daffodils
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5 クリスマスの破片
新学期を迎えたホグワーツ魔法魔術学校は、例年とは異なる、どこか浮足立った熱気に包まれていた。
ダームストラングとボーバトンの生徒たちが到着し、大広間は常に異国の言葉ときらびやかな制服で溢れかえっている。三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)という、これまた人間の無駄な顕示欲を煮詰めたようなイベントのせいで、周囲の生徒たちは誰も彼もが浮かれていた。
アリス・ストウナーは、その喧騒から最も遠い大広間の片隅で、冷え切ったスープにスプーンを沈めていた。
「(……煩わしい。なにもかも、嫌になる)」
アリスの胸の奥には、消えない焦燥の残り火が燻り続けていた。
あの日。あの忌まわしいクィディッチ・ワールドカップ。セドリック・ディゴリーに手首を掴まれ、引かれるがままに走った、あの夜。涙で歪んだ視界のなかで、彼の背中だけが、世界のすべてであるかのように大きく見えた。
──信じてしまいそうだった。
自分を置いていかない人間が、この世界に存在するのかもしれないと。
それはアリスにとって、死の呪文よりも恐ろしい「弱み」だった。人を信じ、温もりに絆され、その果てに待っているのは、孤独だと言うのに。あの夜に父親が残した『すまない』という拒絶が、すべてなのに。
これ以上、あの男に踏み込ませてはならない。だというのに。
「アリス」
大広間のざわめきを割って、その声が響いた。
夕食時の、最も生徒が密集する時間帯。ハッフルパフのテーブルを端で、セドリックは周囲の視線など一顧だにせず、アリスの前に立った。ハッフルパフの代表選手として選ばれて以来、彼の輝きは増すばかりで、その一挙手一投足に全校生徒が注目している。
セドリックは、少し緊張したように灰色の瞳を揺らし、しかし、どこまでもまっすぐにアリスを見つめた。
「クリスマス・ダンスパーティーのことなんだけど。……僕と、一緒に行ってくれないか」
大広間が、一瞬にして水を打ったように静まり返る。
代表選手が誰をパートナーに選ぶのかは、ここ数日の最大の関心事だった。誰もが、ボーバトンの美しい少女か、あるいは他の華やかな女子生徒だろうと噂していた。それなのに、彼が誘ったのは、よりによってあの「ハッフルパフの面汚し」だった。
アリスはゆっくりとスプーンを置いた。唇の端に、これ以上ないほど冷酷で、人を小馬鹿にしたような笑みを張り付ける。
「お断りよ、セドリック・ディゴリー」
凛とした、しかし酷く冷徹な声が、静まり返った大広間に明瞭に響く。周囲の生徒たちが息を呑むのが分かった。
「勘違いしないでいただきたいのだけれど。あの夜、たまたま同じ場所に居合わせたからといって、私たちは別に友達でもなければ親しくもないはずよ。あなたが私を『助けてやった』などとは、ゆめゆめ思わないことね」
あえて、周囲に聞こえるように、冷たく突き放す。
「ハッフルパフの王子様は、また『哀れな孤立した同級生』に施しを与えて、ご自分の高潔な自尊心を満たしたいのでしょうけど。お生憎様。あなたのそのお安い同情心なら、あちらの浮ついたお嬢さん方に振り撒いて差し上げて?きっと、大喜びで付き合ってくれるでしょう?」
言葉としては丁寧な、しかし決定的な拒絶。どこかから「ひどい」とつぶやく声が聞こえる。
セドリックは、僅かに眉をひそめた。それでも怒ることはしなかった。ただ、その灰色の瞳の奥に、アリスが必死に張っている「おびえ」の盾を、すべて見透かしているような、深く静かな光を宿していた。
「……分かった。急にこんなところで、驚かせてごめん」
アリスの心無い言葉はいつもと同じで、セドリックは慣れているはずだった。それにも関わらず、なぜか傷付いたように、ほんの少しだけ顔を俯けた。その僅かな変化に、アリスは小さな胸騒ぎを覚えた。
「(なに、その顔は。なんなの。私が間違ってるみたいじゃない······!)」
他人の顔色など気にしたこともない。それなのに、なぜこんなにもこの男の表情が気になるのだろう。堪らずアリスは立ち上がると、スプーンが音を立ててスープ皿から溢れ出た。周りの責めるような視線の中、セドリックの顔を一瞬睨みつけ、アリスは足早に大広間を出た。その後、アリスへ向けられたヘイトがより一層強くなったことは言うまでもない。
◇
クリスマス・ダンスパーティーの当日。
城内は、華やかなドレスを纏った生徒たちの笑い声と、きらびやかな魔法の光で満たされていた。誰もが大広間の華麗な祝宴へと足を向けるなか、アリスはただ一人、反対方向の地下へと歩いていた。
いつもの、古い調合室。ここだけが、世界の喧騒から隔離された、彼女の絶対的な縄張りだった。
カチャ、カチャ、と大釜をかき混ぜる鈍い金属音だけが、薄暗い部屋に響く。大釜の底で揺らめく緑色の炎が、アリスの無表情な顔を不気味に照らしていた。
あの、忌々しいダンスパーティーへのお誘いから、アリスは毎日のように嫌がらせを受けていた。そのほとんどが小さな、くだらないものだったが、それでも繰り返し受ければ傷の治りも遅くなる。
仕方なしに調合室にこもり、手当と、調合を繰り返していた。
「(大丈夫。私はひとりで耐えられる。今までもずっとそうだった、何も変わらない)」
しかし、炎を見つめる彼女の視線は、微かに震えていた。ワールドカップの夜の、あんな失態を、二度と繰り返してはならない。そう思うのに、あの夜の熱が思い出されて、きつく唇を噛み締める。
その時、部屋の重い木製の扉が、静かに、しかし拒絶を許さない明確な意志を持って開けられた。
アリスは反射的に振り返り、言葉を失った。
「……セドリック・ディゴリー、」
そこにいたのは、礼装のローブを完璧に着こなした、眩いほどに華やかなセドリックだった。大広間の主役であるはずの男が、なぜ、こんな埃っぽい地下の小部屋にいるのか。対する自分は、汚れの目立つ普段着の作業着のままだ。
一瞬にして脳裏に甦る、あの夜の体温。アリスはさっと自分の頭に血が上るのを感じた。狼狽えてはいけない。そう思うのに。
「……何のご用。立派なのは見てくれだけで、相変わらずノックをするお行儀は持ち合わせていないのね」
セドリックは何も言わず、ゆっくりとアリスに近づいてくる。シダーウッドの香りが、部屋の苦い薬草の匂いを塗り替えていく。頭の中で、それ以上近づかせてはいけない、と警鐘が鳴る。
「ねえ。私への哀れみは、あなたの自尊心をどれだけ満たしてくれた?」
アリスの声が、微かに震えた。非情になりきれない。彼が近づいてくるだけで、世界の中心で一人きりにされたあの夜の孤独が、彼の体温によって暴かれてしまいそうになる。信じたくなってしまう。信じてしまう。あなたを。
「もう十分でしょう?ひとりぼっちで可哀想な醜い生徒を、溢れんばかりの慈悲で助ける『王子様』に、誰もが満足したでしょう?もう······もう私に、これ以上関わらないで······!」
体ごと顔を背け、彼を視界から締め出そうとする。これ以上、彼の顔を見たら、その優しい瞳を見たら、きっと何かが変わってしまう。
だが、拒絶の言葉が終わりきる前に、世界が揺れた。
後ろから、有無を言わせぬ強い力で、抱きしめられたのだ。
「……っ、離しなさい!セドリック・ディゴリー!」
アリスは狂ったように暴れようとしたが、セドリックの両腕は、あの夜よりも頑丈な檻のように、彼女の身体をまるごと抱え込んで離さなかった。彼の礼装のなめらかな生地越しに、ドクドクと激しく打つ心臓の音が、アリスの背中に直接伝わってくる。
「離さないよ」
耳元で、低く、かすれた声が響いた。それはいつもの大人の余裕を持った『王子様』のセドリックではなく、一人の男の、剥き出しになった響きだった。
「僕がただ、君を愛してるだけだ。……君はいつも、僕の都合なんてこれっぽっちも考えないだろう?大広間で僕をあんな風に撥ね退けるときだって、僕がどれだけ傷つくか、考えもしなかったはずだ」
セドリックの腕の力が、いっそう強くなる。アリスの華奢な身体が、彼の大きな体躯に完全に埋もれていく。臭い、声、温もり、アリスのありとあらゆる感覚がセドリックに塗りつぶされ、アリスは身体を強ばらせた。
「だから、僕だって君の都合なんて知らないよ。ましてや、周りの満足?関係ないね」
王子様然とした柔らかさは全くなりを潜め、不敵な、開き直ったような声がアリスを耳元から甘くくすぐる。
「君がどれだけ拒絶しても、僕を置いていってしまっても、関係ない。……僕は、君を、一人にはしない」
──僕は僕のやりたいように、やらせてもらう。
あまりにもエゴイスティックで、それでいて、息が詰まるほどの圧倒的な愛の告白。
「な……、何を、言って……!」
アリスの脳内は、完全にパニックを起こして混乱に陥った。非情な言い訳も、冷酷な皮肉も、彼の熱量の前では一瞬で蒸発して、ただの無意味な音の羅列にしかならない。
胸の奥のひび割れから、感情と涙が溢れそうになる。
「嫌、……嫌よ! 離しなさい!離して!セドリック・ディゴリー!」
アリスは狂ったように肘を突き出し、死に物狂いの力で彼の胸を突き放した。不意を突かれたセドリックの身体が僅かに揺らぎ、その隙にアリスは彼の腕から抜け出す。
息を荒くし、涙目で彼を睨みつける。
「······っ、インペディメンタ!」
アリスはセドリックの身体を無理やり扉の外へと吹き飛ばすと、激しい音を立てて木製の重い扉を閉めた。
ガチャン、と鍵が閉まる冷徹な音が響く。
静まり返った調合室の中、アリスは扉に背中を預けたまま、その場にずるずると崩れ落ちた。
膝を抱え、自身の身体を抱きしめる。掴まれた手首も、後ろから抱きしめられた背中も、彼の熱が残っていて、酷く、酷く熱かった。
「(……最低。……大嫌いよ、セドリック・ディゴリー)」
薄暗い部屋の中で抱えた膝に顔を埋め、二度と彼を信じまいと、固く、固く目をつむった。
そしてその外側。セドリックは溜息をつきながら立ち上がり、汚れた、古い、ささくれだらけの扉にそっと手を触れさせた。
どれほど突き放されても。どれほど心無い言葉を浴びせられても。どれほど信じてもらえなくても。僕はもう、君を思わずにはいられない。
セドリックはまるで祈りを捧げるように、静かに、扉に額を寄せたのだった。
新学期を迎えたホグワーツ魔法魔術学校は、例年とは異なる、どこか浮足立った熱気に包まれていた。
ダームストラングとボーバトンの生徒たちが到着し、大広間は常に異国の言葉ときらびやかな制服で溢れかえっている。三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)という、これまた人間の無駄な顕示欲を煮詰めたようなイベントのせいで、周囲の生徒たちは誰も彼もが浮かれていた。
アリス・ストウナーは、その喧騒から最も遠い大広間の片隅で、冷え切ったスープにスプーンを沈めていた。
「(……煩わしい。なにもかも、嫌になる)」
アリスの胸の奥には、消えない焦燥の残り火が燻り続けていた。
あの日。あの忌まわしいクィディッチ・ワールドカップ。セドリック・ディゴリーに手首を掴まれ、引かれるがままに走った、あの夜。涙で歪んだ視界のなかで、彼の背中だけが、世界のすべてであるかのように大きく見えた。
──信じてしまいそうだった。
自分を置いていかない人間が、この世界に存在するのかもしれないと。
それはアリスにとって、死の呪文よりも恐ろしい「弱み」だった。人を信じ、温もりに絆され、その果てに待っているのは、孤独だと言うのに。あの夜に父親が残した『すまない』という拒絶が、すべてなのに。
これ以上、あの男に踏み込ませてはならない。だというのに。
「アリス」
大広間のざわめきを割って、その声が響いた。
夕食時の、最も生徒が密集する時間帯。ハッフルパフのテーブルを端で、セドリックは周囲の視線など一顧だにせず、アリスの前に立った。ハッフルパフの代表選手として選ばれて以来、彼の輝きは増すばかりで、その一挙手一投足に全校生徒が注目している。
セドリックは、少し緊張したように灰色の瞳を揺らし、しかし、どこまでもまっすぐにアリスを見つめた。
「クリスマス・ダンスパーティーのことなんだけど。……僕と、一緒に行ってくれないか」
大広間が、一瞬にして水を打ったように静まり返る。
代表選手が誰をパートナーに選ぶのかは、ここ数日の最大の関心事だった。誰もが、ボーバトンの美しい少女か、あるいは他の華やかな女子生徒だろうと噂していた。それなのに、彼が誘ったのは、よりによってあの「ハッフルパフの面汚し」だった。
アリスはゆっくりとスプーンを置いた。唇の端に、これ以上ないほど冷酷で、人を小馬鹿にしたような笑みを張り付ける。
「お断りよ、セドリック・ディゴリー」
凛とした、しかし酷く冷徹な声が、静まり返った大広間に明瞭に響く。周囲の生徒たちが息を呑むのが分かった。
「勘違いしないでいただきたいのだけれど。あの夜、たまたま同じ場所に居合わせたからといって、私たちは別に友達でもなければ親しくもないはずよ。あなたが私を『助けてやった』などとは、ゆめゆめ思わないことね」
あえて、周囲に聞こえるように、冷たく突き放す。
「ハッフルパフの王子様は、また『哀れな孤立した同級生』に施しを与えて、ご自分の高潔な自尊心を満たしたいのでしょうけど。お生憎様。あなたのそのお安い同情心なら、あちらの浮ついたお嬢さん方に振り撒いて差し上げて?きっと、大喜びで付き合ってくれるでしょう?」
言葉としては丁寧な、しかし決定的な拒絶。どこかから「ひどい」とつぶやく声が聞こえる。
セドリックは、僅かに眉をひそめた。それでも怒ることはしなかった。ただ、その灰色の瞳の奥に、アリスが必死に張っている「おびえ」の盾を、すべて見透かしているような、深く静かな光を宿していた。
「……分かった。急にこんなところで、驚かせてごめん」
アリスの心無い言葉はいつもと同じで、セドリックは慣れているはずだった。それにも関わらず、なぜか傷付いたように、ほんの少しだけ顔を俯けた。その僅かな変化に、アリスは小さな胸騒ぎを覚えた。
「(なに、その顔は。なんなの。私が間違ってるみたいじゃない······!)」
他人の顔色など気にしたこともない。それなのに、なぜこんなにもこの男の表情が気になるのだろう。堪らずアリスは立ち上がると、スプーンが音を立ててスープ皿から溢れ出た。周りの責めるような視線の中、セドリックの顔を一瞬睨みつけ、アリスは足早に大広間を出た。その後、アリスへ向けられたヘイトがより一層強くなったことは言うまでもない。
◇
クリスマス・ダンスパーティーの当日。
城内は、華やかなドレスを纏った生徒たちの笑い声と、きらびやかな魔法の光で満たされていた。誰もが大広間の華麗な祝宴へと足を向けるなか、アリスはただ一人、反対方向の地下へと歩いていた。
いつもの、古い調合室。ここだけが、世界の喧騒から隔離された、彼女の絶対的な縄張りだった。
カチャ、カチャ、と大釜をかき混ぜる鈍い金属音だけが、薄暗い部屋に響く。大釜の底で揺らめく緑色の炎が、アリスの無表情な顔を不気味に照らしていた。
あの、忌々しいダンスパーティーへのお誘いから、アリスは毎日のように嫌がらせを受けていた。そのほとんどが小さな、くだらないものだったが、それでも繰り返し受ければ傷の治りも遅くなる。
仕方なしに調合室にこもり、手当と、調合を繰り返していた。
「(大丈夫。私はひとりで耐えられる。今までもずっとそうだった、何も変わらない)」
しかし、炎を見つめる彼女の視線は、微かに震えていた。ワールドカップの夜の、あんな失態を、二度と繰り返してはならない。そう思うのに、あの夜の熱が思い出されて、きつく唇を噛み締める。
その時、部屋の重い木製の扉が、静かに、しかし拒絶を許さない明確な意志を持って開けられた。
アリスは反射的に振り返り、言葉を失った。
「……セドリック・ディゴリー、」
そこにいたのは、礼装のローブを完璧に着こなした、眩いほどに華やかなセドリックだった。大広間の主役であるはずの男が、なぜ、こんな埃っぽい地下の小部屋にいるのか。対する自分は、汚れの目立つ普段着の作業着のままだ。
一瞬にして脳裏に甦る、あの夜の体温。アリスはさっと自分の頭に血が上るのを感じた。狼狽えてはいけない。そう思うのに。
「……何のご用。立派なのは見てくれだけで、相変わらずノックをするお行儀は持ち合わせていないのね」
セドリックは何も言わず、ゆっくりとアリスに近づいてくる。シダーウッドの香りが、部屋の苦い薬草の匂いを塗り替えていく。頭の中で、それ以上近づかせてはいけない、と警鐘が鳴る。
「ねえ。私への哀れみは、あなたの自尊心をどれだけ満たしてくれた?」
アリスの声が、微かに震えた。非情になりきれない。彼が近づいてくるだけで、世界の中心で一人きりにされたあの夜の孤独が、彼の体温によって暴かれてしまいそうになる。信じたくなってしまう。信じてしまう。あなたを。
「もう十分でしょう?ひとりぼっちで可哀想な醜い生徒を、溢れんばかりの慈悲で助ける『王子様』に、誰もが満足したでしょう?もう······もう私に、これ以上関わらないで······!」
体ごと顔を背け、彼を視界から締め出そうとする。これ以上、彼の顔を見たら、その優しい瞳を見たら、きっと何かが変わってしまう。
だが、拒絶の言葉が終わりきる前に、世界が揺れた。
後ろから、有無を言わせぬ強い力で、抱きしめられたのだ。
「……っ、離しなさい!セドリック・ディゴリー!」
アリスは狂ったように暴れようとしたが、セドリックの両腕は、あの夜よりも頑丈な檻のように、彼女の身体をまるごと抱え込んで離さなかった。彼の礼装のなめらかな生地越しに、ドクドクと激しく打つ心臓の音が、アリスの背中に直接伝わってくる。
「離さないよ」
耳元で、低く、かすれた声が響いた。それはいつもの大人の余裕を持った『王子様』のセドリックではなく、一人の男の、剥き出しになった響きだった。
「僕がただ、君を愛してるだけだ。……君はいつも、僕の都合なんてこれっぽっちも考えないだろう?大広間で僕をあんな風に撥ね退けるときだって、僕がどれだけ傷つくか、考えもしなかったはずだ」
セドリックの腕の力が、いっそう強くなる。アリスの華奢な身体が、彼の大きな体躯に完全に埋もれていく。臭い、声、温もり、アリスのありとあらゆる感覚がセドリックに塗りつぶされ、アリスは身体を強ばらせた。
「だから、僕だって君の都合なんて知らないよ。ましてや、周りの満足?関係ないね」
王子様然とした柔らかさは全くなりを潜め、不敵な、開き直ったような声がアリスを耳元から甘くくすぐる。
「君がどれだけ拒絶しても、僕を置いていってしまっても、関係ない。……僕は、君を、一人にはしない」
──僕は僕のやりたいように、やらせてもらう。
あまりにもエゴイスティックで、それでいて、息が詰まるほどの圧倒的な愛の告白。
「な……、何を、言って……!」
アリスの脳内は、完全にパニックを起こして混乱に陥った。非情な言い訳も、冷酷な皮肉も、彼の熱量の前では一瞬で蒸発して、ただの無意味な音の羅列にしかならない。
胸の奥のひび割れから、感情と涙が溢れそうになる。
「嫌、……嫌よ! 離しなさい!離して!セドリック・ディゴリー!」
アリスは狂ったように肘を突き出し、死に物狂いの力で彼の胸を突き放した。不意を突かれたセドリックの身体が僅かに揺らぎ、その隙にアリスは彼の腕から抜け出す。
息を荒くし、涙目で彼を睨みつける。
「······っ、インペディメンタ!」
アリスはセドリックの身体を無理やり扉の外へと吹き飛ばすと、激しい音を立てて木製の重い扉を閉めた。
ガチャン、と鍵が閉まる冷徹な音が響く。
静まり返った調合室の中、アリスは扉に背中を預けたまま、その場にずるずると崩れ落ちた。
膝を抱え、自身の身体を抱きしめる。掴まれた手首も、後ろから抱きしめられた背中も、彼の熱が残っていて、酷く、酷く熱かった。
「(……最低。……大嫌いよ、セドリック・ディゴリー)」
薄暗い部屋の中で抱えた膝に顔を埋め、二度と彼を信じまいと、固く、固く目をつむった。
そしてその外側。セドリックは溜息をつきながら立ち上がり、汚れた、古い、ささくれだらけの扉にそっと手を触れさせた。
どれほど突き放されても。どれほど心無い言葉を浴びせられても。どれほど信じてもらえなくても。僕はもう、君を思わずにはいられない。
セドリックはまるで祈りを捧げるように、静かに、扉に額を寄せたのだった。
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