Children in Time
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煌々と輝いていた太陽が影をひそめ、辺りは群青色の気配に満ちていた。会場にはすでに何人もの生徒たちが集まっていて、コンサートの始まりを今か今かと待っている。
最終チェック中のステージに近付くと、その裏で、ギターを提げ、そわそわと落ち着きなく腕をさするゼルを見つけた。
「ゼル?」
「オ、オウ。ニカ」
「あれ、もしかして緊張してる?」
ぐぎぎ、と音がしそうな動作で振り返ったゼルは見たことがないほど緊張しきっていて、ニカは思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。
「だ、だ、だってよ……本番は一回きりなんだぜ? もし失敗したら……」
「今から失敗することなんか考えないの。変なところで弱気なんだから」
「オ、オレはチキンじゃねぇからなっ!!」
「え、何それ。誰かにそう言われたの?」
「……!!!」
どうやら墓穴を掘ったらしい。薄闇の中でも分かるほど顔を赤くした彼は気まずそうにがしがしと頭を掻く。少なくとも、先ほどより緊張は解れたように見えた。
「その調子、その調子。リハーサルだってばっちりだったじゃない。それにもし間違ったって、持ち直すことが大事でしょ。普段通り、楽しんで弾けばいいんだよ」
「楽しんで……か。……うん、そっか。そうだよな」
よし、と頷いたゼルはいつもの表情で、ニカも心なしかほっとして胸を撫で下ろす。
「……あのさ。今日のコンサート、セルフィはスコールの就任祝いにって言ってたけど、オレはそれだけじゃないと思ってるんだ」
「どういうこと?」
「最近、大変なことばっかりだったろ。これからだって、正直どうなるか分かんねぇ。みんな、きっと不安だよな。でも、せめて今日だけは、色んなこと忘れて楽しめたらって思うんだ」
たとえ今日だけでも、みんなの不安を吹き飛ばしたい。とてもゼルらしい考え方だ。
「つまりそれは、オレ自身の為でもあるし、ニカの為でもあるんだ。だから、その……聴いててくれよな」
一点の曇りもない笑顔を向けるゼルを見て、ニカは急に胸が張り裂けそうになるのを感じた。決して悲しいという訳ではなく、むしろ嬉しくて。きっと、今までゼルが与えてくれた沢山のものが込み上げきて、胸がいっぱいで苦しいのだ。
───もし、あの日。ニカのカメラが壊れる原因となった出来事がなかったら、二人の人生は交わらず、こんな気持ちになることもなかったのだろうか。
「ゼル……」
「ん、どした?」
伝えたい事は沢山あるはずなのに、何から話せばいいのか分からず声を詰まらせる。ゼルは少し首を傾げたまま、ニカの言葉を待っている。
「……もし、あの日……中庭でゼルとぶつかってなかったらって、思ったの」
顔も名前も知っているにもかかわらず、取り立てて話をする訳でもなく、互いが互いの生活の外側を通り過ぎていく。きっと、ただそれだけの関係だった。
「ゼルと出会わなかったら……。前はそれが当たり前だったのに、今となってはそんなこと考えられなくて。だからこうして一緒にいられるのって、すごく幸せなことなんだなって……思ったんだ」
「……なーに、泣きそうな顔してんだよ」
「わっ」
突然伸びて来た手にぐしゃぐしゃと髪を掻き乱され、思わずぎゅっと目をつむる。
「……そんな顔、してたかな」
「どうだろうな。泣きそうなのはオレのほうだったのかもしれねぇ」
乱暴だった手つきが次第に優しくなり、髪を梳くように撫でた後、ポンと軽く頬に触れ離れていく。それを名残惜しく思ってしまったのも、今日が特別な日だからなのだろうか。
「思うんだけどよ。たとえあれがきっかけじゃなかったにしろ、オレ達、今頃こんな風に話してたんじゃねぇかな……なんて。何つーか、希望的観測? ってやつなのかもしれねぇけどさ。そもそも、こうして出会った以上、『もし』なんてことはありえねぇんだ。だからこそ、オレは……」
「ゼル~!」
セルフィの明るい声に呼ばれ、ゼルははっと振り返る。
「おっと! やべ、もう時間だっ」
言葉の先を、なんと続けようとしたのだろうか。出番が差し迫っている中問い返す訳にも行かず、知りたいという気持ちを笑顔の裏に押し留める。今しなければならないのは、ステージへ向かうゼルを見送ることだけだ。
「うっし……行くとするか!」
「行ってらっしゃい。かっこいいところ、ちゃんと撮っておくからね」
今回、ニカは観客としてではなく、撮影係として参加することになっている。片手でカメラを掲げてみせると、ゼルはうん、と力強く頷いた。
「任せたぜ、ニカ」
突き出された拳に拳を合わせ、どちらともなく笑った。待ちに待ったコンサートが、今、始まろうとしている。
色とりどりのライトが一斉に点灯し、客席からわぁっ、と歓声が上がる。周囲に張り巡らされたミラーパネルがその光を受けて、会場全体が夜空の星を集めたかのように輝いていた。
セルフィが短い挨拶を終え、いよいよ演奏が始まる。
軽やかな身のこなしでタップを披露するのは、テンガロンハットを被った長身の男子だ。そこへゼルがギターを掻き鳴らし始めた。軽快なリズムに、会場の雰囲気が一段と明るくなる。イントロが終わり、セルフィとキスティスがそれぞれ担当するフルート、そしてフィドルのメロディが流れ出す。四人の奏でる音が複雑に絡み合い、会場は温かな感情で満たされていく。
夢中でシャッターを切っていたニカは、ふとファインダーから目を離した。生徒たちは音楽に合わせて体を揺らしたり、友達と語り合ったり、恋人と寄り添い合ったりしながら、今という時間を思い思いに過ごしている。
ただ一つだけ共通するものがあるとすれば、それは誰もが笑顔だということだ。
(ゼル……ゼルの言ってたこと、本当になったよ)
───せめて今日だけは、色んな事を忘れて楽しめたら。
今この瞬間、みんなの心が一体となっている。そのことを、この上なく嬉しいと感じた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、残るのはその余韻。ニカたち実行委員はステージ脇に集まり、互いを労いあっていた。
「みんなーっ!!」
明るい呼び声に振り向くと同時、黄色いワンピースの少女が勢いよく飛び込んできた。ちょうど真正面にいたニカは両手を広げて迎えるが受け止め切れず、あやうく倒れそうになったところを後ろにいた数人に支えられる形となった。
「セルフィ!」
元気よく駆け寄ってきたセルフィは、けれどニカに抱きついたまま顔を上げようとしない。体調でも悪くなったのではとさすがに心配になって、ニカは自分の肩に縋る手にそっと触れた。
「……夢、やったんや」
聞こえてきたのは、普段の彼女らしくない、小さくか細い声。無意識にか、出身であるトラビアの訛りが出てしまっている。周りの仲間たちはなんとかその言葉を拾おうと、身を寄せ合い、懸命に耳を傾けた。
「トラビアにいた頃から、ずーと、夢やったんや。こないな風に、キラキラしたステージで演奏するの……っ」
そこまで言って、ぐす、と小さく啜り上げる。泣いているようだった。
「一時はもう、どないなるかと思て……。せやけど、実現できた。みんなの……ここにいる、全員のおかげなんやで。ほんまに、ほんまにありがとう……」
細い肩を震わせしゃくり上げるセルフィを、ニカは強く抱きしめる。
「セルフィ。私たちこそ、ありがとう。こんな風にみんなが笑顔で過ごせる時間って、すごく久し振りだったと思う。セルフィが、率先して頑張ってくれたおかげだよ」
「初めは正直、ちょっと面倒くさいって思ってたけど……やって良かったよな、実行委員」
「ほんとほんと。自分たちでイベント成功させた事なんてなかったから、貴重な経験させてもらっちゃった」
「ねえねえ! この調子でさ、本当に出来ちゃうかもよ? 学園祭!」
次々と掛けられる言葉に、セルフィはうん、うんと何度も頷き、その度にぽろぽろと涙を零した。
「ありがとう、みんな……」
次第に温かく濡れていく肩口が、不思議と心地良い。この頑張り屋の少女を、ちゃんと泣かせてあげることができて本当に良かったと、心からそう思った。
最低限の後片付けが終わり、残りは明日以降に、ということで今日のところは解散となった。普段ならば消灯時間を過ぎている頃だが、今夜ばかりは特別だ。名残惜しいのか、街に残っている生徒も多いようだ。
(お疲れって、言いたかったな……)
お疲れさま、演奏良かったよ。その一言だけでも伝えたいと思っていたのに、こんな時に限ってゼルの姿は見当たらない。さすがに疲れただろうし、もう寮に帰ってしまったのだろうか。
「ニカ」
暗闇に、すらりとしたシルエットが浮かび上がる。突然声を掛けられて少し驚いたが、それが先ほどまで一緒にいた実行委員の仲間の一人と分かり、安堵の笑みを浮かべた。
「ニルス。お疲れさま」
「お疲れ。良かったな、無事に終わって」
「うん。実行委員、なんだかんだ楽しかったね」
半ば引き摺られるようにして参加した実行委員だったが、結果的に得るものは大きかった。そういう意味では、あの強引な先輩にも感謝しなければならない、かもしれない。
「……なあ、少し、話さないか?」
妙に改まった雰囲気のニルスを不思議に思いながらも、ニカは頷いた。行くあても分からないま、二人は歩き出す。ミラーパネルから上の歩道へと繋がる長い階段に差し掛かったとき、ふと、目の前に大きな手のひらが差し伸べられた。
「大丈夫か?」
「え?」
「階段。暗いから気を付けろよ」
「あ……うん、ありがとう……」
僅かな逡巡の後、ニカはその手を取った。階段くらいでどうという事もないのだが、せっかくの好意を断るほうが不自然な気がしたのだ。
ニルスは優しい。だから、特に深い理由はないのだ。そうは思っていても、触れ合った手が妙に落ち着かないのはなぜだろう。
階段を登り切った先から今までいた場所を見下ろす。さっきまであんなに輝いていたステージは、今は闇に紛れてぽつんとそこにあった。
「……あれから、答えは出せたか? ずっと、気になってたんだ」
ニルスは手すりに身を預け、傍のニカに問い掛ける。温暖なバラムよりさらに南にあるこの街だが、すっかり日が暮れるとむしろ涼しいくらいだ。時折吹き抜ける風を頬に受けながら、ニカはぽつぽつと語り始めた。
「ニルス、前に言ってくれたでしょ。軍事に関係ない仕事に就くのも良いんじゃないかって。確かに、そうかもしれない。与えられた進路を当たり前のように思ってたけど、きっと、生きる道って他にもたくさんあるんだよね」
この先にある、いくつもの可能性。戦うことばかり学んできたニカにとっては、選び取るどころか想像することさえ難しいけれど。
「ねえ、この間の学園長の放送、覚えてる?」
「ああ。ガーデンの移動装置が復旧したら、魔女討伐の旅に出る……だろ。驚いたよ。SeeDはともかく、ほとんどの一般生徒は戦場さえ未経験だっていうのに」
敵はプロの兵士、そしてその先に君臨する魔女。未熟な生徒達がいくら束になってかかったとしても、到底及ばない存在であることは分かっている。それでも。
「ガーデンに危険が及ぶかもしれない、そう考えた時、やっぱり戦いたいって思ったんだ。将来のことなんて分からない。戦いを仕事にしようとか、そこまではまだ決められない。でも、少なくとも今は……」
幸いにも、自分には守りたい場所がある。共に戦いたい人もいる。この場所で学び、身に付けてきた力が少しでも役に立つならば、進んでそれを使いたい。たとえそれが他の誰かを傷付け、その幸せを踏みにじることであっても。
「そうか……」
まるで溜め息でも吐くように呟いたニルスは、なぜだか落胆しているように見えた。
「……俺、決めたんだ。色々と目処が立ったら、このガーデンを降りるよ」
予想外の告白に、ニカははっと顔を上げる。冗談などではないことはすぐに分かった。唇を引き結んだニルスの表情からは、少しの迷いも感じられない。
「ティンバーの知り合いに、仕事を斡旋してもらえそうなんだ。だいぶ前から考えてはいたんだが、やっと決めたよ。……本当は、一緒に来ないかって言うつもりだった」
「一緒に、って……」
「ニカに、だよ」
なぜ、とは聞かなかった。その一言で、彼の気持ちを理解してしまったから。けれど、受け入れることは出来ない。ニルスは大切な仲間の一人ではあるが、それ以上でも以下でもない。何より、自分にはこの場所に残らなければならない理由がある。
ニルスもそれを理解していたのだろうか、どこか諦めたような、乾いた笑みを見せた。
「でも……ニカが求めてるのは、きっと俺みたいな奴じゃないんだよな。今の話聞いて、確信したよ」
「ごめんニルス、私……」
「謝るなって。こういう時に謝られると、余計虚しいんだぞ?」
言われて、またもや謝罪の言葉を紡ぎそうになった口を噤む。だが、だからといって他に言うべきことも見つからず、ニカは視線を彷徨わせた。ふと降りた沈黙を破ったのは、ニルスだった。
「……なあ、ニカ。やっぱりもう一度、SeeD目指せよ」
「え?」
「なんとなく分かるんだ。SeeDで成功する奴と、そうじゃない奴が。まあ、ただの勘だけどな」
「……考慮、します」
「ああ、ぜひとも前向きに頼むよ」
やっと笑顔らしい笑顔を見せたニルスにつられて、ニカも少しだけ微笑む。
「ニルス……」
何か、言ってあげられたらと思った。新しい場所へと向かう彼を勇気づけ、励ますような一言を。
けれど気の利いた事は何ひとつ思い浮かばず、結局口をついて出たのはありきたりな言葉だけだった。
「色々、ありがとう……」
「よせよ、まだ当分はここに居るんだからさ」
「そう……だね」
彼の気持ちを拒絶しておいて別れるのは寂しいだなんて、身勝手なことだろうか。けれど共に育った仲間を見送らなければならないのは、やはり辛いものがある。
「なあ、ニカ」
「ん?」
「この先、どんなことがあっても……絶対に、死ぬなよ」
この先どうなるかなんて分からない。『絶対』なんて言い切れることは何ひとつない。それでもニカは頷いた。気休めではなく、きっと生き抜いてみせるという意思の表れとして。
「話聞いてくれて、ありがとな。今日はゆっくり休めよ。それじゃ……おやすみ」
「うん、おやすみ」
背を向けて歩き出したニルスは、最後まで振り返ることなく、夜の街に消えていった。
寮に続く廊下を、どこかぼんやりとした気持ちで歩く。疲れているはずなのに、色んな感情が綯い交ぜになって眠れそうにない。シャワーでも浴びれば少しはすっきりするだろうか、などと思ったその時、廊下の隅に三人の女子生徒が固まっているのに気付いた。
「……でも、ゼル、まだ友達と喋ってるの見たよ。チャンスじゃない?」
聞こえてきたのは、先ほどまで探していた人物の名前だった。あれはおそらく、図書委員の女子たちだ。一対一ならば気が付かなかったかもしれないが、よく図書室で一緒にいるところを目にするのですぐにそうと分かった。
「そんな、迷惑じゃないかしら……」
「大丈夫だって! 折角だし、行ってみたら?」
「だけど……ゼルさん、あの方とお付き合いしてるんじゃ……」
「え? なになに、誰?」
「ほら、射撃クラスの……よく一緒にいる……」
「ああ、ニカちゃんって子?」
思いがけず挙がった自分の名前に、びくりと反応してしまいそうになる。出来るなら、彼女たちの横を通りたくない。しかしここまで来てしまっては、わざわざ引き返す方が不自然だろう。
暗さ故に気付かれないことを祈って、ニカは視線を落としたまま歩き続ける。仄かな非常灯の灯りですら、今は少し恨めしい。
「でも、彼女いないって言ってたよ。ゼルって嘘つけないタイプだし、間違いないって! ……あっ」
三人が一斉にこちらを向く。顔を上げずとも、気配で分かる。心臓が早鐘を打っていた───異常なほどに。勝手に急いて速まろうとする足を必死に抑え、何も気付いていない風を装って通り過ぎようとする。
彼女たちとすれ違う、その何秒かがとても長く感じられた。どうか、不自然に見えませんように。この動揺が、ほんの僅かたりとも伝わりませんように。
三人のうちの誰かが、小声で何か話していたような気がする。それすらも、もはや耳に入ってこなかった。
廊下の角を曲がり、やがて少女たちの姿も遠く見えなくなった頃、堪えきれずにニカは駆け出した。押し慣れたはずの暗証コードの番号も、二回間違えた。なんとかロックを解除し自室に転がり込むと、背後で閉まったドアにへなへなと凭れかかる。
「……ニカ?」
訝しげな声に呼ばれ、ニカは顔を上げた。目を丸くしたルームメイトが、心配そうにこちらを見ている。
「ケリー、私……」
その先を続けることはできなかった。
こんな気持ち、今まで自分でも気付いていなかった。気付こうとさえ、していなかった。けれど、今なら分かる。この胸の痛みの原因が。
───ゼルのことが、好きなんだ。
知ってしまったら、もうそこから目を逸らすことは出来ない。眩暈すら感じるような感情の奔流の中、ニカは呆然と立ち尽くしていた。