ウェブ再録「春眠」

 携帯のアラームで目が覚めた、六時半。カーテンの外は夜と朝の境目くらい。ピピピと控えめに騒ぐアラームに、微動だにしない恋人の体温が恋しくなって、その背中に擦り寄った。ゆっくりと上下する広い背中は、温かい。恋人の背中に頬を擦り寄せて、瞬きをする。暦の上では春だと言うが、まだまだ肌寒いこの季節は、布団から抜け出すのも一苦労。温かな恋人の背中に、いつまでもくっついていたいけれど、そういう訳にもいかない。後ろ手で携帯を探り当てて、アラームを止めてから、ため息と共に起き上がった。
「さむ、」
 ひやりとした空気が私を包んで、思わずそう呟く。昼間は暖かくなってきたけれど、まだ朝晩は冷え込むから、彼が脱ぎ捨てたカーディガンを羽織る。私には少し大きいそのカーディガンは、彼の匂いがした。
 リビングのテレビをつけると、丁度天気予報の時間だった。今日は晴れのち曇り、気温は低め。桜前線の予報が流れたけれど、見頃はまだ先になりそうだと、今人気のお天気キャスターが言った。今年も二人で花見ができるかな、早く暖かくならないかな、とあくびをしながら考えて、冷える足で洗面所に急いだ。
 顔を洗って、歯を磨いて、トースターにパンを突っ込んでから寝室に戻ると、まだ照はすやすやと寝ていた。その寝顔を覗き込んで、顔にかかった前髪をやさしく払う。私は、端から見たら怖いと言われるような恋人の、幼い子供みたいな寝顔を見るのが好きだった。甘え下手な彼が時折見せる、無防備な姿が、私は何よりも好きだった。
 寝てる照を横目に見ながら、クローゼットを開ける。今日は何を着ようかと考えて、照がかわいいと褒めてくれたセットアップにした。たまにはスカートも履きたいけれど、照が拗ねちゃうからやめておく。でも今度のデートで履いたら喜ぶかなと考えて、ロングスカートを買おうと思った。
 照は、朝に弱い。ちょっとやそっとの物音じゃ起きないし、身体を揺すっても小さく唸るばかりで、一向に起きやしない。やっと起きたかと思えば、目は開いてないし、寝癖はひどいし、テンションは最低。挙げ句の果てには立ったまま寝てしまうから、正直、照を起こすのは骨が折れる。だから、本人が起きてくるまでは、そっとしておくことに決めている。朝が早い私に合わせて無理に起こすのも可哀想だし、本当に起きなきゃいけないときは頑張って起きてくれるから。
 ただちょっとだけ面倒くさいと思うのは、一言声をかけていかないと拗ねるというところ。同棲を始める前から朝が弱いというのは知っていたんだけれど、起こさないと拗ねるというのは、流石に知らなかった。アラームじゃ起きないし、揺すっても声をかけても起きないから、疲れてるのかなと思って、そのままにして家を出たことがある。そうしたら、なんで起こしてくれなかったの、と頬を膨らませながら拗ねてしまって、手が付けられなかった。お見送りしたかった、と寝るまでぐちぐち言われて、怒らなかった私を褒めてほしい。結局、拗ねた照がかわいかったので許してしまったんだけれど、あの時の照はバカみたいに面倒くさかった。
 それから、家を出る際は声をかけるようにしている。本人曰く、声は聞こえてるらしいので、寝てる照に行ってきますと声をかけて、それから仕事に向かう。たまに頬にキスをしてから行くと、帰ってきたときに満面の笑みで出迎えてくれるから、今日は絶対頑張るぞってときにそれをすることにしていた。
 音を絞ったテレビを流し見ながら、少し焦げてしまった食パンを齧る。インスタントのカフェオレを啜って、ようやく温かくなってきた。スマホのスケジュール帳を確認すると、今日は立て続けに会議が入っていて、ちょっとテンションが下がる。やだなあと思うけれど、休むわけにもいかないので、渋々カフェオレを飲み干して、テレビを消した。
 歯磨きをして、気持ちばかりのメイクをする。髪を結び直したら、あとは家を出るだけ。行きたくないなと思いながら、上着を着て、鞄を持って、もう一度寝室に向かう。
「行ってきます」
 無防備な照の寝顔を見て、少しはだけた布団をかけ直して、そう呟いた。返事はないけれど、朝日に照らされる彼の頬にキスをして、部屋を出た。
 私はお見送りがないからといって、怒る性格ではないし、拗ねる性格でもない。ただ、ちょっとさみしいかな、と考えてしまうのは、彼が私を甘やかした弊害だと思う。どこかに出かけるときは必ず照のファッションチェックを受けたあと、忘れ物がないか確認してもらって、行ってらっしゃいのキスをされてからじゃないと出かけられないから。友人は彼のことを重い男だと言うけれど、私は愛されてるんだなあという実感が持てて嬉しかった。そう考えてしまうのは、私も結構重い女だからかもしれない。

 マンションのエレベーターに乗り込むと、携帯が震えて、メッセージの受信を知らせる。いつものだなあ、と思いながら携帯を見ると、予想は当たりで、照からのメッセージが来ていた。
『いってらっしゃい、きをつけてね』
 全部ひらがなで打たれたメッセージに、ちょっとだけ嬉しくなる。多分、照はまた寝てしまったんだろうけど、眠い目を擦りながら必死に送ってくれたんだと思うと、それだけで充分だった。
 いつも通り、上司は厳しいし、仕事は山積み。でもそれを乗り越えて家に帰ったら、笑顔で出迎えてくれる恋人がいる。大きな身体で抱き締めてくれる恋人がいる。そう考えると、仕事も頑張れる気がした。家で待っていてくれる、大好きな恋人のために、今日も頑張ろうと思えた。
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