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◆ ◆ ◆
大きく息を吐き出す。そうしないと内に渦巻くものを抑え切れない。疲れた。あの人が来ると無意識のうちに体を強張らせてしまう。何を言われるか分かっているからだろう。
美夜を許嫁と偽ることに決めた時、俺が許嫁を城に住まわせたことを知ったあの人が乗り込んで来るかもしれないとは思っていた。だが、予想に反していつまで経ってもその気配が無かったために油断していた。
こいつには悪いことをしたと思う。だが、まさかあれほどまでに激怒するとは思わなかった。ほとんど自分に向けられたわけでも無かったのに。他人のためになぜあそこまで。そう不思議に思っていた時だった。美夜の口を塞いだままだった手が濡れていくのに気が付いた。成実と綱元が驚いた様子で美夜を見ている。
「なんでお前が泣いてんだよ」
「なんで……」
「An?」
「なんで、あの人はあんなこと言うの? 政宗は自分の子供でしょ?」
「あの人にとっては違うんだよ」
「どうして?」
「…俺が、醜い姿に変わったからだ」
「分かんないよ。政宗のどこが醜いっていうの?」
お前は何も知らないのだと、一蹴することも出来た。だが、なぜかそうする気にならなかった。美夜の涙で濡れた部分だけがやけに温かい。
美夜を後ろから抱き寄せたまま柱に背を預け座る。見上げた空はどこまでも青い。ちぎれたような形の雲がぽつぽつと浮いている。
「ガキの頃、病に罹った」
視線を空から腕の中で身動ぎ見上げてきた美夜へと移す。まだ濡れている瞳と視線が合う。幾度と無く見てきたはずなのに、今日に限って綺麗な眼だと思った。視界の端に成実と綱元がこの場から離れる姿が映る。
「罹れば死ぬと言われるほど生還率の低い病でな、助からないと言われた。実際生死の境をさ迷った」
「でも治ったんでしょ?」
「ああ。だが代償はあった」
右目を覆うように置いた手に、美夜の手が重なる。
「痛いの?」
「ガキの頃のものだ。今更痛みなんか感じねえ。それに、ただ瞼がくっついちまっただけだしな」
「そう、なんだ」
美夜は『くっついた』という言葉に一瞬戸惑うように瞬きを繰り返すが、痛みが無いことをもう一度確認してきた。無い、とはっきり否定すれば我が事のように安堵して微笑む姿に思わず頬に手を伸ばす。なぜそんなことをしたのか、自分の行動なのに分からない。ごまかすように美夜頬に残る涙を親指の腹で拭った。
「あ、頬。早く冷やさなきゃ。腫れちゃってる」
「平気だ」
「でも、」
「最後まで聞いてくれ」
らしくない。弱みとも呼べる話を、会ってから二月にも満たない女に話すなど。なぜ話しているのかも分からない。さっきから不可解な言動ばかりだ。そう思っても、不思議と止めようとは思わなかった。美夜には全てを聞いてほしい、そう思った。
こいつなら――。無意識に浮上した感情に戸惑う。それを押し隠して続きを話すべく口を開いた。
あの時のことは今でも鮮やかに思い出せる。熱に浮されて朦朧としていた意識がやっとはっきりした時、傍らに居た老医師が安堵の顔を見せた。すぐに俺の体のあちこちを診て、問診もしてから一つ頷くと隣室に声を掛けた。ほどなくして荒々しく襖が開けられ父上と母上が入ってきた。医師がもう峠を越えたことを伝えようとした時、それは起こった。
甲高い女性の悲鳴。それが母上のものだと意識するより先に、数日間に渡って続いた高熱で弱ったままの体を激しく揺さぶられた。
『梵天丸をどこへやった! わたくしの自慢の息子をどこへやったのじゃ!』
母上はいったい何を言っているのだろう。誰もが驚きに目を見開き母上を見た。峠は越えたとはいえ、まだ安静にする必要がある息子を乱暴に揺さぶり、そして息子に対して“息子を返せ”と叫ぶ。
異常な事態から最初に立ち直ったのは、さすがと言うべきか父上だった。取り乱す母上を俺から引き離し、落ち着くようにと諭した。
『なぜ殿はかように落ち着いておるのじゃ! わたくし達の子があのような醜い化け物に変わってしまったというに!』
病に罹る前は、厳しくも優しかった母上から向けられた敵意と憎悪の視線が自分に向けられていることが信じられなくて目を逸らした。その時になって漸く気付いた。視界が狭い。右目が開けられない。なぜ。
触れた右目は瞼がピッタリと合わさっていて、その部分を中心に広がる気味の悪い感触をも伝わってくる。それでも視界の広さを元に戻すために引っ張ってでも瞼を開けようとしたら沈痛な表情を浮かべた老医師の手でやんわりと、だが強く止められた。
『返せ! 返すのじゃ! わたくしの梵天丸を返すのじゃ!』
耳を打つ激しい言葉に視線を老医師から母上に移す。誰もが美しいと評する顔を憎悪に歪めた母上の視線が、なぜ自分に向けられているのか分からなかった。
『はは、うえ?』
『母などと呼ぶな!』
伸ばした手は振り払われた。打たれた手が痛い。
『わたくしの子はお前のような化け物ではない! 美しく聡明な、文武に秀でた自慢の子じゃ! お前のような醜い化け物が我が子などであるものか! 返せ! 梵天丸をどこへやったのじゃ!』
父上の命を受けた数名の侍女に半ば引きずられるようにして部屋から連れ出されながらも、憎悪の篭った言葉が止むことはなかった。
何が起きているのか分からなかった。否、理解したくないと心が拒否をした。ただ、なぜかやたらと鏡が見たいと思った。
『かがみ……。鏡は……』
医師が父上を見、父上は僅かに逡巡したあと侍女に命じて鏡を持って来させた。渡された鏡を、自分で望んでおきながらなかなか見ることが出来なかった。現実を突き付けられるのか怖かった。それでも、いつまでもそのままで居られるわけじゃない。恐る恐る持ち上げた鏡に己の姿を映した。