政宗達が出陣して三日が過ぎた。城の警備のための兵士さん達も居るし、侍女さん達や下働きの人達は全員城に残っているからお城の中にはたくさんの人が居る。
でも、ふとした瞬間寂しくなる。あんなに嫌だったセクハラさえも懐かしいと思ってしまうくらい、寂しい。まだたったの三日しか経ってないのに。
政宗が居ないだけで毎日が味気ない。
ほんとは嫌よ嫌よも好きのうち、でセクハラされるのが好きだったとか? ないないそれはない、絶対ない。セクハラされたいなんてそれじゃMみたいじゃん。政宗がドSだからって私がMになる必要なんか無いし。
じゃあなんで、寂しいの?
「
美夜さん、今よろしいですか?」
綱元さんの声だ。どうぞと返事をする。綱元さんは政宗が居ない間の城のことだけじゃなくて、食糧など物資の補給も任されているから城の中で一番政宗達の動向を把握している。
だから、一日二日で何か動きがあったりしないだろうなと思っても、不安だし心配だしで一日一回は聞きに行ってしまう。
けど、綱元さんの方から私の部屋に来たことは無い。
もしかして、政宗に何かあった?
「あのっ、」
「ああ、大丈夫ですよ。殿に何かあったわけではありませんから」
ホッと息をついて詰め寄るように前のめりになった体を戻す。私に渡すものがあるから来ただけだったらしい。綱元さんが懐から取り出したのは一通の手紙。
「殿からあなた宛てに先程届いたものです」
「政宗から?」
受け取ると、表には綺麗な字で『
美夜』とだけ書いてあった。何が書いてあるんだろ。気になるけど、人前で読むのって失礼にならないかな?
顔に出ていたらしく、綱元さんは気にせず読んでくださいと言ってくれた。一言断ってから開く。宛名と同じくやっぱり綺麗な字で数行書いてあった。
「失礼ですが、何が書かれていたのかお聞きしても?」
「あ、はい。大丈夫です。えっと、順調だから心配するなってことと、私の方には何か起こってないかって」
「…そうですか。では、返事をお書きになるなら私に渡してください。こちらからの報告と一緒に届けますから」
「はい。あ、でも…」
「何か問題が?」
「私、筆で字を書くの、慣れてないんです」
「お気になさる必要はないと思いますよ。殿もそれをご承知の上でしょうから。でなくばそのような書き方はなさらないと思います」
「書き方?」
綱元さんは自分宛ての政宗からの手紙を懐から出して見せてくれた。でも、同じ人物が書いたとは思えなかった。
綱元さん宛ての手紙は博物館の展示品とか教科書に載ってる昔の書物の文字みたいにミミズが這ったみたいな字。全然読めない。
対して私宛てのは一字一字の間に少し間が開けてあって、文字もあまり崩さずに読みやすいように書いてある。だから私でも、慣れた字よりはちょっとだけ時間は掛かるけど自力で読むことが出来た。
政宗は私がこの時代の書き方で書かれた字は読めないことを知っている。だからわざと私宛ての手紙だけ、この書き方にしてくれたの?
側に居なくても気遣いの手紙をくれて、書き方にも気を使ってくれた。
離れていればセクハラされないのは当たり前だけど、優しさだけをはっきりと形にされるとだんだん頬が熱くなってくる。照れ臭いんだけど嬉しいみたいな、なんだか変な感じ。
綱元さんが部屋に戻って行くのを見送ると、すぐに侍女さんを探して紙と筆を貸してほしいとお願いした。
部屋まで持ってきてくれたことにお礼を言って、机の前に座る。墨は持ってきてくれた時には既にすってあった。
まずは私の方にも何も起きてないから大丈夫って書こう。それから………。後はなんて書けばいいんだろう。怪我しないで、は場違いな気がする。気をつけて、なんて当たり前過ぎる? 日暮れ前には使いを出したいと言われたからあまり長く考える時間は無い。
ギリギリまで悩んで、考えて、結局気をつけて、と書いた。ありきたりだけど、その分一文字一文字丁寧に書いた。書き終わると力を入れすぎたために筆に触れてた部分の指がちょっとへこんでて痛かったけど、私なりに少しでも丁寧に、少しでも気持ちが伝わるようにと書いた結果だから気にならない。
ふーふー息を吹き掛けたりして墨を乾かしてから折り畳んだ。政宗から手紙を貰うのもそうだけど、出すのも初めてだからなんとなくドキドキする。
侍女さんに綱元さんの部屋まで案内してもらって行くと、綱元さんはもうとっくに手紙を書き終えてたみたいだった。
「すみません。遅くなっちゃって」
「いえ、構いませんよ」
お願いしますと言って手紙を渡すと、綱元さんは使いをお願いする兵士さんを呼んで自分が書いた分と私が書いた分の手紙を一つに纏めて渡し、政宗に届けるよう命じた。
命じられた兵士さんが二通の手紙をしっかり懐に仕舞い、一礼して去った後、私も部屋に戻ろうと立ち上がりかけたら綱元さんに引き止められた。
「少しお時間を頂いても構いませんか?」
「大丈夫ですけど……」
「前々から貴女にお聞きしたいと思っていたことがあるんです」
居住まいを制した綱元さんに釣られるように私も背筋を伸ばす。
「
美夜さんは戦をどの程度理解しておられますか?」
「えぇと、政宗達が誰と戦うかってことですか?」
「それらも引っくるめ、戦そのものを、です」
「戦そのもの……」
はい、と頷いた綱元さんは、いつも浮かべている微笑を浮かべていたけれど、なぜか今日は怖いと思った。
「教えていただけますか?」
「あ、え…と……」
戦。私が知ってる戦に関する知識。
真っ先に浮かんだのは映画やドラマのワンシーン。策を練って敵とぶつかって勝利を目指して戦う。
他は、と思うけど、どれほど考えても浮かんだのは歴史の授業で習うような内容ばかり。
知識と呼べるようなものじゃないかもと思ったけど、浮かんだままに伝えた。
言い終わっても、綱元さんは微笑を浮かべたまま一言も喋らない。障子は開けられたままなのに、なぜか息苦しく感じてきた時、綱元さんがにこりと笑った。
「殿からの文を読んでいる時の貴女はとても嬉しそうでしたね」
「え……」
いきなりの話題転換にとっさに頭が着いていかない。
「殿が女性にあのように気遣いの篭った文を出されたのは、恐らくこれが初めてでしょう」
「はじめて……」
「ええ。殿はどの女性に対してもいつもどこか冷めた態度を取られますから。理由は、あなたになら分かりますね?」
こく、と頷く。たぶん、お母さんのことが関係しているんだと思う。あの日、政宗に投げ付けられた言葉の数々を思い出して、また泣きそうになった。瞬きを繰り返してなんとか堪える。
「私の手を見てください」
またも急な話題転換に戸惑いつつも、差し出された綱元さんの手を見る。男の人らしく大きく筋張った手だ。
「どのように見えますか?」
綱元さんは何を言いたいんだろう。分からない。繰り返される急な話題転換と、息苦しさに頭がうまく回らない。
綱元さんが指先で指の付け根近くに触れた。そこだけ他の場所よりも皮膚が厚くなっているのが見た目からだけでも分かる。
「これは剣だこです。小十郎にも成実にも他の兵にも、そして当然殿の手にもあります。なぜか分かりますか?」
「剣、を、握る、から?」
「そうです。日々の鍛練によって豆が出来、潰れ、それが繰り返されてやがてはこのように硬くなるのです。豆が潰れれば当然痛みがあります。それでもその痛みを堪えて剣を握ります。なぜだと思いますか?」
綱元さんの私を見る眼が僅かに鋭く冷たいものになった気がした。
「殿が初めて出した、情に満ちた文が、自分宛てだったことは嬉しかったですか?」
また、話題が。政宗から、手紙。私宛て。初めての。
ぶつぶつと途切れた言葉が頭に浮かぶ。
嬉しい。
考えるより先に自然と浮かんだ気持ちのままに頷いた。
「文を書いた殿の手が、奪った数多の血に塗れていても、ですか?」
◆ ◆ ◆
「
美夜様? 如何なされたのですか? お顔の色が…」
「あ…大丈夫、です。………あの、少し、一人に、なりたい、ので……」
ぼぅっと立っていたら声を掛けられた。でも、今は誰とも話したくなかったから一方的に話を打ち切って、心配する侍女さんに背を向けた。
ぼんやりと歩いていたせいで今自分がどこにいるのか分からなかったから、足の向くままに適当に歩く。頭の中では聞かされたばかりの話が延々と繰り返されている。
『戦がどのようなものか知っているか、最初にお聞きしましたね。そしてあなたの答えを聞いて、私はやはり、と思いました。あなたは物事を甘く、楽観的に考え過ぎている』
軽蔑、とまではいかないまでも、それに近い感情が私に向けられていた。多少なりとも好意を持ってもらえていると思っていた分、ショックだった。
『戦とは、一言で言えば殺し合いです。どんな大義名分を掲げようと、その本質は変わりません。ではなぜそのようなことをすると思いますか?』
見覚えのある場所に出た。左側へ行けば自分の部屋、右側へ行けば政宗の部屋がある。何も考えることなく、無意識に足は右側を選んでいた。
『目指すものがあるからです。好き好んで人を殺しているわけではもちろんありません。殺さずに済むならそれに越したことはありません。ですが、そんな甘ったれた考えで生き残れるほど、この世は優しくも甘くもないんです。殺らなければこちらが死ぬんです』
部屋の戸を開ける。誰も居ないことなんか分かりきったことなのに、しんと静かな室内を見たら無性に寂しくなった。
『殿は天下を目指しておられます。殿はそれを叶えるために、私達は殿が作り出す世をこの眼で見たいがために、立ちはだかるものは排除します。何人、何百、何千の屍を築き、血の川を作ることになろうとも、譲れない願いがある以上は立ち止まりはしません』
戸を閉めて政宗がよく座っている辺りに行ってパタリと倒れ込む。煙管の匂いがした気がした。
政宗の、匂い。
抱きしめられたまま眠ってしまった時のことを思い出した。その腕の温かさと心地好さも。目の奥が熱い。
『この世界は、貴女が居た世界とは全く違うのですよ』
「ふ、ぅ……」
拒絶された。そう思った。そう感じる言い方と視線だった。
私と政宗達とは違うのだと。
今はたまたま一緒に居るだけに過ぎない。違う世界の人間同士が馴れ合うことなんか出来るわけがない。私達の間には、決して消せない壁があることを忘れるな、と。
涙が止まらない。胸の奥が痛くて辛くて、苦しかった。
続
「
零れる笑み」