな一緒だった。スコールにサイファー、キスティス、セルフィ、アーヴァイン……」
「誰も、覚えてなかったの……?」
彼らが古くからの馴染みだというのは、今まで一度も聞いたことがない。
記憶は薄れゆくものだ。バラムの家に引き取られたゼルや、トラビアで暮らしていたセルフィなどはまだ分かる。
だが、かなり早い段階からガーデンにいたスコールやサイファーはどうだろう。幼馴染としょっちゅう顔を突き合わせていたら、たとえ忘れたくても忘れられない気がするのだが。
「ニカも聞いたことあるだろ? G.F.の副作用の噂」
「記憶障害……だっけ。でも、ガーデンは学術的根拠はないから気にしないようにって……」
「オレも最初はまさか、って思った。でも、G.F.をジャンクションしたことのないアーヴァインだけは覚えてたんだ。さすがに偶然とは思えないぜ」
それが本当なのだとしたら、比較的ニカが昔のことを覚えているのは、祖父の遺してくれたアルバムのおかげだろうか。彼の稼業であり趣味でもある写真が、二度と会うことのない家族の記憶を守ってくれたのかもしれない。
「だけど、そうやって思い出せるってことは、完全に記憶が消えちゃうわけじゃないんだよね?」
「ああ。忘れてるだけだ。きっかけさえあれば、思い出せるらしい」
「だったら、私は今まで通りG.F.を使い続ける。いつ何が起こってもおかしくない……そんな時に、この力を手放すわけにはいかないから」
全く抵抗がないという訳ではない。けれど、選択肢は他になかった。思い出は暖かいが、今、大切なものを守るための力を捨てるわけにはいかない。どうしても忘れたくないことは、今まで通り形にして残しておけばいい。
「オレもそう思う。G.F.は、魔女を倒すために必ず必要な力だ」
ゼルははっきりと言い放つが、その声色はどこか硬い。両の手を強く握りしめるのを視界の隅に捉え、ニカは心に何か引っかかるものを感じた。
「……オレ、子供ん時、ガキ大将だったサイファーにしょっちゅう泣かされてさ。そんな時、必ず慰めてくれる人がいたんだ」
ゼルはその人のことを話してくれた。孤児たちの母代わりであったこと。いつも黒い服を着ていたこと。優しい笑顔を絶やさなかったこと。シド学園長の妻であること───そして。
「その人の名前は……イデア。イデア・クレイマー」
「イデア……?」
「オレたちの敵、魔女イデアだ」
鳩尾に、冷たいものが走る。ゼルたちの育ての親が、魔女。
思わぬ事実に声も出せずにいたが、やがて湧き上がるのは『なぜ』という純粋な問いだった。
シド学園長は妻であるイデアを暗殺しようとしている? 彼女が育てた子供たちを使って? 優しかったはずのイデアが、なぜ世界をも揺るがすような脅威に成り果ててしまった?
ともすれば口をついて出てしまいそうな疑問を、ぐっとこらえる。きっと今、一番混乱しているのはゼルだ。
「なんで、こうなっちまったんだろうな……」
「ゼル……」
「相手が誰であろうと、すべきことは変わらねぇ。魔女を倒す……それだけだ。オレはバラムの家族や、このガーデンを守りたい。その為にはなんだってしてやるつもりだ。だけど……」
ふいに、引き寄せられる。冷えた肌に突然降ってきた温もりに、ニカは思わず身を固くした。
ゼルの剥き出しの首元にかじかんだ鼻先が触れ、自分のものではない香りや、温度が伝わってくる。
心臓が耳の奥にあるみたいに、鼓動がやたらとうるさい。冷気に晒された頬も、腕を回された背中も、信じられないほどに熱く感じる。
「悪い……ニカ。少しだけ……」
耳を掠める声は、いつもの明るさから想像出来ないほど細く、弱々しい。
ニカは上げかけた手を、それ以上どうすることもできずに持て余していた。抱き締め返せなかったのは、自分の中にある感情が純粋な友愛や尊敬だけではないと気付いてしまったからだ。
「ごめんな……カッコ悪くて」
けれどその声を聞いた瞬間、ニカの中に巣食っていた迷いはあっけなく崩れた。
「そんなの……気にしなくていいっ」
彷徨わせていた手を躊躇なくゼルの背に回し、しがみつくように頬を首元へと寄せる。
「お願い……無理なんてしないで。少なくとも、私の前でだけは。私もそうやって、ゼルに救われてるんだから」
情けないところなら、ニカだって見せてきた。そんな時に励まし、支えてくれたのは他でもないゼルだ。
今、ニカが暖かいと感じているように、ゼルにも同じものを返したいのだと……それだけを伝えたくて。
ゼルは何も言わなかった。代わりに、ニカの腰を抱いた手にぎゅっと力を込めた。
真実を知った彼に、大切な人と戦わなくてはならない彼に、してあげられることなんて何もないけれど。今は時間の許す限り、この温度を分け合っていたい。
無数の星々が、ただ静かに、二人を照らし続ける。