チョコレート症候群(hyde)

バレンタイン前日。

資料室で整理をしていると
バタンとドアの音がした。

あの人が私に近づいてくる。

ただ用があるだけかもしれないのに
何故か自然と後退する体。

あの人の唇の角が動く。

お前さ俺のこと好きだよね?

彼に言い寄られる。

「何を言って・・・」

上手く誤魔化そうと避けるも
壁ドンで行く手を阻まれる。

彼の腕の中
顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。

今夜誘っていい?

奥様と言いかけて
不意にキスされる。

暖かい感触と
緊張の痛み。

いいじゃん、今夜付き合ってよ。
じゃなきゃキスしたことばらすよ?

何も言えなくなる。

じゃあ今夜、身も心も空けといて。

そう言われて壁際にヘタリ込んだ。

キスされたことが
何度も脳裏でリピートされる。

冷静にならなきゃいけないという気持ち。

キスされて舞い上がりそうな気持ち。

どうしていいか分からない。

一線を越えてもいいのではないか。

いや、ここは頑なに拒否した方がいいのか
結論が出ないまま夕方を向かえてしまった。

『河南ちゃん、今夜暇?』

突然hydeさんからの申し入れ。

返事を濁そうとする私。

『呑みに行きたいんだけど付き合ってよ』

男と行くより女の子の方がええやんと
hydeさんの横にいる
彼の肩に手を置く。

彼女にも予定があるんじゃないですか?

彼はhydeさんに苦笑いを浮かべている。

『ええやろ』

珍しく低い声で彼を睨み付けるhydeさん。

いってらっしゃいと彼は
悔しそうに手を振った。

ホテルのラウンジ
バーカウンター。

私は今
彼ではなくhydeさんといる。

『ごめんね。
本当は聞いてたんよ』

資料室のドア越しに会話を
聞いていたと
そう説明されると
何故か安堵のため息が
体全体から出た。

あれから一日中強ばっていた体の力が
hydeさんの一言で楽になった。

「ありがとうございます。
助かりました」

あのままだと私
きっと過ちを犯していたかもしれない。

あの人には奥様がいるのに
そんな状況に
自ら飛び込んで
泥沼を人生のパートナーに選んでいたかもしれない。

浮かれて一線を越えてしまわなくて良かった。

そこにあるワインを飲み干すと
つくづくそう思って
hydeさんに感謝しかない。

「お疲れさまでした」

軽く飲んで
タクシーで家の前までわざわざ送ってもらった。

hydeさんと別れるのが
寂しいとさえ思う。

けれどそれは
たぶんあの人と同じ
顔が好みで
本気の相手がいない
私自身の防御的
ときめきたいだけの
恋に見せかけた
偽物の恋である。

そう自信のない自分に対する言い訳。
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