狭い境内には長椅子が二脚置いてあった。雨風に晒され少しぼろさが目立つものの、座るには問題なさそうなその椅子に腰掛けぼんやりと空を見上げる。
ゆっくりゆっくり雲が流れていく。時折梢の鳴る音がするきりで、とても静か。視界に入るのは木と空ばかり。だからか、こうしているとここが私の生まれ育った世界のように錯覚しそうになる。
「帰りたい……」
じわり、と目の奥が熱くなる。でもすぐに収まって、故郷を思う懐かしさや寂しさといった感情も消えていく。
「気持ちわる……」
一度感情の異常を意識してからは、異常が起こることに必ず気付くようになった。最近はこのまま人ではない何かに変わっていってしまう恐怖すら感じる。
普段は考えないようにしているけれど、異常を意識した時ばかりは恐怖を抑えきれない。
グッと歯を食い縛り、持ち上げた膝に顔を埋める。そうしなければ泣きながら政宗の名を呼んでしまいそうだった。
気持ち悪さも、不安も、恐怖も、政宗なら和らげてくれる。政宗だけが救ってくる。
会いたい。
たとえ同情や物珍しさからだったとしても、あの腕に抱きしめられていると安心する。あの腕の中だけが安らげる場所。
少しで良い。ほんの少しだけ。もう少し、なんて我が儘は言わないし、眠ってしまったりもしない。興味が失せたら、邪魔になったら消えるから。
だから……。だからもう一度、だけ………。
「君、大丈夫?」
軽く肩を揺さぶられた。顔を上げれば地味な容貌の若い男性が心配そうに私を見ていた。
「…大丈夫、です……」
「そう言われても、顔色悪いよ? 具合でも悪いんじゃない?」
「ほんとに、大丈夫ですから」
足を下ろし首を横に振るけど私の声に力が無いからか、男性はジッと私を見つめていたかと思うと隣に座ってきた。
「もしかして、何かに悩んでる? 俺でよければ聞くよ?」
そう言われたって話せることなんか何も無い。異世界から来たことは不用意に話すなと政宗から言われている。
たとえ言われていなくてもほいほい話していいことじゃないことくらい私にだって分かる。奇異な目で見られるか、狂ってると思われるだけだろう。
私が黙っていても、男性は隣に座ったままだ。急かす雰囲気は無く、話したくなったら話せばいい。話したくないなら話さなくてもいい。という雰囲気を感じる。初対面なのに、変な人。
風の冷たさが増して来た頃、私は男性の顔を見ることなく口を開いた。
「もしもですけど、」
「うん?」
「もしも、住む世界の違う人と一緒に暮らすことになったらどうしますか?」
どうして聞こうと思ったのかは分からない。聞いたからって問題が解決しないことも分かってる。それでも聞いてみたいという欲求を抑えることが出来なかった。
それにこの聞き方なら身分のことだと勘違いしてくれると思う。勘違いも何も世界そのものだなんて突拍子がなさすぎて想像すらしないだろうけど。
「んー……相手によるかな」
「相手?」
「そ。鼻持ちならない奴なら出来る限り関わらないようにするし別々に暮らせないか考える。でもそうじゃなければちょっとづつでも知り合えたらって思うかな」
「いつかは別れるとしても?」
「だとしても嫌われてるわけでも避けられてるわけでも無いのに関わるのを拒否するなんて勿体ないじゃん。住む世界が違っても相手が自分を受け入れてくれるなら、それを拒むよりも飛び込んで行った方が良いと思うんだよね。新しい世界が開けるかもしれないし。なーんてカッコイイこと言っても開き直りみたいなもんだけどね。でもそうして開き直ったら何か思いがけず良いことに出会えるかもしれないよ」
「良いこと?」
「そ。親しくなっても身分差は消えないからその差から生じるものや他にもいろんなことに戸惑ったり、悩んだり、苦しんだりもすると思う。でもそこから得られるものだって必ずあると思うんだ」
妙に実感の篭った口調だと感じた。もしかしたらこの人は身分差のある人と親しくなった経験があるのかもしれない。そしてその時に悩んだり苦しんだりした末に今の考えに辿り着いたんだろう。
ふいに涙が出そうになって慌てて顔を俯けた。
もうお城の人達と、政宗とこれ以上関わり合いになるのはやめようと思い始めていた。親しくなればなるほど拒絶された時辛くなるだけだから、と。
でも、この人のおかげでその考えが間違っていたこと気付けた。
だって、綱元さんから拒絶されたからって政宗からもとは限らない。同じ世界の人は考え方も同じだなんて、そんなことあるわけない。
もし同じ考えだったとしたら、政宗はもっと早く、それこそ私が異世界から来た事に気付いた時から態度に表していたと思う。本音を隠して上辺で付き合う、なんて政宗らしくないもん。
それに、政宗は私が異世界人でも特別扱いしなかった。まるで同じ世界の人同士であるかのように接してくれていた。だからこそ、生まれ育った世界が違うことを普段意識することがなかったんだと思う。
どうして政宗も綱元さんと同じだなんて思ってしまっていたんだろう。自分で自分を引っ叩きたくなる。
私と政宗は生まれ育った世界が違う。だから考えや認識に違いがあるのは当たり前。
だけどだからってそれをそのままにしておかなきゃいけない訳じゃない。違いがあるなら何が違うかを知ればいい。
さすがに戦のことは、生きるためだとはいえ人の命を奪う行為は詳しく知ったとしても受け入れられないだろうし理解することも難しいと思う。でも、全く理解出来ないとは限らないし、理解出来るよう頑張ることは出来る。
違うからと逃げるのは、私から政宗を拒絶したのと同じことだ。
政宗が帰って来たらいろんなことを聞いてみよう。政宗が私の世界の話を聞いたみたいに。
パンと両手で頬を叩いて立ち上がる。さっきまでの鬱々した気分が嘘のように晴れ晴れとしている。目が覚めたような、そんな気分だ。
「元気出たみたいだね」
「はい!」
同じように立ち上がった男性に頭を下げる。
「ありがとうございました。おかげでちゃんと向き合えそうです」
「そっか。大したことはしてないけど、それでも力になれたなら良かったよ」
もう一度お礼を言うと、お参りしてから帰るという男性と別れた。もう辺りは薄暗い。早く戻らないと。多分私が居なくなってることは気付かれてるだろうから、帰ったらまずは謝らなくちゃ。
お城の正門を目指し、何とか迷うこと無く辿り着けた大通りを歩いていたら向かい側から綱元さんが歩いてくるのに気付いた。側には私付きの侍女の一人、楓さんも居る。同じように二人も私に気付き、足を早めた楓さんは側に来ると持っていた外套を肩に掛けてくれた。お礼を言って外套の留め具を留めながら綱元さんを窺う。
向けられる冷たい視線に萎縮してしまう。でも悪いのは勝手に抜け出した私だ。そっと深呼吸をして怯える心を奮い立たせ、綱元さんの前に立つと頭を下げた。
「勝手に抜け出してごめんなさい」
「抜け出した、ですか?」
「え?」
「抜け出したのではなく逃げた、の間違いでは?」
冷たい視線の中に、嘲りの色が混じる。なぜ、と考えてその理由に思い至る。
「逃げても、一人じゃ生きていけないことは分かってます」
頼れる知り合いも居ない。この時代のお金も持ってない。なにより平和な時代に生まれ育った私が戦国の時代で一人で生き抜くのなんて無謀でしかないことくらいちゃんと分かっている。
「そうですか。そこまで愚かではなかったようですね」
淡々とそれだけを言って、これで会話は終わりとばかりに綱元さんは踵を返して先に歩きだした。視線が消えたことで無意識に詰めていた息を吐きだし、慌てて後を追う。
綱元さんの後ろ姿からは手間をかけさせて、と憤っているのが伝わってきてますます申し訳ない気持ちになる。
綱元さんは政宗から留守の間の私のことも頼まれていた。なのに私が勝手に、誰にも何も言わずに抜け出したりしたから迷惑ばかり掛けてしまったはずだ。お城に着いたらもう一度謝ろう。
正門に着くと、門番の二人の兵士さんが私のことを不思議そうに見てきた。いつの間に外に? という視線。どうやら私が居なくなったことを知らないみたい。気付かれて無かったというより、綱元さんが騒ぎにならないよう何らかの手を打ったんだと思う。
正門脇の通用門から中に入り、幾つか小さな門を抜けて漸く本丸に辿り着くなりそれではと去ろうとする綱元さんを慌てて引き止め頭を下げて謝った。
「もう結構ですよ。ですが次からは私に一言言ってください。私達は貴女を城に閉じ込めているわけではありませんから、言ってくだされば城下に行くことを止めたりはしません」
「分かりました。あと、あの、」
「まだ何か?」
全身で私を拒絶する雰囲気と冷たい視線に気圧されてしまう。それでも深呼吸を繰り返すことで逃げ出したくなる心を抑え込んで綱元さんの眼を見る。
「私、確かに今まで何にも分かってませんでした。そのことで周りに迷惑を掛けてしまっていたと思います」
「構いませんよ。貴女が無知なのは今更ですから」
「はい。だからこれから知っていこうと思います」
「知っていく、とは何を?」
「この世界のことです。平和ボケした私に理解出来るのか分からないけど、でも、理解出来るように頑張ることは私にも出来ると思うんです。だから、頑張ります。少しでも政宗のこと、知っていきたいから」
「そう、ですか……」
「?」
綱元さんは僅かに眼を伏せたあと、私を見た。何かを探るような、確かめるような、そんな視線。直ぐに冷淡なものに戻ってしまったけど。
「精々頑張ってください。蒙昧無知で甘い考えの貴女がどこまで出来るか知りませんが。では、私はこれで」
去っていく綱元さんの背中を見ながら違和感を感じた。まるでわざと酷い言葉を選んでいる、ような。でもどうしてわざわざそんなことをするのか理由が浮かばない。
気のせい、だったのかな?
続
「
らしくない」