気付いた相手は困ったようにポリポリと頬を掻いていて、話し方と同じくやっぱり見た目に反して荒っぽさをあまり感じなかったから、遠慮無くじっくり凝視させてもらった。
「あ、あの筆頭」
その姿でモジモジしないでください。名前も知らない初対面の相手に失礼だと思うけど、似合わないし気持ち悪いです。
凝視しすぎたせいか、雑兵らしき男の人はほんのり頬を染めてモジモジし始めた。助けを求められたまさむね様はなんとも言えない表情をしながらも(たぶん私と同じことを思ってる)、気にせず行っていいぞと手を振った。
存分に観察させてもらった後だから引き留めることなく見送っていたら、男の人の姿が見えなくなるなり猫のように首根っこを掴まれ強制的にまさむね様の正面に移動させられた。
「で、何がそんなに気になった」
「あたま!」
最後まで引っ掛かっていたものが何か、ようやく分かった。
髪型だ。
森で目覚めてから今まで、出会った人数は少ないけれど、ちょんまげだったのはかいあんさん一人だけ。
目の前のまさむね様も部屋で待っているであろうこじゅうろう様もちょんまげじゃない。
それどころかさっきまさむね様と話していた雑兵らしき男の人。あの人の髪型は衝撃だった。
だって、リーゼントだったのだ。リーゼント!
ここは織田信長がまだ生きている時代なんだと思い始めていた時にまさかのリーゼント。目を疑うとはまさにこのことだと思ったほどの衝撃だった。
でもおかげでハッキリした。ここは戦国時代なんかじゃない。
「もしここが過去だとしても昭和ならまだしも戦国時代にリーゼントとか絶対無い! 男の人はみんなちょんまげのはずだもん……はずです」
「喋りやすい話し方で話せ。一々直される方がめんどくせぇ。で、髪型だったな。ンなもん個人の自由だろ。まああいつのような髪型は伊達軍にしかいねぇだろうけどな」
個人の自由で済む話じゃない気がする。ちょんまげを掴まれたり切られたりするのはかなりの侮辱とされていたってテレビで見たことある気がするし。
でも確かに規律の厳しい軍隊じゃあるまいし、全員が全員ちょんまげってのもおかしい、のかも? 大多数の人がしてたから全員がってイメージが着いただけとか? 他の軍には居ないらしいし。
まさむね様は歴史の影に埋もれていっちゃうほど小さな国の領主で、軍も小さくて、その小さな軍の中でも一部の人しかしていないのだったら後世に伝わっていなくても不思議じゃない、かも?
軍名だって聞いたこと……え、あれ、待って。確か『だて』って……。
何気無くまさむね様を見上げて、鍔で隠された右目を見た瞬間、中学一年の夏休みに行った家族旅行の記憶が蘇った。
史跡や博物館を見て回った。最後はお城の跡地に行って騎馬像の前で写真を撮った。
「あ、あの………」
「ん?」
「名前って……伊達、政宗?」
「今更何を、ああ、そうか。そういやあ名乗って無かったな」
Sorryと、流暢な英語で謝ったあと、まさむね様は初めて名乗ってくれた。
「奥州筆頭、伊達政宗だ」
改めてよろしくな、と。そう言って笑う政宗様の顔を、口をパカッと開けたまま見つめることしか出来なかった。だって、だって。
歴史の影に埋もれるほど小さな国の領主どころか歴史にしっかり名前を残す大人物じゃない! しかも伊達政宗って言ったらお洒落だったことでも有名な武将じゃん!
そんな人の軍に他とは違う特徴的な髪型をしてる人が居たら絵とかに残されてる気がする。そして後世に『戦国時代にもリーゼントがあった!?』とか煽り文でテレビで取り上げられてるはず。でもそんなの一度も聞いたことが無い。
やっぱりここは平成の世? でも……。
「どうした?」
「分かんなく、なっちゃった……」
織田信長、伊達政宗、刀、ちょんまげ、お城、甲冑。戦国時代を思わせるものを幾つも見聞きした。だから過去に来てしまったのかもとも思った。
なのに、たった一つのことが、髪型が、真実を迷わせる。
いっそ夢でしたで終われば楽なのに、怪我を負った後では無理がある。痛みを感じる夢なんて聞いたことが無い。
「ぅえ?」
突然、政宗様に抱き締められた。男の人のこんなに密着したことなんて無くて、普通に考えればドキドキするか嫌悪するかのどちらかだと思うのに、どうしてだか安堵するように吐息が溢れ、肩からも力が抜け、ぐちゃぐちゃになっていた頭と心が落ち着いていった。
「とりあえず、当初の予定通り街並みを見に行くぞ。一つ一つ事実を確かめて可能性を消していけば何れは答えに辿り着く」
「うん」
頷くと直ぐに政宗様は離れ、変わりに私の手を取って歩き出した。向かう先は天守。
思っていた通りに天守までの距離は短かった。ほんの数分程度の距離。中に入るとテレビで見る武士らしい腰に刀を差した袴姿の男性数人と擦れ違った。誰もが私の姿に驚き政宗様に尋ねていたけれど、政宗様はリーゼントの男性にしたのと同じ、「そのうち分かる」としか返さなかった。
向けられる視線に居心地の悪さを感じて逃げるように足早に政宗様の後を追う。手は中に入る時に離れてしまった。良かったような、残念なような。よく分からない気分だ。
勝手知ったる場所らしく、政宗様の足取りに迷いは無い。廊下を進み、階段を登ってまた廊下を進んで階段を登る。
その階段が厄介だった。傾斜が少し急なのだ。手摺があっても足幅が狭くなる着物で登るのは一苦労で、何度か足を踏み外して脛を打ってしまった。明日絶対痣になってる。
四回階段を登った先の階はそれまでの階と違ってワンフロアで一つの部屋になっていた。登ってきた階段はあっても上に続く階段は無い。最上階だ。
「こっちだ」
先に登りきっていた政宗様が、壁に幾つか作られた格子窓の一つの側に立って私を呼んだ。
「見ろ。ここからなら城下が見渡せる」
頷き、深呼吸を一つしてからゆっくりと残る数歩を歩き窓の前へと立った。
「あ……」
ここは、私の知る世界じゃない。そのことが今、この瞬間に確信へと変わった。
窓から見えたのは平成の世ではありえない光景だった。
天守の周りには幾つもの建物や塀が並び、そこを堀が囲み、堀の向こうには街並みが、さらにその向こうには緑の木々や畑が広がっていて。
ここからでは小さく見える建物はどれも瓦屋根か木が剥き出しの屋根でビルは一つも無い。大通りらしき広い道ですら土が剥き出し。車は一台も走っていないし電柱の一本も見当たらない。
「政宗、様…」
「…元の時代に戻れるまでここにいりゃあいい。必要なモンは揃えてやる。一人で勝手にうろつかねぇ限りは身の安全も守る。ああ、勘違いすんなよ。部屋から出るなってことじゃあ無ぇ。どっか行きたいとこがあるなら必ず俺か小十郎に言えってことだ。………たぶん、ここはお前が居た時代よりも平和じゃねぇ」
こくん、と頷いた。平成と戦国では確かに情勢が大きく違う。この時代の常識も何も知らない、教科書の知識しか無い平凡な高校生の私がふらふら出歩くだけでも危険かもしれない。
「お世話に、なります」
政宗様の正面に向き直り頭を下げたらくしゃくしゃとやや乱暴に髪を掻き混ぜられた。またくしゃくしゃにした、と唇を尖らせ軽く睨んだら政宗はふっと微かに笑って私の頭にぽんと手を置いた。たったそれだけのことで不安でいっぱいだったはずの心が少し軽くなる。
私の頭から手を離し、外へと視線を向けた政宗様の横顔を見詰める。
性格に難有りだけどやっぱり見た目は文句無しにイケメンだよなぁって改めて思う。細身ではあるけれど着物の間から見える身体は引き締まっているし、眼に掛かるくらいの長さに切られた髪も政宗様に似合っている。というか、政宗様がちょんまげって方が無いなって思う。絶対似合わない。似合わなすぎて笑っちゃいけない類いのものになっちゃいそう。
そういえば、あのリーゼントは何だったんだろう。
政宗様や小十郎様のような髪型ならまだしもリーゼントは違和感が大きい。未来から持ち込まれたとか、いっそ別の世界ですって言われた方なまだ納得……。
「あ、そっか。そっちなのかも」
「An?」
「たぶんここは、私が居た時代の過去じゃなくて、過去の時代によく似た別の世界なんだと思います」
「別の? どういうことだ」
平行世界だとか全くの異世界だとか、思い付いた考えを話した。
私は語彙に溢れているわけじゃないし、知識も漫画やアニメから得たものだから政宗様にも分かるように説明するのは大変だったけど、なんとかここが私にとってどういう世界である可能性が高いのかを話すことが出来た。
「Hnm. それで別の世界だと思ったわけか」
「はい。その方が私としては納得出来るかなって」
「ま、良いんじゃねぇか、どっちでも。俺がするこたぁ変わんねぇしな」
「え?」
どういうことだろうと首を傾げたら、直したばかりの髪を三度くしゃくしゃにされた。
「ここが過去だろうが別世界だろうが、お前のことを守ってやるし戻る方法も探してやるってことだ」
「ぅ、あ、ありがとう、ございます…」
どうしよう、不覚にもトキメキかけた。相手はどんなにかっこよくても優しい一面があっても人のことを貶すこともある奴なのに。顔が良いって厄介だ。
「ただし、その喋り方は直せ。敬語じゃなくても良いと言っただろ。俺のことも政宗で良い」
「え、でも」
「俺が許してんだから良いんだよ。誰かに何か言われたら俺に命じられたとでも言っとけ」
良いのかな、ほんとに。
そろそろ戻るぞと先に階段へと向かう政宗様の背中を見ながら思う。
相手は腐っても殿様だし、偉い人なんだし、やっぱりちゃんとした方が……。
「
美夜! 置いてくぞ!」
「え、うわ、待って! 今降ります!」
階下からの声に慌てて階段を駆け降りようとして、傾斜や着物を着ていたことを忘れていたせいで見事に足を滑らせてしまった。
幸い政宗様が階段下で待っていてくれたお陰でお尻を打ったくらいで大した怪我もなく済んだけど、「ほんっとに鈍くせぇ奴だな」とため息付きで呆れられた挙げ句に一階まで肩に担がれる羽目に陥ってしまった。
着物だからとか傾斜があったからとか説明しても「言い訳考えんのも大変だな」なんて流されて。わざとらしく肩まで竦められて。
私、もうこいつのこと様付けで呼ばないし敬語も使わない。
私は鈍くさく無いって認めるまでは絶対に敬ったりしないんだから!
続
「
右目の考え」