Bystander Journey

黒衣森、北部森林。五年前の第七霊災で生じた崖の縁に立って、男は深いため息をついた。これまでグリダニアで辛うじて生きてきたが、シェーダーであることへの度重なる差別と偏見に晒され続けた挙句謂れの無い罪まで被せられそうになり、ほうほうの体でここまで逃げてきたのだ。……霊災で死んでもおかしくなかった状況で助かったこの命、無駄にするわけにはいかないと今まで耐え忍んできたが、流石にここまで来るとむしろあの時死んでいた方が良かったんじゃないか……という気分に囚われる。自らの境遇に開き直って森に潜むならず者たちに合流できればどんなによかったことか。この心に残った一欠片の良心を捨てられてさえいればここまで苦しんでいない。
どうせ戻ったところで帰る場所など無いのだし、いっそ今全てを終わらせてしまった方がいいのではないか。星海に還り、魂を洗い流してやり直した方が早いのではないか。恐る恐る覗きこんだ崖下は霧に覆われて何も見えず、試しに投げた石が落ちる音も聞こえなかった。

これだけ深いのならば苦しまずに死ねるだろう。……せめて来世は少しでもマシな人生でありますよう。

最後に生死を司る神にそう祈って、男は崖に身を踊らせた。


□■□■


 世界樹が見渡せる足場の縁に腰掛けて、時間と重力を司る神は自らが住まう神域を何ともはなしに眺めていた。神によって地上に降りる者と降りない者がいるが、時神は滅多に地上に降りず土天から世界を眺めるだけに留めていることが多い。そんな彼の視界に、何やら落ちてくる小さな影。その影が落ちてくるであろう場所に手を伸ばすと、なんと人の子が落ちてきたではないか。普段そうそうのことでは動じない時神も流石に少しばかり驚いていると、男が小さく呻きながら目を覚ます。

「う、うぅん……」
「これ、急に動くでない。危ないぞ」

自分がどこにいるのか分かってないであろう男に声をかける。男はしばらくの間ぼんやりと辺りを見回していたが、時神に気が付くと案の定大きくたじろいだので落ちないように空いた手で壁を作る。時神の手のひらで大きく深呼吸する男は今も事態が飲み込めていないであろうに、努めて冷静に自分の置かれている状況を把握しようとしているようだ。

「え……っと……ここは……?」
「ここはそなたら人が言うところの土天だ」
「えっ……!?」

驚いた様子で男はここ一帯で最も大きな木──世界樹に目を向けた。宙に浮かぶ巨大なその木は、地神が種を植え時神が時を操ることで育てたと人の子の間で語られる。驚きを隠せない男は時神に向き直ると、恐る恐るといった風に問いかける。

「ということは……貴方様は時神アルジク……?」
「いかにも」

鷹揚に頷く時神の手のひらにいると知り慌てて身を正そうとする男に改まらずともよい、と応じる。それでも男にとっては収まりが悪いようで、しばし困惑した様子だったがやがて腹を括ったのか胡座をかいて座り直した。しかしそれにしても、と時神は髭を撫でながら考える。何故この者はここにやって来たのか。

「……そなた、何故ここに来たのか心当たりはあるか?あるいは来る前のことを覚えておるか?」
「…………」

俯き沈黙する男の言葉を待つ。こういうものは無理に急かしたところで出てくる訳でもないからだ。しばらくの時間が流れ去ったのち、男がぽつりぽつりと話しだした。自分の生まれと境遇のこと、それによって受け続けた仕打ちのこと。そしてそんな日々に疲れ果てて崖から身を投げたこと。時神は何も言わず、ただ相槌を打つだけに徹していた。

「……そして気が付いたらここにいる、という次第でして……」
「……ふむ」

項垂れた様子で男は話を終えた。推測ではあるが、話は全て真であろう。事ここに至って嘘を吐く理由がないし、それに相手が神である、と認識しているのならば嘘を吐くほうが危険であると(恐らく大方の人の子は)考えるだろうからだ。そして話を聞けば聞くほどに何故ここに来たのか、という疑問も大きくなる一方である。もし本当に身投げしたのなら、この人の子の行く先はここではなくナルザルが住む炎天になる筈だ。……となると。

話を聞いて、いくつか浮かんだ思考をゆっくりと反芻する。それをどう伝えたものか、と思案しながら時神は口を開く。

「……まず前提として、そなたはまだ死んではおらぬ」
「!」
「私が誰か分かっているのならば、そなたら人が死んだ後どうなるかも知っているのであろう?」
「え、ええ……炎天におわすナルザル神の元で裁定を受けるのですよね」
「うむ。……それは裏を返せば“生きているものは炎天に招かれない”ということでもある」

男がハッとした表情を見せた。それにひとつ頷いて言葉を続ける。

「そう、そなたは『まだ生きている』。故に『願えばまだやり直しは効く』。……さあ、どうする?」
「えっ……」

まさか神からそう言われると思っていなかったのだろう、男が絶句する。

「生まれは確かにどうにもできないものであろう。しかし、境遇は変えることができる」
「……」
「……そなたら人の子の生は儚く短い。だが、それだけに秘めている可能性は時に私たちの想像をはるかに凌駕していくほどに大きい」
「……私にもそんな可能性がありますかね」
「信じるも信じぬもそなた次第よ。時はこの星に住まう全てのものにあまねく流れるものだからな」
「……」
「ただ、」
「……ただ?」
「そなたの可能性を一番信じてやれるのはそなた自身だ。まずはそなたが信じてやらねば……芽が出るものも出ぬまま終わろうな」

言葉を受け、男が再び俯く。我ながら突き放した物言いだとは思うが、実際そうなのだからどうしようもない。しかしそうやって悩み、時には立ち止まる弱さも含めて“彼女”は人を愛しているし、私はそんな彼女を信じてここまで来た。そしてその弱さに打ち勝ってきた人々の姿も長きに渡り見続けてきた、だからこそ思う──今私の手のひらで俯いているこの者も、きっと自らの弱さに負けるほど弱くはないと。
俯いていた男が面を上げる。

「アルジク様」
「うむ」
「……私にやり直すチャンスを頂けませんか」
「……そうこなくてはな」

男の返答に口元に笑みを浮かべ、了承の意を込めて頷く。それと同時にこの者をどこの、どの時間帯に飛ばすのが最善か考える。しばし考えた後、少しばかり手前の時間に降ろすのが良かろうという結論に達した。“その時間”へ転移させるために手のひらに魔力を集め始める。

「……よし、そなたを地上に送ろう。転移魔法を展開する故、備えよ」
「は、はい!」

慌てて男が立ち上がる。それに呼応したように魔力が集まったことで魔法陣が展開し、詠唱が始まった。それを見ながら男は何やら考えていた様子だったが、意を決した顔で時神に向き合う。

「……あ、あのっ!」
「……どうした」
「この命を拾ってくださり、ありがとうございました」
「なに、見過ごせなかっただけのことよ。……刹那なる命と限りあるその時間、大事にするがいい」
「……はい!」

男が力強く頷く。それと同時に詠唱が終わり、転移魔法が発動した。



 男を地上に転移させ、ようやく一息ついた時神の後ろから聞こえる水の跳ねる音。土属性が強いこの神域にそんな音を響かせてやって来る者は一人しか──厳密に言えば二名いるが、もう一人は余程の用件でもない限りこちらに来ないのだ──いない。
振り向くこともせず景色を眺めていると音の主──妹である星神ニメーヤがすぐ後ろまで近付いてきた。そこで微かに残った転移魔法の痕跡に気付いたのか、怪訝そうな声をあげる。

「転移の跡……?何か来てたのかしら」
「……うむ、人の子がな」
「人の子ですって?」

掻い摘んでさっきまでの出来事を話して聞かせる。自らの境遇に絶望して崖から身を投げた男のこと、それが何を間違ったかこちらにやって来てしまったこと。そして男の“やり直せるものならやり直したい”という願いに応え、少しばかり戻る時間と場所を操作して地上に送り返したこと。ひとしきり話し終わったあと、ちらりと妹の方を見やる。

「あの者をこちらに送ったのはそなたではないのか?」
「あら嫌だ、いくら私の権能をもってしてもそんなことはできないわお兄様」
「どうだか……」

すっとぼけてるのか本当に否定してるのか分からない回答に肩を竦めてみせる。我が妹はその権能故なのか、少々“いたずら好き”なところがあるので本来ナルザルの元へ辿り着く筈だった者をこちらへ引き寄せるくらいのことはしてもおかしくはない。その反応が不服だったのか、妹が背中から軽く抱きついてきた。胸の前で結ばれた華奢な手をぽんぽん、と叩く。

「そなたの“前科”を数えだしたらキリがないからな」
「まあ、酷いこと仰るのね」
「事実であろう」

小さく笑い、視線を少し上に向ける。地上に返したあの者は、また空を見上げられるだろうか。

「……きっと、その人はもう大丈夫だと思うわ」
「……うむ、そう信じよう」

土天に一陣の風が吹き抜ける。陽の光に照らされて煌めく小麦色の草原が風にさざめいて、優しく揺れていた。



 目を開くと、元いたはずの北部森林とはかけ離れた景色が広がっていた。同じ黒衣森でも、度重なる霊災によってできた傷跡により見せる表情がだいぶ違う。鬱蒼と生い茂る森の中に覆われるようにしてその姿を残すのは第六星暦に栄華を誇ったというアムダプールの古城だ。……ということは今自分がいるのは南部森林だということになる。何故ここに、と思いながら辺りを見渡すと、アルジク神のシンボルが刻まれた秘石が目に入った。先程まで見ていた景色とそこで交わしたやり取りが頭に浮かぶ。

“刹那なる命と限りあるその時間、大事にするがいい”

時間と重力を司る神から最後に贈られたその言葉を噛みしめる。と共に背中に何やら重みを感じることに気が付き、背中に手を回すと何やら棒のようなものに触れる。掴んで抜いてみると、見覚えのない斧が手の中にあった。今までの人生で斧に触れたことなど薪割りの時くらいしかないし、園芸師でもないので持ち歩く習慣などない。そしてそこであることに思い至る。

アルジク神は霊銀の大斧を持つ厳格な帝王の姿で描かれる、ということに。

確かにかの神の傍らには立派な斧が置かれていた。まさかこれも神からの贈り物だというのか……?考えても分からないが、さっきまで置かれていた状況を鑑みると(いささか都合が良すぎる気がしないでもないが)そうだと思っても許されるような気がしてくるから不思議だ。斧を背中に担ぎ直し、秘石に一度祈りを捧げ、そしてどこに行こうかと思案する。

そうだ、新天地に行こう。ここからならザナラーンが近いはずだ。

そして男はロウアーパス一帯に広がる沼地に置かれた拠点──キャンプ・トランキルを目指し歩き始めた。


□■□■


「……ということがありましてね」

僕に向かってそう語るのは、シェーダー族の冒険者。たまたま立ち寄ったバスカロンドラザーズで意気投合した彼は、時神アルジクの秘石に詣でるためにこちらに来たというのでそれに同行することにしたのだ。彼の不思議な話を聞いたのは秘石に詣でる理由を問うたからである。
大体、秘石を巡るのは永遠の絆を誓うエターナルバンドのためであることが多い。あるいは種族的な理由──例えばサンシーカーが日神アーゼマを、ムーンキーパーが月神メネフィナを信奉するように──といったものか、職業的なもの──職人たちが工神ビエルゴに日夜祈りながら制作に励むような──といったものがほとんどなので、最近まで守護神でもなかったというアルジク神の秘石に向かう理由がいまいち分からなかったのだ。

「状況が状況だしお目通りが叶ったのもそれ一度きりなので誰も信じてくれないと思って今まで話してこなかったんですが……すみません変な話して」
「いえ、信じますよ」

「……僕もそれなりに生きてきて、不思議なこと、奇跡としか思えないようなことが時々ありましたから。もしかしたら、それも運命の女神の思し召しだったのかも知れませんね」

半信半疑な反応をされると思っていたのだろう。僕の返答に彼は少し目を丸くしていたが、やがて小さく笑うとありがとうございます、と言った。そんな話をしているうちにアルジク神の秘石に辿り着いたので二人で祈りを捧げる。よく晴れた南部森林に生い茂る草木を縫うように流れる風が僕たちの頬を撫でていく。
祈りを終え、僕よりずっと背の高い彼の顔を見上げる。

「これからどうされるんです?」
「私はいつも、ここに祈りに来た後はザナラーンに行くことにしているんです。……あの時のことを忘れないように」
「なるほど」
「貴方はどちらへ?」
「そうですね……特に決めてなかったんですが、僕は逆にザナラーンからこちらに来ましたからグリダニアの方へ行こうかと」
「そうでしたか。ではここでお別れですね」

アムダプールの古城を包む森を抜け、根渡り沼を見晴らす場所に立って僕たちは向かい合う。

「それでは……貴方に旅神オシュオンの加護がありますよう」
「貴方にも。これからも時神アルジクの加護があらんことを」
「!……ふっ、ふふ、ありがとうございます」

背中に大きな両刃の斧を担いだシェーダー族の彼は迷いのない足取りでキャンプ・トランキルの方へ向かって歩いていく。その姿が小さくなるまで見送っていると、後ろの草むらからガサガサと何かが出てくるような音がする。振り向くと、小さなグラベルゴーレムが草むらから顔を覗かせていた。

「おや、アルジク神がここにいらっしゃるとは珍しい」
『それはこちらの台詞だ。……よもやここでそなたに会おうとは』
「彼の様子を見に来られたんですか?」
『……うむ』

彼が歩み去った方を見やる。時神があの日繋いだ“時”は途切れることなく確かなものとして刻まれ、流れていたことはあの足取りを見れば明らかだ。

「あの方はもう大丈夫だと思いますよ」
『……そのようだな』

しばし僕たちはその場に佇んで、それぞれに思いを馳せていた。





──fin
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