俺が愛した女
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キシ、と微かに床板を踏む音を耳が捉えた。キシ、キシ、と一定のリズムを刻みながら徐々にこちらへと近付いてくる。
暗殺、にしては音を立てるなどお粗末もいいとこだ。音の主が囮の可能性も考えたが研ぎ澄ませた感覚に他の気配は引っ掛からない。
やがて障子に浮かび上がったシルエットに、細く息を吐くと同時に刀に伸ばしていた手を戻し瞼を閉じる。
すぅっと静かに、そっと障子が開けられ、閉じられる。探るように、窺うように、ゆっくりと気配が近付いてくる。
薄目を開けて気配の主を盗み見し、それが確かに予想した通りの存在であることを確認すると心の中だけでふっと笑う。
風の音が人の泣き声にでも聞こえたのか、それとも天井の模様が人の顔に見えたのか。
遠慮なんざせずに堂々と入ってくりゃあ良いと、何度も言ってんのに。まあ、こういうところがあいつらしいと言えばらしいけどな。
人影が傍らに膝を突いたのだろう衣擦れの音がして、そっと伸ばされた手が布団を捲る。
気付いていながら寝たふりを続ける俺も俺かと、心の中で自嘲していると二の腕の辺りにそっと手が置かれた。
そこで感じた違和感。何かが違う。
「政宗」
違和感を打ち消すように、聞こえたのは聞き慣れた声。ただの気のせい、だったのか。
「政宗」
今度は控え目に腕を揺すられた。さすがにこれ以上の狸寝入りも可哀想かと眼を開ける。
「どうした?」
身体を起こし、来た理由に想像がついていながら問い掛ける。恥ずかしさに言い淀む姿を楽しんでいると知ったらきっと怒るだろう。その様子さえも楽しいのだが。
俺も大概良い趣味をしている。
「あの、ね」
俯き、もぞもぞと両の指先を弄る姿に口許に笑みを浮かべる。俺からはつむじしか見えないのがつまらない。情けないと分かっていても怖くて一人になりたくなくて葛藤しているのだろう顔が見たい。
「お、お願いが、あるの」
「どんな?」
小十郎が知れば意地が悪いと叱られるだろうが今ここに小十郎は居ない。
だいたい、理由がなんであれ惚れた女が共寝を求めてきてもまだ手が出せないのだからこのくらいの意地悪は許されてしかるべきだ。
「…………て、ほしいの」
「うん?」
「抱いて、ほしいの」
予想だにしなかった言葉に一瞬思考が止まった。そして動き出して直ぐに思ったのはこれは夢だということ。
心底惚れた女と共に暮らしているにも関わらず、まだキスより先の行為に及べないせいで欲求が溜まり見てしまった夢だと。
目の前で俯きふるふると震える姿も、膝上に置かれた手がぎゅっと固く握られているのも、あいつならこんな風になりそうだなと思える姿で。
らしい姿とらしくない言葉の組み合わせ。いかにも夢らしい組み合わせ。
「俺に、抱かれてぇのか?」
問えば、注視していなければ分からないだろうほどに微かに頷いた。らしい仕草。
「やっぱり嫌だの無理だの言っても、途中で止めるなんざ出来ねえぞ」
問いへの覚悟を示すように、震える手が伸ばされ袖の端を掴んだ。腕を伸ばし抱き寄せれば緊張に身を強張らせた。
宥めるように数回背を撫でふっと余計な力が抜けるのを待って布団へと押し倒す。顔に掛かった髪を払えば眼も唇も固く閉じられ、触れた頬は微かに熱く、赤くなっているのだろうことが用意に想像出来た。
らしい姿でらしくない言葉を言わせるなんて、俺も相当溜まってるらしい。
こんな夢を見ちまう程キてるらしいとは、さすがに小十郎にも言えねぇなと思いながら顔を寄せる。
いくら夢でも俺に都合の良い展開が続くわけが無い。それなら楽しめるだけ楽しませてもらわなければ損と言うものだ。
純粋にどこまで俺に都合の良い展開が続くのかという期待も幾らかはある。
固く閉じられた唇を親指でなぞり、は、と微かに吐息を溢した隙に塞ぎ舌を潜り込ませた。
柔らかく、舌が絡み付いてくる。
瞬間感じた、無視できないほどの強烈な違和感。
「何者だ、てめぇ」
顔を離すと同時に枕元に忍ばせていた短刀を素早く抜き放ち首筋に当て詰問した。
「ま、政宗?」
「芝居は止めろ。これが夢じゃねぇのもてめぇが美夜じゃねぇことにも気付いてる。今更芝居を続けても無意味だ」
グッと短刀を持つ手に力を込め殺気を向けると初めてそいつの顔が歪んだ。
傷をつける気は無い。たぶん、身体は美夜のものだ。中身だけが違う。
「なぜ、分かったの?」
がらりとそいつの放つ雰囲気が変わった。一瞬、どこか禍々しさを含んだ妖艶な女の顔が美夜の顔に重なる。中に入るのはこいつか。
「美夜が自分から舌を絡めてくるなんざ有り得ねぇ。何より、キスしても何も感じなかった」
美夜とのキスは心が震える。これじゃ足りない、先に進めたいと渇望しながらも、美夜と触れるだけで満たされる部分がある。
なのに、さっきキスした時には何も感じなかった。僅かたりとも心を揺するものが無かった。たとえ夢でも、美夜とのキスであればそんなことは有り得ない。
「気持ちが急いて間違えてしまったのね。でも、安心すると良いわ。この身体は紛れもなく、貴方が愛した女のものよ。愛した女を抱くのと変わらないわ」
「違うな。中身がてめぇならそれは俺が惚れた女とは別者だ。美夜じゃねぇ。美夜の身体を弄ぶな。さっさとそこから出ていけ」
「抱いてくれたら出ていくわ」
殺気を向けられ短刀を喉元に押し当てられながら、それでも余裕を崩さない女に内心で舌打ちをする。
気付いているのだ。俺が美夜の身体に掠り傷一つ負わせられないことも負わしたくないと思っていることも。
「わたくしが欲しいのは人間の身体じゃないの。欲しいのは貴方が持つ力強い生気だけ。――――ねぇ、愛していても、色気も何も無い貧相な小娘の身体じゃあつまらないでしょう? 身体の形は変えられないけれど、他のものならあるわよ?」
嘲笑したそいつは赤い舌を覗かせ誘うように唇を舐めた。俺でなければあどけなさを残す顔と円熟した娼婦のような色香との差に欲を刺激されたのだろうが俺に対してするのは逆効果だ。
美夜を侮辱し、身体を弄ぶそいつに怒りだけが高まっていく。
「どうしたの? 遠慮しなくていいのよ? 貧相な小娘相手では味わえない快楽を味わってみたくはない?」
「それ以上喋るんじゃねぇ。不愉快だ。何を勘違いしてんのか知らねぇが、俺が心底惚れたのは美夜という存在だ。身体だけがあっても意味なんざねぇんだよ」
ここで初めて、そいつの顔から余裕が消えた。俺の言葉が真実か否か、図りかねているのだろう。
「……意味が、分からないわ。これは貴方が愛した女なのよ? ちゃあんと生きてもいる。なのに反応しないだなんて、有り得ないわ!」
「くっ!」
見えない何かに身体を吹き飛ばされた。即座に受け身を取り立ち上がったそいつに身構える。
身体が美夜本人である以上、切り込むことが出来ない。いったい、どうすれば。
「よくご覧なさい。身体さえあれば良いということを、わたくしが教えてさしあげる」
美夜が絶対に浮かべない、禍々しい妖艶な笑みを浮かべたそいつは、ゆっくりとした動作で帯を解くと手を伸ばし、見せ付けるように床へと落とすと襟に手を掛け肩から夜着を滑らせた。
何に引っ掛かることもなく夜着は足元へと落ち、障子越しに入る月明かりに美夜の裸身がぼんやりと浮かぶ。
美夜が気にする控え目な膨らみも、淡い茂みも、全てが俺の眼前に曝け出される。
「お願い、政宗。私を、抱いて」
美夜の喉を借りて、美夜の声で、美夜の口調を真似て。
それでも俺の身体は何の反応も示さない。心は僅かたりとも動かない
当たり前だ。あれは美夜であって美夜じゃない。
「………っなんで」
ピクピクと、そいつのこめかみが痙攣を始めた。自分の技に相当の自信があったのだろうが、知ったことか。
身体と心は繋がっている。あれは美夜じゃないと認識した時点で、俺があれを『女』として見ることは決して無い。
「ああ、そう。そういうこと」
突然そいつが髪を掻き揚げ嘲笑した。
「貴方、不能者なのね。可哀想に。このわたくしにすら反応しないだなんて絶望的よ。この先一生、女を知らずに生きていくのよ。男として大事なものが欠けたまま、詰まらない人生を歩むのよ。ああなんて可哀想!」
言葉とは裏腹に、心底楽しいと言わんばかりに高笑いしていたかと思うとがくりと美夜の身体がくずおれた。
咄嗟に受け止めた身体から、白い靄のようなものが滲み出るとそのまま障子をすり抜けていく。布団に美夜を寝かせ急ぎ外へと出ると、何本もの尾を持つ狐がどこかへと飛び去るのが見えた。すぐにその姿は掻き消えるように見えなくなった。追うのは難しいだろう。どのみち、遠目でも分かるほどにぼろぼろの身体をしていた。あれではそう長くは無いだろう。
生き延びるために俺の生気とやらを狙った、ってところか。神が居るなら怪しの類いが居ても不思議では無いが、とんだ厄介ごとに巻き込まれたものだ。
障子を閉めれば自然と溜め息が漏れる。だが、まだ終わっていない。美夜の無事を確かめなければ。
「美夜、美夜!」
「ん………まさ、むね?」
何度か軽く頬を叩いて呼び掛けると直ぐに反応が返る。睫毛を震わせ眼を開き、ぼんやりとではあったが俺の名を呼んでやっと、心の底から安堵することが出来た。
「ったく、心配させんじゃねぇよ」
「え? なに? っていうかなんで裸なの!? は! まさか、政宗の仕業…」
「なわけねぇだろ」
「いてっ」
変態を見る眼を向けてきた美夜の額をぺしっと軽く叩く。いったいこいつは俺を何だと思っているのか。
安心したからか今度は段々と美夜に腹が立ってきて、身を丸めながら何とか夜着を着ようとする美夜の手から夜着を奪うと丸めて部屋の端へと放り投げた。
「ちょっ! 何すんの!?」
「こうすりゃ見えねぇから良いだろ」
「良くない! 全然良くないっ!」
抱き締めても尚暴れる美夜のつむじにキスをすればビクッと一度大きく身体を跳ねさせ大人しくなった。後は小さく唸る声が聞こえてくるだけ。
そのまま布団へと寝転がり、掛け布団を引き寄せ掛けてやるともぞもぞと動いて潜り込むとより密着してきた。素肌を見られないようにしたいのだろうが俺からすれば別の意味で逆効果だ。
「美夜。お前、何か覚えてるか?」
「何かって、なに?」
「たとえば、そうだな……。狐、とかだな」
「狐? なんで狐……あ」
「覚えてんのか!?」
「ゆ、夢だよ?」
「夢?」
うんと頷いた美夜がまたもぞもぞと身体を動かし布団から顔を出した。ただ、格好が格好だからか顔を見ながらは恥ずかしいらしく、視線を俺の喉の辺りに向けたまま見たという夢の内容を話し出した。
「なんかね、いっぱい尻尾がある狐が夢に出てきたの。すっごい傷だらけだったから大丈夫? って駆け寄ったら助けてって言われたの」
「まさか頷いたのか?」
「うん。だって血もいっぱい出てたんだもん。でもそこから先は覚えてない。政宗に起こされたからかな?」
「かもな。だがまあ、たとえ夢でも妙なモンには関わるな」
「夢でも?」
「夢でもだ」
納得いかない様子ではあったものの、美夜自身、何か感じるものでもあったのか、気を付ける、と素直に頷いた。
そうそう今夜のようなことは起こらないだろうが危機管理能力の低い美夜のことだ。また何か事件を巻き起こしても不思議ではない。
ふと、あの雌狐にキスしちまったことを思い出して顔を歪めた。たとえ身体は美夜のものでも中身が違った時点で俺にとっては別人だ。
「美夜」
「なに?」
無防備に見上げて美夜の顎を掬うとキスをした。不意打ちに驚いている隙に舌を差し入れれば自分のそれを奥へと引っ込める。逃げる熱を執拗に追い掛け、絡め取る。
「んっ……んぅっ」
俺の夜着の襟をぎゅっと掴んでくることにすら心地好さを感じながら、美夜が酸欠寸前になるまで味わってから唇を離した。
「やっぱりお前じゃねぇと、だな」
「い、いみ、わかんな…」
荒い呼吸を繰り返す、キスで濡れた唇を舐めると「ふぎゅ」と変な声を上げて布団の中へも潜ってしまった。その反応に安堵しつつも笑ってしまうと腕に噛み付かれ、けれど「おやすみ!」と聞こえてきたことにさらに笑ってしまった。
これこそ美夜だ。俺がこの世でただ一人、心の底から愛した女。女らしさと無縁でも、餓鬼っぽい時があっても、美夜が美夜でありさえすればそれでいい。
「美夜」
「なによ!」
「愛してる」
「っ、も、バカぁっ!」
照れ隠しに胸に頭突きをしてきた美夜を強く抱き締める。今度は抵抗こそしなかったものの、ぐちぐちと何か呟いているのか胸に吐息が当たりくすぐったい。
それでも待っていれば美夜の身体から強張りが解け、控え目ながらも美夜の方から身を寄せてきた。
おやすみ、と囁きが聞こえ、直ぐに美夜の呼吸は規則正しい寝息に変わる。恥ずかしがり屋のくせに、羨ましいほど美夜は寝付きの良い。
「ったく、人の気も知らねぇで」
溜め息が出るのを止められない。
いつも以上に触れる素肌から意識を逸らせない。夜着を着せてやれば良かったと思うももう遅い。
たとえ着せていたとしても、腕の中に居るのが愛する美夜だと思うだけで意識せずには居られない。美夜が呆れるほど鈍いおかげで俺の身体の変化に気付かれずに済んでいるだけで、いつだって俺は我慢している。
だから、せめてキスくらいは俺が満足するまでさせるのが道理だろう。理不尽だろうがなんだろうが知ったことか。我慢を強いる方が悪い。
早く朝になれと願いながら、今夜も眠れない夜を過ごす。
終