「大丈夫?」
痛みか、恐怖か、声が出なかったから代わりに頷きのろのろと身を起こすと恐る恐る振り返って男性を見た。誰だろう。男性の後ろに入口があって開け放されたままだから逆光で顔がよく見えない。
「ほんとごめんねー? こんな所に人の気配があるから不審者だと思っちゃったんだよ。でもなんでまた
美夜ちゃんはこんなとこに隠れてたわけ?」
「あ……」
軽い口調で聞かれているのになんでだろう。問い詰められてる感じがする。この人、怖い。小十郎さんも怖いけど、でも小十郎さんは見た目と怒った時が怖いだけで中身は気の利く優しい人。怒るのだって悪いことをしたことを叱るため。
この人の怖さはそういうのとは違う種類だ。私の知らない種類の怖さ。下手なことを言えば、ううん。少しでも身体を動かしただけて腰の刀を躊躇無く抜き放ちそうな、そんな気がしてならない。でも、なんで? 私とこの人は初対面なのに。それにこの人はなんで私の名前を知ってるの?
「答えられない?」
「成実か?」
男の人の声が心持ち低くなった時、その人の後ろからこの一週間で聞き慣れた人の声がした。
「まさむね……」
「
美夜? なんでお前と
美夜が一緒に居る」
「ここに
美夜ちゃんが隠れてたのを見つけただけだよ」
「ここに? どうりで見つからねえわけだ」
「梵から隠れてたわけ? なんで?」
「こいつの体に聞けばわかる」
ちらりと向けられた男の人の視線の鋭さにビクリと体が跳ねた。その時ばかりは近付いてきた政宗のにやにやとした私を虐めて楽しむ時に浮かべる笑みにホッと安心してしまった。だから手を取られて引き寄せられてもされるがまま、抵抗をするのを忘れてしまっていた。
「ひっぎゃあぁぁぁぁ!!」
無防備に引き寄せられるままでいたらふぅ~と耳に息を吹き掛けられた。しかもついでとばかりに舐めやがった!
「なにすんのよー!!」
「おっと」
「いったぁー!」
振り上げた手は政宗が避けたせいで変わりに積み上げられた箱を叩いてしまった。おかげで手のひらがジンジンと痛い。
「見せてみろ」
「ふぉあっ!! な、なにし、」
手を取られたかと思ったら赤くなってきていた手のひらにキスされた。ドSで性格最低でもムカつくほどイケメンのこいつにそんなことされて平静でいられるわけもなく、真っ赤になって口をパクパクさせていたらこの野郎、ニヤッと笑いやがった。
ほんっとムカつく!!
「あー、えーと、つまり、なに?
美夜ちゃんが隠れてたのは梵の歪んだ愛情表現から逃げるため、ってこと?」
「お前なぁ、なんでそういうことになるんだよ」
「だって許嫁を虐めて楽しんでるんだから歪んだ愛情表現だろ?」
「へ?」
今、この人許嫁って、言った? この人誰かと私を間違えてる? って思ったのは私だけだった。
「そういやぁそういうことにしてたんだったな」
なんと政宗は肯定した。許嫁ってどういうことだ。しかもそういうことに『してる』ってなんだ。ふりってこと? なんで私が政宗の許嫁のふりをしてることになってるの?
「ねぇ、ちょっと。どういうこと?」
「本物の許嫁じゃねぇの?」
私と男の人の声が重なった。思わず見合わせてしまうけど、男の人はもう怖いと感じる雰囲気も視線もしていなかった。
「梵、どういうことだよ。
美夜ちゃんは梵の本物の許嫁じゃねぇの?」
「ああ。そういうことにしただけだ」
「なんでそんなこと……あー、そっか。しつこいからか」
「そういうことだ」
「ねぇ、私にはサッパリなんだけど。私にも分かるように説明してほしいんだけど」
男の人は政宗を見て、政宗は私を見た。その政宗の眼にははっきりと「面倒くせえ」って書いてあった。
関わってる人間に説明無しって有り得なくない!? しかも相談も無く勝手に決めたくせに! なのに面倒くさいって何よ!
「ちゃんと説明しろ!」
「チッ」
「舌打ちしたいのはこっちだし!」
「政宗様? それに
美夜に成実まで。ここでいったい何をしておられるのですか」
「小十郎さん!」
救世主来たー! と小十郎さんのいる廊下までの短い距離を走って小十郎さんの腕に縋り付いた。
「小十郎さん! 政宗が酷いんです!」
「てめっ、
美夜!」
「どういうことだ?」
睨む政宗にべっと舌を出して(小十郎さんが居るから怖くないよーだ!)政宗がセクハラしてきたことと私に何の相談もなく勝手に許嫁のふりをさせられているらしいことを話した。
「政宗様。あれほど
美夜をからかうのはお控え下さいと申し上げましたのにまだなさっていたのですか! それと、許嫁の件は
美夜の了承を得ているとおっしゃったと記憶しておりますが?」
「Ahー……」
ばつが悪そうに明後日の方を向く政宗に小十郎さんの雷が落ちた。どうせ政宗の許嫁にされてることを知った時の私の反応が見たくて黙ってたんだろうけど怒られるのは自業自得よ! ざまあみろ!
政宗が怒られてるのを見るのって気分が良いわー。ところで、なんであの男の人まで一緒になって怒られてるんだろ。とばっちり?
小十郎さんの説教が終わりみんなで政宗の部屋に移動してもまだ政宗は私の方を不機嫌そうに睨んできた。けど私の隣には小十郎さんが居るからぜーんぜん気にならない。やっぱり座るなら小十郎さんの隣だね。
「あの、なんで私は政宗の許嫁のふりをさせられてるんですか?」
ちゃんと話してくれるのは小十郎さんだろうと思って小十郎さんに聞いてみた。
「そうだな。どこから話すか……。薄々気付いているだろうが政宗様には未だ正室はおろか側室の一人もいらっしゃらない」
「えっ!? そうなんですか!? 私てっきり側室の十人や二十人は居ると思ってました!」
「テメェ俺をなんだと思ってんだ!」
「女を虐めて楽しむドS野郎」
「お前以外にはしねえよ!」
「私にもするな!」
睨み合う私達に小十郎さんがため息を一つ吐いて「続けるぞ」と言った。
「年頃の娘を持つ家にとって政宗様は格好の婿候補だ。だから縁談話は数多い。断ってもそれで引く者はほとんど居ない」
「なんで断るんですか? 後継ぎ問題とかないんですか?」
「もちろんある。重臣の間でも一日も早く世継ぎをと望む声は多い。が、」
「俺はまだ誰も娶る気はねえ」
「なんで?」
「俺はいつか天下を取る。今はそれ以外を考えるつもりはねえ」
不敵な笑みを浮かべながら政宗は言った。全身から天下を取ることへの自信が溢れ出しているのが分かる。その姿はどうして天下を望むのかよく知りもしなければ理解もしていない私ですら引かれてしまうほど眩しく見えた。
「でも政宗が結婚しないことと私が許嫁のふりをすることとなんの関係があるの?」
「さっき小十郎が言っただろ。断ってもしつこい奴が多いってな」
「だからそれがなんで許嫁のふりになるわけ? 側室ってことは一夫多妻制なんでしょ? なら私一人が居たって意味ないんじゃないの?」
「確かにな。だが公表している許嫁が居る間はおおっぴらに自分の身内を進めてくることはねえんだよ。しかも城に住まわせてるとあれば尚更だ」
「結婚間近の女性がすでに側にいる状態で次の女を進めるようなことをすればそれは相手方を軽んじていることになる。相手によっては血を見ることにもなりかねん。お前の場合、どこの家の者か明かすことは出来んが、秘したことで周りは勝手に想像を巡らせ万が一を考え目立つ動きは避けるようになる」
「へぇ~、そうなんだ」
ついでに付け加えると私は異世界の人間だから、ふりではなく本当の許嫁にとかふりをした見返りに出世をを、なんてことを望む身内は居ないから都合が良いらしい。それに頑なに婚姻を拒んでいた政宗自らが連れてきた女だってことで牽制出来るだけでなく素性を深く詮索されるのを防いでいるらしい。
このことを知っているのはここにいるメンバーの他は私付きに命じられた数人の侍女さんだけらしい。なるほど。だから毎日綺麗で高そうな着物を着せられてたのか。高そうな着物が毎日着られるなんてラッキー! くらいにしか思ってなかったよ。
でもさ。これって私思いっきり利用されてるんじゃないの? ここに住まわせてもらう条件にこんなの含まれてなかったよね?
「
美夜。お前には悪いが帰るまでの間、政宗様の許嫁のふりを続けてもらいたい」
「えぇー」
「嫌か?」
「嫌って言うか………ちなみに、ですけど、許嫁としてなんかしなきゃならなかったりするんですか?」
「特には無い。許嫁の段階では公の場に出る機会はほとんど無いからな。あったとしても体調を崩したとか何かしら理由付けすれば無理に出る必要は無い。他にあるとすれば、強いて上げるなら政宗様と仲が良い所を周りに見せることだが……」
「えっ! そんなの無理! こんなセクハラ野郎と仲良くなんて無理だしそもそも仲良くなんてしたく無いです!」
「安心しろ。今のままで構わん。なにせ政宗様がお前を構う姿は周りには二人が相当に仲が良いようにしか映っていないようだからな」
それってようするにイチャついてると思われてるってこと? うげー。
「まさかそんな風に見られていたとはな」
「うわ、嫌な予感」
「これからも楽しませてもらうぜ、
美夜?」
助けを求めて小十郎さんを見たけど苦笑しながら我慢してくれと言われてしまった。さっきまでは政宗を怒ってたのに! 小十郎さんに見捨てられたら誰に助けを求めたら良いの!?
続
「
凄いらしい」