短編
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スウィート・マリッジ・ブルー
窓の外からは、ロンドンのどんよりとした秋の気配が忍び寄っていた。薄墨色の雲から零れる光は頼りなく、二人で暮らすこぢんまりとしたアパートメントの部屋の隅々に、長い影を落としている。嗅ぎなれた古い羊皮紙の乾いた匂いと共に、室内には、ジョージが淹れてくれた淹れたての紅茶の少し甘い香りが満ちていた。
アリス・ストウナーは、ローテーブルの上に広げられた結婚式の招待状の束を前に、小さな溜息をついた。ホグワーツを卒業してから古書店で働き始め、毎日何百冊もの古い書物に触れている彼女にとって、紙と対峙する時間は胸が踊る、喜びに満ちた時間のはずだった。けれど、ここ数週間の忙しさは、普段は素直なアリスの心を少しずつ摩耗させていた。
対面に座るジョージ・ウィーズリーは、いつものいたずら好きのどこか浮ついた雰囲気を完全に消し、真剣そのものの面持ちで羊皮紙とにらめっこをしていた。かつての闘いで失った左耳のあたりに、彼独特の癖で赤毛の髪を指で巻き付けながら、熱心に何かを書き留めている。
「ねえ、ジョージ。この招待客のリストなんだけど」
アリスが羽ペンを置き、柔らかな栗色の髪をかき上げながら声をかけると、ジョージはぱっと顔を上げ、いつもの柔らかな笑顔を向けた。
「ん? どうした、アリス。招待客が多すぎて、席次表が爆発しそうか?それなら、ロンとハリーの席をちょーっと隅に追いやれば大抵のスペースは解決するだろ」
いつもの軽口。ホグワーツにいた頃から変わらない、アリスが大好きな彼の声。けれど、そのジョージの手元にある別のメモ用紙が、アリスの視線に飛び込んできた。
そこには、ジョージの躍るような筆跡で、ある女性の名前が記されていた。そしてその横には、女性の、現在の連絡先と見られる住所が並んでいる。
アリスの胸の奥で、冷たい火花が散った。
古書店の仕事柄、アリスは目ざとい。そして、ジョージの行動がこのところ少し不審だったことにも気づいていた。夜遅くにふらりと出かけていったり、アリスが部屋に入ると急に手紙を隠したり。まさか、と思っていた。
「……ジョージ。それ、何?」
アリスの指先が、そのメモを指す。先ほどまでの甘えたような、困ったような可愛らしい響きは消え、低く硬い声が室内の空気を冷え込ませた。
ジョージは一瞬だけ、その琥珀色の瞳を大きく見開いた。そして、あからさまに動揺したようにメモをとっさに体の後ろに隠した。その一連の動作が、アリスの疑念を確信に変えてしまった。
「ああ、いや、これはね、アリス。その……ちょっとした、そう、ただの確認事項というか」
「確認事項?結婚式の準備中に、どうしてその人の名前を書くの?それにあなた……最近この人と会ってたでしょう」
ジョージは、なんでそれを、と言いたげに口を開ける。
アリスは確信を強め、さらに畳み掛ける。
「匂いでわかるわよ。あなたが時々、甘いローズマリーと少し苦いカモミールの、あの独特なハーブの香りをさせて帰ってきたこと、気づかないとでも思った?その人の香水の匂いでしょ……私と付き合う前、あなたも同じ匂いをさせてた!」
アリスは勢いよく立ち上がった。椅子が床を擦る高い音が、静かな部屋に不快に響く。
普段は素直なアリスだが、一度火がつくと途端に強情っぱりになる。その頑固さは、グリフィンドール生も驚くほどだった。
「違うんだ、アリス。会っていたのは事実だけど、それは君が思っているようなことじゃなくて──」
「本当に会ってたの!?信じられない!私との結婚式を準備している最中に、昔の恋人と密会して、挙句の果てに式にまで呼ぼうとしてるなんて!」
アリスの視界が、怒りと、それ以上に急激に込み上げてきた悲しみで歪み始める。
普段であればもっと落ち着いて話せたかもしれない。しかし、この時のアリスは仕事と結婚式の準備で頭も身体も疲れ切っていた。
そんな中でも、親戚や友人が多いジョージのため、どうにか全員呼べるように招待客リストを丁寧に確認していた。
──それなのに。
こともあろうに当のジョージは、昔の恋人のメモを見てなにか真剣に悩んでいる。アリスの理性はプツリと切れてしまった。
「たのむ、話を聞いてくれよ。アリス。彼女を呼ぼうとしているのには、ちゃんとした理由が」
「理由なんて聞きたくない!ジョージのバカ!大っ嫌い!もう知らない!」
涙が頬を伝うのと同時に、アリスは足元に転がっていた自分の杖を掴んだ。ジョージが慌ててテーブルを回り込み、長い腕を伸ばして彼女の身体を抱き留めようとする。その指先がアリスの衣服の袖を掠めたが、彼女の頑なな決意の方が一瞬早かった。
──パチンッ!
空間が引き裂かれるような鋭い破裂音が、部屋の中に残響を響かせる。アリスの姿は、完全に消え失せていた。
「──だから、違うって!!」
誰もいなくなった部屋で、ジョージは宙を掴んだままの手を震わせ、狂ったように叫んだ。彼の絶叫は、二人の思い出が詰まった狭い部屋の壁に虚しく跳ね返り、そのまま静寂の中に沈んでいった。
◇
「……それで、姿現しでうちに飛び込んできたってわけね」
ハーマイオニー・グレンジャーは、深い溜息をつきながら、温かいココアが入ったマグカップをアリスの前に置いた。
アリスが姿現しで訪れたのは、ハーマイオニーの自宅のリビングだった。本棚に囲まれた落ち着いた部屋には、心地よい静けさが満ちている。アリスはソファの上で膝を抱え、ハーマイオニーから借りた大きな毛布に包まっていた。鼻を赤くし、瞳はすっかり腫れ上がっている。
「だって、だって、ジョージが……っ。信じられない。わた、私はこんなにジョージが好きなのに、どうして……どうして、あんな酷いことができるの……?」
アリスはココアの温もりを手のひらで受け止めながら、またぽろぽろと涙を零した。意地を張って飛び出してきたものの、胸を引き裂くような寂しさと悔しさは増すばかりだった。
ハーマイオニーはアリスの隣に腰掛け、その細い肩をやさしく抱き寄せた。
「ジョージがあなたを裏切るなんて、到底信じられないけれど……。でも、あなたがそんなに怒るのも無理はないわ。男性って時々、本当に信じられないくらい配慮が足りないところがあるもの」
ハーマイオニーの慰めるような言葉を聞きながら、アリスはマグカップに映る自分の情けない顔を見つめた。湯気の向こうに、ジョージと過ごしたあまりにも鮮やかな記憶の断片が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。
アリスの頭の中は、ジョージへの怒りと悲しみ、それ以上に彼との懐かしい思い出と愛おしさで破裂しそうだった。一度溢れ出した感情は留まることを知らず、アリスはハーマイオニーに、堰を切ったように在学中の思い出を語り始めた。
「ジョージはね、本当に、誰よりも優しかったの……」
◇
窓の外からは、ロンドンのどんよりとした秋の気配が忍び寄っていた。薄墨色の雲から零れる光は頼りなく、二人で暮らすこぢんまりとしたアパートメントの部屋の隅々に、長い影を落としている。嗅ぎなれた古い羊皮紙の乾いた匂いと共に、室内には、ジョージが淹れてくれた淹れたての紅茶の少し甘い香りが満ちていた。
アリス・ストウナーは、ローテーブルの上に広げられた結婚式の招待状の束を前に、小さな溜息をついた。ホグワーツを卒業してから古書店で働き始め、毎日何百冊もの古い書物に触れている彼女にとって、紙と対峙する時間は胸が踊る、喜びに満ちた時間のはずだった。けれど、ここ数週間の忙しさは、普段は素直なアリスの心を少しずつ摩耗させていた。
対面に座るジョージ・ウィーズリーは、いつものいたずら好きのどこか浮ついた雰囲気を完全に消し、真剣そのものの面持ちで羊皮紙とにらめっこをしていた。かつての闘いで失った左耳のあたりに、彼独特の癖で赤毛の髪を指で巻き付けながら、熱心に何かを書き留めている。
「ねえ、ジョージ。この招待客のリストなんだけど」
アリスが羽ペンを置き、柔らかな栗色の髪をかき上げながら声をかけると、ジョージはぱっと顔を上げ、いつもの柔らかな笑顔を向けた。
「ん? どうした、アリス。招待客が多すぎて、席次表が爆発しそうか?それなら、ロンとハリーの席をちょーっと隅に追いやれば大抵のスペースは解決するだろ」
いつもの軽口。ホグワーツにいた頃から変わらない、アリスが大好きな彼の声。けれど、そのジョージの手元にある別のメモ用紙が、アリスの視線に飛び込んできた。
そこには、ジョージの躍るような筆跡で、ある女性の名前が記されていた。そしてその横には、女性の、現在の連絡先と見られる住所が並んでいる。
アリスの胸の奥で、冷たい火花が散った。
古書店の仕事柄、アリスは目ざとい。そして、ジョージの行動がこのところ少し不審だったことにも気づいていた。夜遅くにふらりと出かけていったり、アリスが部屋に入ると急に手紙を隠したり。まさか、と思っていた。
「……ジョージ。それ、何?」
アリスの指先が、そのメモを指す。先ほどまでの甘えたような、困ったような可愛らしい響きは消え、低く硬い声が室内の空気を冷え込ませた。
ジョージは一瞬だけ、その琥珀色の瞳を大きく見開いた。そして、あからさまに動揺したようにメモをとっさに体の後ろに隠した。その一連の動作が、アリスの疑念を確信に変えてしまった。
「ああ、いや、これはね、アリス。その……ちょっとした、そう、ただの確認事項というか」
「確認事項?結婚式の準備中に、どうしてその人の名前を書くの?それにあなた……最近この人と会ってたでしょう」
ジョージは、なんでそれを、と言いたげに口を開ける。
アリスは確信を強め、さらに畳み掛ける。
「匂いでわかるわよ。あなたが時々、甘いローズマリーと少し苦いカモミールの、あの独特なハーブの香りをさせて帰ってきたこと、気づかないとでも思った?その人の香水の匂いでしょ……私と付き合う前、あなたも同じ匂いをさせてた!」
アリスは勢いよく立ち上がった。椅子が床を擦る高い音が、静かな部屋に不快に響く。
普段は素直なアリスだが、一度火がつくと途端に強情っぱりになる。その頑固さは、グリフィンドール生も驚くほどだった。
「違うんだ、アリス。会っていたのは事実だけど、それは君が思っているようなことじゃなくて──」
「本当に会ってたの!?信じられない!私との結婚式を準備している最中に、昔の恋人と密会して、挙句の果てに式にまで呼ぼうとしてるなんて!」
アリスの視界が、怒りと、それ以上に急激に込み上げてきた悲しみで歪み始める。
普段であればもっと落ち着いて話せたかもしれない。しかし、この時のアリスは仕事と結婚式の準備で頭も身体も疲れ切っていた。
そんな中でも、親戚や友人が多いジョージのため、どうにか全員呼べるように招待客リストを丁寧に確認していた。
──それなのに。
こともあろうに当のジョージは、昔の恋人のメモを見てなにか真剣に悩んでいる。アリスの理性はプツリと切れてしまった。
「たのむ、話を聞いてくれよ。アリス。彼女を呼ぼうとしているのには、ちゃんとした理由が」
「理由なんて聞きたくない!ジョージのバカ!大っ嫌い!もう知らない!」
涙が頬を伝うのと同時に、アリスは足元に転がっていた自分の杖を掴んだ。ジョージが慌ててテーブルを回り込み、長い腕を伸ばして彼女の身体を抱き留めようとする。その指先がアリスの衣服の袖を掠めたが、彼女の頑なな決意の方が一瞬早かった。
──パチンッ!
空間が引き裂かれるような鋭い破裂音が、部屋の中に残響を響かせる。アリスの姿は、完全に消え失せていた。
「──だから、違うって!!」
誰もいなくなった部屋で、ジョージは宙を掴んだままの手を震わせ、狂ったように叫んだ。彼の絶叫は、二人の思い出が詰まった狭い部屋の壁に虚しく跳ね返り、そのまま静寂の中に沈んでいった。
◇
「……それで、姿現しでうちに飛び込んできたってわけね」
ハーマイオニー・グレンジャーは、深い溜息をつきながら、温かいココアが入ったマグカップをアリスの前に置いた。
アリスが姿現しで訪れたのは、ハーマイオニーの自宅のリビングだった。本棚に囲まれた落ち着いた部屋には、心地よい静けさが満ちている。アリスはソファの上で膝を抱え、ハーマイオニーから借りた大きな毛布に包まっていた。鼻を赤くし、瞳はすっかり腫れ上がっている。
「だって、だって、ジョージが……っ。信じられない。わた、私はこんなにジョージが好きなのに、どうして……どうして、あんな酷いことができるの……?」
アリスはココアの温もりを手のひらで受け止めながら、またぽろぽろと涙を零した。意地を張って飛び出してきたものの、胸を引き裂くような寂しさと悔しさは増すばかりだった。
ハーマイオニーはアリスの隣に腰掛け、その細い肩をやさしく抱き寄せた。
「ジョージがあなたを裏切るなんて、到底信じられないけれど……。でも、あなたがそんなに怒るのも無理はないわ。男性って時々、本当に信じられないくらい配慮が足りないところがあるもの」
ハーマイオニーの慰めるような言葉を聞きながら、アリスはマグカップに映る自分の情けない顔を見つめた。湯気の向こうに、ジョージと過ごしたあまりにも鮮やかな記憶の断片が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。
アリスの頭の中は、ジョージへの怒りと悲しみ、それ以上に彼との懐かしい思い出と愛おしさで破裂しそうだった。一度溢れ出した感情は留まることを知らず、アリスはハーマイオニーに、堰を切ったように在学中の思い出を語り始めた。
「ジョージはね、本当に、誰よりも優しかったの……」
◇
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