第1章 Philosopher's Stone
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2 不機嫌な地下室
「ねえ、エリー。早くしないと朝食のトーストがなくなっちゃうわよ」
ふさふさの茶色い髪をきっちりと整えたハーマイオニー・グレンジャーが、グリフィンドール女子ドミトリーの部屋で、教科書をカバンに詰め込みながら言った。
アリス・ストウナー──エリーは、朝から部屋の中を忙しなく動き回っていた。
「待って、ハーマイオニー。『千の魔法薬草とキノコ』がどうしても見つからなくて……あ、あった! ベッドの下に落ちてた!」
「もう、初日から忘れ物なんてダメよ。今日はスネイプ教授の『魔法薬学』があるんだから」
二人は揃って談話室へ降り、ハリーとロンを合流させて大広間へと向かった。
ホグワーツの生活が始まって数日。エリーはハーマイオニーと同じ部屋で過ごすうちに、彼女が「規則に厳格で少しお節介だけど、本当はとても友達思いな女の子」だと気づいていた。授業で手を挙げすぎて周りから少し浮いてしまうハーマイオニーを、エリーはいつも隣の席で温かく見守っている。
しかし、金曜日の朝食時、ハリーの表情は優れなかった。
「どうしたの、ハリー? そのパイ、食べないの?」
エリーが心配そうに覗き込むと、ハリーは額の傷を無意識にさすりながら溜息をついた。
「ううん、なんでもないんだ。ただ……大広間に入った時から、スネイプ教授が僕をずっと睨みつけているような気がして」
「気のせいだよ、ハリー。あの先生はいつも誰かを睨んでる。僕の兄さんのチャーリーの時もそうだったって」
ロンが口いっぱいにソーセージを頬張りながら言ったが、その不安は不吉なほど的中することになる。
地下にある魔法薬学の教室は、ひんやりとしていて薄暗かった。壁沿いの棚には、怪しげな生物の塩漬けが入ったガラス瓶がずらりと並んでいる。
エリーはハーマイオニーと、ハリーはロンと同じ机についた。
出席を取るスネイプの口調は、冷酷で容赦がなかった。ハリーの名前のところで手を止め、「ああ、そうだ。ハリー・ポッター。我が校の新しい『有名人』だ」と皮肉を吐き出すと、スリザリン生たちがクスクスと笑った。
「ポッター」
スネイプの黒い瞳が、獲物を狙う鷹のようにハリーを射抜く。
「アズフォデルの根の粉末に、ニガヨモギの浸出液を合わせると何になる?」
ハリーが困惑してロンと顔を見合わせる。ハーマイオニーの細い手が、待ってましたとばかりにピンと空へ伸びた。エリーはハラハラしながら、机の下でハーマイオニーのローブの裾をそっと引いた。
「わかりません」
「では、別の質問だ。ベゾアール石を見つけようと思ったら、どこを探す?」
ハーマイオニーの手はさらに高く挙がり、立ち上がりそうにすらなっていた。ハリーはまたしても首を横に振る。スネイプの唇が冷たく歪んだ。
「ポッター、本を開きもしなかったようだな。では、カブトウソウとトリカブトの違いは?」
ハリーはついに、まっすぐにスネイプを見返した。
「わかりません。でも、ハーマイオニーが知っているみたいです。先生、彼女に聞いたらどうですか?」
何人かが吹き出し、スネイプの顔が怒りで引きつった。
「座っていろ、グレンジャー!」
スネイプはハーマイオニーを一喝すると、冷徹な声で答えをまじまじと言い放った。
「アズフォデルとニガヨモギは『生ける死の薬』を、ベゾアール石は山羊の胃袋から、カブトウソウとトリカブトは同じ植物だ。……どうした、なぜ皆メモを取らん?」
教室中が慌てて羽ペンを走らせる中、スネイプは冷たく付け加えた。
「それから、ポッター。反抗的な態度により、グリフィンドールは1点減点だ」
ハリーは悔しそうに唇を噛み締め、うつむいた。エリーはそんなハリーの細い肩が小さく震えているのを見て、胸が痛んだ。授業中、エリーはハリーの机にそっと視線を送り、彼が魔法薬の調合を間違えそうになるたびに、身振り手振りで「火を弱めて」とサインを送った。ハリーはそれに気づき、エリーにだけ分かるように小さく頷いて、なんとか大失敗を免れた。
授業の後、地下室を出た4人は廊下を歩いていた。ロンは怒り心頭だった。
「あいつ、ハリーにばっかり意地悪して! 減点だなんて不公平だ!」
「でも、ハリーもあんな言い方をするべきじゃなかったわ。先生を怒らせるだけよ」
ハーマイオニーの正論に、ハリーはさらにへそを曲げてしまう。
「僕はただ、知らないって言っただけさ。あんなの、嫌がらせだ」
不穏な空気が流れる中、エリーはハリーの隣に並び、彼のぶかぶかの袖をそっと引いた。
「ハリー、大丈夫だよ。次の『飛行訓練』で、きっとスッキリできるから」
「エリー……」
「私、パパから聞いたの。ハリーのお父さんは、すっごく空を飛ぶのが上手だったんだって。だから、ハリーもきっと上手だよ。スネイプ教授のことなんて、忘れちゃえ」
顔いっぱいで笑うエリーの言葉に、ハリーの強張っていた表情がふっと緩んだ。
「……うん。ありがとう、エリー」
ハリーの緑色の瞳に、少しだけ明るい光が戻ったのを見て、エリーは嬉しくなった。
そして午後、晴れ渡った青空の下、グリフィンドールとスリザリンの合同による飛行訓練が始まった。
芝生の上には、二十本の箒が整然と並んでいる。指導するのは、鷹のような目をしたマダム・フーチだ。
「さあ、全員、箒の左側に立ちなさい。そして右手を箒の上にかざし、『上がれ!』と言うのです!」
「上がれ!」
ハリーが叫んだ瞬間、彼の箒はまるで生き物のように一発で手の平に飛び込んできた。
「ハリー、すごい!」とエリー。彼女の箒は地面でゴロゴロと転がっているだけだったが、エリーは「上がれ!」と何度も真面目に、けれど楽しそうに声を張り上げた。4回目でようやく箒が手に収まったとき、隣のハーマイオニーの箒はまだ地面を這い、ロンの箒は彼の鼻頭を直撃していた。
しかし、事件はマダム・フーチが「笛の合図で地面を蹴りなさい」と言った直後に起きた。
緊張しすぎたネビル・ロングボトムが、フライングして地面を強く蹴り上げてしまったのだ。制止する声を無視して、ネビルの箒は制御を失い、どんどん高く舞い上がっていく。
「ひいぃっ!」
ネビルは必死に箒にしがみついたが、あえなく滑り落ち、ドサリと音を立てて芝生に叩きつけられた。
「手首を折っていますね……」
マダム・フーチはネビルを抱きかかえ、生徒たちを厳しく見回した。
「この子を医務室に連れて行きますからね。そのあいだ誰も動いてはいけませんよ!いいですね!箒一本でも飛ばしたら、クィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいます!」
フーチ先生が去った途端、スリザリンのドラコ・マルフォイが芝生に落ちていたガラスの球を拾い上げ、嘲笑った。
「見ろよ、あのマヌケなロングボトムの『思い出し玉』だ。あいつ、これがないと自分がどこにいるかも忘れちゃうんだろ」
「返せよ、マルフォイ!」
ハリーが一歩前に出る。マルフォイは意地悪く笑い、箒にまたがってふわりと宙へ浮かび上がった。
「嫌だね。欲しければ取りに来いよ。あいつのベッドの上にでも置いておいてやろうか!」
「ハリー、ダメよ! 先生の言ったことを忘れたの!?」
ハーマイオニーが叫んだが、ハリーの耳には届かなかった。ハリーは箒に飛び乗ると、力強く地面を蹴った。その姿は、初めて空を飛んだとは思えないほど、美しく、俊敏だった。
「わあ……本当にすごい……」
エリーは思わず感嘆の声を漏らした。上空でハリーはマルフォイを追い詰め、マルフォイが悔し紛れに投げ捨てた「思い出し玉」を目がけて、弾丸のように急降下していく。
地面に激突する寸前、ハリーは見事にガラス玉をキャッチし、芝生の上に軽々と着地した。
「ハリー! 最高だったわ!」
エリーは駆け寄り、ハリーの手からガラス玉を受け取ると、自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。ハリーは少し息を切らせながら、エリーの笑顔を見て照れくさそうに微笑んだ。
「ポッター!!」
冷や水を浴びせられたような声が響いた。振り返ると、マクゴナガル教授が怒りで顔を真っ白にして歩いてくる。
「なんということを! 首の骨を折ってもおかしくないのですよ! ……ポッター、私についてきなさい」
ハリーは絶望的な表情で、エリーたちを振り返った。エリーは思わずマクゴナガル教授の前に出ようとしたが、ロンに腕を掴んで止められた。
「ハリー……」
エリーは遠ざかっていくハリーの背中を、祈るような思いで見つめることしかできなかった。
その日の夕方、グリフィンドールの談話室。
重い足取りで戻ってきたハリーを、エリー、ロン、ハーマイオニーの3人が待ち構えていた。ハリーの顔を見るなり、ロンが言った。
「ハリー、本当に退学になっちゃうの?」
「ううん。……僕、グリフィンドールの『シーカー』に選ばれたんだ」
「えっ!?」
3人の声が重なった。ハリーの話によれば、マクゴナガル教授は怒っていたのではなく、ハリーの飛行の才能を見込んで、クィディッチのチームに入れたのだという。一回生が代表に選ばれるのは、一世紀ぶりの快挙だった。
「おめでとう、ハリー! ほら、やっぱり言った通りでしょう? ハリーのお父さんの血を引いてるんだよ!」
エリーはハリーの両手を握りしめ、目を輝かせた。ハリーはエリーの温かい手の温もりと、そのまっすぐな称賛に、耳の裏まで真っ赤にしながら嬉しそうに頷いた。
「規則を破っておいて、ご褒美をもらうなんて信じられないわ」
ハーマイオニーはぷいと横を向いたが、エリーが「でも、ネビルのためだったんだし、よかったじゃない」と肩をすくめると、ハーマイオニーもそれ以上は何も言わなかった。
しかし、その喜びは長くは続かなった。
エリーが、ハリーやロンと夕食のために大広間に行くと、マルフォイが不機嫌そうに話しかけてきた。
「ポッター、ウィーズリー。それに、ストウナー。昼間はマクゴナガルがいたから助かったようだな。今夜、真夜中に決闘だ」
「受けて立つよ。僕が介添え人だ」
ロンが即座に答える。マルフォイは鼻で笑うと、エリーの顔をじっと見つめた。
「ストウナー、お前もそんな貧乏人やマグル育ちと一緒にいると、泥を被るぞ」
「私は、私が一緒にいたい人たちといるわ。マルフォイ」
エリーが毅然と言い返すと、マルフォイは不愉快そうに去っていった。
エリーたちがようやく席に座ると、話を聞いていたハーマイオニーがすぐさま飛んできた。
「行くべきじゃないわ、ハリー! 夜中に歩き回るなんて、また減点されるだけよ!」
ハーマイオニーが猛反対したが、ハリーとロンの意志は固かった。
そして真夜中。
ハリーとロンが忍び足で談話室を出ようとしたとき、暗闇から二つの影が立ち上がった。
「待って、私も行く」
アッシュブラウンの髪を軽やかに揺らしたエリーと、その後ろでぷんぷんと怒っているハーマイオニーだった。
「エリー!? なんで君まで……」
ハリーが驚いて声を潜める。エリーはにっこりと笑顔を浮かべ、けれどその瞳には強い光を宿していた。
「あなた達だけで行かせられないよ。それに、もし見つかりそうになったら、私が言い訳を考えてあげる。ハーマイオニーは、私を止めようとしてついてきちゃったの」
「もう、信じられないわ! あなたたちに付き合うなんて!」
ハーマイオニーは文句を言いながらも、エリーの袖をぎゅっと掴んでいた。彼女もまた、エリーを一人にすることができなかったのだ。
「……わかった。じゃあ、足音を立てないで」
ハリーは困ったように笑いながらも、ロンだけでなくエリーやハーマイオニーが隣にいてくれることに、言葉にできない心強さを感じていた。
こうして、真夜中の暗い廊下を、4人の小さな足音が静かに進んでいく。
この夜の冒険が、彼らの絆を決定づける「あの怪物」との遭遇に繋がることを、彼らはまだ知らなかった。
「ねえ、エリー。早くしないと朝食のトーストがなくなっちゃうわよ」
ふさふさの茶色い髪をきっちりと整えたハーマイオニー・グレンジャーが、グリフィンドール女子ドミトリーの部屋で、教科書をカバンに詰め込みながら言った。
アリス・ストウナー──エリーは、朝から部屋の中を忙しなく動き回っていた。
「待って、ハーマイオニー。『千の魔法薬草とキノコ』がどうしても見つからなくて……あ、あった! ベッドの下に落ちてた!」
「もう、初日から忘れ物なんてダメよ。今日はスネイプ教授の『魔法薬学』があるんだから」
二人は揃って談話室へ降り、ハリーとロンを合流させて大広間へと向かった。
ホグワーツの生活が始まって数日。エリーはハーマイオニーと同じ部屋で過ごすうちに、彼女が「規則に厳格で少しお節介だけど、本当はとても友達思いな女の子」だと気づいていた。授業で手を挙げすぎて周りから少し浮いてしまうハーマイオニーを、エリーはいつも隣の席で温かく見守っている。
しかし、金曜日の朝食時、ハリーの表情は優れなかった。
「どうしたの、ハリー? そのパイ、食べないの?」
エリーが心配そうに覗き込むと、ハリーは額の傷を無意識にさすりながら溜息をついた。
「ううん、なんでもないんだ。ただ……大広間に入った時から、スネイプ教授が僕をずっと睨みつけているような気がして」
「気のせいだよ、ハリー。あの先生はいつも誰かを睨んでる。僕の兄さんのチャーリーの時もそうだったって」
ロンが口いっぱいにソーセージを頬張りながら言ったが、その不安は不吉なほど的中することになる。
地下にある魔法薬学の教室は、ひんやりとしていて薄暗かった。壁沿いの棚には、怪しげな生物の塩漬けが入ったガラス瓶がずらりと並んでいる。
エリーはハーマイオニーと、ハリーはロンと同じ机についた。
出席を取るスネイプの口調は、冷酷で容赦がなかった。ハリーの名前のところで手を止め、「ああ、そうだ。ハリー・ポッター。我が校の新しい『有名人』だ」と皮肉を吐き出すと、スリザリン生たちがクスクスと笑った。
「ポッター」
スネイプの黒い瞳が、獲物を狙う鷹のようにハリーを射抜く。
「アズフォデルの根の粉末に、ニガヨモギの浸出液を合わせると何になる?」
ハリーが困惑してロンと顔を見合わせる。ハーマイオニーの細い手が、待ってましたとばかりにピンと空へ伸びた。エリーはハラハラしながら、机の下でハーマイオニーのローブの裾をそっと引いた。
「わかりません」
「では、別の質問だ。ベゾアール石を見つけようと思ったら、どこを探す?」
ハーマイオニーの手はさらに高く挙がり、立ち上がりそうにすらなっていた。ハリーはまたしても首を横に振る。スネイプの唇が冷たく歪んだ。
「ポッター、本を開きもしなかったようだな。では、カブトウソウとトリカブトの違いは?」
ハリーはついに、まっすぐにスネイプを見返した。
「わかりません。でも、ハーマイオニーが知っているみたいです。先生、彼女に聞いたらどうですか?」
何人かが吹き出し、スネイプの顔が怒りで引きつった。
「座っていろ、グレンジャー!」
スネイプはハーマイオニーを一喝すると、冷徹な声で答えをまじまじと言い放った。
「アズフォデルとニガヨモギは『生ける死の薬』を、ベゾアール石は山羊の胃袋から、カブトウソウとトリカブトは同じ植物だ。……どうした、なぜ皆メモを取らん?」
教室中が慌てて羽ペンを走らせる中、スネイプは冷たく付け加えた。
「それから、ポッター。反抗的な態度により、グリフィンドールは1点減点だ」
ハリーは悔しそうに唇を噛み締め、うつむいた。エリーはそんなハリーの細い肩が小さく震えているのを見て、胸が痛んだ。授業中、エリーはハリーの机にそっと視線を送り、彼が魔法薬の調合を間違えそうになるたびに、身振り手振りで「火を弱めて」とサインを送った。ハリーはそれに気づき、エリーにだけ分かるように小さく頷いて、なんとか大失敗を免れた。
授業の後、地下室を出た4人は廊下を歩いていた。ロンは怒り心頭だった。
「あいつ、ハリーにばっかり意地悪して! 減点だなんて不公平だ!」
「でも、ハリーもあんな言い方をするべきじゃなかったわ。先生を怒らせるだけよ」
ハーマイオニーの正論に、ハリーはさらにへそを曲げてしまう。
「僕はただ、知らないって言っただけさ。あんなの、嫌がらせだ」
不穏な空気が流れる中、エリーはハリーの隣に並び、彼のぶかぶかの袖をそっと引いた。
「ハリー、大丈夫だよ。次の『飛行訓練』で、きっとスッキリできるから」
「エリー……」
「私、パパから聞いたの。ハリーのお父さんは、すっごく空を飛ぶのが上手だったんだって。だから、ハリーもきっと上手だよ。スネイプ教授のことなんて、忘れちゃえ」
顔いっぱいで笑うエリーの言葉に、ハリーの強張っていた表情がふっと緩んだ。
「……うん。ありがとう、エリー」
ハリーの緑色の瞳に、少しだけ明るい光が戻ったのを見て、エリーは嬉しくなった。
そして午後、晴れ渡った青空の下、グリフィンドールとスリザリンの合同による飛行訓練が始まった。
芝生の上には、二十本の箒が整然と並んでいる。指導するのは、鷹のような目をしたマダム・フーチだ。
「さあ、全員、箒の左側に立ちなさい。そして右手を箒の上にかざし、『上がれ!』と言うのです!」
「上がれ!」
ハリーが叫んだ瞬間、彼の箒はまるで生き物のように一発で手の平に飛び込んできた。
「ハリー、すごい!」とエリー。彼女の箒は地面でゴロゴロと転がっているだけだったが、エリーは「上がれ!」と何度も真面目に、けれど楽しそうに声を張り上げた。4回目でようやく箒が手に収まったとき、隣のハーマイオニーの箒はまだ地面を這い、ロンの箒は彼の鼻頭を直撃していた。
しかし、事件はマダム・フーチが「笛の合図で地面を蹴りなさい」と言った直後に起きた。
緊張しすぎたネビル・ロングボトムが、フライングして地面を強く蹴り上げてしまったのだ。制止する声を無視して、ネビルの箒は制御を失い、どんどん高く舞い上がっていく。
「ひいぃっ!」
ネビルは必死に箒にしがみついたが、あえなく滑り落ち、ドサリと音を立てて芝生に叩きつけられた。
「手首を折っていますね……」
マダム・フーチはネビルを抱きかかえ、生徒たちを厳しく見回した。
「この子を医務室に連れて行きますからね。そのあいだ誰も動いてはいけませんよ!いいですね!箒一本でも飛ばしたら、クィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいます!」
フーチ先生が去った途端、スリザリンのドラコ・マルフォイが芝生に落ちていたガラスの球を拾い上げ、嘲笑った。
「見ろよ、あのマヌケなロングボトムの『思い出し玉』だ。あいつ、これがないと自分がどこにいるかも忘れちゃうんだろ」
「返せよ、マルフォイ!」
ハリーが一歩前に出る。マルフォイは意地悪く笑い、箒にまたがってふわりと宙へ浮かび上がった。
「嫌だね。欲しければ取りに来いよ。あいつのベッドの上にでも置いておいてやろうか!」
「ハリー、ダメよ! 先生の言ったことを忘れたの!?」
ハーマイオニーが叫んだが、ハリーの耳には届かなかった。ハリーは箒に飛び乗ると、力強く地面を蹴った。その姿は、初めて空を飛んだとは思えないほど、美しく、俊敏だった。
「わあ……本当にすごい……」
エリーは思わず感嘆の声を漏らした。上空でハリーはマルフォイを追い詰め、マルフォイが悔し紛れに投げ捨てた「思い出し玉」を目がけて、弾丸のように急降下していく。
地面に激突する寸前、ハリーは見事にガラス玉をキャッチし、芝生の上に軽々と着地した。
「ハリー! 最高だったわ!」
エリーは駆け寄り、ハリーの手からガラス玉を受け取ると、自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。ハリーは少し息を切らせながら、エリーの笑顔を見て照れくさそうに微笑んだ。
「ポッター!!」
冷や水を浴びせられたような声が響いた。振り返ると、マクゴナガル教授が怒りで顔を真っ白にして歩いてくる。
「なんということを! 首の骨を折ってもおかしくないのですよ! ……ポッター、私についてきなさい」
ハリーは絶望的な表情で、エリーたちを振り返った。エリーは思わずマクゴナガル教授の前に出ようとしたが、ロンに腕を掴んで止められた。
「ハリー……」
エリーは遠ざかっていくハリーの背中を、祈るような思いで見つめることしかできなかった。
その日の夕方、グリフィンドールの談話室。
重い足取りで戻ってきたハリーを、エリー、ロン、ハーマイオニーの3人が待ち構えていた。ハリーの顔を見るなり、ロンが言った。
「ハリー、本当に退学になっちゃうの?」
「ううん。……僕、グリフィンドールの『シーカー』に選ばれたんだ」
「えっ!?」
3人の声が重なった。ハリーの話によれば、マクゴナガル教授は怒っていたのではなく、ハリーの飛行の才能を見込んで、クィディッチのチームに入れたのだという。一回生が代表に選ばれるのは、一世紀ぶりの快挙だった。
「おめでとう、ハリー! ほら、やっぱり言った通りでしょう? ハリーのお父さんの血を引いてるんだよ!」
エリーはハリーの両手を握りしめ、目を輝かせた。ハリーはエリーの温かい手の温もりと、そのまっすぐな称賛に、耳の裏まで真っ赤にしながら嬉しそうに頷いた。
「規則を破っておいて、ご褒美をもらうなんて信じられないわ」
ハーマイオニーはぷいと横を向いたが、エリーが「でも、ネビルのためだったんだし、よかったじゃない」と肩をすくめると、ハーマイオニーもそれ以上は何も言わなかった。
しかし、その喜びは長くは続かなった。
エリーが、ハリーやロンと夕食のために大広間に行くと、マルフォイが不機嫌そうに話しかけてきた。
「ポッター、ウィーズリー。それに、ストウナー。昼間はマクゴナガルがいたから助かったようだな。今夜、真夜中に決闘だ」
「受けて立つよ。僕が介添え人だ」
ロンが即座に答える。マルフォイは鼻で笑うと、エリーの顔をじっと見つめた。
「ストウナー、お前もそんな貧乏人やマグル育ちと一緒にいると、泥を被るぞ」
「私は、私が一緒にいたい人たちといるわ。マルフォイ」
エリーが毅然と言い返すと、マルフォイは不愉快そうに去っていった。
エリーたちがようやく席に座ると、話を聞いていたハーマイオニーがすぐさま飛んできた。
「行くべきじゃないわ、ハリー! 夜中に歩き回るなんて、また減点されるだけよ!」
ハーマイオニーが猛反対したが、ハリーとロンの意志は固かった。
そして真夜中。
ハリーとロンが忍び足で談話室を出ようとしたとき、暗闇から二つの影が立ち上がった。
「待って、私も行く」
アッシュブラウンの髪を軽やかに揺らしたエリーと、その後ろでぷんぷんと怒っているハーマイオニーだった。
「エリー!? なんで君まで……」
ハリーが驚いて声を潜める。エリーはにっこりと笑顔を浮かべ、けれどその瞳には強い光を宿していた。
「あなた達だけで行かせられないよ。それに、もし見つかりそうになったら、私が言い訳を考えてあげる。ハーマイオニーは、私を止めようとしてついてきちゃったの」
「もう、信じられないわ! あなたたちに付き合うなんて!」
ハーマイオニーは文句を言いながらも、エリーの袖をぎゅっと掴んでいた。彼女もまた、エリーを一人にすることができなかったのだ。
「……わかった。じゃあ、足音を立てないで」
ハリーは困ったように笑いながらも、ロンだけでなくエリーやハーマイオニーが隣にいてくれることに、言葉にできない心強さを感じていた。
こうして、真夜中の暗い廊下を、4人の小さな足音が静かに進んでいく。
この夜の冒険が、彼らの絆を決定づける「あの怪物」との遭遇に繋がることを、彼らはまだ知らなかった。