Caress of Venus(hyde)

鳴瀬さん、一番にお電話です。
はいはーい、と切り替える。

お電話変わりました、鳴瀬です。

「俺」

俺?おれおれ詐欺はお断りしてますが。

「hyde」

名を名乗られて突き落とされる。

何のご用件でございましょうか?
私は担当から外れたので伝言いたしますが。

それとも何の用?
久しぶり~とか?

どの言葉を発すればいいか脳内が
シュミレーションを始める。

わすがな時間、心臓が早送りされたみたいだ。

「ご無沙汰しております」

口から出たのはこれだ。

「昨日ぶりやけどな」

返す言葉もない。

これ以外の何も言葉が出ないでいると
向こうも何かを察したかのようで
声のトーンが下がった。

「今夜会える?」

「……うん」

胸が高鳴って、苦しくて
それでも精一杯出した声。

場所を指定されて行くと
カフェと言うよりも
昔ながらの喫茶店。

ドアを開けると
渋いマスターが珈琲を丁寧に入れている。

hydeは…
店内を見渡す。

顔が見えないのに
手で合図される。

すぐ分かる。
hydeだって。

手も変わらない。
あの時、繋いだ手が愛おしく感じる。

ダメだ。ダメだ。
太平洋よりももっともっと大きな
地球そのものに飲まれてしまいそう。

シンプルなパーテーションで
仕切られたテーブルで
hydeの向かいに座る。

「ずるい」

真っ先に出た言葉だった。

ずるいよ。
こんな形で目の前にいるなんて。

「嘘つき」

アニメクリエーターなんて違うじゃん。
有名になって今はこんなんじゃん。

ふて腐れた顔をhydeに見せてしまった。
真っ先に。

「携帯、池に落としたんだよね」

そのまま連絡取れなくなって

「今に至るとでも?」

頷くhydeに笑うしかない。

「更に嘘つきだわ」

何かバカみたい。
夢にまで見た初恋はただ美化されただけだった。

そう思うことにした。

注文した珈琲は空。

飲み干したから。

緊張してカラカラだった喉は
深めに苦い後味だけが残った。

珈琲カップの横に名刺を出す。

今度はこっちに連絡して。

そう言って
今日はご馳走さま
hydeの方が稼いでいるんだから
hydeの奢りね。

出て来てしまった。

疾走とヒールを鳴らして
出来る女を見せつけてやりたかった。

それなのに
涙が出るのはどうしてだろう。

見上げた空には星なんかなくて
都会の灯りにかき消されていた。

好きだったことには間違いないのだ。

会いたくて会いたくて堪らなかったのだ。

美化ではなく
私の心の中にはhydeしかいなかったのだ。

夢に見る程、本当は気にしてた。
寂しかった、別れの言葉もなくて悔しかった。
引きずっていた。

それなりに恋したりもしたけど
当時の彼らなんか夢の隙間にすらいない。

涙が出るくらいhydeだけだったのだ。

「嘘つき」

月だけは見える都会の夜空に呟いた。

私も嘘つき。

「ごめん、言い訳はしない」

視線の中にはhydeしかいない。

「ムカつくんだよね、本当に」

hydeなんか嫌い。
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