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「君ねぇ、こんなところまで来て読書かい?」
カーヴェが呆れながら声を掛ければ、アルハイゼンは視線を本から外すこともなく、ページをめくりながら答えた。
「どこにいても読めるのだから、場所など関係ない」
「だからって……」
文句を言っても無駄なのかもしれない。そもそもここに来たのだって、カーヴェが無理矢理引っ張ってきたようなものなのだから。
大人しく隣に座っているだけでも、アルハイゼンにとっては譲歩しているんだろうけれど。
「せっかくの景色なのに」
そう愚痴ってしまうのは、仕方がないだろう。
オルモス港を少し外れた丘の上。目の前には沈んでいく夕陽があって、茜色に染まった海と空は絶景としか言いようがないのだ。
「いい場所だと思わないか? 地元の人間でもあまり知らない絶景ポイントだぞ。さすがの君でもこの景色を見れば、何か感じることがあるだろうと思ったのに」
仕事の出先でバッタリ出くわした偶然を喜んだのは、自分だけだったのだろうか。あまりない機会だからと、デートのつもりで連れて来たのに、アルハイゼンにとっては迷惑だったのかもしれない。
アルハイゼンとカーヴェは、一応これでも『恋人同士』だ。身体だけは先に関係を持っていて、なんだかんだ紆余曲折があったのち、お互いの気持ちを確認しあってそうなった。
恋人らしいことなどしてこなかったから、少しはロマンティックな空気になれば。なんて考えて、少しだけ期待していたのに。
「…………これじゃ僕が馬鹿みたいだ」
アルハイゼンにムードや情緒的なものを求めるなどと、無駄な期待だった。
「もういい。帰ろう」
「何故だ? 君はここに来たかったんじゃないのか」
「そうだけど……」
でもこんなの、1人でいるのと変わらない。ただ来たかっただけじゃない。美しい景色を見て、感動を分かち合いたかったのだ。
「君はつまらないんだろ……」
だからつい、不満を口にしてしまう。
恋人同士と言っても、こんな風にいろんな感情を共有したいと考えているのは自分だけ。そもそもアルハイゼンはカーヴェと正反対なのだから、カーヴェがしたいことをアルハイゼンがしたがるはずもない。
そんな簡単なことなのに、舞い上がった頭では気付けなかったのだ。
「君がいたいのならいればいい」
「でも……」
「俺はどこでも構わない。……君がいるのならば」
「えっ?」
一瞬、空耳かと疑った。驚いて視線を向けたアルハイゼンは、頑なにこちらを見ないよう本に意識を向けている。……ように見える。
「君……、とんでもなくらしくない事を言ったよな?」
「ふむ。では俺らしい、とは?」
「それは……」
傍若無人で、愛想がなくて、恋人相手でも甘い言葉ひとつ言わない朴念仁。
そう言ってやりたかったのに、できなかった。
いつの間にか本を閉じていたアルハイゼンが、カーヴェを見つめている。夕陽に照らされた顔が、見慣れているはずなのに知らない人みたいで。
「カーヴェ」
名前を呼ばれ、頬に手が添えられた。次に何をされるのかなんて、考えるまでもない。
あぁ、今が夕暮れ時で助かった。きっと頬の赤さも夕陽のせいだと誤魔化せるだろう。
あぁ、ここが海の近くでよかった。激しく跳ねる鼓動の音も、波の音が誤魔化してくれるだろう。