陽炎と揺れる天秤

 ──今私たちは二人して、あいにくの空模様を眺めている。
これだけだと何事かと思われるだろう。いつものように自分たちの宿願のために神域に呼び込んだ人の元に押しかけて、冒険についていっている途中で突然の雨に見舞われたのだ。
小雨なら、まだ何とかなったと思う。しかし残念ながら雨足は強くなるばかりで、これは移動どころではないという彼女の判断により、こうして人がローグ川と呼ぶ川の上流で雨がやむのを待っているというわけである。……しかし。

「いくら雨風が凌げるからといって、なにも川で雨宿りすることもないんじゃない?」
「だって他に雨宿りできそうなところがないんだものこの辺」

(しばし押し問答をした末根負けした)私を近場で最も大きな岩に座らせた彼女は、その隣にある小ぶりな岩に適当な木材を置いて火起こしの真っ最中だ。

「それに火種はあるから言うほど冷えないと思うし」

そう言い終わらないうちにパチパチと小さな音を立てて炎が燃え上がった。流石熟練の冒険者、手際が早い。焚き火を挟んで向かい側の岩に腰を下ろした彼女は、やれやれといった面持ちで横殴りの雨が降りしきる空を見上げる。

「それにしても出た時は天気良かったのになあ……」
「私の一存で天候は変えられないわよ?」

疑わしそうな目で見つめられたので否定しておく。今の天気もだが、いきなり晴れにするなんてことは──実はできるが──やったりはしない。人の世界と自然には干渉しないのが私たちのルールなのだから。
彼女もそれは分かっているのか、はあと小さなため息をひとつついたのみでそれ以上は何も言わなかった。


□■□■


 天気は変わらず、激しい雨が降り続いている。つまり私たちも変わらず川のせせらぎの上で雨宿り中である。

「そういえば」

どうせなので、この機につついてみますか。

「なに?」
「ナルザルとは最近どうなの?」
「!?」

彼女の顔がみるみるうちに赤くなる。本人もそれを自覚してるのか、余計に頬の紅潮に拍車をかけていて大変可愛い。尚更からかいたくなるが、あまりやり過ぎると怒られるので自重しなければならないのが悔しい。

「……いきなり何よ、藪から棒に」
「え、だってこういう機会でもないと聞けないじゃない」

憮然とした表情で私を見つめることしばし、引く気がないのを察してか今度は大きなため息をついてやれやれ、と肩を竦める彼女。

「そんなこと、私に聞かなくても大体のところは察しているんでしょうに」
「うふふ、こういうのは本人に聞いてなんぼだもの」
「……神様も下世話なとこあるんだねえ」
「ちなみに気になってるのは私だけじゃないわよ?」
「嘘でしょ……」

本当は笑いを噛み殺したほうがいいのだろうが、愕然とする彼女の表情がおかしくてつい笑ってしまう。そんな私の反応に彼女はますます憮然とした顔になるが、こればかりはどうしようもない。

「だってしょうがないじゃない。長いこと代わり映えしなかった私たちの日々にもたらされた大きな変化だもの」
「それはそうだろうけども」

……私たちの宿願についてはナルザルも当然分かっている。その上で、彼女という人に惚れ込んでしまったのだろうから(本人たちは不本意だろうが)私としては面白いとしか言いようがない。自分の権能をもってしても、流石にこういう展開になろうとは思いもしなかった。
私たちの宿願を知った彼女がどう動くかは分からない。……私ならば権能でもって、望む結末を『定められたもの』として規定することもできるかも知れないが、それをナルザルやお兄様を含む他の神々は良しとしない筈だ。それに彼女は運命などというものでは縛れない、ということは手合わせした時に嫌というほど思い知った。だから、“その時”が来たらおのずと自らが最善と思う選択をするのだろう。

きっと彼女はそういう『人』なのだ。


□■□■


 激しく降り続いていた雨も、ようやく小康状態になってきた。この調子なら、もう半刻も経たずにやむだろう。

「ようやく雨やみそうだね」

釣り糸を垂らしながら彼女が言う。ちなみにそばにある籠には小魚が数匹入っている。まったく、器用というかなんと言うか。こういう一挙手一投足が面白くて、つい押しかけてしまうのをやめられない私がいる。

「そうね」

ふと空を見上げる。
おや。……ふふ、このくらいは教えてあげてもいいかしらね。

「このあと虹が出るわ」
「!」

私の言葉を聞き、彼女がいそいそと釣り竿を片付け始める。このやり取りをしてる合間にも雨足は徐々に弱まっていく。ごそごそと荷物を漁る彼女を横目に、私は一足先に川を渡って陸地に登る。空の様子を見れば、雲の切れ間から陽の光が少しずつ差し込み始めていた。

「これはよく晴れそうだ」

後ろから諸々の片付けを済ませたらしき彼女の声がする。振り向くと、何やら丸っこい機械を呼び出して飛び乗るところだった。そしてそのまま空へと浮かび上がる。……世の冒険者は色々と便利なものや不思議なものを持ち歩いているが、彼女はその中でも特にこういう訳の分からないものをたくさん持っている印象がある。
これもまた、常人には到底なぞることもできないであろう旅路を送ってきたからなのだろうか?

「おお、本当に虹が出た」
「私を誰だと思ってるの?」
「運命を司る女神様!」

分かっているなら何故言うのか。空に浮かぶ丸っこい機械を見れば、彼女がいつものように手持ちの機械で風景を記録しているところだった。彼女は色々な景色や光景を記録するのが趣味なようで、私も何度かあの機械を向けられたことがある。おそらくナルザルはそれ以上に記録されているのだろう。
……正直なところ、彼女だけしか見ないとはいえ人の記録に私たちが残るのはいかがなものかとは思わなくもない。が、一方で彼女という人の人生のそばに私たちがいた、という記録と記憶が残ることに少なからず喜びを覚えているのも事実。
本当に、彼女は私に思いもよらない感情をもたらしてくれるものである。



風にはためくフードを押さえて、未だ上空に留まっている彼女に話しかける。

「楽しむのはいいけど、私を置いてきぼりにするなんてひどいじゃない?」
「ああ、ごめんごめん。今度はちゃんと二人乗れるやつ出すから」

返事とともに、ふわふわと彼女が降りてくる。

……“その時”が来るまでは、このささやかな冒険を楽しんでいたい。

そうひっそりと胸の奥で独りごちながら、機械から降りた私より少し背の高い彼女の頬を軽く摘んでやった。




──fin
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