daffodils
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1 ハッフルパフの面汚し
ホグワーツ魔法魔術学校という場所は、不誠実な「善意」に満ちている。入学早々、アリス・ストウナーが至った結論はそれだけだった。
「ねえ、あなた、次の飛行術の授業、一緒に並ばない?まだ箒に触るの怖いよね」
「──ご親切にどうも」
大広間の片隅で声をかけてきた同級生の女子生徒に、アリスは視線すら合わせず、酷く穏やかな、しかし冷徹な声で応じた。
「未知への恐怖を共有して安心したいのなら、私ではなくあちらの、思慮よりも先に身体が動くグリフィンドール生に混ざることをお勧めするわ。きっと、有意義な『お友達ごっこ』が楽しめるはずよ」
「え……?」
向けられたのは、暴言ですらない。徹底的に相手を値踏みし、見下した「丁寧な拒絶」だった。親切心を無碍にされ、あまつさえひどく馬鹿にされた女子生徒は、あまりの衝撃に泣きそうになりながらその場を去っていった。
笑わない、話さない、馴れ合わない。それが、アリスのすべてだった。
優しさと誠実さの寮。組分け帽子が『ハッフルパフ!』と叫んだ瞬間、彼女はあの帽子が狂っているのだと確信した。魔法省の役人として立派な肩書きを持ち、周囲から「おしどり夫婦」と称えられていた自分の両親。疑いもしない、自分への愛情。それが突然、父親が不倫の末に家庭を捨てて駆け落ちした。あの夜から、アリスは人間を信用していない。
裏切られる前に、最初からすべてを拒絶する。それは、彼女が自身の心を守り、生きていくための術だった。
「ちょっと、そこの一年生。さすがに今の言い方は感心しないな。ハッフルパフは互いに助け合う寮なんだよ?」
孤立を心配した、あるいは正義感に駆られた上級生の男子生徒が眉をひそめて近づいてくる。それに対しても、アリスは薄い唇の端を優雅に釣り上げ、毒の塗られた皮肉を返した。
「まあ!ハッフルパフの上級生の方は、後輩の交友関係の心配を最優先事項にできるほど、お時間に余裕がおありなんですね。私、てっきり間近に迫ったO・W・L(普通魔法レベル試験)の赤点回避に必死なのだとばかり……ああ、余計な心配をすみません。『優しく後輩思いの先輩』になれば、成績を考えずとも自身が優秀に思えますものね」
「──なっ、」
言い返された上級生は、言葉を失い、最後には顔を真っ赤にしてその場を走り去っていった。入学してわずか一ヶ月。アリスの周りには、文字通り「敵」しかいなくなっていた。
◇
「おい、聞いたか? あいつ、また談話室で先輩を泣かせたらしいぜ」
「なんであんな奴がハッフルパフなんだよ。絶対に組分け帽子がスリザリンと間違えただろ。あんなの、『ハッフルパフの面汚し』だ」
大広間の廊下、図書室の片隅。どこを歩いても、アリスの背中にはそんな陰口が突き刺さる。
実際、頭の回転が無駄に速い彼女は、校則の抜け穴を利用し、自分が有利になるように状況を動かすことが得意だった。教授たちの前では要領よく立ち回り、減点を巧みにかいくぐるその姿は、周囲の生徒にとって「狡猾で傲慢」そのものだった。
「いや、あそこまで慇懃無礼で陰湿な奴、スリザリン生も嫌ってるって噂だよ」
誰かの言葉のとおり、アリスはスリザリン生からも蛇蝎のごとく嫌われていた。スリザリンは強い仲間意識があり、一致団結して行動するが、アリスは同じ寮の人間でさえ仲間とは断じて認めていない。スリザリン生にしてみれば、彼女はまったくスリザリンの品格にそぐわない異物だった。
そんなある日、1年生の『魔法薬学』の授業で、決定的な事件が起きる。
「……これより、共同研究のペアを発表する。今回の課題は、成分の精密な計測が必要不可欠だ。互いの魔力の特性を考慮し、こちらで指定した」
スネイプ教授の冷徹な声が、地下牢教室に響く。次々と名前が読み上げられていく中、クラス中が息を呑んだのは、最後のペアが発表された瞬間だった。
「──最後、ディゴリーとストウナー」
スネイプの言葉に、教室中の視線が、一番後ろの席で表情を変えずに座っているアリスに向けられた。あからさまな動揺が瞬時に広がる。
セドリック・ディゴリー。彼女の同学年でありながら、すでにハッフルパフの「理想」として誰もが一目置いている人気者。容姿端麗、成績優秀、誰にでも公平で誠実な、完璧な『ハッフルパフの王子様』。誰もが「なぜ、セドリックがあんな性格悪いやつと」と言いたげな、不満と憐れみの視線をセドリックに投げかける。
アリスはふ、と鼻を鳴らし、あえて周囲を煽るように、人を小馬鹿にした冷笑を浮かべてみせた。
「……最悪ね」
いつもどおりの、人好きのする微笑みで席に近づいてきたセドリックに対し、目線を合わせずに舌打ちする。この完璧な優等生とて、こうも理不尽に嫌悪的な態度を取られれば、親しくなろうとは思うまい。
しかし、セドリックは彼女の嫌味に怒るでもなく、興味深そうにその灰色の瞳を細めた。
「よろしく。君とペアになれて良かったよ」
「おめでたい頭をしてるのね。それとも、いつもひとりぼっちで哀れな同級生を救うヒーローにでもなったつもり?随分と傲慢ね」
「……君を哀れだとも、自分をヒーローだとも思ったことも無いんだけど……ただ、君と組んでみたかったんだ」
セドリックは、周囲の冷ややかな視線など全く気にする様子もなく、余裕を感じさせる穏やかな笑みを浮かべて、アリスの隣の席へと腰掛けた。彼の周りにいる、お行儀がよくて優しく、いつでも好意的なハッフルパフ生たちとは、明らかに『異質』な少女。
「君が授業中に提出するレポート、いつも簡潔で無駄がなくて、素晴らしいと思って見ていたんだ。だから、今回の難しい課題、君がどうやってクリアするかすごく気になって。足を引っ張らないように頑張るよ」
真摯な、しかしどこか彼女を「観察」するような探求心を含んだ瞳が、まっすぐにアリスを射抜く。
甘い優しさではない。彼は、アリスという「異質」を、まるで面白い未知の魔法術式でも見つけたかのように、ただ純粋に興味深く見つめているのだ。
一瞬、アリスの胸の奥で、僅かな恐怖と焦燥が跳ねた。見透かされているわけではない。だが、すべてを拒絶し傷付けるだけの、誰も近付かない自分の縄張りに、彼は自ら楽しそうに踏み込んできているような、底知れない気味の悪さがあった。
「……せいぜい、泣きを見ないことね」
そう吐き捨てて顔を背けたアリスの横顔を、セドリックはただ、静かに、深い眼差しで見つめていた。
◇
それから、2年生に進級しても、アリスの「ハッフルパフの面汚し」としての悪名は留まるところを知らなかった。
「おい、セドリック、お前なんであんな奴にいちいち話しかけるんだよ。あいつ、昨日も中庭でグリフィンドール生を『無能な英雄気取り』って罵倒して泣かせだろ」
廊下で、クィディッチのチームメイトがセドリックに呆れたように問いかける。
たまたま近くを通りかかったアリスは、「自分も、是非とも知りたいところだ」と静かに壁の影へ耳を寄せた。どうせ、セドリックも内心では自分を「関わると厄介」だと判断しているはずだ。そう思って、彼の言葉を待つ。
しかし、セドリックは少し考え込むように顎に手を当て、それから、ふっと面白そうに微笑んだ。
「彼女、いつも冷酷な理由を並べて人を追い払うだろ?でも、そこまでして誰とも関わろうとしないのって、なんだか不自然じゃないか。……なぜか、ずっと目が離せないんだよね。彼女のあの頑なさに一体何が隠れているのか、興味があるんだ」
壁の裏で、アリスは自分の唇を強く噛み締めた。
優しさで救おうとされているのではない。彼は、ただ単純に、自分の「縄張り」を暴くゲームを始めようとしているのだ。
優しくされることを期待したことはない。まして、『ハッフルパフの王子様』に好かれたいなどとは毛頭なかった。それなのに、なぜ、こんなにも腹が立つのか。
不快感、そして、心臓が爆発しそうなほどの激しい動揺。そう、彼女は動揺したのだ。
アリスは堪えきれずに壁の影から飛び出すと、セドリックの前に立ち、右手を思い切り振りぬいた。
パン、と乾いた音が静かな廊下に響き渡る。
セドリックは目を見開いたまま、赤くなりジンと痺れる左の頬に手を当てた。打ったアリスの掌も、ひどく熱を持っていた。
「……最低」
突然のことに呆然とするセドリックとその友人を一瞥し、アリスは足早にその場を去る。
彼女が感情を剥き出しにして、誰かに拒絶以外の“行動”を起こしたのは、ホグワーツに入学して以来、これが初めてのことだった。
ホグワーツ魔法魔術学校という場所は、不誠実な「善意」に満ちている。入学早々、アリス・ストウナーが至った結論はそれだけだった。
「ねえ、あなた、次の飛行術の授業、一緒に並ばない?まだ箒に触るの怖いよね」
「──ご親切にどうも」
大広間の片隅で声をかけてきた同級生の女子生徒に、アリスは視線すら合わせず、酷く穏やかな、しかし冷徹な声で応じた。
「未知への恐怖を共有して安心したいのなら、私ではなくあちらの、思慮よりも先に身体が動くグリフィンドール生に混ざることをお勧めするわ。きっと、有意義な『お友達ごっこ』が楽しめるはずよ」
「え……?」
向けられたのは、暴言ですらない。徹底的に相手を値踏みし、見下した「丁寧な拒絶」だった。親切心を無碍にされ、あまつさえひどく馬鹿にされた女子生徒は、あまりの衝撃に泣きそうになりながらその場を去っていった。
笑わない、話さない、馴れ合わない。それが、アリスのすべてだった。
優しさと誠実さの寮。組分け帽子が『ハッフルパフ!』と叫んだ瞬間、彼女はあの帽子が狂っているのだと確信した。魔法省の役人として立派な肩書きを持ち、周囲から「おしどり夫婦」と称えられていた自分の両親。疑いもしない、自分への愛情。それが突然、父親が不倫の末に家庭を捨てて駆け落ちした。あの夜から、アリスは人間を信用していない。
裏切られる前に、最初からすべてを拒絶する。それは、彼女が自身の心を守り、生きていくための術だった。
「ちょっと、そこの一年生。さすがに今の言い方は感心しないな。ハッフルパフは互いに助け合う寮なんだよ?」
孤立を心配した、あるいは正義感に駆られた上級生の男子生徒が眉をひそめて近づいてくる。それに対しても、アリスは薄い唇の端を優雅に釣り上げ、毒の塗られた皮肉を返した。
「まあ!ハッフルパフの上級生の方は、後輩の交友関係の心配を最優先事項にできるほど、お時間に余裕がおありなんですね。私、てっきり間近に迫ったO・W・L(普通魔法レベル試験)の赤点回避に必死なのだとばかり……ああ、余計な心配をすみません。『優しく後輩思いの先輩』になれば、成績を考えずとも自身が優秀に思えますものね」
「──なっ、」
言い返された上級生は、言葉を失い、最後には顔を真っ赤にしてその場を走り去っていった。入学してわずか一ヶ月。アリスの周りには、文字通り「敵」しかいなくなっていた。
◇
「おい、聞いたか? あいつ、また談話室で先輩を泣かせたらしいぜ」
「なんであんな奴がハッフルパフなんだよ。絶対に組分け帽子がスリザリンと間違えただろ。あんなの、『ハッフルパフの面汚し』だ」
大広間の廊下、図書室の片隅。どこを歩いても、アリスの背中にはそんな陰口が突き刺さる。
実際、頭の回転が無駄に速い彼女は、校則の抜け穴を利用し、自分が有利になるように状況を動かすことが得意だった。教授たちの前では要領よく立ち回り、減点を巧みにかいくぐるその姿は、周囲の生徒にとって「狡猾で傲慢」そのものだった。
「いや、あそこまで慇懃無礼で陰湿な奴、スリザリン生も嫌ってるって噂だよ」
誰かの言葉のとおり、アリスはスリザリン生からも蛇蝎のごとく嫌われていた。スリザリンは強い仲間意識があり、一致団結して行動するが、アリスは同じ寮の人間でさえ仲間とは断じて認めていない。スリザリン生にしてみれば、彼女はまったくスリザリンの品格にそぐわない異物だった。
そんなある日、1年生の『魔法薬学』の授業で、決定的な事件が起きる。
「……これより、共同研究のペアを発表する。今回の課題は、成分の精密な計測が必要不可欠だ。互いの魔力の特性を考慮し、こちらで指定した」
スネイプ教授の冷徹な声が、地下牢教室に響く。次々と名前が読み上げられていく中、クラス中が息を呑んだのは、最後のペアが発表された瞬間だった。
「──最後、ディゴリーとストウナー」
スネイプの言葉に、教室中の視線が、一番後ろの席で表情を変えずに座っているアリスに向けられた。あからさまな動揺が瞬時に広がる。
セドリック・ディゴリー。彼女の同学年でありながら、すでにハッフルパフの「理想」として誰もが一目置いている人気者。容姿端麗、成績優秀、誰にでも公平で誠実な、完璧な『ハッフルパフの王子様』。誰もが「なぜ、セドリックがあんな性格悪いやつと」と言いたげな、不満と憐れみの視線をセドリックに投げかける。
アリスはふ、と鼻を鳴らし、あえて周囲を煽るように、人を小馬鹿にした冷笑を浮かべてみせた。
「……最悪ね」
いつもどおりの、人好きのする微笑みで席に近づいてきたセドリックに対し、目線を合わせずに舌打ちする。この完璧な優等生とて、こうも理不尽に嫌悪的な態度を取られれば、親しくなろうとは思うまい。
しかし、セドリックは彼女の嫌味に怒るでもなく、興味深そうにその灰色の瞳を細めた。
「よろしく。君とペアになれて良かったよ」
「おめでたい頭をしてるのね。それとも、いつもひとりぼっちで哀れな同級生を救うヒーローにでもなったつもり?随分と傲慢ね」
「……君を哀れだとも、自分をヒーローだとも思ったことも無いんだけど……ただ、君と組んでみたかったんだ」
セドリックは、周囲の冷ややかな視線など全く気にする様子もなく、余裕を感じさせる穏やかな笑みを浮かべて、アリスの隣の席へと腰掛けた。彼の周りにいる、お行儀がよくて優しく、いつでも好意的なハッフルパフ生たちとは、明らかに『異質』な少女。
「君が授業中に提出するレポート、いつも簡潔で無駄がなくて、素晴らしいと思って見ていたんだ。だから、今回の難しい課題、君がどうやってクリアするかすごく気になって。足を引っ張らないように頑張るよ」
真摯な、しかしどこか彼女を「観察」するような探求心を含んだ瞳が、まっすぐにアリスを射抜く。
甘い優しさではない。彼は、アリスという「異質」を、まるで面白い未知の魔法術式でも見つけたかのように、ただ純粋に興味深く見つめているのだ。
一瞬、アリスの胸の奥で、僅かな恐怖と焦燥が跳ねた。見透かされているわけではない。だが、すべてを拒絶し傷付けるだけの、誰も近付かない自分の縄張りに、彼は自ら楽しそうに踏み込んできているような、底知れない気味の悪さがあった。
「……せいぜい、泣きを見ないことね」
そう吐き捨てて顔を背けたアリスの横顔を、セドリックはただ、静かに、深い眼差しで見つめていた。
◇
それから、2年生に進級しても、アリスの「ハッフルパフの面汚し」としての悪名は留まるところを知らなかった。
「おい、セドリック、お前なんであんな奴にいちいち話しかけるんだよ。あいつ、昨日も中庭でグリフィンドール生を『無能な英雄気取り』って罵倒して泣かせだろ」
廊下で、クィディッチのチームメイトがセドリックに呆れたように問いかける。
たまたま近くを通りかかったアリスは、「自分も、是非とも知りたいところだ」と静かに壁の影へ耳を寄せた。どうせ、セドリックも内心では自分を「関わると厄介」だと判断しているはずだ。そう思って、彼の言葉を待つ。
しかし、セドリックは少し考え込むように顎に手を当て、それから、ふっと面白そうに微笑んだ。
「彼女、いつも冷酷な理由を並べて人を追い払うだろ?でも、そこまでして誰とも関わろうとしないのって、なんだか不自然じゃないか。……なぜか、ずっと目が離せないんだよね。彼女のあの頑なさに一体何が隠れているのか、興味があるんだ」
壁の裏で、アリスは自分の唇を強く噛み締めた。
優しさで救おうとされているのではない。彼は、ただ単純に、自分の「縄張り」を暴くゲームを始めようとしているのだ。
優しくされることを期待したことはない。まして、『ハッフルパフの王子様』に好かれたいなどとは毛頭なかった。それなのに、なぜ、こんなにも腹が立つのか。
不快感、そして、心臓が爆発しそうなほどの激しい動揺。そう、彼女は動揺したのだ。
アリスは堪えきれずに壁の影から飛び出すと、セドリックの前に立ち、右手を思い切り振りぬいた。
パン、と乾いた音が静かな廊下に響き渡る。
セドリックは目を見開いたまま、赤くなりジンと痺れる左の頬に手を当てた。打ったアリスの掌も、ひどく熱を持っていた。
「……最低」
突然のことに呆然とするセドリックとその友人を一瞥し、アリスは足早にその場を去る。
彼女が感情を剥き出しにして、誰かに拒絶以外の“行動”を起こしたのは、ホグワーツに入学して以来、これが初めてのことだった。