陽だまり(hyde)

《1》ー俺と野良猫ー

『はーいーどさんっ』

にゃんっと俺の肩から顔を出しては
俺の名前を呼ぶこいつは河南。

2日前、雨が降る夜に拾った猫のような女。

ハロウィンで使った首輪に鈴を付けて
冗談混じりで首に着けたら
気に入ったのかずっとしている。

俺の服を着て
そしてにゃんにゃんと猫のように
俺のそばにいる。

本物なら今頃くしゃみが止まらないであろう
猫アレルギーの俺が唯一飼える猫とは言えない。

「お前、何処から来たの?」

首輪の鈴を指でいじりながら聞く。

河南と言う名前は聞いたけど
素性すら知らない。

雨の中、裸足で俺の目の前に現れた。

車のハンドルを握り
赤信号と空から降る雨を見つめていた。

車通りの少ない道。

横断歩道に現れたのは大きな瞳をして
たくし上げたウェディングドレスを着た女性だった。

びっくりしたのは云うまでもなく
こんな時間にウェディングドレスって
シャレにもならないと感じた。

目を合わせてはいけないと思っても
釘付けになった。

誰もいない二人きりの空間は
まるで時間が止まったままの午前0時。

青信号だった歩道が点滅して赤になる。

反して赤から青に変わる車道側。

女性は申し訳なさそうに来た道を戻った。

ほんの少し進ませた車のアクセルを踏む足を
緩めて止める。

ハザードの音が雨音と混じる。

傘を持って運転席を出ると佇む女性に向かって歩く。

「こんなとこで何やってるん?」

そんな格好でと傘を差してやる。

『参っちゃったな』

あははと髪をかき上げる彼女は妖艶だった。

開いた胸元と濡れた鎖骨。

「どこ行くん?」

『行くところなんてないや』

こんな格好でどこ行こうかなと
苦しそうな笑顔で立ち去ろうとしていたのを
引き留めた。

「乗ってく?」

口から出た言葉はらしくない発言。

『遠慮しとく』

彼女は濡れて重くなったドレスを更にたくし上げて
見せた。

裾は泥で汚れて素足のまま車を差した。

『無理でしょ?汚す訳にはいかないし』

そしてその指を傘に向けた。

『傘だけちょうだい』

返せないと思うから貰っていい?
そう言った彼女の手が冷たく冷えきっていた。

「分かった」

傘を差し出す。

『ありがとう、hydeさん』

バレてたかと自分のこめかみを人差し指でかじる。

街灯も少ない路地で傘を差して歩き出したのは彼女。

暗い道は車のライトだけが頼り。

照らしてやる。

歩く彼女と平行して車を走らせると
目と目が合う。

そしてはにかみ合う。

「拾ってやろうか?仔猫ちゃん」

自分のマンションにたどり着いてしまったのが
言い訳。

すると仔猫ちゃんはにゃんっと猫まねをした。

『河南猫です、よろしくにゃん』

そうして河南がここにいる。

だからまだ素性も聞いてないわけで
だけど聞かないわけにもいかないわけで。

『逃げられちゃったんだよね、飼い主に』

『結婚式当日に捨てられたみたいにゃん』

明るく話す河南の頬には
一粒の綺麗な涙が流れた。

飼い猫になった仔猫ちゃんのなで声が
空腹を知らせる。

いただきますにゃんっと手を合わせて
深夜のカップラーメンを行儀よく食べる姿。

風呂上がりの仔猫ちゃんの髪を乾かす。

柔らかく絡み付く髪。

朝方まで仔猫ちゃんの世話に追われた。

目が覚めた昼過ぎ
首輪の鈴の音が聞こえた気がした。

エサやらなあかんかとリビングへ行くと
昨日掛けたドレスがなかった。

仔猫ちゃんはドレスを持って
野良猫に戻ったのだと確信する。

「また来いよ」

テーブルに置かれた首輪と
ありがとうの文字を記した紙切れ。

少しの寂しさと不思議な感覚。

なのにその気持ちを知ってか知らずか
ふらりと野良猫が戻ってきた。

『何しとるん』

あの交差点のガードレールにもたれ掛かる君。

すぐに君だと気づく後ろ姿。

『行くとこ、なくなっちゃったにゃん』

真っ赤な鼻をして、えへへと舌を出す。

何時からいたのか、冷えきった体なのは
見ただけでも分かる。

たった2日後の出来事だった。

とりあえず野良猫を保護して風呂に入れた。

そしてまたあの柔らかい髪を乾かす。

この前はドレスを着て
今回はスーツを着ていた気品ある野良猫は
風呂上がりには大きなアクビを二つして
部屋の暖かさになで声を発する
甘ったれた飼い猫に変わる。

「それで?」

ドライヤーを置くと、ブラシに持ち替えながら
あの後、どうしてたのか聞く。

あっけらかんとしながら
式場にお金払って
出席者には謝罪してご祝儀を返金して
相手名義の新居も解約されてて
寿退職したから仕事もないし
貯金も無くなり
また舞い戻ってきたと話した河南の背中が
少し震えていた。

とかしきらない髪のまま河南が振り替えると
真面目な顔をして言った。

『ご主人様、もう少しだけ飼ってほしいにゃん』

新しい仕事を始めて
新居が決まるまで甘えさせてほしいにゃん。

普通なら段ボールに入れて
拾ってきたところに戻すところだか
何故かこの猫に関しては
飼ってやろうとしか思わなかった。

「ええよ、好きなだけ居たらええ」

そうしてペット不可なマンションで
猫を飼うことになった。

俺が風呂から出ると
居るはずの猫の姿が見つからないと
探せばベランダから夜空を見上げていた。

「冷えとる」

髪を触ればすぐに分かる。

河南はこっそり泣いていた。

猫独特の鳴き声じゃなくて静かに声を殺して。

「ここからじゃ星は見えんな」

『だけど月は見えるね』

早くしないと鍵閉めるからなと
中へ入るように促す。

待ってと付いてくるのがもう猫のよう。
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