Children in Time
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「う……」
長らくひっ付いていたであろう瞼をこじ開け、薄目を開ける。初めはただ広がる闇に目をしばたかせるばかりだったが、やがて近くにぼんやりと光るものがあることに気付いた。
光源はサイドボードの上のデジタル時計だった。人工的な緑色のLEDライトが、今が20:51であることを示している。
ゆっくりと身を起こし、手探りでスタンドライトのスイッチを入れた。柔らかい暖色系の照明にすら、こめかみがずきずきと痛む。
この部屋は間違いなく、慣れ親しんだガーデンの自室だ。しかし、どういった経緯でここに寝ているのか思い出せない。
サイドボードに置いてあるのは時計だけではなかった。ビニールの袋を覗くと、ミネラルウォーターのボトルに薬、冷却用のジェルシートからウェットティッシュ、体温計など、風邪の時のお役立ちグッズのようなものが詰め込まれている。
ボトルを手に取ると、まだほんのりと冷たい。力の入り切らない手でキャップをひねる。乾いてひりついた喉に水を流すことで、やっと意識がはっきりしてきた。
(私……この格好……?)
いつの間にか淡いブルーの患者衣のようなものに着替えていた。腕には止血用の保護パッチが貼られている。
もう一度病人用グッズの山に目を向けると、袋の下に何かが挟んであるのに気づく。
それはルームメイトからの手紙だった。白地にシンプルな飾り枠の入ったメモ帳に、さらさらと線の細い字で、何かが書かれている。
『ニカへ。
具合はどう? 私は就任式の手伝いをしなくちゃならなくなったので、ホールにいます。
何か困ったことがあったらカドワキ先生を呼んでね。先生も心配してました。早く良くなりますように。
ケリーより』
この手紙によると、どうやら今は就任式の最中ということになる。
就任式というのは勿論、SeeD就任式のことだ。
そこでやっと、夢から覚めたように全てを思い出した。初めての、戦場でのことを。
あの時、熱に浮かされて朦朧とはしていたけれど、確かに兵士たちを撃ったのを覚えている。まるで訓練所のモンスターを相手取るような方法で、人間を。
『お前らに……っ、お前らに故郷はあるのか!? 守りたいものは……!!』
あの言葉に、剣を持つ手の震えに、確かに胸を衝かれた。けれど、次の瞬間には当たり前のように少年に向かって引き金を引く自分がいた。
人相手に銃を向ける事自体に疑問はない。間違った行動をしたとも思っていない。
街の子供たちが一般のスクールに通うような年頃から、ずっと訓練を受けてきたのだ。そんな迷いなど、とうの昔に断ち切ったはずだ。なのに今感じている仄暗い不安は、一体どこからやってくるのだろう。
ぽすん、と音を立てて、起こしていた半身を再びベッドへ沈める。動きに伴いふわりと漂うのは、ほんのりとした洗剤の香りだ。しかし、戦場とはかけ離れているはずのその清廉さをもってしても、殺伐とした記憶を覆い隠すことはできなかった。
(ニルス、オットー……迷惑掛けちゃったな)
船まで辿り着けなかったニカは、おそらく棄権とみなされただろう。妥当な結果だ、と思った。後悔の念よりも、今は班員の二人への罪悪感の方が強い。
(ゼル……)
彼は、無事に合格することが出来ただろうか。
今頃はパーティーの主役として、たくさんの友人たちに祝福されているかもしれない。SeeD服に身を包み、照れ臭そうに、けれど誇らしげに胸を張るゼルが容易に想像出来る。
そんな姿を見たい、と思った。彼が笑ってくれたら、こんなモヤモヤした気持ちなんて、きっとどこかへ吹き飛んでしまうのに。
部屋のドアをノックする音に、思考を中断される。同室であるケリーはキーを持っているはずだ。となると、カドワキ先生が様子でも見に来たのだろうか?
「あ……はい!」
慌ててカーディガンを肩に引っ掛け、ロックを解除した。スライド式のドアが静かな音をたてて開く。
「え……?」
真っ先に目に飛び込んできたのは、潔く立ち上げた前髪。それから、頬に映えるトライバル。そして身に纏っているのは……。
「ゼル……!」
「お、おう。ニカが倒れたって聞いて心配でよ……ごめんな、急に押しかけて」
「ううん。それよりその服……すごい、本当にSeeDになったんだ!」
自分が病人だということも忘れ、つい歓声をあげる。案の定目眩に襲われて、ゼルに肩を支えられた。
「あ、おい! まだ無理すんなって」
ゼルはニカを静かにベッドの縁に座らせ、自身も近くの椅子に腰を落ち着けた。
「あ、ありがとう……ごめんね、心配かけちゃって。それにこんな格好だし……」
さすがに部屋着同然の格好で異性の友人と会うのは複雑な気持ちだ。目の前の少年が完璧に正装しているので、余計にいたたまれなくなってそわそわと腕をさする。
「いいんだって! オレが勝手に来たんだから、気にすんなよ。体調、大丈夫そうか?」
「う、うん」
頷きながら、ニカは改めてゼルへと視線を向ける。
上質な黒い布地に映える金髪は、肩口や前立て部分にあしらわれたパイピングと同じ色だ。本人は身長が高くないのを気にしているようだけれど、引き締まって均整のとれた身体はこの制服の魅力を上手く引き出していた。
自分をまじまじと見つめるニカに気づいてか、ゼルは照れたように頬を掻く。
「……まあ、思ったより元気そうで良かったぜ。これ、うまそうなの適当に見繕って持ってきたんだ。良かったら食えよ」
ほら、とサイドボードを指差されて、はじめて皿に乗ったいくつかの料理に気付く。
「そうだ……! 今、就任パーティの最中なんでしょ? 戻らなくて大丈夫なの?」
「ん? ああ、平気平気。エラい人とかいっぱい来てて、息苦しいったらありゃしねぇの。メシはあらかた胃に収めてきたし、満足かな! …… つーか、オレこそごめんな。無神経だったかもしんねえ。なんも考えずに抜けてきちまった」
そう言って、ゼルは制服の襟をつまんでみせた。ニカが試験に落ちたことを気にすると思ったのだろう。
「そんなことないよ。ゼルのSeeD服姿、見たいなって思ってたんだ。すごく似合ってる。本当に、おめでとう」
「おう! ありがとな。今回は残念だったけど、ニカはめちゃくちゃ頑張ったぜ」
「ありがとう……」
「気ぃ落とすなって! また次があるんだしさ!」
言われて、はたと考える。自分は果たして、次の試験を受けるのだろうか。今までと同じ気持ちでSeeDを目指せるのだろうか。けれど、受けなかったとしてどうする? それだけのために、これまで必死に努力してきたのに?
「どうしたんだよ……もしかして試験、もう受けないつもりか? せっかく一緒に頑張ってきたじゃねぇかっ」
答えないニカに、ゼルはまさかと顔色を変える。
「どうするかは……まだ。でも、やっぱり甘くないんだって、痛感してる」
「E班のやつら、ニカはよくやってたって言ってたぜ。体調さえ万全だったらって。なあ、なにか理由があるんだろ?」
「SeeDは憧れだった。ううん、今だって。だけど、初めて戦場に立って、なんか……。ダメだね。体調崩して、弱気になってるのかも」
「良いって、話してみろよ」
「でも、ゼルはこれからSeeDとしてやっていくのに、こんな話……」
「じゃあ、誰か他の奴に話せるのか? ニカのことだから、誰にも言わずに自分の中に仕舞い込んじまうんじゃねえか?」
俯くニカに、ゼルはなおも強い瞳で語り掛ける。
「教えてくれよ。ニカがなに考えてるのか、知りたいんだ」
彼になら、話しても良いだろうか。少しくらい甘えても、許してくれるだろうか。そんな考えが、頑なに話すまいとしていた心を溶かしていく。
しばらく迷った末に、ニカは恐る恐る口を開いた。
「……初めてだったんだ」
「え?」
「人を、撃ったの」
ああ……と、掠れた声でゼルが応える。
「あんまり……気持ちの良いもんじゃ、ねえよな」
僅かに眉を寄せる彼を見て、ニカは「その時」のことを思い返してみる。
指に残る引き金の感覚が、まだ鮮明に残っていた。腕から肩へと伝わる反動も。でも、それだけだ。愛銃は、弾丸が肉を貫通する感触を所有者に教えない。人差し指に力を込めるだけというのは、あまりにも呆気なさ過ぎた。
「対人戦って、もっと戸惑ったりするものだと思ってた。その迷いを乗り越えることで、プロに近付けるんだって。だけど……いざとなったら何のためらいもなく引き金を引けてしまった。それがなんだか、少し怖くて……」
群れるモンスターを蹴散らすかのごとく、淡々と撃ち続けた。そこには何の感情もなかった。SeeDを目指す者として間違った行動をしたとは思っていない。けれど、いくら訓練の賜物とはいえ、当然のようにそれが出来てしまうのが恐ろしいことのように思えた。
「ガルバディアの兵士に言われたの。故郷や、守りたいものはあるのか。お金次第で誰にでもシッポ振るくせにって。私たちと変わらないくらいの、若い男の子だった。すごく……震えてた」
彼は、どんな気持ちで戦場に赴いたのだろう。きっとニカよりもずっとたくさんの、大切なものを抱えていたに違いない。
「……自分に家族がないこと、特別気にしたことなんてなかった」
もちろん、寂しいと思ったことはある。けれどあの頃は、魔女戦争が終わったばかりで孤児も珍しくなかったし、ガーデンに来てからは同じような境遇の子が沢山いた。
自分だけが特別ではない。むしろ戦いを生業にするなら、失うものが少ないほうが良い……そう思っていた。
「でも……ガルバディアの兵士も、ドールの兵士も。みんな、何かを守るために必死に戦ってた。少なくとも、私の見た人たちはそうだった。ただ自分の欲だけのために、あの人たちから色んな物を奪い続ける権利は……私にあるのかな」
私利私欲のために力を振るう人間がいることは知っている。戦いを快楽とするような人間がいることも。
彼らを悪だと咎めることはしない。そもそも、それができるほど立派な人間でもない。けれど、自分は決してそうはなるまいと思っていた。やっていることは同じでも、そこに宿る想いだけは違うのだと、信じて疑わなかった。本物の戦場に立つまでは。
「ニカ……」
「……ごめん。本当は、分かってるんだ。権利があるとかないとか、そんなことは関係ないんだって。ただ……私は、変わってしまうのが怖いんだと思う」
日常的に戦いを繰り返す内、人としてあるべき感覚が麻痺し、いずれ無くなってしまう───その消失は、既に始まっているのかもしれない。自分も、ひょっとしたら……今も真っ直ぐな目で話を聞いてくれている、この優しい少年も。
その事が何より不安なのだと、ニカは打ち明ける。
「そっか……ニカは、戦う事と、ちゃんと向き合ってるんだな……」
ニカは首を横に振った。それは間違いだ。余計な考えにとらわれるのは、覚悟が出来ていなかった証拠。こんな中途半端な気持ちでは、たとえ体調が万全だったとしても試験には受からなかっただろう。
「オレは頭のほうはイマイチだからよ、目の前の敵を倒すことでいっぱいいっぱいだったぜ」
ゼルはふと視線を落とし、膝の上に広げた自分の両の手を見つめた。
「……いや。オレも、本当は分かってたんだ。分かってたけど、ずっと目を逸らし続けてきた。そうしなきゃ、戦えなかったから」
しばらくその姿勢のまま考えに耽っているようだったが、ふと、覚悟を決めたように顔を上げる。
青い双眼には、何らかの意思が宿っているようだった。
「……なあ、オレも、ちょっと考えてみるよ」
「え?」
「さっきの話。何にも考えずに戦うなんて、やっぱダメだ。これからは誰かの犠牲と引き換えに給料もらって、メシ食わせて貰うんだもんな」
「そんな……いいよ、忘れて! 変なこと考えてゼルが戦えなくなったら、私、責任取れないよ」
「大丈夫だって! オレだって、そんなにヤワじゃない。それに、今じゃなくても、いつか絶対こういう壁にぶち当たるような気がすんだよ。これから任務に行っていろんな経験して、SeeDとしてきちんと向き合ってみる。そしたらニカ、聞いてくれよ。それで何かが解決するとは限らねえけど……オレはそういう気持ちを忘れずにやってく方法、必ずあるって信じたいんだ」
だって、そんなに真剣に悩んでるニカが、大切なもの簡単に手放しちまえるはずねえもん───そう、ゼルは力強く語る。
しかし次の瞬間、妙にばつの悪そうな顔をして視線を逸らした。
「……なーんて、格好つけちまったけど、単純にニカに元気出して欲しいだけだったりするんだよな。オレはただ、今までみたいに一緒に訓練行ったり、メシ食ったりしたい……それだけなんだ」
ニカは小さく息を呑んだ。
ゼルと出会い、過ごした時間。決して長くはないけれど、ニカの中で、確かにかけがえのないものとなっていたはずだ。その気持ちを、忘れてしまうところだったのかもしれない。
「ま、オレ自身のためでもあるんだし。じっくり考えて、納得行く結論出せば良い。それでやっぱりやめるっていうなら仕方ねえし、そうなったとしてもニカが大事な仲間だってことに変わりはねえ。けど……できればまた、一緒に戦いたいとも、思ってる」
「うん……ありがとう……」
その言葉が、気持ちが何より嬉しくて、想いを噛みしめるように二度、三度とゆっくりと頷いた。
同時に、ここまで言ってくれたゼルにきちんと応えなければという気持ちが湧き上がる。ニカはしゃんと姿勢を正すと、改まった表情でゼルに向き直った。
「私も、こんな中途半端な気持ちのままは嫌。だから、もう一度見つめ直したいんだ。ゼルにも迷惑かけちゃうかもしれないけど……よろしく、お願いします」
言い終わると同時、深々と頭を下げる。すると一拍遅れて、ギュルルゥゥ……と、なんとも間の抜けた音が部屋に響いた。
「う……なんか、話したらホッとして、お腹すいちゃったみたい……」
「っく……あはははっ! 腹がが減るってことは、元気になってきた証拠だなっ!」
その場違いな音が相当可笑しかったのか、ゼルはお腹を抱えて笑う。羞恥に顔を赤くしていたニカだったが、その無防備な様子に肩の力を抜いて笑顔を見せる。
「……さってと! あんまり話し込んでも体に障るだろうし、オレはそろそろ残り物でも片付けに戻るかな! いいか、それ食ったら無理しないでちゃんと休むんだぞ?」
ひとしきり笑った後、ゼルはそう言って立ち上がった。見送ろうとするニカをやんわりと制し、一人で入り口に向かう。そして部屋を出る直前、くるりと振り返り、微笑んだ。その顔を見て、ニカはなぜかあの日見たバラムの海を思い出した。最後に見たドールの鈍色の海ではなく、優しく凪いでいた、ひたすらに青い海を。
「今日は、話せて良かった。ありがとうな」
「私こそ……来てくれてありがとう、ゼル」
最後に小さく頷いて、ゼルはぼんやりと非常灯の光る廊下へと消えて行った。開いた時と同じように静かに閉まったドアを、ニカは不思議と落ち着いた気持ちで見つめる。
この先、どうするのか。未来のことを考えるのは少し怖い。けれど、きっとまた前を向いて歩き出せる。一人じゃないということは、こんなにも心強いのだから。