水瓶から注がれる想いの欠片

 向かいに立つ人がフードを脱ぎ、仮面を外す。私たちが住むこの世界は基本的に、殊更に個人を主張しないようフードを被り仮面を付けることを是としている。それを外すとしたら、家族の前か余程親しい相手だけだ。つまり今の状況は相手にとって“余程のこと”であると言える。普段周りの友人たちから破天荒だの無茶が過ぎるだのと言われる私だが、流石にこの事態は想定してなかった──いや、実を言うと今までの雰囲気から何となく“そう”なのだろうか?とはうっすら思っていた。が、いざ実際にそうなってみるとらしくもなく緊張してくる。

……この人はこういう顔をしていたんだな。

そんなことを他人事のように思いながら私もぎこちなくフードを外す。そして仮面を外そうとして……目の前の人に外された。呆気に取られて相手の顔を見ると、私の表情が面白いのかちょっと笑いながら仮面を返される。

「ふふ……ごめんよ。どうしても君に触れたくて、つい手が出てしまった」

置かれている状況についていけず固まっていると、私が気分を害したと思ったのか相手もにわかに焦り始めるのが分かる。

「あ、ああ、すまなかった。いくら何でも不躾が過ぎたね……」
「い、いえ!そうじゃないんです、どうかお気になさらないで」

我ながら何を言っているのか。とりあえず落ち着かなければと思い深呼吸をしていると、相手がさらに距離を詰めてきた。そのままおずおずと彼の腕が私の背中に回される。

「嫌だったなら突き飛ばして欲しい。……しばらくこうしていても、いいだろうか」
「……はい」

嫌ではないと伝えるために、私の方も一歩近付いて頭を彼の胸に寄せる。口で言えば早いのだが、いかんせん適切な言葉が思い浮かばないのと、……こうしてみたいという自分の気持ちに従った結果だ。とても本人には言えないが。幸いにも意図は通じたようで、もう片方の手がゆっくりと私の頭を撫でていく。そうやって何度か撫でられているうちに不思議と落ち着いてきたので、そっと彼の背中に両手を回す。相手にとって私の行動は予想外だったらしく、小さく息を呑む音が聞こえた。背中に回された腕に力が入るのが分かる。

ああ、あたたかいな。

ローブ越しに伝わる温もりをもっとよく感じようと目を閉じる。耳元で聞こえる鼓動は、心なしか少し早いような気がした。

それからどれくらいこうしていただろう。回された腕が離れる気配がしたので、名残惜しく思いながら私も腕を離す。少し背の高い相手の顔を見上げると、同じように見つめてきた彼と視線が交わった。眩しいものを見つめるように目を細めるその人は、今何を思っているのだろう。ややあって、彼の手が私の頬に触れる。……そして不意に、額に口づけられた。

「……愛しているよ」
「!」

それだけを言うと、彼はフードを被り、いつもと同じように仮面を付けて私に背を向ける。そしてそのまま来た時と同じように、迷いのない足取りで歩き去っていく。

……この世界は、“終末”と呼ばれる未曾有の厄災に見舞われ深く傷付いた。私の属していた十四人委員会は、星の理を敷き直すために生き残った人間の半数の命を捧げて星を守るための機構──ゾディアークを生み出すことを決定。計画では、更なる人々の命と引き換えに数多の動植物を創り直し、最終的にはそれらの命をゾディアークに捧げることで人々を呼び戻し今まで通りの星の在り方に戻そう、という魂胆のようだけども……もう私には関係のないことだ。
そして私の師はそんな十四人委員会のやり方に反発し、密かに賛同者を集めながら対抗策を練っていた。それはゾディアークと対になる存在──師たちは“ハイデリン”と呼んでいた──の創造。彼はそんな師の数少ない賛同者の一人として、師と行動を共にしていたのだ。その彼が今になって私を呼んだということは、このままではハイデリンを召喚するしかないという結論に至った、そしてその召喚が近いということなのだろう。
……正直なところ、会合で色々と話を聞いてはいたものの内心半信半疑だったのだ。しかしまさかここまで正確に“彼女”の話を現実がなぞろうとは思いもしなかった。それに関しては歯がゆい思いもあるし、実を言うと私と同じ“星”を持つという彼女に会ってみたかった、という気持ちもないではない。実際に会ったテミス──エリディブスが大変楽しそうに話していたのが昨日のことのように思い出される。そういう意味では、あの輝かしい昔日を取り戻したいという十四人委員会の方針とそれを支持した民衆の気持ちも分からなくはない。だが、師の言う通りそれでは私たち人は、星は、先には進めないだろう。

師から直々に合流を禁じられた私は、何も言えずに彼を見送ることしかできなかった。そんな、さっき喉でつかえて出てこなかった思いと言葉が、今更ながらに胸の内で渦を巻いて暴れまわっている。歯を食いしばって必死に堪えるが、それでも抑えきれない思いの欠片が一筋、頬を伝って流れ落ちていく。

「……その言葉、──────」


□■□■


 うっすらと目を開ける。ぼんやりした視界に映るのはいつも利用している宿屋の天井だ。部屋の暗さからするに、どうやらまだ夜は明けていないらしい。

「目が覚めたのかい」

一緒にいる人が声をかけてくる。そちらに目をやると、頭を腕に乗せ、こちらを向いた状態で横たわっていた。……夢の中で出会った人に面影が似ている知識と河川を司る神は、夢の中の彼と同じように私の頬を優しく撫でる。

「まだ夜が明けるには早いよ。……もう少し眠ったらどうだい」
「……ん」

さっきの夢を思い出して、抱きつくように彼の背中に腕を回す。知神はそんな私にちょっと驚いたようだったけれど、すぐに頭を乗せていた腕を伸ばして腕枕をしてくれた。その手で頭の後ろをぽんぽんと叩かれる。

「なんだい、怖い夢でも見たのかい」
「……そうじゃないけど」
「けど?」

その先は何となく言いたくなくて小さくかぶりを振った。……夢にしては随分とリアルだったから。そのことを胸の中にしまい込みながらとりとめのない話をして、温もりを感じているうちに睡魔が再び訪れたのでゆっくりと瞼を閉じると、いつの間にか腰に回されていた腕に抱き寄せられる。

「ゆっくりお眠り。……おやすみ」
「おやすみ……」





──Fin
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