ウェブ再録「クレイジー・イン・ラブ」
最近、少しだけ寒い気がする。冬だから、とか、そう言うんじゃなくて、熱が出たみたいな、悪寒みたいな、そんな感じ。何度計ってみても、体温計に表示されるのは、平熱。喉も痛くないし、咳も出ない。風邪引きかけてるのかな、と思いながら、いつもより早めに寝ることにした。
少し前から、悪夢を見ることが多い。黒くて、ぐにゃぐにゃとしたものに追いかけられる夢。逃げても逃げても追ってきて、捕まる、と思ったところで、いつも目が覚める。それが最近、なくなった。謎の寒気と入れ替わりになったみたいに、悪夢を見なくなった。その代わり、生温い何かに纏わり付かれて、心の内側を撫でられるみたいな夢を見る。少しだけ、気持ち悪かった。
また同じような夢を見て、どんよりとした気持ちで目覚める。少し、息苦しい。手の先が冷たくて、心臓の音がやけに大きく聞こえる。長くため息を吐いた。今日も夢見が悪かったけれど、夢見が悪いというだけで講義は欠席できないので、渋々準備をして大学へ向かう。後ろの方の席を取ると、すぐに隣に見知った顔が座った。
「おはよう」
聞き慣れたその声に、同じようにおはようと返すと、数秒の間が空いて、具合悪い?と顔を覗き込まれる。無表情に見えるけれど心配そうなその顔を見て、違うよ、と返事をすると、なら良かった、と僅かに微笑まれた。
目黒、という友達がいる。背が高くて、かっこよくて、優しくて、でもどこか抜けてるような、独特の空気を纏っている友達。いつから仲良くなったのかは覚えていない。春だった気もするし、秋だった気もする。でも彼の独特の雰囲気は、穏やかで、私を落ち着かせるのに丁度良かった。
「ねえ、レポート終わった?」
「まだ」
大学の食堂でお昼を食べながら、目黒と今度のレポートについて話していた。この教授は採点が厳しいと噂で、更に難しい課題を出してくる。実のところそこまで頭が良くない目黒は、毎回必死になって終わらせているらしい。私も今回はまだまだ終わっていないけれど。
「じゃあさ、一緒にやろうよ」
珍しいな、と思う。普段はお互い協力することもなく別々に終わらせるのに、そう言うってことは今回のレポートで相当困ってるらしい。日替わりメニューのグラタンを頬張った彼は、難しいんだよね、と付け加えた。
「いいよ」
そう言って頷くと、じゃあお前ん家行くから、と言って、残りのグラタンを一口で食べてしまった。別にいいけど、と呟くと、彼は目を細めて笑う。それから最後の一口を飲み込んで、水を飲み干した。うまかった、と呟いて、お手拭きで口元を拭う。空の食器を乗せたトレイを持って立ち上がった彼は、何かを思い出したように、あ、と呟いた。
「ザリガニ釣り行く?」
「行かない」
目黒、という友達は、なまじ顔が良いせいで結構モテるらしい。ちょっと変な服を着ようが、ちょっと髪型が変だろうが、目黒を好きな女は頬を赤くする。でも本人はそういう女に興味がないみたいで、付き合わないの?と聞いたときも、興味ない、と答えただけで、他の話にすり替えられたから、多分、恋愛に興味がないんだろうと思う。
私は別に好きではない。同じ学部の子にたまに聞かれるけれど、良い友達だと思うだけで、異性として好きかと言われると、そうではなかった。だって趣味がザリガニ釣りだし、優しいかもしれないけれど結構子供だし、なんかワンテンポずれてるし、恋人としてはちょっとな、と思う。でもなんだかんだ言って、良い友達として付き合えてるし、私は別に彼氏は欲しくないし、目黒も恋人はいらないっぽいし、今のままが丁度いいなと思った。
そういえば彼が家に来るのは初めてだと、家の片付けをしながら気付いた。休みの日に連絡を取り合うことはあっても、大学以外で会うことは少ないな、とクローゼットに物を放りながら思った。ゴミをまとめながら、途端に嫌になる。片付けをするのもめんどくさいし、課題をするのもめんどくさい。もういっそ断ってしまおうかな、と思ったところで、軽快な音と共にメッセージが来た。
ザリガニ釣れたよ、とザリガニ単体の写真が送られてきて、やっぱ彼氏にはしたくないと思った。良かったね、とそっけないメッセージを送って、ついでに断ろうと適当な言い訳を考えた。
その夜、ピンポンとインターフォンが鳴って、私はため息を吐いて立ち上がる。あれから、何かしら理由をつけて断ろうとしたんだけれど、何故か目黒に言いくるめられて、結局私の家に目黒が来てしまうことになった。頭はそこまで良くないはずなのに、なぜか口が上手い目黒に、いつも踊らされてる気がして、納得がいかない。
はーい、と返事をしながら渋々扉を開けようとして、あれ、と思う。あれ、なんか、違和感。心の内側を撫でられるような、あの夢みたいな気持ち悪い感覚。あれ、なんで、おかしい。微かにめまいがする。思わず額を押さえた。
もう一度鳴らされたインターフォンの音でハッとして、急いで扉を開ける。扉の向こうに、鼻の頭を少しだけ赤らめた目黒が立っていて、少しだけ安心する。おじゃまします、と言って入ってきた目黒に返事をして、振り向いて、そこからの記憶が、ない。
気付いたら私は目黒に抱き締められていて、身体に力が入らなくて、頭がぼんやりとして、半分寝ているみたい。心に入り込まれるみたいな感覚が、今は気持ち良くて、目黒みたいな、なにかを見つめていた。
めぐろ、と呟くと、珍しく彼がやわらかく笑うから、ああもうどうでもいいかと思った。目黒が何かを言って、回らない頭で、なぜか頷かなきゃいけない気持ちになって、ゆっくりと頷く。ぐるぐると視界が回って、何も考えられなくなって、身体が弛緩する。眠いような、そんな感覚。しぬのかなあ、なんてぼんやりと思った。
もういいか、眠ってしまっても、目黒がいるし、どうだっていいか。ずっと私を見つめて微笑んでいる目黒が、私の頬を撫でた。心が侵食されていく、よくわからない感覚。自分がどこにいるのか、もうわからない。何も、考えられない。意識が薄れていく。
「だいすき」
目を閉じる寸前に、悪夢みたいな声が、した。
少し前から、悪夢を見ることが多い。黒くて、ぐにゃぐにゃとしたものに追いかけられる夢。逃げても逃げても追ってきて、捕まる、と思ったところで、いつも目が覚める。それが最近、なくなった。謎の寒気と入れ替わりになったみたいに、悪夢を見なくなった。その代わり、生温い何かに纏わり付かれて、心の内側を撫でられるみたいな夢を見る。少しだけ、気持ち悪かった。
また同じような夢を見て、どんよりとした気持ちで目覚める。少し、息苦しい。手の先が冷たくて、心臓の音がやけに大きく聞こえる。長くため息を吐いた。今日も夢見が悪かったけれど、夢見が悪いというだけで講義は欠席できないので、渋々準備をして大学へ向かう。後ろの方の席を取ると、すぐに隣に見知った顔が座った。
「おはよう」
聞き慣れたその声に、同じようにおはようと返すと、数秒の間が空いて、具合悪い?と顔を覗き込まれる。無表情に見えるけれど心配そうなその顔を見て、違うよ、と返事をすると、なら良かった、と僅かに微笑まれた。
目黒、という友達がいる。背が高くて、かっこよくて、優しくて、でもどこか抜けてるような、独特の空気を纏っている友達。いつから仲良くなったのかは覚えていない。春だった気もするし、秋だった気もする。でも彼の独特の雰囲気は、穏やかで、私を落ち着かせるのに丁度良かった。
「ねえ、レポート終わった?」
「まだ」
大学の食堂でお昼を食べながら、目黒と今度のレポートについて話していた。この教授は採点が厳しいと噂で、更に難しい課題を出してくる。実のところそこまで頭が良くない目黒は、毎回必死になって終わらせているらしい。私も今回はまだまだ終わっていないけれど。
「じゃあさ、一緒にやろうよ」
珍しいな、と思う。普段はお互い協力することもなく別々に終わらせるのに、そう言うってことは今回のレポートで相当困ってるらしい。日替わりメニューのグラタンを頬張った彼は、難しいんだよね、と付け加えた。
「いいよ」
そう言って頷くと、じゃあお前ん家行くから、と言って、残りのグラタンを一口で食べてしまった。別にいいけど、と呟くと、彼は目を細めて笑う。それから最後の一口を飲み込んで、水を飲み干した。うまかった、と呟いて、お手拭きで口元を拭う。空の食器を乗せたトレイを持って立ち上がった彼は、何かを思い出したように、あ、と呟いた。
「ザリガニ釣り行く?」
「行かない」
目黒、という友達は、なまじ顔が良いせいで結構モテるらしい。ちょっと変な服を着ようが、ちょっと髪型が変だろうが、目黒を好きな女は頬を赤くする。でも本人はそういう女に興味がないみたいで、付き合わないの?と聞いたときも、興味ない、と答えただけで、他の話にすり替えられたから、多分、恋愛に興味がないんだろうと思う。
私は別に好きではない。同じ学部の子にたまに聞かれるけれど、良い友達だと思うだけで、異性として好きかと言われると、そうではなかった。だって趣味がザリガニ釣りだし、優しいかもしれないけれど結構子供だし、なんかワンテンポずれてるし、恋人としてはちょっとな、と思う。でもなんだかんだ言って、良い友達として付き合えてるし、私は別に彼氏は欲しくないし、目黒も恋人はいらないっぽいし、今のままが丁度いいなと思った。
そういえば彼が家に来るのは初めてだと、家の片付けをしながら気付いた。休みの日に連絡を取り合うことはあっても、大学以外で会うことは少ないな、とクローゼットに物を放りながら思った。ゴミをまとめながら、途端に嫌になる。片付けをするのもめんどくさいし、課題をするのもめんどくさい。もういっそ断ってしまおうかな、と思ったところで、軽快な音と共にメッセージが来た。
ザリガニ釣れたよ、とザリガニ単体の写真が送られてきて、やっぱ彼氏にはしたくないと思った。良かったね、とそっけないメッセージを送って、ついでに断ろうと適当な言い訳を考えた。
その夜、ピンポンとインターフォンが鳴って、私はため息を吐いて立ち上がる。あれから、何かしら理由をつけて断ろうとしたんだけれど、何故か目黒に言いくるめられて、結局私の家に目黒が来てしまうことになった。頭はそこまで良くないはずなのに、なぜか口が上手い目黒に、いつも踊らされてる気がして、納得がいかない。
はーい、と返事をしながら渋々扉を開けようとして、あれ、と思う。あれ、なんか、違和感。心の内側を撫でられるような、あの夢みたいな気持ち悪い感覚。あれ、なんで、おかしい。微かにめまいがする。思わず額を押さえた。
もう一度鳴らされたインターフォンの音でハッとして、急いで扉を開ける。扉の向こうに、鼻の頭を少しだけ赤らめた目黒が立っていて、少しだけ安心する。おじゃまします、と言って入ってきた目黒に返事をして、振り向いて、そこからの記憶が、ない。
気付いたら私は目黒に抱き締められていて、身体に力が入らなくて、頭がぼんやりとして、半分寝ているみたい。心に入り込まれるみたいな感覚が、今は気持ち良くて、目黒みたいな、なにかを見つめていた。
めぐろ、と呟くと、珍しく彼がやわらかく笑うから、ああもうどうでもいいかと思った。目黒が何かを言って、回らない頭で、なぜか頷かなきゃいけない気持ちになって、ゆっくりと頷く。ぐるぐると視界が回って、何も考えられなくなって、身体が弛緩する。眠いような、そんな感覚。しぬのかなあ、なんてぼんやりと思った。
もういいか、眠ってしまっても、目黒がいるし、どうだっていいか。ずっと私を見つめて微笑んでいる目黒が、私の頬を撫でた。心が侵食されていく、よくわからない感覚。自分がどこにいるのか、もうわからない。何も、考えられない。意識が薄れていく。
「だいすき」
目を閉じる寸前に、悪夢みたいな声が、した。
