第1章 Philosopher's Stone
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8 翼ある鍵と、盤上の覚悟
4人が悪魔の罠を抜けた先にあったのは、天井がはるか高くに見えないほど広大な、石造りの不気味な部屋だった。
頭上からは、サラサラ、パタパタという、何千もの小鳥が飛び交うような音が響き渡っている。
「見て。鳥じゃないわ……あれ、全部『鍵』よ!」
ハーマイオニーが指差した先には、眩い金色の羽を生やした無数の古ぼけた鍵が、蜂の群れのように激しく飛び交っていた。部屋の反対側には、頑丈な重い木製の扉がそびえ立っている。
「きっと、あの扉を開ける鍵がこの中に混じってるんだな」
ロンが扉に駆け寄り、ノブを引っぱったがビクともしない。ハリーが床に落ちていた古びた3本の箒を見つけた。
「これに乗って、あの群れの中から正しい鍵を捕まえるんだ。……あそこだ! 隅の方に、片方の羽が折れて、銀色の大きな鍵がある。あれに違いないよ!」
ハリーは箒にまたがると、クィディッチの試合さながらに一気に急上昇した。ハリーが群れに近づいた瞬間、それまで大人しかった無数の鍵が一斉に方向を変え、鋭い羽の刃を剥き出しにしてハリーに襲いかかった。
「ハリー! 気をつけて!」
エリーが地上から叫ぶ。ハリーは鍵の猛攻を華麗な身のこなしでかわしていくが、あまりの数の多さに、一人では目的の鍵に近づくことすら阻まれていた。
「ハリー、私も行くわ! ロン、下から指示して!」
エリーはもう一本の箒をひったくると、地面を強く蹴り上げた。アッシュブラウンの柔らかな髪が風に激しくなびく。エリーはハリーほど飛行が得意なわけではなかったが、持ち前の生真面目さと集中力で、ハリーの死角から迫る鍵の群れを自分の箒で遮り、ハリーの進路を切り開いた。
「エリー、右から来てる!」
地上からのロンの叫び声に応じ、エリーは巧みに旋回して鍵の群れを誘導する。その隙を見逃さず、ハリーは弾丸のように急降下し、見事に片羽の折れた銀の鍵をその手で鷲掴みにした。
「捕まえた!」
二人は猛スピードで地上へと滑り込み、ハリーが扉の鍵穴にそれを差し込んだ。カチリと音がして扉が開くと同時に、追ってきた鍵の群れが背後の扉の木肌にドスドスと突き刺さる。4人は間一髪で次の部屋へと滑り込んだ。
しかし、次の部屋に入った瞬間、全員の足が止まった。
そこは、恐ろしいほど巨大な『魔法使いのチェス』の盤上だった。
白と黒の巨大な石の駒たちが、まるで生きているかのように威圧感を放って並んでいる。部屋の向こう側の出口へ進もうとすると、最前列の黒い歩兵(ポーン)たちが一斉に鋭い剣を突き出し、彼らの行く手を阻んだ。
「……僕たちが、駒にならなきゃいけないんだ」
チェスが得意なロンが、青ざめながらも鋭い瞳で盤面を見据えた。
「ハリーはあそこのナイトの位置へ。ハーマイオニーはルーク。エリー、君は……あっちのポーンだ。僕はこっちの騎士になる。いいかい、チェスのルール通りに動くんだ。絶対に、僕の指示があるまで勝手に動かないで」
ロンの完璧な指揮のもと、命がけのゲームが始まった。
魔法使いのチェスは、凄惨極まりなかった。駒が取られるたび、石の剣が相手を粉々に打ち砕き、凄まじい地鳴りと共に石片が飛び散る。エリーは自分のすぐ隣の歩兵が白のクイーンによって一撃で木っ端微塵にされるのを見て、恐怖で足がすくみそうになった。けれど、ロンを信頼して、一歩もその場を動かなかった。
そしてゲームの終盤、盤上には重苦しい沈黙が流れた。
「……そんな、嘘だろ」
ロンが絶望的な声を漏らした。ハリーが叫ぶ。
「どうしたんだ、ロン!」
「……僕が取られなきゃいけない。僕が一歩前に出て白の女王に取られれば、ハリー、君が王キングをチェックメイトできる。そうすれば、ゲームは終わり、みんなは先へ進めるんだ」
「ダメよ、ロン! そんなの絶対にダメ!」
ハーマイオニーが悲鳴を上げる。エリーも顔を真っ白にして叫んだ。
「他に方法があるはずよ、ロン! 考え直して!」
「これしかないんだ!」
ロンの瞳には、かつてないほどの強い覚悟が宿っていた。
「ハリー、例のあの人を止められるのは、僕じゃない。君なんだ。……いくぞ!」
ロンの乗る黒い騎士が、一歩前へ進み出た。
即座に、冷酷な白の女王が動き、巨大な石の棍棒を振り上げた。凄まじい衝撃音が響き渡り、ロンは箒の駒から叩き落とされ、床に激しく叩きつけられてピクリとも動かなくなった。
「ロン!!」
ハリーが絶叫し、一歩踏み出そうとした。その時、盤上の白の王が、自らの王冠を脱いで床に投げ捨てた。ゲームは終わったのだ。黒の勝利だった。
ハリーとハーマイオニー、そしてエリーは、チェス盤を駆け抜けて倒れたロンのもとへと駆け寄った。ロンは気絶していたが、かろうじて息はあった。
「ロン……そんな……」
ハーマイオニーが涙を流してロンの手を握る。その時、エリーはロンの怪我の様子を冷静に観察していた。ロンの足首は不自然な方向に曲がり、頭部からも血が滲んでいる。
「ハーマイオニー、ロンをここに置いてはいけないわ。……私が残る」
エリーは静かに、けれど強い意志を込めて言った。
「エリー!? 君も一緒に先へ……」
ハリーが驚いてエリーを見つめる。エリーはどこか寂しげな笑みを浮かべて、ハリーとハーマイオニーの顔を見渡した。
「これ以上の怪我人は出せない。今、ここで私がロンの傷を固定して、一緒ないないと、ロンが危ないわ。……それにね、私はさっきの鍵の試練で、左の肩を少し痛めちゃったみたい。これ以上進んでも、足手まといになっちゃう」
エリーは嘘をついていた。肩の痛みなど、ほんの軽いかすり傷に過ぎない。けれど、真面目で仲間想いなエリーは、気絶したロンを一人で暗闇に残すことなど絶対にできなかった。そして、これから先にあるであろう凶悪な罠を前に、自分が怪我人の盾になり、ハリーたちの負担になることを一番に恐れたのだ。
「エリー……」
ハリーは唇を噛み締めた。エリーが自分たちのために、ここで脱落することを選んだのだと分かったからだ。エリーはハリーの緑色の瞳を真っ直ぐに見つめ、包み込むような温かい声で言った。
「ハリー。あなたは、トロールの時も、禁じられた森の時も、いつも私たちを守ってくれた。だから、自分を信じて。ハーマイオニー、ハリーをよろしくね」
「ええ……ええ、任せて、エリー。ロンはお願いね」
ハーマイオニーが涙を拭いながら頷いた。
ハリーは、ロンのそばに膝をつき、手際よく自分のローブを裂いてロンの傷口を縛り始めるエリーの姿を、じっと見つめた。その細い背中には、一回生とは思えないほどの努力と経験に裏付けされた、静かな自信が満ちていた。ハリーの胸の奥に、言葉にできない熱い信頼と、彼女を絶対に無事に連れて帰るという強い決意が湧き上がる。
「……行ってくるよ、エリー」
「うん。気をつけてね、ハリー」
エリーの見守る中、ハリーとハーマイオニーの二人は、次の部屋へと続く扉を力強く押し開けて進んでいった。
エリーは暗いチェス部屋の床で、ロンの規則正しい寝息を聞きながら、二人の無事を心から祈り続けるのだった。
4人が悪魔の罠を抜けた先にあったのは、天井がはるか高くに見えないほど広大な、石造りの不気味な部屋だった。
頭上からは、サラサラ、パタパタという、何千もの小鳥が飛び交うような音が響き渡っている。
「見て。鳥じゃないわ……あれ、全部『鍵』よ!」
ハーマイオニーが指差した先には、眩い金色の羽を生やした無数の古ぼけた鍵が、蜂の群れのように激しく飛び交っていた。部屋の反対側には、頑丈な重い木製の扉がそびえ立っている。
「きっと、あの扉を開ける鍵がこの中に混じってるんだな」
ロンが扉に駆け寄り、ノブを引っぱったがビクともしない。ハリーが床に落ちていた古びた3本の箒を見つけた。
「これに乗って、あの群れの中から正しい鍵を捕まえるんだ。……あそこだ! 隅の方に、片方の羽が折れて、銀色の大きな鍵がある。あれに違いないよ!」
ハリーは箒にまたがると、クィディッチの試合さながらに一気に急上昇した。ハリーが群れに近づいた瞬間、それまで大人しかった無数の鍵が一斉に方向を変え、鋭い羽の刃を剥き出しにしてハリーに襲いかかった。
「ハリー! 気をつけて!」
エリーが地上から叫ぶ。ハリーは鍵の猛攻を華麗な身のこなしでかわしていくが、あまりの数の多さに、一人では目的の鍵に近づくことすら阻まれていた。
「ハリー、私も行くわ! ロン、下から指示して!」
エリーはもう一本の箒をひったくると、地面を強く蹴り上げた。アッシュブラウンの柔らかな髪が風に激しくなびく。エリーはハリーほど飛行が得意なわけではなかったが、持ち前の生真面目さと集中力で、ハリーの死角から迫る鍵の群れを自分の箒で遮り、ハリーの進路を切り開いた。
「エリー、右から来てる!」
地上からのロンの叫び声に応じ、エリーは巧みに旋回して鍵の群れを誘導する。その隙を見逃さず、ハリーは弾丸のように急降下し、見事に片羽の折れた銀の鍵をその手で鷲掴みにした。
「捕まえた!」
二人は猛スピードで地上へと滑り込み、ハリーが扉の鍵穴にそれを差し込んだ。カチリと音がして扉が開くと同時に、追ってきた鍵の群れが背後の扉の木肌にドスドスと突き刺さる。4人は間一髪で次の部屋へと滑り込んだ。
しかし、次の部屋に入った瞬間、全員の足が止まった。
そこは、恐ろしいほど巨大な『魔法使いのチェス』の盤上だった。
白と黒の巨大な石の駒たちが、まるで生きているかのように威圧感を放って並んでいる。部屋の向こう側の出口へ進もうとすると、最前列の黒い歩兵(ポーン)たちが一斉に鋭い剣を突き出し、彼らの行く手を阻んだ。
「……僕たちが、駒にならなきゃいけないんだ」
チェスが得意なロンが、青ざめながらも鋭い瞳で盤面を見据えた。
「ハリーはあそこのナイトの位置へ。ハーマイオニーはルーク。エリー、君は……あっちのポーンだ。僕はこっちの騎士になる。いいかい、チェスのルール通りに動くんだ。絶対に、僕の指示があるまで勝手に動かないで」
ロンの完璧な指揮のもと、命がけのゲームが始まった。
魔法使いのチェスは、凄惨極まりなかった。駒が取られるたび、石の剣が相手を粉々に打ち砕き、凄まじい地鳴りと共に石片が飛び散る。エリーは自分のすぐ隣の歩兵が白のクイーンによって一撃で木っ端微塵にされるのを見て、恐怖で足がすくみそうになった。けれど、ロンを信頼して、一歩もその場を動かなかった。
そしてゲームの終盤、盤上には重苦しい沈黙が流れた。
「……そんな、嘘だろ」
ロンが絶望的な声を漏らした。ハリーが叫ぶ。
「どうしたんだ、ロン!」
「……僕が取られなきゃいけない。僕が一歩前に出て白の女王に取られれば、ハリー、君が王キングをチェックメイトできる。そうすれば、ゲームは終わり、みんなは先へ進めるんだ」
「ダメよ、ロン! そんなの絶対にダメ!」
ハーマイオニーが悲鳴を上げる。エリーも顔を真っ白にして叫んだ。
「他に方法があるはずよ、ロン! 考え直して!」
「これしかないんだ!」
ロンの瞳には、かつてないほどの強い覚悟が宿っていた。
「ハリー、例のあの人を止められるのは、僕じゃない。君なんだ。……いくぞ!」
ロンの乗る黒い騎士が、一歩前へ進み出た。
即座に、冷酷な白の女王が動き、巨大な石の棍棒を振り上げた。凄まじい衝撃音が響き渡り、ロンは箒の駒から叩き落とされ、床に激しく叩きつけられてピクリとも動かなくなった。
「ロン!!」
ハリーが絶叫し、一歩踏み出そうとした。その時、盤上の白の王が、自らの王冠を脱いで床に投げ捨てた。ゲームは終わったのだ。黒の勝利だった。
ハリーとハーマイオニー、そしてエリーは、チェス盤を駆け抜けて倒れたロンのもとへと駆け寄った。ロンは気絶していたが、かろうじて息はあった。
「ロン……そんな……」
ハーマイオニーが涙を流してロンの手を握る。その時、エリーはロンの怪我の様子を冷静に観察していた。ロンの足首は不自然な方向に曲がり、頭部からも血が滲んでいる。
「ハーマイオニー、ロンをここに置いてはいけないわ。……私が残る」
エリーは静かに、けれど強い意志を込めて言った。
「エリー!? 君も一緒に先へ……」
ハリーが驚いてエリーを見つめる。エリーはどこか寂しげな笑みを浮かべて、ハリーとハーマイオニーの顔を見渡した。
「これ以上の怪我人は出せない。今、ここで私がロンの傷を固定して、一緒ないないと、ロンが危ないわ。……それにね、私はさっきの鍵の試練で、左の肩を少し痛めちゃったみたい。これ以上進んでも、足手まといになっちゃう」
エリーは嘘をついていた。肩の痛みなど、ほんの軽いかすり傷に過ぎない。けれど、真面目で仲間想いなエリーは、気絶したロンを一人で暗闇に残すことなど絶対にできなかった。そして、これから先にあるであろう凶悪な罠を前に、自分が怪我人の盾になり、ハリーたちの負担になることを一番に恐れたのだ。
「エリー……」
ハリーは唇を噛み締めた。エリーが自分たちのために、ここで脱落することを選んだのだと分かったからだ。エリーはハリーの緑色の瞳を真っ直ぐに見つめ、包み込むような温かい声で言った。
「ハリー。あなたは、トロールの時も、禁じられた森の時も、いつも私たちを守ってくれた。だから、自分を信じて。ハーマイオニー、ハリーをよろしくね」
「ええ……ええ、任せて、エリー。ロンはお願いね」
ハーマイオニーが涙を拭いながら頷いた。
ハリーは、ロンのそばに膝をつき、手際よく自分のローブを裂いてロンの傷口を縛り始めるエリーの姿を、じっと見つめた。その細い背中には、一回生とは思えないほどの努力と経験に裏付けされた、静かな自信が満ちていた。ハリーの胸の奥に、言葉にできない熱い信頼と、彼女を絶対に無事に連れて帰るという強い決意が湧き上がる。
「……行ってくるよ、エリー」
「うん。気をつけてね、ハリー」
エリーの見守る中、ハリーとハーマイオニーの二人は、次の部屋へと続く扉を力強く押し開けて進んでいった。
エリーは暗いチェス部屋の床で、ロンの規則正しい寝息を聞きながら、二人の無事を心から祈り続けるのだった。