陽炎と揺れる天秤

 それは数日前のこと。世界を救った英雄と生死を司る神は、神の座する神域でひとときの逢瀬を楽しんでいた。“英雄”と呼ばれると同時に文字通り世界を股に掛ける冒険者でもある彼女は日夜各地を飛び回っているためになかなか時間が捻出できないのである。神はそんな彼女の自由さを好ましく思うと同時に少しばかり寂しさを感じていたので、ある提案を持ちかけた。

人の子が星芒祭と呼ぶ催しで行われる演奏会に共に行かないかと。

彼女が少なからず音楽を嗜み、また演奏ができる──神は芸術に特別明るい方ではないが、それでもその技術が優れていることは分かる──ことを知っていたが故の提案だった。しかし彼女はそれを聞くと申し訳なさそうな表情になる。どうしたのかと聞くと、その日はどうしても外せない用事があるという。神は内心落ち込みつつも、また違う機会を共にする約束を交わすことで自らを慰めることにした。


□■□■


「……ということがあってだな」
「ああ〜」

目の前におわすナルザル神から話の顛末を聞き、俺は思わず声をあげる。何故なら俺は“その用事”の内容を知っているからだ。詳細を言わなかったのは恐らく照れくさかったからなのだろう。理由を伏せるべきか悩んだが、口止めされている訳じゃないというのが決め手となったので話すことにする。

「あのですね、彼女はその演奏会に奏者として招かれているんですよ」
「なんと!」
「……それは盲点だった」

ナル神、ザル神ともに驚きを隠せないようだ。そりゃそうだ、いくら秀でた演奏技術を持っているとはいえまさか誘った演奏会に本職ではない彼女が出演することが決まっているとは普通考えない。

「うむ……そうなると尚の事、かの演奏会に赴きたくなってくるが……」
「しかしなあ、既に席は埋まっていると聞くぞ」

ナル神の言う通り、グリダニアのミィ・ケット野外音楽堂で行われる演奏会は星芒祭の期間に行われる催し物の中でも特に人気がある。どれほどの人気かというと、毎年チケットの争奪戦が行われるほどなのだ。ナルザル神が苦悩するのもむべなるかな。しかし俺には(俺の立場だからこその)奥の手がある。

「あの、ご提案なんですけど」
「なんだ、申してみよ」
「……実はですね、俺、数枚だけだったらチケットを融通できるんですよ」
「「本当か!?」」
「ええ。ナルザル神もご存知の通り、俺は彼女と一緒に仕事してるでしょう?そのよしみで何枚かチケット譲ってもらえたんです」

一度言葉を切って呼吸を整える。

「俺も家族と行きたいのでその分はお渡しできませんが……ナルザル神の分だけでよろしければお譲りします」
「どうする、ザルよ」
「……折角の申し出、どうするもこうするもあるまいよ」

「「頼む、譲ってはくれまいか」」

予想はしていたが、同時に放たれる懇願にちょっと笑ってしまう。この双子の神は要所要所で完璧にハモるのである。……声もいいし、歌ったら素晴らしいハーモニーを聴かせてくれそうなんだよな、とこっそり思っているのは俺だけの秘密。

「分かりました。ちょっと待ってくださいね」

普段持ち歩いている鞄を下ろし、鞄の内ポケットに入れておいたチケットを二枚取り出してナルザル神の前に差し出す。するとチケットがふわりと浮き上がり、ナルザル神の左手に収まる。

「ああ……!感謝するぞ!」
「この礼は近いうちに、必ず」
「いえいえ、お力になれたのなら幸いです」

能面のように表情こそ変わらないが、嬉しそうな気配を隠さないナルザル神に俺もつられて笑顔になる。彼女が愛する神を評して「隠し事ができない」と言っていたが、きっとこういうところなのだろうなあ。いかなる感情を抱いていても表情に出ない、という意味では一番演技できそうなのに。そんなことを思いながら、その後も俺たちは他愛もない話で盛り上がるのであった。


□■□■


 そして演奏会当日。ナルザル神はいつものように人の依代を使い地上に降り立っていた。普段と違うのは自らを守護神と祀っているウルダハではなく、ノフィカを守護神に掲げるグリダニアにいるということくらいか。せっかくの機会なので、時間まで市場を中心にグリダニアの街を見て回ることにする。ところ変われば活気も変わるということで、灼熱の砂の都とはまた違った趣を商神は大いに楽しんでいた。そうやって街を散策する中で、見慣れた後ろ姿を見つける。背負っているのは楽器を収めた鞄だろうか?そっと近付き、空いている肩を叩く。振り向いた彼女は双子の神の姿に大層驚いていた。

「えっ……!?お二人ともどうしてこちらに?」
「ふふふ、そなたの相棒から話を聞いてな」
「ああ〜なるほど……」

彼女が呆れたような、得心したようないわく言い難い表情になる。しかしそれも一瞬で、気持ちを切り替えたのか演奏会の準備が始まるまで一緒に過ごそうという彼女からの提案をナルザル神が断る理由はないのであった。



 まったくあの人は。ちょっとだけそう思ったけれど、絶対に教えるなと口止めしなかったのは私だしな……と思い直す。実際何がなんでも隠さなきゃいけない、というわけでもなかったし。まあ……若干恥ずかしくはあるが。そんなことを思いながらナルザル神と共にグリダニアの街を歩く。今日の目玉は日が沈む頃に始まる演奏会だが、それ以外にも街のあちこちで様々な催し物が行われているのである。

「おーい、レイさーん」

声の方を向くと、友人のララフェルがギター片手に手を振っているのが見えた。隣には譜面台も見える。ナルザル神と共にいる今だが、呼ばれてるのに無視するのもあれだし、ということでそちらの方に近付く。

「あれ、今日こっちに来てたんだ」
「おう、今ちょっとした路上ライブやってん。よかったらレイさんもどう?」
「いいねえ、なんか弾く?」
「弾いてもらうのもいいんやねんけど、どっちかというと歌ってもらいたいんよね」
「歌?」

譜面台を覗き込むと、そこに乗せられていたのは楽譜ではなくて歌詞が書かれた紙だった。なるほど、これを見ながら歌ってもらってるのね。

「歌か〜。正直歌は彼の方が上手いんだよねえ」
「キョウさん上手いもんなあ。実を言うともう歌ってもろたで」
「マジで」

思わず素で反応してしまった。彼には家族の分含めて何枚かチケットを渡したからここに来てること自体には驚かないのだが、目ざとく捕まえてるあたり流石である。……聴きそびれたのが悔やまれるな。
私がそんなことを思っている間に友人はギターを置き、傍らの箱を開けてゴソゴソと何かを探す。どうやら箱の中に歌詞を書いた紙を入れているようだ。そのうちに目当てのものを見つけたようで、一枚の紙を取り出した。

「これとかどう?」
「どれど…………えっ、これ?」
「そう。知ってるやろ」
「確かに知ってるけどさ……」

譜面台に置かれた紙に書かれた歌詞は、今の時期によく似合うラブソングだった。ギター一本で奏でるシンプルな曲想とストレートに愛を歌う詞が人気で、酒場でもちょくちょく聴く機会がある曲だ。よ……よりにもよってこの曲か……。一瞬本気で逃げたくなったが、ナルザル神を始めとした観客たちは期待の眼差しでこちらを見ている。これは腹を括るしかなさそうだ。簡単にキーの確認をして、彼がギターを構える。ため息だと気取られないように、私は慎重に息を吐いた。



 歌が終わり、楽器の音が優しい余韻を残して消えていくとそれを合図に拍手が沸き起こる。アンコールの声も聞こえたが、彼女は茶目っ気たっぷりに固辞して笑いを取っていた。周りの観客に手を振りながら戻ってきた彼女は、しばらく無言で共に歩いていた……が、何を思ったのか突然走り出した。そんな彼女の姿に私たちは一瞬呆気にとられたが、お互いに顔を見合わせ頷くと即座に後を追いかける。しばしの間追いかけっこに興じたのち捕まえた彼女は顔を上気させていた。走り回っていたのもあるだろうが、この赤面っぷりはおそらくそれだけではないのだろう。

「……何も逃げなくてもよかろう」
「いや、もう……勘弁してください……」
「ふふふ、照れているそなたも愛いな」

片割れが彼女の頬を手の甲で撫でると、その言葉と手の感触に彼女がさらに照れたような仕草を見せる。知り合ってからそれなりの時間を共に過ごしたと思うが、今でも彼女という人の新しい側面、新しい表情が垣間見れてその度に新鮮な気持ちになる。

「ふっ……思いがけず歌ったり走ったりと疲れただろう。ここらで茶でにも行かぬか」
「そ……そうですね……」
「うむ、そうだな!どこかで落ち着かないと後に響きそうだし……のう?」
「もう!」

ニヤリと笑って揶揄う片割れをぽかぽかと叩く彼女の姿に再び笑いつつ、私たちは良さそうな店を探しに行くことにした。


□■□■


 会場からほど近い店に入り、三人で少し早い夕食を兼ねたティータイムを摂ることにする。茶を伴に他愛ない話に花を咲かせているうちに準備の時間となったらしく、彼女が名残を惜しみながら一足先に席を立つ。それを見送り、私たちはもうしばらく茶を楽しみつつ時間を見計らって店をあとにした。まだ来るには早いかと思っていたのだが、訪れた会場はまだ開場前であるにも関わらず人でごった返している。……なるほど、話には聞いていたがこれほどまでの人気とは思わなんだ。

「これはこれは……」

片割れも少々驚いた様子で辺りを見渡す。しばらくして開場の案内が始まったので人の流れに乗って音楽堂に入る。適当な席に腰掛けると彼女の相棒の姿が見えた。連れている女性と女児がよく話に出る家族なのだろう。ちょうどよい席が見つからず困っているように見受けられたので手を振ってみせると幸いにも気がついたらしく、彼がこちらにやって来た。

「ああ、こんばんは。もういらしてたんですね」
「うむ。……ところで、席が無いようなら変わろうぞ」
「えっ!?いえ、流石にそういう訳には……」
「……細君と子もいるのであろう?この人混みの中をあまりうろつかせるのは酷であろうよ」
「うむうむ!それにそなたには券を譲ってもらった恩もあるからのう。ささやかだが礼ということにしておくれ」

それでも彼は少し悩んでいたようだったが、片割れの言葉が決め手になったのか「では、お言葉に甘えて」と頷いた。その様子を見たのか、家族もおずおずとやって来たので席を立って彼女らに譲る。何度もお礼を言われるのを制しつつ別れ、他の席を探して歩く。幸い、すぐに別の席が見つかったのでそちらに改めて腰を下ろした。今この場に来るまで分からなかったが、思っていた以上にわくわくした気持ちになってくるのはこの場の雰囲気ゆえなのか。そう思うと、開演を楽しみに待っているのであろうこのざわめきも愛おしく感じてくる。



 そうこうしているうちに時間になり、主催者による注意事項が流れると共にざわめきが徐々に静かになっていく。舞台に照明が当たり、奏者が続々と壇上に上がるのを拍手で出迎える。その中に彼女の姿を見つけた。準備中に着替えたのであろう、普段とは違うドレス姿に目を奪われる。鮮やかな青が髪の深い青と対比になっており、大変美しい。……本当に、我らが愛し子は私たちに思いもよらない一面を見せてくれる。
最後に指揮者が現れ、奏者全員が一礼。奏者が着席すると観客が完全に静まり返った。調律の音が止み、一瞬の静寂のあと、演奏が始まる。ゆったりと刻まれるリズムに寄り添うように弦楽の主旋律が奏でられていくこの曲は、戦が終わり子供らが健やかに過ごせることを祈ってニメーヤに捧げられたものだと聞く。大人たちが“星神の聖者”を名乗り、子供たちに贈り物をするこの祝祭に相応しい曲であるといえよう。……目を瞑れば、暖かな灯りと暖炉の温もりが感じられそうな音色だ。



気が付けばあっという間に数曲が終わってしまった。つい先程始まったばかりだと思っていたのだが、それだけ演奏に聞き惚れていたということなのだろう。思っていた以上に息を詰めて聴いていたようで、肩の力を抜くように一息ついていると司会者による次の曲目についての説明が入る。何やら、次の曲は独奏だという。そして紹介が終わると共に、彼女が席を立ち舞台の中央へとやって来た。彼女はまるで祈るかのように空を見上げたのち、楽器を構える。ハープシコードの伴奏に続くように奏でられるその音色は美しくもどこか寂しくて、まるでずっと遠いところを見ているかのような錯覚を覚えてしまう。

ああ、そうか。

……これは鎮魂なのだな。

もちろん、立て続けに霊災に終末と大きな厄災に見舞われたのもあるだろう。しかし、それがなくてもこの世界では毎日何某かのことが起こり、誰かしらがその命を散らせてきた。この曲はそれらの魂に捧げるものなのだ、と“私たち”は直感的に思い至る。どこまで意図して彼女にこの曲の演奏を任せたのかは分からないが、任された彼女の方は否応なしに考えたのではないか……と思わず勘ぐってしまう程度には、この曲に感じる印象には馴染みがある。同じように感じるのか、そっと周りを見ると祈るように胸に手を当てる人の子の姿が散見された。
演奏が終盤に差し掛かり、祈りを、願いを聞き届け給えと歌うように奏でられる旋律に目を閉じる。そのまま楽の音は星に向かうがごとく高く遠く鳴り響き、静かに反響しながら消えていった。完全に音が止んでからもしばらくは誰もが沈黙していたが、どこからか鳴り出した拍手は次第に大きくなっていき、やがて万雷の喝采となって会場全体を震わせる。彼女はその拍手の大きさに少し驚いたような表情を見せつつも優雅に一礼すると、それに応じるように拍手もさらに大きくなる。それに送られるように彼女たち演奏者全員が退場すると、休憩の案内が流れた。

「……この演奏会が終わったらあの子を労ってやらねばな」
「うむ。宿の者に頼んで温かい茶と菓子を用意してもらうとしよう」

後半の演奏を前に少々気が早いと思いつつ、終演後のことに思いを馳せながら私たちも身体を伸ばすためにしばし席を立つことにした。





──Fin
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