夢短編

甘いとか、しょっぱいとか、おいしいとか、おいしくないとか、そんなの分からない。ただ口に入れば何でも良くて、お腹が、この食欲が満たされれば何でも良くて、太るとか、みっともないとか、そんなのどうだって良かった。どうせ何食べたかなんて半分も覚えちゃいないんだから、何食べたって良いでしょ、どうせ吐き出してしまうんだったら、何食べたって良いでしょ。そんな言い訳をしながら、今日もまた、口に食べ物を詰め込んだ。
口に詰め込む度に、段々自分が戻ってくるのに、食べるのが止められない。つらい、どうしてこんなこと、いやだ、きもちわるい、はずかしい、きらわれる。そんなことをぐるぐると考えるのに、食べ物に伸びる手は止まらない。ひたすら咀嚼して、飲み込んで、また次の食べ物を口に詰め込む。こんな自分が嫌いだ。もういっそ死んでしまえばいいと思って、涙が出た。
泣きそうな顔をしながら、ひたすら食べ続ける私は、他から見たら、きっと気持ちが悪い。味も分からないのに、食べる意味なんてないのに、身体は勝手に動く。詰めて、咀嚼して、飲み込んで、繰り返して、いつになったら終わるんだろう。
「喉詰まっちゃうよ」
はい、とやさしい声と一緒に机に置かれたのは、淡く湯気の立つマグカップ。思わず、食べるのを止めた。どうしよう、嫌われる、みっともないって思われる、最悪だ。恐る恐る顔を上げると、お揃いのマグカップを持った彼がやわらかく笑った。
「ホットミルク、好きでしょ?」
向かい側の椅子に座った彼が、眠たそうな声で言った。机の上に散乱したゴミとか、食べ物に気付いているくせに、それには何も言わない。口の中に残った、味のしない食べ物をごくりと飲み込んで、なんで、と小さく呟くと、彼がふっと笑った。
「ついてるよ」
自分の口の端を指差して、彼がそう言ったから、なぜか私の目から涙が溢れ落ちる。そして、一度溢れてしまうと止まらなくて、なんで、と繰り返し聞きながら、ぼろぼろと泣いた。
どうして何も言わないの。机の上ぐちゃぐちゃにして食べてるのに、どうして。きたない人間だと思わないの、彼女がこんなことして、きもちわるいと思わないの、嫌いにならないの。
言葉にならない感情が、涙に溶けて、とめどなく溢れる。泣いたって仕方がないのに、困らせるだけなのに、謝るくらいしたらいいのに、泣くことしかできない自分が、何よりも嫌いだ。弱くて、そのくせ人に頼ることもできない、最低な自分が、誰よりも嫌いだ。でも、私が泣いている間、ただ静かに頭を撫でてくれる彼のことが、誰よりも好きだと思った。
どれくらい時間が経ったか分からないけれど、頬の涙の跡が乾いてきた頃に、彼がねえ、と呟いた。私は、そのやわらかい声で、ああ、別れるんだろうなと思った。きっと、振られてしまうんだろうなと思った。
「ねえ、冷凍庫にアイスあるの知ってた?」
その言葉の意味が分からなくて、ひどいことになっているはずの顔を上げると、彼は目を細めて笑っていた。いたずらが成功したみたいな、サプライズが上手く行ったみたいな、そんな顔で彼が私を見るから、私はつい、しらない、と答えた。
奮発したのよ?なんて笑って言いながら、彼は冷凍庫からアイスを取り出した。ハーゲンダッツの、クッキーアンドクリーム。それを一個だけ机の上に置いて、それから、冷めちゃうから飲みな?と私にマグカップを持たせた。
「なんで、アイス、」
温くなったマグカップを両手で包みながら、鼻声でそう尋ねる。どうして急にアイスを持ってきたのか分からなくて、そう尋ねると、えー忘れたの?と彼が笑った。
「泣いてるときは一緒にアイス食べよって言ったじゃん」
その言葉で、また鼻の奥がつんと痛くなった。彼のそのやさしさが、今は苦しくて、辛い。どうしてそんなにやさしくするんだろう、きっともう好きじゃないはずなのに。
どん底まで下がった自己肯定感は、もう使い物にならない。考えれば考えるほど最悪な答えにしか辿り着かなくて、それでまた嫌になる。
「わかれるんじゃないの」
私の思う、最悪の答えは、これだった。言葉にしてしまうと終わりな気がしたけど、聞かないのも不安で、だめだと思いながら聞いてしまった。
いやだよね、こんな彼女、やさしくなんてしないで、今すぐ振ってよ。そう思いながらも、別れたくないと泣く自分はいて、本当に自分に嫌気がさす。ごめんね、こんな面倒な女で。別れると言われたら、大人しく頷こうと思って、彼の言葉を待った。
「こんくらいで別れたりしないよ、おれ、そんな甲斐性なしに見える?」
死刑宣告を受けるみたいな気持ちで俯いていると、彼がそう言うから、驚いて彼を見た。見えないでしょ?と彼がおどけたように笑って、マグカップを持つ私の手に触れた。
「つらいときは、隣にいても良いでしょ?」
それって、彼氏の特権でしょ?と彼が微笑むから、手の甲に触れる彼の手が温かいから、また、視界がじわりと滲む。ね、アイス溶けちゃうよ、と彼が言って手を離す。それが少し、さみしいと思った。
彼が、スプーンに乗せたアイスを、私に差し出す。小さく口を開けてそれを食べると、冷たくて甘い、バニラとココアの味がした。おいしい、と呟くと、よかったね、と彼が笑う。それでもう、お腹は満たされていた。
結局半分くらい残ってしまったアイスを、また冷凍庫に戻して、私と彼はベッドに寝転ぶ。でもどこかがさみしくて彼に抱きつくと、すぐに彼の匂いと温かさで満たされて、足りないのは彼だったんだなと眠たい頭で思った。
弱いところも、きたないところも、好きでいてくれますか、愛してくれますか。愛してくれるなら、これからも多分、生きていけるから、息ができるから、嫌いになるまで、愛してほしい。
彼の匂いに包まれて、好き、と聞こえないくらいの小さな声で呟く。彼の綺麗な指で髪を撫でられると、思考が緩やかにほどけた。
多分、すぐには治らないよ。でも彼がいてくれるなら、辰哉くんが隣にいてくれるなら頑張れるかも。それで、また私が泣いてたら、一緒にアイスを食べてほしい。それだけでお腹は満たされるから。私は溶けるような眠気に抗えず、ごめんね、とだけ呟いて、瞼を閉じた。
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