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「アルハイゼン〜」

 部屋主の名を呼びながら、ノックもせずに執務室の扉を開ける。カーヴェにとってはいつもの行動だったが、今日ばかりは悪習だったと反省することになった。
 珍しく在室していたらしいアルハイゼンと、女性の後ろ姿があったからだ。

「ノックくらいできないのか」

 すぐさま飛んできた指摘はごもっともで、在室していると思っていなかったなどという言い訳は通用しそうにない。

「すまない。てっきり不在だとばかり……」

 アルハイゼンという男は、今日のように天気のよい午後には、在室していた試しがないのだ。仕事を放り出して行方を暗ましていることが、圧倒的に多い。

 とはいえ本人だけならまだしも、来客中だったとなれば、カーヴェに非があるのは明らかだ。
 先客の女性にも謝ろうと室内に足を踏み入れれば、彼女はカーヴェが謝罪する間もなく慌てて走り去ってしまった。のだけれど。

「……っ」

 すれ違いざま、彼女の頬が濡れていたのに気付いてしまった。
 扉が閉まると同時に、澄まし顔のアルハイゼンに食ってかかる。

「君は何をしたんだ!」

「何を、とは?」

「とぼけるなよ! 彼女、泣いていたじゃないか!」

 男として、女性を泣かせるなどという行為は許し難い。先輩である自分に無礼を働きまくるアルハイゼンと言えど、女子供を泣かせない程度の良識は持ち合わせていると思っていた。

 しかし怒りを露わにするカーヴェを前に、至って冷静なアルハイゼンから予想外の答えが返ってくる。

「共同研究を申し込まれたから、断っただけだ」

「…………は?」

 予想外すぎて、思考が止まってしまうほどだ。

「名前も知らない相手だ。断るに決まっている。そもそも俺が共同研究なんて話を受けると思うか?」

 それはそうだ。アルハイゼンが排他的なのは、学生時代に共同研究をし、現在一緒に暮らしているカーヴェが一番よく知っている。
 その上書記官として充分な報酬を得ている今、多大なる時間と労力を要する共同研究になど、手を出すはずかない。代理賢者としての報酬も上乗せされているのだから、尚更。

 しかし問題はそこではない。共同研究を申し込んだのが女性であるという点が、そんなに単純な話ではないと示しているのだ。
 とどのつまり、彼女は共同研究にかこつけてアルハイゼンと親密になり、行く行くは学術家庭を持ちたかったのではないか。それはつまり、アルハイゼンに対して特別な好意を抱いているということで。

「君が人の感情に疎いのはわかっていたけど、ここまでとは」

 果たしてどんな断り方をしたのか、頭が痛くなる。

「君は誤解しているようだが、真意に気付かなかったわけじゃない」

「わかっていて断ったのか?」

 すれ違いざまに見た彼女は、一瞬でもわかるほど綺麗な女性だった。きっと笑顔ならもっと素敵に見えるはずだ。

「もったいない。共同研究は無理だとしても、食事に行くくらいはしてみたらいいのに」

「何故だ」

「だって、かなりの美人だったぞ」

 カーヴェの言葉を聞き考える様子を見せたアルハイゼンは、唐突にカーヴェの顔を見つめたあと、口を開いた。

「君を見慣れているからな」

「…………はい?」

「さて、俺は休憩を取りにいくが、君の持参した申請書は机の上にでも置いておいてくれ。後で却下しておく」

 アルハイゼンは呆然としているカーヴェを置いて、サッサと執務室を出て行ってしまった。
 取り残されたカーヴェは、言われた言葉を何度も反芻し、噛み砕き、飲み込んだあと、ようやく意味を理解した。

「もしかして、僕が美人だって意味か……?」

 声に出してしまえば、ふわふわとしていた仮説が確定事項になる。その瞬間、カーヴェの頬は真っ赤に染まっていた。

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